2014年12月15日月曜日

【TORCH Vol.062】 「パラダイムシフト」

橋本実

パラダイムとは、ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことをさす。例えば「それでも地球は動いている。」と地動説を唱えたガリレオが、天動説を主張する人々に裁判にかけられ有罪判決を受けたことは有名である。その当時は天動説がパラダイムであり地動説を唱えるものはすべて異端とされていた。天動説から地動説へ変化するには170年を要したが、最後には地動説が当たり前のこととなりパラダイムになった。このようにそれまでのパラダイムが大転換することをパラダイムシフトが起きたと言い、ある日突然、非連続的に起きる。

 今回、現代医学にパラダイムシフトを起こしつつある夏井睦氏の「傷は絶対消毒するな」と江部康二氏の「主食を抜けば糖尿病は良くなる」の2冊の本を紹介する。
 夏井睦氏の「傷は絶対消毒するな」は、これまでの治療と全く異なる新しい傷の治療法である(図1)。傷の治療は長い間、消毒をしてガーゼをあてる治療が続けられて来た。医師を含めた医療関係者は感染を防ぐために清潔と不潔について厳しく教育され、傷は必ず消毒するものだと教え込まれている。そのため傷を負った患者に痛がる消毒をし、ガーゼをあてる。傷の経過を見せに来れば傷にこびり付いたガーゼを剥がして更に傷を深くし、また消毒して治りを遅くするような治療をしてきた。誰もが傷は消毒しなければ感染を起こし重症化すると信じ、患者が痛がっても治るためには痛いのは仕方がないと考えているパラダイムが存在している。
 新しい治療は傷を消毒せず飲める水で洗い、傷を乾かさないようにラップで覆うとうものである。驚くべきことにこの方法で治療すると、これまでの治療に比べ半分の期間できれいに治る。しかも消毒しないので痛くない、傷をラップで覆うので水に濡らしても構わないし、乾燥しないので痛みもない。大人だけでなく、子供にとっても夢のような治療である。早く治り痛くないことは医療関係者だけでなく、患者にとっても大きな福音である。
 消毒薬を使うことはそこに存在する菌を殺すだけでなく、傷を修復しようとする自分自身の細胞までも殺すことになる。また、傷からの浸出液は細胞成長因子を含むので、これを逃がさないようにすれば傷は早く治る。この二点を守って治療すれば、例え指先を切断しても、まるでトカゲの尻尾が生えるように指が再生してくる。皮膚移植が唯一の治療と思われた重症な火傷も、手術せずにきれいに治っていく。
 消毒が不要な理由は感染症の原因は傷に菌が存在するだけでは起こらず、異物か血腫があって初めて感染症は引き起こされるからである。消毒ほどではないが、身体を石鹸などで洗いすぎることは、皮膚のトラブルの原因となることも述べている。人間の表皮は皮脂を餌とする常在菌で被われそれ以外の菌が住めない状況を作りだしている。すなわち、Propionibabacterum属の細菌が常在して、皮膚は健康を保っている。あまり皮脂を洗い落とすことは皮膚の健康を損なうもとであり、洗浄後にクリームを塗ることも好ましくないとしている。クリームには界面活性剤が含まれ皮脂が分解されてしまうためである。 皮膚を健康に保つためには、必要以上に皮脂を洗い落とさないことが大切で、温水に皮脂は溶けるのでシャワーだけでも十分となる。人間は常在菌と共生してこそ、皮膚の健康と外敵の侵入を防ぎ健康が保たれる。


  江部康二氏の「主食を抜けば糖尿病は治る」は炭水化物(糖質)の摂取を減らして、糖尿病を治療するというものだ(図2)。現在の糖尿病治療はカロリー制限食で血糖をコントロールし、悪化すればインスリンを注射するというものであり、これがパラダイムとなっている。
 新しい治療はカロリーを制限するのではなく、炭水化物(糖質)を制限するというものだ。三大栄養素と呼ばれるものは、蛋白質、脂質、炭水化物である。炭水化物は糖質と少量の食物繊維から成り立つので、炭水化物と糖質はおおむね同じと考えてよい。この三大栄養素の中で、我々の身体を構成するのは、脂質と蛋白質のみであり、炭水化物はエネルギー源でしかなく、唯一血糖値を上げるものである。また、血糖値を下げる働きをするホルモンであるインスリンを分泌させるのは炭水化物のみで、蛋白質と脂質はインスリンを一切分泌させない。例えば、焼肉屋さんに行き、お肉を食べ続けていても血糖値は上昇せずインスリンは分泌されないが、白いご飯を食べたとたんに血糖値が跳ね上がり、インスリンが分泌されることになる。炭水化物の摂取を制限すれば、そもそも血糖値は上昇せず、インスリンも分泌されないので膵臓機能は回復し、糖尿病は改善する。
 糖尿病食の1200カロリー制限食を食べたことがあれば分かるが、お腹が空いて、空いてとても長く続けることは不可能な辛い治療だ。しかし、これまでの栄養学はカロリーを基礎にして成り立っているので、糖尿病の食事指導もカロリー制限が主になり三大栄養素をバランスよく摂ることになっている。これでは、血糖を上げる炭水化物を摂り続けるので糖尿病が改善することはない。
インスリンは肥満ホルモンとも呼ばれ、血糖値を下げる際に糖を脂肪細胞の中に取り込ませる働きをする。逆に言えば、インスリンを分泌させなければ太ることもないし、太っている人はみるみる体重が減る。2週間糖質制限食を続ければ、体重は3kg以上減少しダイエット効果は抜群である。
 我々が食べ続けるのは60兆個あるといわれる身体の細胞を常に作り替え維持し生き続けるためである。炭水化物を摂取しないことに不安を覚えるかもしれないが、身体を作っているのは蛋白質と脂質のみであり心配はない。また、我々は糖新生というシステムを持ち、必要な血糖は常に肝臓で作り出せるので、無理に炭水化物を摂取する必要はない。必須脂肪酸、必須アミノ酸(蛋白質)はあっても、必須炭水化物は無いことからも不要なことからも不要なことがわかる。
 現在、日本には糖尿病患者が950万人、糖尿病予備軍は1100万人いると推計されている。生活習慣病の中で最も防がなければならないのは糖尿病だ。糖尿病の恐ろしさは、高血糖の血液が全身を循環することで、血管を傷つけ失明、神経障害、腎障害などを同時多発的に起こし命に関わる病態に移行していくことにある。
メタボリック症候群は内蔵脂肪の蓄積があり、高血圧症、脂質代謝異常症、糖尿病のうち二つ以上が当てはまれば確定診断される。内蔵脂肪を減らし肥満を防ぐことが、生活習慣病を予防しメタボリック症候群を防ぐことになる。厚生労働省は「1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にクスリ」というキャンペーンをおこなっている。しかし、炭水化物を減らす糖質制限食をしなければ体重を減らすことは難しい。
 人生の後半を健康で生き生きと生活するためには、筋肉を減らさないように運動し続けることと、肥満から生活習慣病を引き起こさないように炭水化物(糖質)を制限した食事が重要になる。糖質制限食を続けていると、脂質代謝異常症や高血圧症も改善することが多い。肥満が改善されると内臓像脂肪が減少し、改善すると考えられている。服薬しながら糖尿病、脂質代謝異常症、高血圧症がコントロールされ正常値を維持しても病気が治ったとはいえず、医者からは一生薬を飲み続けるように言われる。肥満がある人の高血圧は、痩せなければ治らないことが多い。糖質制限食は薬もいらない糖尿病の治療法であり、肥満も解消する治療方法なので、肥満が原因となる生活習慣病の改善予防にもつながる画期的なものである。


 さて、なぜこれらがパラダイムシフトを起こすのかというと、医学界はこれまでの治療が正しく前述の治療は異端であるとする現状(パラダイム)があるからである。新しい傷の治療は、痛くなく早く治り、消毒薬や薬剤の使用が減るので医療費も削減できる。糖質制限食も、糖尿病治療に1.2兆円かかっている医療費を減らし、ほかの生活習慣病の治療費をも減らすことが可能になる。
 では、なぜ遅々として普及しないのかと言えば、専門家と呼ばれる医者たちの多くが反対しているからである。新しい傷の治療も糖質制限食も、極論すれば素人でも治療可能であり実施すればみるみる改善していく。そのことで困るのは、それまで傷の治療や糖尿病を専門にしていた医者たちである。この治療が普及すれば、専門性は不要となり、飯の種を失うことになる。同様に、製薬会社も薬が不要になれば大きな痛手を受けることになるので当然反対することになる。栄養士も肥満や糖尿病治療に関わっていることが多いので、糖質制限が普及すればこれまでのカロリーを中心とした知識を捨て、新たに学びなおす必要が生じるので反対することになる。
 しかし、一度自分で試した人はこれらの治療が正しいということがわかり、今までの治療が間違っていることがわかる。医者の中にも試してみて、患者にとって新しい治療のほうが優れていると考えている人もいる。昔とことなり、インターネットの力は大きく、夏井先生も江部先生も情報をネット上で常に発信している。ガリレオの時に170年を要したパラダイムシフトが、何年で起きるのか楽しみである。皆さんに今回紹介したこれらの方法は自分で試すことが出来るので、お勧めするし、ぜひ試して頂きたい。

2014年9月11日木曜日

【TORCH Vol.061】 「スポーツ運動学(明和出版2009)」

コーチング系 川口 鉄二

 得体の知れないブログというものに躊躇していたものの、いつしか督促すら来なくなってしまったので、途中でまで書いておいたファイルを引っ張り出すことにしました。
□入門するということ
 運動学の授業のはじめに紹介するいくつかの参考書、実は私自身それらの本を読みこなすのに四苦八苦しています。昔、教科書として学生に紹介していたのは「マイネル スポーツ運動学」Bewegungslehre(1981大修館)で、旧東ドイツ1960年の上梓から約20年経って翻訳されたものです。更に20年経ち、2002年に日本オリジナル版「技の伝承」、そして「身体知の形成(上・下巻)」、「身体知の構造」(いずれも金子明友著 明和出版)が立て続けに出版されます。
これら日本版スポーツ運動学の難解さに途方に暮れていた2009年、待望の「入門書」(「スポーツ運動学」明和出版)が出版されます。しかし、「入門」=「簡単」という期待は見事に打ち砕かれ、辞書にもあるようにそれが「特定の師について全人格的に学ぶ」という意味であることを知ることになります。「このスポーツ運動学の入門書はその発生論的運動学の門をたたく人のために明確な道しるべを立てようとしている」もので「わかりやすく解説されているという意味での入門書ではない」と巻頭にも書かれているのですから、サンダルを履き替えざるを得ませんでした。
□「難解さ」の理由
スポーツ(諸)科学という寄り合い所帯の「研究のための研究」という現状を脱却するには、哲学や現象学的運動認識論が不可欠なのは何となくわかるのですが、それらを熟読すべきと言われれば我々コーチング仲間は途方に暮れるしかありません。でも教員のそんな苦しみとは裏腹に、ゼミの学生はこの入門書を読んで普通にレポートを書いてきたりします。つまり、学生にとってこの本の難しさは他の領域に比べて突出してるわけではなく、もしかしたら我々の頭の方が、「星の王子様」が不思議がるほど凝り固まっていたのかも知れません。
実は、金子明友先生がこの壮大な理論書の上梓後に「唯一」、歴史的な講義をして頂けたのが仙台大学でした(大学院「スポーツ運動学特講」)。専門用語を使いこなしてくる他大学院生に交じり、学部での下積みの無かった本学大学院生(社会人)は、運動経験やコーチ経験だけを頼りに四苦八苦して講義に臨んでいました。「何を教えているんだ」と説教されそうな私の心配とは裏腹に、本大学院生の授業レポートを読んだ先生からは次のような言葉を頂きました。「…(国立大の)院生は私の運動学は難しいと正直に述べています。頭で考えているからでしょう。仙台の院生は体で考えていてよく理解しているようです…どうも頭で伝統的な論理を弄するひとには私の運動学は不向きなようですね。現象学的運動学の超越論的論理学を基礎においている意味が分かっていないのかもしれません。現場で苦労している仙台の院生はさすがです。頑張るようにエールを送ってます」。
選手や指導者として実践現場で培った身体知というものは泥臭くて、様々な要因と複雑に絡み合っていますが、実践現場では決してそれら全体性という問題を避けては通れません。でもそんな経験があるからこそ、運動する主体の感覚を無視した科学的な見方に対して「直感的」に違和感を持つことができます。この種の理論を理解するにはそのような直感力も問われることになるようです。
□動感経験に頼る
 体育大学で培った技能と言っても、それが時とともに衰退していつしか動けなくなった時に、「競技実績」という過去の栄光だけしか残らないというのでは一般大学の体育会と何ら変わりません。大学では専門理論に没頭できる環境が次第に失われているという問題はありますが、実技実習であっても単に「できた」かどうかという「結果」だけでなく、その動感経験自体を分析し、動きの発生指導力の獲得に結び付けていくことが体育大学の原点だと思います。
スポーツ選手は「~しか知らない(例えば『逆立ち』)」と揶揄されることがありますが、どんな科学知を寄集めても逆立ちの経験には替えられないし、「コツ」や「カン」にかかわる研究では最終的には実践という動感世界とのかかわりが評価されます。ですから、この本の言葉の難解さに怯むことなく、自分の得意な運動経験に置き換えて考えることができれば、そこには「わかるような気がする」ことばかりが書かれているということに気づくはずです。もちろん、そんな風変わりな読み方が求められるのですから一人で読めとは言いません。仙台大学にはベテランのコーチ達や金子運動学直系の愚弟もいるのですから、悩めるパトス仲間として一緒に門をくぐってみてはいかがでしょう。

【TORCH Vol.060】 中房敏朗著「体罰の歴史的背景」

長見 真

 今年の4月に一通のEメールがやってきた。送り主は中房敏朗氏。氏は、2011年度まで本学でスポーツ史の専任教員としてご活躍され、現在は大阪体育大学で教鞭を執られている方である。「~拙文を書きました。ご笑覧いただき、何かの足しにでもなれば幸いです。」と閉じられたメール文書の添付ファイルを開けると、大変スリリングなタイトルの論文が現れた。それが、「体罰の歴史的背景」である。
 周知のとおり、2012年12月に、大阪市の高校でバスケットボール部の主将であった高校生が顧問教員の度重なる体罰を苦にして自殺した大変痛ましい事件をきっかけに、学校運動部あるいは学校における暴力的行為が大きな社会問題となっている。こういった状況下において書かれたこの論文は、「体罰の歴史的背景について先行研究を手がかりに描出すること」を目的としており、その際「今日の体罰が置かれている歴史的な流れや全体的な構図について、できるだけ射程を大きく広げながら探り出すことをめざそう」としている。それでは、論文の展開をみてみよう。
 まずは、体罰の起源としてこれまで暗黙の裡に支持されてきた軍事的起源説(戦前の軍事的規律が体罰として普及する)に氏は一定の評価を与えつつも、それが根本原因ではないとみる。そして、体罰の起源を文明史的なレベルまで射程を広げ、非対称的な権力関係が形成された中で、権威的立場にある上位の者がその従属的立場にある下位の者をしつけ、正し、罰するために「身体的懲罰」(=体罰)を課す、という構図を導き出し、体罰は非対称的な権力関係が現れた古代文明の発生とともに出現した古い人間文化であり、権威的立場にある上位の者が課す体罰は、理性的方法であれば罪に問われず、容認されてきたことを明らかにする。
 このような体罰発生の構図は近代以前の教師-生徒という非対称的な権力関係においても同様に当てはまり、教師による体罰は行使され、容認されてきた。近代に入ると、現在の学校の姿である近代学校教育制度が確立され、同一年齢の者(生徒)に知識や技術を効率よく、より多くの生徒に身に付けさせることが求められた。そこでの教室空間は、「ランカスター・システム」といわれる、現在の教室の原型である秩序と教授のシステムがつくられた。そして、教室という密閉空間の秩序を維持するために、教師は体罰を含む懲戒の権限を持ち続け、決して比喩ではない「教鞭」という鞭や杖が使用された(執られた)のであった。
 さて、このように体罰の起源を文明史に求め、近代学校教育制度の教室空間にその使用を容認し続けている歴史的背景を踏まえた上で、氏は、日本のスポーツ界は過剰に「学校化」しており、このことより体罰への衝動が惹起すると述べている。それは以下の通りである。日本の体育・スポーツ界は明治以降、学校(近代学校教育制度)の管理下において発展してきたものであり、教師-生徒関係と同様の監督―選手という非対称的な権力関係が存在し、加えて「長幼の序」を美徳として重んじる伝統的な価値観も後押しして、監督を頂点とする密閉空間(教室)が形成されている。そしてこの密閉空間への選手(生徒)の参入は、自発的なものではあるものの、監督(教師)への服従が求められることを前提としており、その中で勝利や栄光を追い求める。そしてその成果や実績(=「勝利」および勝利から得られる「進学・就職」)によって、勝利に至るまでの困難な過程が肯定され、正当化され、美化される。また、「教室」の外側にいる「保護者(視聴者やファン)」は、勝利や成果を期待すると同時に、勝利や成果が積み上げられることによって、「教室」の中の事柄に対して口出しがしづらくなる。このことにより、勝利や成果といった「結果」が重視され求められることとは対照的に、「過程」が不透明なものになり、「教室」内の権力関係は、より強いものとなり、「厳しい指導」がかえって選手(生徒)の感謝の念を呼び覚ます。こういった構図の中で、戦前の軍事的規律から派生した「びんた」という身体技法を継承しながら体罰への衝動が惹起するのである。
 さて私は今年度、本学1年生約60名を対象に、体罰経験について簡単なアンケートをおこなったが、自分自身が体罰を受けたあるいは行使した経験のある学生は約22%、自分自身は体罰を受けたり行使した経験はないが、体罰を行使する場面を見たことがある学生は約36%、自分自身体罰を受けたり行使したことはないしその場面を見たこともない学生は約42%であった。この結果は日本の体育系大学の学生についても同じような割合であると考えられる。体罰の行使によって勝利や「進学」という実績を得た者は、指導者(教師)に対して感謝の念を抱くことにより、自身がスポーツ指導者の立場に立った時に選手(生徒)に対して同じことを繰り返してしまう。こういった負の循環を断ち切るために、体育系大学の果たす役割は非常に大きい。しかし、スポーツ指導者を目指す者に体罰のない指導の必要性を教育することで体罰問題が解決される、といった単純なものではないことを、この論文は教えてくれる。体罰を根絶するためには、過剰に「学校化」されたスポーツ界、近代学校教育制度に支えられた現代の「学校」、そして学校空間に存在する教師-生徒といった非対称的な権力関係のあり方およびそこでのふるまい方を問い直すことが必要なのである。成熟社会を迎えたわが国において、スポーツ界、学校教育界の大きな転換(脱構築)が求められるのである。
 このような論評を書かせていただいた最後に、急いで氏に対してお詫びとお礼を言わなければならない。冒頭に述べた氏が「教鞭を執られている」という文は、比喩表現とはいえ、言葉を変えなければならないと思っており、お詫びしなければならない。また、「何かの足しにでもなれば幸いです」については、こういった論評を書かせていただいたことが私にとって大変有意義なものであったので、氏に感謝申し上げたい。

中房敏朗(2014)体罰の歴史的背景.大阪体育大学紀要,45:199-207.

2014年7月24日木曜日

【TORCH Vol.059】 「読み比べて分かる我が恩師の偉大さ」 -皆さんもぜひ読み比べを-

仲野 隆士

 「君ら院生は、本当に本を読んでないねぇ・・・」、これが大学院で私を指導してくださった先生の当時の口癖でした。その先生は本を読むということが三度の飯よりも好きというくらい様々なジャンルの本を読んでおられ、しかも必要に応じて繰り返し読み直すということをされていましたので、我々院生が実に物足りなく写っていたのでしょう。当時の私は、ご指摘の通り確かに本を読むという確固たる習慣が欠如していました。それゆえに、修士論文を完成するまでの過程において多くの文献や研究論文を読んだりすることが不可欠でしたので、本当に苦労しました。その先生が、院に進学した1984年の年末に、『スポーツとルールの社会学』《面白さ》をささえる倫理と論理と題する本を出版されました。体育原理とスポーツ社会学が専門の先生でしたので、タイトルも内容も専門領域に合致したものでした。
 この先生に論文指導を受ける身として、この本を読まなければ何も始まらないと考えた私は、とにかく1冊購入し読破を試みました。思えば、それまでの人生において初めて真剣に本と向き合ったように思います。しかしながら、この本は私の手に終えるような代物ではありませんでした。部分的には理解できるのですが、いわゆる法律や法社会学を勉強しないと完全には理解できないものでした。もちろん、自分なりに勉強し必死に理解しようと努力はしました。しかし、それでもなお解釈し切れなかった部分が多々あり、消化不良のままで終わってしまったというのが正直なところでした。著者であるご本人は、法律や法社会学などについて我々の想像を超える勉強を重ね専門知識を蓄積され、専門家に教えを請うといったこともされていたのを院生である我々は知っていました。そういった努力を何年も何年も続け完成された本ですので、凡人である我々には簡単に読破できなかったのかもしれません。当時の我々院生は、先生に対し「先生の書かれた本は難し過ぎて我々には理解できない部分があります」といったことを正直に伝えた記憶があります。先生にとってみれば、実に嘆かわしい院生であったに違いありません。
 いつしか月日は流れ、先生があの本の続編を退職される前に出版されることを知り、出版と同時に購入し読破しました。いや、「私にも読破できた」というのが正解でしょう。2007年に出版された『スポーツルールの論理』というタイトルの本がそれです。まさか「じゃんけん」からルールを考えるという発想から組み立て直すとは奇想天外で、さすがは非凡にして個性の強い先生らしさが溢れていました。しかも全体の構成が面白くて分かりやすいので、正に目からうろこの思いがしました。「バレーボールというスポーツは、プレイする誰かがルール違反をしない限りどちらにも得点は入らず、ネットを挟んだ緩やかなボールのラリーが延々と続く」という説明も、「なるほど確かに良く考えてみればそうだな」と頷ける説得力があります。その他にも、前作では理解に苦しんだ部分も、続編では容易に理解することができました。「何だ、こういうことを先生は言わんとしていたのか!」とか、「確かにこの図や表なら全体の構造や説明が分かりやすい」といったことを自問自答しました。いうなれば、先生が世に問いたかったことを、凡人である我々にも理解できるレベルに落とす涙ぐましい努力と労力を注いでくれたわけです。このように書くのは簡単ですが、普通はこんな手間のかかる面倒な作業はしないでしょう。そこに、恩師である先生の偉大さを感じています。
 学生の皆さん、自分が楽しんできた・継続してきたスポーツのルールについて深く考えたことがありますか。スポーツのルールそのものについてもですが、いかがですか。もしも深く考えたことが無いのであれば、ぜひ『スポーツルールの論理』を読んでみてください。きっと個々のルールの存在理由やスポーツのルールというものが担う機能や構造が分かります。また、スポーツというものをより深く理解することができると思います。その上で、さらに余力のある人は、先生の前作である『スポーツとルールの社会学』に挑戦してみてください。こちらは極めて手ごわいですが、夏休みや年末年始といった長期の休みの折にでも読んでみてはいかがでしょうか。スポーツのルールを取り上げた本は何冊か読みましたが、この本を超える本に出くわしたことがありません。読む価値は十分あります。この夏、私も再度2冊を読み比べてみることにします。教員の皆様も、時間が許せば読み比べてみてはいかがでしょうか。
 余談ですが、その先生の教えで「同じコトを続けていけば、いつかは専門家と言われるようになるものだ」というものがありました。スポーツのルールのことを何年も何年も考え続けた結果、先生はスポーツのルールの専門書を2冊も出版した専門家になられました。私も、本学に赴任してからこれまで続けてきたレクリエーション支援の活動や、スペシャルオリンピックス(SO)の活動があります。これからも継続してきますが、いつの日か私自身の集大成として、本にまとめて出版できたらと考えています。

<取り上げた本の紹介>

・守能信次『スポーツとルールの社会学』《面白さ》をささえる倫理と論理 名古屋大学出版会
 1984年 
・守能信次『スポーツルールの論理』 大修館書店 2007年

【TORCH Vol.058】 池井戸潤 『ルーズヴェルト・ゲーム』 ~企業スポーツのエンタメ参考書~

高成田 亨

日本のスポーツを大学とともに支えてきた企業スポーツの歴史や現状、今後のあり方を学ぶ「企業スポーツ論」という講義を続けている。ある日の授業のあとで、「先生が話しをしていたのと同じような話がこの本に書かれています」と言って、紹介されたのが池井戸潤の『ルーズヴェルト・ゲーム』(講談社文庫)だった。

早速、本屋で買い求めてわかったのは、この作家が「倍返し」で話題になったテレビドラマ「半沢直樹」の原作者(原作は『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』=いずれも文春文庫)であり、2011年には『下町ロケット』(小学館文庫)で直木賞を受賞した人物で、受賞後の第1作として2012年に刊行されたのがこの作品ということだ。

直木賞といえば、芥川賞と並び、文学界ではもっとも権威のある賞だけに、直木賞作家となった池井戸氏が相当に力を入れたものだと想像できる。実際、読んでみると、その筋書きの面白さにつられて一気に読んでしまった。

中堅の電子部品メーカーである青島製作所は、創業者が熱心な野球ファンで、自らも企業内に野球チームを設けて、支援してきた。しかし、ライバル会社のミツワ電器に監督と主力投手や打者を引き抜かれ、成績不振に陥ったところに、2008年のリーマンショックで会社本体の経営も苦しくなり、野球部の存続も危うくなる。

そこで、風前の灯火(ともしび)となった野球部を再興するために立ち上がった男たちがこの物語のヒーローたちで、次々に襲いかかる危機と、その後の逆襲というか「倍返し」は、はじめからテレビの連続ドラマを意識したようなで展開になっている。作者の思惑通り、2014年4月から6月までテレビドラマとして放送されたというから、ご覧になった人も多いのではないか。

★企業スポーツの歴史
日本の企業は、西欧の文化であるスポーツが我が国に紹介された明治以降、企業内にスポーツチームをつくり、その競い合いのなかで、日本のスポーツ全体の水準を国際レベルにまで高めてきた。その成功例のひとつが1964年の東京オリンピックで、紡績会社ニチボー(現ユニチカ)の企業チーム「ニチボー貝塚」の選手を主力とした女子バレーボールが金メダルを獲得した物語だ。

日本で企業スポーツが発達したのは、社員の福利厚生の一環として、従業員によるスポーツチームを積極的に支援したためだが、戦前は労働運動のエネルギーを企業スポーツに向けさせたり、戦後は企業の名前をPRする広告塔としての役割を課せられたりした。さらに企業は経営者が父、従業員が子どもの家族という家族主義の経営が社会に受け入れられ、その家族統合のシンボルとして企業スポーツが使われてきた。

しかし、1990年代にバブル経済が崩壊すると、企業チームを養うだけの財力がなくなったうえに、従業員を大事にする家族主義ではリストラができないとして、企業スポーツは次々に廃部の憂き目にあってきた。2000年代に入ると、廃部の動きは目立たなくなったが、リーマンショックとともに、再び企業スポーツを廃部にする動きが目立ってきた。

この小説の時代設定も、企業スポーツにとっては最後の逆風ともいえるリーマンショックのころで、企業が懸命に生き残り策をさぐるなかで、企業スポーツに何が求められたのかがよく描かれている。この題名は、世界大恐慌から第2次大戦にかけて米国の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(1882~1945)が野球でいちばん面白いのは8対7のゲームだと語ったというエピソードが小説のなかに出てくるので、そこからとったものだろう。

★日産自動車硬式野球部
企業スポーツの現実は、ルーズベルトゲームどころか、経営者の鶴の一声で完封負けというところが多かったが、それでも小説的な展開を見せたという点で思い出されるのは都市対抗野球で活躍した日産自動車の野球チームだ。

1959年に神奈川のチームとして産声をあげた日産自動車硬式野球部は、社会人野球の甲子園ともいえる都市対抗野球に29回の出場を誇る強豪で、1984年と1998年の2度にわたって優勝し、その栄冠である黒獅子旗を獲得している。1999年、悪化する会社の経営を立て直すために、提携先のルノーから「コストカッター」の異名で送り込まれてきたのがカルロス・ゴーン社長だ。

大胆なリストラを進めるゴーン氏のもとで、野球チームも存続が危ぶまれたが、この年の夏の都市対抗野球大会で奮戦する自社のチームを観戦したゴーン氏は、スタンドを埋める応援団の盛り上がりに感銘を受け、直後の記者会見で「都市対抗野球こそは日本の企業文化の象徴」と語り、野球部の存続を明言した。

残念ながらリーマンショック後の2009年、野球部の廃止が決まり、企業スポーツとしては、最後に逆転負け気を喫したが、強引なコスト削減を進めたゴーン氏ですら、野球チームを切ることが難しかったわけで、日本の企業文化における企業スポーツの重要性を物語るエピソードだろう。

★企業スポーツの参考書
この小説の結末がどんな展開になったかは、小説を読んでいただくしかないが、日本の企業スポーツが置かれた最近の状況をわかりやすく、そして面白く解説する参考書として、みなさんには本書を薦めたい。企業スポーツ論を講義するのなら、このぐらいのエンタメ精神がなければ、学生はついてきませんよ。本書を私に紹介した学生の真の意図は、そんなところにあったのかもしれない。スタンドを沸かせるどころか眠らせるのを得意とする私自身の授業ゲームにも、大いに参考になったと、告白しておこう。

2014年7月4日金曜日

【TORCH Vol.057】 1914年

乗松央

 ちょうど100年前のこの年、第一次世界大戦は始まった。第二次大戦における原爆やホロコーストの禍々しい衝撃に目を奪われ、ともすると第一次大戦の歴史的な意義を忘れそうだが、第二次大戦を超える強烈なインパクトを、それは人類史にあたえていた。「現代」と現代史はまさにここから始まる。ルネッサンスに始まりフランス革命を経て完成された西欧近代は、第一次大戦を契機に急激な転換を見せる。時間の経過とともに未来のユートピアへ向けて人類が歩んでいるという進歩思想が、音を立てて崩れ去り、予定調和や自由放任といった近代に特有の価値は第一次大戦を契機に疑念の目で見られるようになる。この衝撃を如実に物語った文献として著名なのが、S.ツヴァィクの『昨日の世界』《注1》である。清水幾太郎編集の『思想の歴史(8)近代合理主義の流れ』《注2》は、この諸相を分かりやすく説明している。
 後の第二次大戦において大英帝国の戦争指導を担うW.チャーチルは自伝的回想「世界の危機*」の中で、第一次大戦について次のように述べている。「--人類は初めて自分たちを絶滅できる道具を手に入れた。これこそが、人類の栄光と苦悩の全てが最後に到達した運命である。」
 にもかかわらず日本の場合、第一次大戦の衝撃が見過ごされがちだ。極東にあってほとんど戦闘行為を経験することなく多大の利益を得ることのできた日本人にとって、この大戦に関する情報は稀薄であったばかりか逆に空前の戦争景気という甘美な事件として記憶された。この辺りの事情は猪瀬直樹の『黒船の世紀』《注3》が次のように生々しく伝えている。「日本人は、悲惨なヨーロッパ戦線を知らず、戦勝景気で湧いていた。--天長節を祝うために、在ベルリンの日本人は高級ホテルのカイザーケラーに集まり、祝賀行事を催した。外交官、軍人、実業家、新聞記者らである。といってもわずか二十数名しかいない。日本国内が戦争景気に湧いているとき、敗戦直後のドイツの実情をつぶさにみる立場にあった人々の数が、たったこれだけだったことは記憶にとどめておきたい。」また加藤陽子の『戦争の日本近現代史』《注4》は外交・軍事面での日本の反応を描いているが、そこには新しい国際情勢に対し目先の利益に右顧左眄する日本の姿と総力戦における戦略と軍事技術への当惑や怯懦があるばかりで、第一次大戦の世界史的な意義を捉える視点を、日本の指導者は欠いていたようである。
  第一次大戦に関する文献の中で特に有名なものにバーバラ・タックマンの『八月の砲声』《注5》がある。ピユリッツァー賞を受けたこの作品は、大戦の背景と開戦劈頭の数週間を描いたに留まるが、しかし甚だ肝要な史実をわれわれに告げている。それは、世界史の大転換をもたらす第一次世界大戦が実は偶然の所産であり、そればかりか各国の指導者たちが本格的な戦闘を回避しようとしたにも拘わらず全面戦争へ突入せざるを得なかったという意外な史実をである。まさに、「ヨーロッパはよろめき入るように戦争に入った」のである。この後につづく戦争の多くが、明確な意思と緻密な計画の下に開始されたのに対し、第一次大戦は偶然の所産という側面が大きい。
(むろんドイツのシュリーフェン計画のように戦争勃発後における戦略や作戦計画は各国に存在したが、開戦前の時点で全面戦争を企て遂行するという明確な国家意志をもつ国は無く、指導者たちはサラエボの暗殺事件から「八月の砲声」に至る数週間を戦争回避のために費やしたのであった)
 そしてこの偶然性こそが、第一次大戦にいっそう暗く冷酷な相貌をあたえている。第一次大戦という偶然がなければ、その後のロシア革命も第二次大戦もなく、その結果、広島・長崎への原爆投下もアウシュビッツも、数える上げることが困難な夥しい命が失われることもなく、そして多大の犠牲を強いながら不毛の結果に終わったソ連東欧圏における社会主義の実験も無かったのである。もし神が存在するなら彼は気まぐれなサディストだろうし、神が存在しないのなら人類は時間の奔流に流され水底に沈む塵芥に過ぎなくなるのではないか。
 何れにせよ、われわれは第一次大戦に始まる現代に存在し、その現代を生きねばならない。この意味において第一次大戦は不可避の史実であり逃れられない現実と言える。
  そこで、この大戦を世界史的展望の中に位置づけて考えようとするなら、ウィリアム・マクニールの『戦争の世界史-技術と軍隊と社会-』《注6》が文庫本になり入門書として便利である。同じマクニールの『世界史』《注7》は、大学生協で現在最も売れている歴史書だそうだが併読すると第一次大戦の立体的な把握が容易になる。また、戦争それ自体を把握するにはリデルハートの『第一次世界大戦』《注8》が最適といえるが、これは浩瀚な大著であるため時間の制約がある場合には同著者の『第一次世界大戦/その戦略』《注9》がコンパクトで読み易い。さらにビジュアル資料によって立体的な理解を進めるには学研の歴史群像シリーズ『[図説]第1次世界大戦』《注10》がある。またNHKと米国のABCによる共同取材、共同制作『映像の20世紀:大量殺戮の完成』《注11》は優れたドキュメンタリー作品である。
 フィクションの分野では、レマルクの『西部戦線異状なし』《注12》があまりに有名だが、これを映画化したR.マイルストン監督作品《注13》も第3回アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した佳品と言える。最近の映像作品ではW.ボイド監督の『トレンチ<塹壕>』《注14》がある。わずか2時間で6万人が犠牲となったソンムの戦いと塹壕戦の諸相をリアルに再現した映像である。
  第一次世界大戦の衝撃を確認するとき真っ先に掲げねばならなかったのがO.シュペングラー『西欧の没落』《注15》である。これを最後に上げるのは、あまりの大著であるため読み切れていないゆえである。
【読書案内】
《注1》S.ツヴァィク『昨日の世界Ⅰ、Ⅱ』原田義人/訳、みすず書房
《注2》清水幾太郎/編『思想の歴史(8)近代合理主義の流れ』平凡社
《注3》猪瀬直樹『黒船の世紀 -ガイアツと日米未来戦記-』(文春文庫)
《注4》加藤陽子『戦争の日本近現代史 東大式レッスン 征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書)
《注5》B.タックマン『八月の砲声(上)(下)』山室まりや/訳(ちくま学芸文庫)
《注6》W.マクニール『戦争の世界史(上)(下)』高橋 均/訳(中公文庫)
《注7》W.マクニール『世界史(上)・(下)』増田義郎・佐々木昭夫/訳(中公文庫)
《注8》リデルハート『第一次世界大戦(上)・(下)』上村達雄/訳、中央公論新社
《注9》リデルハート『第一次世界大戦 その戦略』後藤冨男/訳、原書房
《注10》星川 武/編『歴史群像シリーズ 戦略・戦術・兵器詳解 [図説]第一次世界大戦(上)(下)』学習研究社
《注11》企画・制作:NHK、ABC(米)『映像の20世紀:第2集/大量殺戮の完成;塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た』(NHKエンタープ ライズ)
《注12》レマルク『西部戦線異状なし』秦豊吉/訳(新潮文庫)
《注13》L.マイルストン監督作品『西部戦線異状なし』(発売元:ファーストミュージック株式会社)
《注14》W.ボイド監督作品、S.クラーク製作『ザ・トレンチ <塹 壕>』(英国)販売元:株式会社 ポニーキャニオン
《注15》O.シュペングラー『西欧の没落世界史の形態学の素描<第1巻>形態と現実と』五月書房
*なお、W.チャーチルの「世界の危機World  Crisis」は 1930年に『大戦後日譚:外交秘録』のタイトルで邦訳されたものがあるが、国立国会図書館で閲覧する以外、一般の書籍流通ルートを通じた入手が困難と言われている。本文の引用は、《注11》の映像ソフトにおけるナレーションに拠る。
(完)

【TORCH Vol.056】 私が唯一読む東野作品

山口貴久

このブログを書くことが決まった時、私が最近読んだ本を思い返してみました。すると、驚くことに、ここ数年は東野圭吾の小説以外に読んだ本といえば、アスレティックトレーニングやスポーツ医学に関する専門書しかないことに気が付きました。我ながら情けないことですが、そんな私でも専門書以外に唯一読んでいた東野圭吾作品について今回は触れたいと思います。

私が初めて東野圭吾という作家を知ったのは、当時所属していた社会人体操クラブの選手が東野作品を読んでいた時のことでした。

私「何、読んでるの?」
彼「東野圭吾です!」
私「誰それ?」
彼「え゛~知らないんですか~!?」

当時、数々の作品で既に有名になっていた東野圭吾を私が知らなかったのは、彼からするとかなりショッキングな出来事だったようです。とにかく、この時、初めて東野圭吾という名前を聞きました。

しかし、もともとミステリーや謎解き作品が好きではなかったからか、それからすぐに東野作品を読んだ、というわけではありません。実際に東野作品を読んだのは。数か月後の遠征の移動時でした。出発前の駅の書店で「十字屋敷のピエロ」という作品を購入しました。なぜこの作品を選んだのかは覚えていません。恐らく深い意味はなく、ただ、そこで売られていただけ……だからだと思います。

この「十字屋敷のピエロ」という作品は、とある一家に起こる事件の様子をピエロ人形の視点で語るといった、一風変わったものでした。物語がわき道に逸れることなく、非常にシンプルで読みやすかった印象があります。とはいえ、ものすごく面白かったかというと、それ程でもありませんでした。

しかし、その後も時間があるときは東野作品を読んでいました。それは“はまった”というよりも、他に読む本がなかったから、というのが正しい表現だと思います。

そんな中、東野作品に“はまる”きっかけとなったのは「手紙」という作品でした。この作品は犯罪加害者の家族をテーマに書かれたものです。兄は弟のために殺人を犯したが、弟は殺人犯の兄がいるという理由で様々な苦労を強いられる。とても悲しいですが、いろいろと考えさせられる作品でした。

そして私が「東野圭吾ってすごい!」と心から感じた作品は「天空の蜂」です。私がこの作品を手にしたのは2010年6月のことでした。大学の出張でベラルーシへ行く際に、せっかく移動時間がたっぷりあるので、長編大作をと思い購入しました。作品の内容は、盗まれた超大型ヘリコプターに爆薬を載せ、稼働中の原子力発電所に落とすと脅迫するテロリストを探し出す、というものです。内容に関しては意見が分かれるところですので、あえて触れませんが、何より私は、震災・福島原発問題より16年も前に、東野圭吾が原子力発電所をテーマに作品を書いていたことに驚き、感服しました。震災後に再読したことは言うまでもありません。ちなみにこの作品は来年映画化されるそうです。

東野圭吾といえば、ガリレオシリーズか加賀恭一郎シリーズを挙げる人が多いと思います。私は加賀恭一郎派で、実はガリレオシリーズはあまり好きではありません。理由は自分でも分かりませんが、加賀恭一郎というキャラクターが好きで、湯川学がそれほどでもないからだと思います。ただ両方ともドラマや映画などの実写版を見るのは好きです。それぞれの俳優さんが好きなので(このブログで書くことではないですかね・笑)

東野作品は、ひょっとしたら本格的なミステリー作品をお好みの方は、少し肩すかしを食らうかもしれませんが、非常に分かりやすく、入り込みやすいストーリの作品が多いのでミステリー導入編としては良いものだと思います。是非一度手に取ってみてください。

2014年6月25日水曜日

【TORCH Vol.055】 「本、いつ読むの? いつだっていいでしょ!」

永田秀隆

 大学の頃は自分から進んで本を買って読むという習慣はほぼなかったように記憶している。大学生の皆さんの中には授業で使う教科書を仕方なく買ってという方がいるかと思われるが、私も間違いなくそっち派であった。大学院生になると多少まわりの友人の影響も受けてか、古本屋(なかなか新書には手が出せない状況だったので)に行ければ自分の専門分野に関係のありそうな本を買うようにはなった。ただ、買った本をむさぼり読むということはそれほど多くはなく、本を並べて飾る(これだけで多少読んだ気にはなる。)ということのほうが好きだったかもしれない。なので冊数はある程度あっても、それらの内読んだ物はもしかすると半分以下のような気がする。この時点ですでに私はコラムを書くに相応しくない人物なのかもしれない。以上、で終わりたいところだが、このままだと全く本と関係がない人だと思われ、それはそれでちょっと嫌なので、もう少しおつきあい願いたい。
 大学院生以降は多少読書というものとの接点が増えてきた。私の場合は、何かのきっかけである著書に出会い、その印象が良く自分にあっている時は結構はまるというのがよくあるパターンだ。そのような流れで知りえた著者を三、四人ほど紹介しよう。
 20歳代半ば頃に一気に読んだ、沢木耕太郎氏の『深夜特急1~6』(新潮文庫)、は異国への旅の憧れみたいなものを誘ってくれた。1:香港・マカオ、2:マレー半島・シンガポール、3:インド・ネパール、4:シルクロード、5:トルコ・ギリシャ・地中海、6:南ヨーロッパ・ロンドン、を乗り合いバスでめぐるといった内容だが、沢木氏自身がそう思い立ったのが26歳の頃とのことなので自身に置き換えて考えてみたりするとあまりのギャップに驚きつつも、正直うらやましいと思った。海外をひとり旅することは全くと言っていいほどないが、国内だと出張の仕事を終え、その地域をぶらっと見て回る(だいたいは無計画に)のが好きなのは、本書の影響も少なからずあるだろう。私が大学生の頃は海外留学をする人など自身の周りにはいなかったが、本学も含め昨今の学生は海外へ行ける機会がこんなに多くあり、ありがたいことだなと思う。司馬遼太郎氏の『街道をゆく』シリーズ(全43冊)も同じような理由で私の旅好きに影響を及ぼした。
 はっきりとは憶えていないが、30歳代からはまったのが吉田修一氏の著作である。吉田氏と言えば、朝日新聞で連載、その後著書となり、そして映画化もされた『悪人(上・下)』(朝日文庫)が有名であるが、氏と私との共通点は、同郷(長崎県)であることと、ほぼ同年齢ということである。同じ時代に生まれ、同じような環境(地域)で育った、というだけで身近に感じてしまう。ちなみに、あの福山雅治も同じタイプであるが、あまりの違いに言うほうが恥ずかしくなってしまう。話を戻すと、吉田氏の作品は、いわゆる「あるある」と思えることが多いので共感できるし、臨場感もあるところが何といっても読み甲斐がある。長崎がタイトルについている作品としては、『長崎乱楽坂』(新潮文庫)、がある。昔にタイムスリップできるので、そういう気持ちになりたいときには欠かせないし、方言も懐かしかったりする。「こん人の作るもんは良かよー。(長崎弁です。)」
 最後に登場するのは太田和彦氏である。近年の居酒屋界の巨匠としては、吉田類氏(酒場放浪記が有名)と太田和彦氏があげられ(私見だが)、実は本学の中でも吉田派と太田派に分かれている、といううわさもある。私は太田派を気取っているつもりだが、まだ吉田氏の著作や映像に接したことがないこともあり、実際はなんちゃって太田派なのかもしれない。そこはどうでも良いが、太田氏の作品をいくつかあげてみる。『居酒屋の流儀』『ニッポン居酒屋放浪記-立志編--疾風編--望郷編-』(新潮文庫)『ひとりで、居酒屋の旅へ』(晶文社)そして『太田和彦の居酒屋味酒覧(みしゅらん)』(新潮社)などだが、この部分を打っただけで居酒屋に行きたくなる。もともと氏はグラフィックデザイナーであり、大学教員の経歴もあるが、今ではどちらが本業なのだろうか。太田氏と居酒屋との関わりを読むたび、その場の情景が浮かび、そしてその場へと足を向けたくなる。実際数軒はそうして行った事があるが、大はずれはない。相性やその時の混み具合といった各種条件により、再訪するかどうかは判断に迷う時もあるが、私には合う店が多い気がする。
 少し気持ち的には酔った気分だが、沢木氏と司馬氏は「旅」「地域」、吉田氏は「地元」「地域」、太田氏は「飲食」「地域」、といった視点で私の好奇心を満たしてきてくれたのである。「地域」が全部に関係するのは、この文を書いていて気付き、少しびっくり。彼らの影響でそれらが好きになったのか、もともとそれらが好きだったから彼らに惹かれていったのかはよくはわからないし、ここではどちらでもいいことのように思う。あまり気負わず、気楽に読める本に出会えたらもうけもん、くらいのスタンスでいいのかもしれない(私はそうだったので)。学生の皆さん、今すぐでなくてもいいから、いつかそういう作品や著者と出会えるといいね。

【TORCH Vol.054】 「心が晴れる時代小説、楽しみ方色々」

小池和幸

 肥満防止のために車通勤を止めて、電車通勤にしたころから通勤時間を利用して気分転換を目的に文庫本を読むことにしました。
 以前からなんとなくですが直木賞作家、山本一力の作品を一度読んでみようと思っていました。直木賞作品の「あかね空」を読んだことがきっかけで江戸を舞台にした時代小説にはまってしましました。山本一力の小説には江戸の職人が多く登場します。江戸の職人は皆一本気で義理堅く自分の仕事に対する矜持を忘れません。江戸で暮らす人たちの人情や職人気質な描写は読んでいてすがすがしさを感じます。せめて小説の世界だけでも潔い世の中であってほしい。なんと普段の私たちの暮らしは姑息で不誠実なのかと自戒することしばしばです。義理と人情そして人間愛・・・が満載です。読んだ後になんとなく救われた気持ちになります。人生に悩んだときに江戸時代に生きた人たちの正義や人を思いやり愛することに価値を見出す生き方が手本になるような気がします。

 最近、お亡くなりになりましたが、「利休をたずねよ」で直木賞を受賞した山本兼一の安土桃山城築城にまつわる信長と城づくりの職人親子らの物語「火天の城」を読んでから日本の城に興味を持つようになりました。以前から少々関心はありましたが、小説を読んで俄然、興味がわきました。城の設計図にあたる縄張りから建築様式、石垣の組み方など小説で啓発され趣味が広がります。出張先に城があれば何とか時間を捻出して足を運べないものかと思案します

 休日の天気の良い日は1時間、2時間、文庫本をデイバックに忍ばせてウォーキングをします。地下鉄やJRの路線沿いに歩きます。疲れたら電車に乗って容易に帰宅でるからです。歩いているといろいろな風景に出合います。結構小説に出てくる地名や建造物やその面影が残っています。ああ、ここがあの小説の舞台になったところか・・・これが老舗の〇〇屋?・・・本当に実在したんだ・・・などと思いを馳せることができます。

 余談ですが山本一力の小説には当時のお菓子や食べ物などの描写も多く登場します。日本酒も実在するご当地の銘柄のものが登場します。いかにも飲みたくなるよう。例えば、土佐の高知の「白牡丹」。高知から江戸に船で運ぶ間に船に揺られて味が一層うまくなる件があります。どうしても飲みたくなりました。休日に比較的大きな百貨店の地下に行って白牡丹をさがしてしまいました。

 時代小説。色々と楽しめています。

2014年6月11日水曜日

【TORCH Vol.053】「読書の思い出」

早川公康

私の母校である愛知県立半田高校は、児童文学作家・新美南吉の母校でもある。新美南吉は代表作『ごんぎつね』などで知られる。2013年には「新美南吉生誕100年記念事業」が半田市を中心に盛大に開催された。私自身は、故郷愛知を離れて久しかったが、文学を尊ぶその趣に、あらためて文学作品というものへの敬愛の念を深めたものである。
 私自身の思い出として、東京大学大学院(駒場キャンパス)在籍時代に、時間があればひたすら読書に熱中した日々を送ったことが懐かしい。東大図書館にはとにかくありとあらゆる本があった。なかなか本を買える経済的余裕がなかった私にとって、その最高の環境に感謝したものだ。一方で仙台大学も体育系の単科大学であるにも関わらず、その蔵書数は決して少なくないという印象を持っている。
 私はもともと二十歳くらいまでは、それなりにしか読書をしてこなかったように思うが、恩師と出会い、読書についての度重なる指導を受けられたことがきっかけとなり、“本の虫”となっていったことも今もって鮮明に思い起こされる。平成21年に仙台大学に赴任する前は、東大柏キャンパス(千葉県)に勤務していたが、当時住んでいた柏市の認可を得て「読書会かしわ」サークルを発足した。私が代表者(主宰)を務めたわけだが、地域の方々からは「(活字離れが進むこのご時世にあって)若いのに感心ねぇ~」と何やら褒めていただきながら、私自身は老若男女を問わず地域の「読書復興」に情熱を燃やして活動したものである。地域の方々からは、「読書サークルにありがちな陰気な雰囲気が全く無くて、とにかくおもしろい!」と評判になり、会場であった地域のコミュニティセンターが活気にあふれた。地域の人たちと有意義に読書について語りあってきたことは本当に懐かしい思い出であり、今でもお手紙を交し合うなど絆が続いている。
 ところで、今の私があるのは恩師のおかげであり、今も恩師のご指導を日々自分に言い聞かせながら生きている。その恩師の箴言ともいえるお言葉を紹介させて頂きたい。

以下、我が恩師の言葉より
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 確実に言えることは、「読書の喜び」を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまうということです。

 一冊の良書は、偉大な教師に巡り会ったのと同じです。読書は「人間だけができる特権」であり、いかなる動物も読書はできない。読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ、見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出あえる。しかも、時間の制約もない。

 「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」。「心に」です。“暇(ひま)がない”という人は、たいてい“心に暇(いとま)がない”のです。読む気があれば、十分、二十分の時間がつくれないわけがない。

 机に向かって読むだけが読書ではない。昔から、文章を練るのにいいのは「三上」と言って、「馬の上」「枕の上」「厠(かわや)の上」という。今で言えば「電車で」「寝床で」「トイレで」本を読めるではないかということになるでしょう。

 朝、昼、夜と、それぞれ十分の時間を作れば、一日三十分の読書ができる。むしろ忙しければ忙しいほど、苦労してつくった読書の時間は、集中して読むものです。そのほうが、漫然と読んでいるよりも、ずっと深く頭脳に刻まれることが多い。

 人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある。良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるのです。古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。二十一世紀にも色あせないでしょう。一生の財産です。

 イギリスの小説家、バーナード・ショーにこんなエピソードがある。ある婦人が、一冊の著名を挙げたところ、ショーは、読んでいなかった。婦人は得意気に言った。「ショーさん、この本は、もう五年もベストセラーですよ。それなのに、ご存じないとは!」。ショーは穏やかに答えた。「奥さま、ダンテの『神曲』は、五百年以上もの間、世界のベストセラーですよ。お読みになりましたか?」

 エマソンも「出版されて一年もしていない本など読むな」と言っている。要するに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。人生の時間には限りがある。ゆえに良書から読むことです。良書を読む時間をつくるには、悪書を読まないようにする以外にない。

 古典というのは、つり鐘みたいなもので、小さく打てば小さな音しか出ない。大きく打てば大きく応えてくれる。こちらの力次第なのです。どうしてもむずかしいと思うところは二、三十ページくらい飛ばして読んでもいいと思う。

 読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいなければならない。これは非常に重要なことなのです。海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。

 本の読み方にも、いろいろな読み方がある。第一に、筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、もっとも浅い読み方だ。第二に、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本の中の人物、またその本が表そうとしている意味を思索しながら読む読み方がある。第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方がある。そこまで読まなければ、本当の読み方ではない。

 諸君はだれでも、自分の中に無限の「可能性の大地」をもっている。その大地を耕す「鍬(くわ)」が読書なのです。自分は精いっぱい読書に挑戦しきった、「もう、これ以上は読めない」「もう、これ以上は勉強できない」。そう言いきれる青春であってほしいのです。
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以上が我が恩師の言葉です。

最後に、私早川公康の青春時代の思い出の書を以下に記します。
『戦争と平和』トルストイ
『アンナ・カレーニア』トルストイ
『レミゼラブル』ヴィクトルユゴー
『九十三年』ヴィクトルユゴー
『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー
『罪と罰』ドストエフスキー
『神曲』ダンテ
『ファウスト』ゲーテ
『若きウェルテルの悩み』ゲーテ
『阿Q正伝』魯迅
『水滸伝』
『三国志』
『赤と黒』スタンダール
『永遠の都』ホールケイン
『隊長ブーリバ』ニコライゴーゴリ

【TORCH Vol.052】「世界最大の祭典の裏で」

吉井秀邦

2014年6月12日、過去5回の最多優勝を誇るブラジルでFIFAワールドカップが開幕する。ブラジルでワールドカップが開催されるのは2回目であり、前回は1950年に開催された。その時は4チームによる決勝リーグの最終戦でウルグアイに負け、惜しくも優勝を逃している(マラカナンの悲劇)。よって今回は母国開催で悲願の優勝をブラジル全国民が願っているのだろうと思っていたら、1年ほど前からブラジル国内でワールドカップ反対のデモが起きているというニュースが日本でも報道され始めた。
 当初は「ワールドカップ開催には本当は賛成しているが、このワールドカップという全世界が注目する時期に、自分達の主張を全世界に届けたい「層(グループ)」が便乗してデモを行っているのかな?」と思っていたが、そうでもない事が少しずつ報道等でわかってきた。「BRICS」と持て囃されブラジル国民全体が少しずつ豊かになってきたが、リーマンショック等の経済危機で大きく状況は変わり、所得格差がかなり広がってしまった。そういった状況で、新たなスタジアム建設や改修に多額の費用をブラジル国民の税金から投入する政府に多くの国民の不満がぶつけられたのである。特に医療と教育の分野に対して不満を述べるデモが多く、「病院の数を増やせ」、「教員の賃金を上げろ」と書かれた横断幕が多く見られた。私は10数年前に南米チリで仕事をしていたが、チリ人の友人から「父親が地方の小学校の校長先生をしているが、給料がかなり少ない。」との話を聞いた事がある。南米では教員や警察官の待遇が悪いとの事であった。そういう問題がメディアで取り上げられ、さらにワールドカップ開催による経済的効果の恩恵は、ブラジル国民よりも他ならぬFIFAが与る事が報道されるにつれ、大会開催反対のデモが拡大していったのである。
 一方、2020年に東京でオリンピック開催が決まり、多くの日本のスポーツ関係者(私も含め)は喜んだ。しかし、2016年開催に立候補し敗れた時には、都民の多くが開催に反対していた事は忘れてはいけない。
 「ロサンゼルスオリンピック以降、オリンピックやワールドカップ等を開催する事で、開催都市は多大な経済的な利益を受ける事ができる。」という意見や、「スポーツに国民が興味を持つことで、健康で豊かな社会づくりに貢献できる。」という意見は開催に肯定的な意見だが、一方で「経済的な利益を受けるのは、建設業やスポーツ関係団体だけ。」という意見や「建設した施設等のインフラがその後財政の負担となる場合もあり、長期的には開催による経済効果はマイナスとなる。」という声も多くあるのが事実だ。
 我々のようなスポーツに携わる人間は、オリンピック開催によって直接的でなくても間接的に多くの恩恵に与る側になるからこそ、負の一面を積極的に知る事は大切な事であろう。そういった意味で、本からは多くの事を学ぶ事ができる。客観的な視野を持ち、スポーツがもっと社会に受け入れられるように、これからも読書を続けていきたい。
今回はブラジルワールドカップに関連し、最近読んだ本のうち下記2冊を紹介したい。
 2010年に発刊された「あの野球選手とゴルフ選手はどちらが儲かるのか?」(著者;松尾里央、税理士)では、東京オリンピックで一番儲かるのは誰か?という問いと東京都が公表していた「予算表」を基に筆者の見解等が書かれている。スポーツ関係者以外の開催国・開催都市の市民にはどのような開催メリット、デメリットがあるのかを再考する一つの材料となった。この本はスポーツという身近なものから「会計」を学んで欲しいという思いで筆者が書いたものだそうだが、税理士の方から見た「スポーツ業界」というのが大変興味深く一気に読み進んでしまった。
 もう一冊は、プロ野球やJリーグに独占的にデータを提供する(株)データスタジアムの元会長である森本美幸氏から先日紹介頂いた「今いるメンバーで「大金星」挙げるチームの法則」(著者;仲山進也)である。「ジャイアントキリング」という漫画を題材に取り上げ、いろいろなチームビルディングのマネジメント手法が誰でも簡単にわかるように書かれている。チームの成長法則が取り上げられ、一般的にチーム(企業)の成長ステージには4つの段階があり、1)フォーミング、2)ストーミング、3)ノーミング、4)トランスフォーミングの段階を踏むことが説明されていた。
 前回南アフリカワールドカップに臨む岡田ジャパンは、直前の親善試合等で負け続けストーミングの時期に入り、多くのメディアから岡田ジャパンは酷評されたが、大会が進むにつれトランスフォーミングの段階まで一気に進み、最終的にベスト16という結果を残した。今回ブラジルワールドカップに臨むザックジャパンは、数年前に一度ストーミングの時期があったが、その後順調にきている。
相手もある事でこの状態がどのような結果を生むか現段階ではわからないが、是非ともわくわくするような魅力的な試合となって欲しいと願っている。

紹介した本
「あの野球選手とゴルフ選手はどちらが儲かるのか?」(著者;松尾里央、税理士)
「今いるメンバーで「大金星」挙げるチームの法則」(著者;仲山進也)

2014年3月14日金曜日

【TORCH Vol.051】「身につけたい 江戸しぐさ」

教授 齋藤浩二

 近年、日本人のマナーが低下していると言われている。自分勝手な言動が日常的になっているところが原因なのか。また、学校へ躾まで要求する親がいると聞くが、人間教育が欠落してしまっているのか、よいマナーを教えるべき“すべ”を知らないためなのか・・・。

 あまり電車に乗らない私ですが、出張の帰りに仙台から東仙台まで乗った。乗った車両のほとんどの乗客はみなスマホとにらめっこをしている光景を目にした。酔っ払いの大声で話されるよりはいいが、何か違和感をもった。座れるスペースが少しあったので近くに行って「すいません」と言ったがスマホに夢中なのか気が付かず、少し経ってからようやく座ることができた。しかし、座ったが何か後味がわるかった。そこで思い出したのは、『江戸しぐさ』の本のことであった。江戸町人の共生からくる相手への思いやりが根付いた、気持ちよく暮らすための心得のことである。「人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、はたの目に気持ちいい」と言うもので、人みな気持ち良く笑顔で暮らせるようにし、金や物よりも何より人間を大切にしたことである。その中に、「こぶし腰浮かせ」といい、渡し場で舟に乗るときに、後から来た客のために、こぶし分だけ腰を浮かせて詰めることである。誰かが言ってそうするのではなく、咄嗟に動きゆずりあう気持ちや行動のことである。

 私の好きなしぐさは「うっかりあやまり」で自分の「うかつ」を反省するところである。他人の不注意で自分に迷惑をかけられたときに「私もうかつでした。すいません。」と謝ることである。たとえば、電車の中で人の足を踏んでしまったら謝るのが当然ですが、踏まれた人が「足を避けられなかった私もうかつでした。すいません。」などと言葉を発せなくてもその場のしぐさで対応すること。これは身につけたいしぐさのひとつである。また、「肩引き」と言って、すれ違う際の自分の右肩・右腕を後ろへ引いて互いにぶつからないようにするしぐさ。(江戸時代は武士が刀を左腰に差していたことから、左側通行のために右肩を引いたわけであり、今日では左肩や左腕を引くこと)さらに、「傘かしげ」は雨や雪の日、相手も自分も濡れないように、傘を人のいない外側に傾けてすれ違うしぐさである。どちらも何気ないように普段行っているが、そこをサットやる身のこなしがイキに感じる行為である。この他に、「駕籠止めしぐさ」訪問先の手前で降りる謙虚さ、「階段では上がる人が立ち止まりを」「腕組みや足組みのしぐさは慎むべき」など失礼のないようにしぐさが挙げられている。

 江戸時代は人間とかいて「じんかん」といい、人と人にはよい間合いが大切であると説いている。親しき仲にも礼儀ありで、人付き合いをうまくやることが基本であることを教えてくれている。江戸しぐさは、武士道と同様に道徳的義務ではないかと思っている。

 大学教育の在り方についての教育再生実行会議の第三次提言に「日本人としてのアイデンティティを高め、日本文化を世界に発信する。」と盛り込まれている。我が国の伝統文化について理解を深める取り組みが行われ、中学校の武道必修化もそのひとつである。日本の良さ(文化)を紹介・指導できる人材の育成等が挙げられている。

 この日本の文化のよさとは何であろうか。東京オリンピックの開催決定で「おもてなし」が話題になったが、私はそのまえに「思いやり」があるのだろうと思った。今、忘れかけている礼儀や相手に対する思いやり、日本人が昔から身についていた振る舞い、人として恥ずかしくない心構え(しぐさ)ではないであろうか。この思いやりを日本の文化として実践すべきであると考えている。先日、剣道研修会にて講師の先生から、上記の「江戸しぐさ」について触れられ、古きよき日本人の養育から鍛育と続く段階的養育法「三つ心(三つ子の魂)、六つ躾(まねる)、九つ言葉(挨拶)、十二文、十五理で末決まる」について紹介された。その当時の外国人は日本の子供のことを「無邪気、利口、自由、手伝いをする、礼儀正しい」と見ていた。人間の基本をつくり始める大切な時期に、愛情深く接して心に豊かさを持つように躾をされていたのではないだろうか。時代が変わっても忘れてほしくない事がある。人と人々との出会い、人間が暮らしていくうえで大切に守りあう心としてのルールがあることを。

 私は他の学校を訪問した際、学生や生徒の行動をみるとその学校の指導がよく伝わってくることがある。これと同様に外部の方が本学に来訪されたとき、学生の姿がどのように映るのであろうかと学生の行動を見ることがある。人間は外見ではなく中身であるとよく言われているが、まずは外見や態度を整える事が大切であると思っている。服装を整える、靴をしっかりと履く、挨拶は自分からする、返事をはっきりという、脱いだ靴は揃えるなどを当たり前のことが自然のしぐさとしてできるようにしたいものである。さらに、暮らしていくうえでのルールやマナーを守ることが人とうまくやっていけることであると伝えていきたい。

・越川禮子『身につけよう!江戸しぐさ』kkロングセラーズ 

2014年3月7日金曜日

【TORCH Vol.050】何のために本を読むか?

講師 馬佳濛

 私は小学生からエリートスポーツ学校に選ばれ、練習漬けの日々を送ったため教室での読書機会が少なかった。いつ頃から読書の必要性を感じ、読書を始めたのかは、はっきり覚えていないが、意識的に本を読むようになり、家族からも「赤と黒」「阿Q正伝」など数々の世界の名著の本が渡された。

 最初の頃、本を読みたいから読むのではなく、本を読み終えるために読んでいた。読む気にならず集中できないため、行を読みズレたり、意味を理解できなく、同じ箇所を何度も繰り返して読んでいたりして、興味をそそられなかった。一つの事を早く済ませたい思いがあった時に、気持ちはもうそこに無いことがよくある。

 斎藤孝氏の「読書力」の一部「読書はスポーツだ」は興味深い。そこには、「読書はスポーツと同じような上達のプロセスがあり、また身体的行為である。」「一度読書が技として身につくとそう簡単には落ちない。」と記されている。私のようなスポーツ経験を持っているのであれば、考え方を変えて、スポーツの技を身に付ける心構えで読書を試しても良いかもしれない。そして、その習慣を身に付け、本を読んでいるうちに、読書自体の楽しさを味わえるようになり、読書に対する価値観が変わってくるかもしれない。

 ある日、ある記事に同感を覚えた。問:「私もたくさんの本を読んでいたのに、どうして読書の価値を感じられないのか?」答:「読書の意義は、読み終えるのではなく、あなたの人生の一部にすることだ。」。

 また、某大学心理学の教授が「多くの人が1日何ページを読んだかと競い合い、ある人は1日100ページ、ある人は1日200ページだという。しかし、「ページ」の単位で読書行為を尺で量ったこと自体は、そもそも問題だ。」という。同じように、どのくらい本を読んだかで読書歴を形容するとしたら、その考え方は、最初から間違っているだろう。

 読書は1つの享受行為である。しかし、一冊を読み終えた時、新しい体験が得られなければ、考え方を変えることもなく、異なった視点と観点からの啓発も得ていない、特に、良い本を読んだ後でも、うまく考えられない、うまく述べられない、うまく書けない、行動にも移らないとなってしまっては、その読書は時間の無駄だ。

 学ぶことは会得であり、ある時は一冊の本で十分、ある時は一万冊でも足りない。ある本は心で読む、ある本は十分な経験で読む、ある本は最後の一つ脳細胞を絞って読む、ある本は一生かけても読み足りない。これは、どの本を読んだかによるが、どのように読んだかがもっとも重要だ。

 最後に、あなたも一番崇敬な本を再び持ち、改めた気持ちで一度、二度、三度も読み返してみてはいかがでしょうか…

2014年3月3日月曜日

【TORCH Vol.049】私のおススメ本 ― 東北、宮城に因んで

教授 佐藤幹男

(1)荻原井泉水:『奥の細道ノート』(新潮文庫)

 松尾芭蕉の書いた「奥の細道」は、誰もが知っている古典であり、東北人にとってもなじみ深い作品である。1689年5月、江戸を出発した芭蕉は、門人の曾良とともに約150日間で東北、北陸を巡り、その時の旅の記録をもとに12年後に作品に仕上げたものが「奥の細道」である。芭蕉は、西行や能因といった「古人」のたどった足跡を歩いたわけだが、現代人は「奥の細道」に記されている芭蕉の足跡をたどり、東北各地の風物や人に触れることとなる。東北の人にとっては地元のPRに大いに役立つ作品といってよい。

 仙台大学のあるこの船岡の地も当然、彼らは通過している。前夜の宿泊地である福島の飯坂温泉を出発し、白石、船岡を経て、その後、岩沼、仙台へと歩みを進めた当時を思い起こすと、何となく芭蕉に親しみを感じるから不思議である。

 しかし、これだけ有名な本であるにもかかわらず、これを読んだという人は意外に少ないのではないだろうか。昔の木版の定本は半紙53枚の薄い本だったというから、古典に慣れ親しんだ人が本文だけ読むなら30分もあれば足りる。しかし、現代人にとっては、昔の言葉で書かれていることもあって読んでもわかりそうもない。注釈書に頼るのも面倒である。ということで、あらためて「奥の細道」を読んでみようかなという方におススメしたいのがこの本である。荻原井泉水という著者はすでに故人となっているが、松尾芭蕉研究者としても有名だった俳人である。専門書のようにも見えるが、予想に反して、映画解説のように面白く解説してくれている本がこれである。今から40年以上も前に読んだ本だが、私が出会った本のなかでも思い出に残る貴重な1冊である。

 特に、この「奥の細道」という古典は、単なる「紀行」ではなく、「紀行的な作品」であるという指摘に興味をひかれた。以前からも「奥の細道」にはフィクションがあるという指摘は知っていたが、それはそれで芸術作品として少しも差し支えない、むしろそうした作品と思われるものの方に却って名句があるという荻原の指摘にうなずきながら読み進めていったことを覚えている。特に、昭和になってから再発見された曾良の「随行日記」と対照してみると、かなりフィクションが多いこと、事実誤認や間違いも多いこともわかってきたことなどが紹介されている。その例が具体的で面白い。

 例えば、「荒海や佐渡に横たふ天の川」という新潟での名句は、客観的事実ではなく、主観的事実に基づいて作られた作品であるという。天の川は一般に秋の季題とされるが、芭蕉の時代には七夕との関連で7月7日に取り上げるべき季題であった。しかし、この時期、天の川は佐渡の方には横たわってはいない。実際は、佐渡の東にあたる本土つづきの弥彦山の上に横たわっているという事実。さらに、「あらたうと青葉若葉の日の光」という句は、4月上旬に日光で作った句だが、その季節の日光はまだ枯木に芽が出たころであり、実際には青葉若葉はまだ出ていないという具合である。

 さらに、飯坂温泉に泊まったのは事実であるが、「奥の細道」には「飯塚」と書かれており、それは芭蕉の書き誤りであること。また、「岩沼に宿る」とあるが、実際は仙台まで行き、国分町に泊まっていること。しかし、なぜ、そう書いたのはよくわからないという。石巻の日和山から金華山を見たという記述もあるが、実際は牡鹿半島の陰になって見えないこと。田代島や網地島と勘違いしたのではないか、等々。

 「奥の細道」という芸術作品を鑑賞するためだけでなく、実際はどうだったのか、という現代的な視点で読んでみるのも面白い。


(2)アーサー・ビナード:『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房、2007年)

 著者は、最近、少し有名になってきた日本在住のアメリカ人。詩集、エッセイ、絵本の翻訳などの他、テレビやラジオにも出演しているので知っている人もいるだろう。
 内容は、ビナードが、日本の26人の詩人の作品を英語に翻訳し、それに彼のエッセイを添えたもの。萩原朔太郎、山村暮鳥、中原中也、高村光太郎といった教科書に出てくるような著名な詩人のほか、まど・みちお、石垣りん、茨木のり子、などの作品もおさめられている。

 この本は、個人的に仙台の知人から、親類の人の詩が載っているから読んでみて、と紹介されたものだが、その詩人とは、菅原克己という人(1911~1988)。出身地の宮城県でもあまり知られていない詩人だが、そんな菅原をアーサー・ビナードは高く評価している。菅原克己は、宮城県亘理郡で生まれ、少年時代を仙台で過ごした。小学校の校長だった父親が1923年に急死。母親の実家を頼って大震災の後、東京に移る。豊島師範学校で学ぶが、学生運動に加わって退学処分となる。その後も言論弾圧のなか活動をつづけ、戦後は詩誌に参加するなど文学運動に加わった、というような経歴の人物である。『菅原克己全詩集』(西田書店)がある。

 少し長いが、菅原の詩とビナードの英訳を紹介しよう。

小さなとものり
 朝になると おとなりの二つの子が ぼくの家のドアをたたく。
<オジチャン、オジャマシテモイイデスカ>
それは、すぐとなりなのだけれど いつも とおくから ふいにあらわれるようだ
ともちゃん、今日はお山に行こう。
お山の公園では 銀杏が金の葉っぱをいっぱいつけ、ヒマラヤ杉が蒼い影をひいている。
ともちゃんは おむつのお尻を帆のように立てて 木立の光と影の間を走りまわる。
陽ざしをうけると、アツイといい、木陰に入ると、サムイという。
まるで忙しいビーバーの子のようだ。
遊びにあきると、こんどは オンブ、という。
朝になると おとなりの二つの子が ぼくの家のドアをたたく。
ぼくの年月の最初の方から ふしぎそうにのぞきこむように….. 。
小さなとものり、
いつかきみも思い出のなかに入るだろう。
そして、きみのオジチャンは やはり光と影の木立の間に 
チラチラするきみを透かしてみるだろう。
お尻を帆のように立てた とおい小さなこどもの姿を。 
Little Tomonori
Morning brings the little two-years-old over from next door
― he knocks and asks, “ Mister, may I come in ?”
Our houses sit so close together, and yet it’s as if he arrives from far away, always, out of the blue.
“Hey Tomo, let’s go to the mountain today.”
Just up the hill, in our neighborhood park, the ginkgoes wear their countless,
Golden leaves, while Himalayan cedars hold their aqua-tinged shadows in tow.
Bulky diaper hoisted well above his hips, Tomonori sets sail through the light
and shadows of the park.
When sunbeams shower down on him he says, “It’s hot.”
When he drifts deep into the shade, “Brrrrr.”
I imagine him a busy beaver pup.
When tired of playing he calls, “Piggyback ride!”
Morning brings little Tomonori over, he knocks on my door, and from back
at the very beginning of my many years, peeks in, full of wonder….
 Two-years-old Tomo, one day you too will make your way into the inlet of memories.
  As for Mister, why, I’ll be here still peering at the light and shadows,
catching glimpses of you drifting through, diaper hoisted high,
like a sail, little faraway child.

  本文には、「まど・みおち」のこんな詩も紹介されている。童謡でもおなじみの詩である。
Goat Mail(やぎさん ゆうびん)
The White Goat sent a letter to the Black Goat.
The Black Goat ate it up before he’d read it.
Then, “Hmmm,” he thought, “Better write a letter” ―
Dear White Goat,
What was in that letter you wrote ?
(後略)
英語の勉強にもなると思います。ぜひ、お試しください。

 最後に、少し宣伝をさせていただきます。

 最近、拙著『戦後教育改革期における現職研修の成立過程』(学術出版会 2013年12月)を出版しました。専門的な本ですので、お読みくださいとは申しません。図書館に入れておきましたので、機会があったらご覧下さい。

【TORCH Vol.048】「私のつぶやき」

教授 佐藤久夫

東京オリンピック開催が決定!

 1964年に東京オリンピックが開催された時、私は中学3年生だった。今でも鮮明に覚えているのは、開会式で整然と行進する日本選手団の姿であり、その先頭には8頭身のバスケットボール選手たちが並んでいたこと。そして、その後最終聖火ランナーが聖火台に点火したシーンである。オリンピックを契機に日本経済は大いに発展し、それこそ各家庭にテレビが普及していたった時代である。

 数々の競技がテレビで実況され、ニュースにもなった。特に「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーチームがソ連と戦った決勝戦は、私だけでなく、全国民が注目したに違いない。優勝まであと1ポイントとなった際、実況アナウンサーが何度も「金メダルポイント」と絶叫したのは語り草であり、私の耳に今も残っている。バレーボールに限らず、すべての日本選手団のプレイぶりに感動を覚え、私自身はバスケットボールに更に夢中になっていくきっかけとなった。

 バスケットボール競技は、東京オリンピックでは男子だけの開催であったが、長期にわたる強化を経て、10位(16チーム中)の結果を残した。入賞には至らなかったが、前大会でベスト4のイタリアを破るなど大健闘といえる戦いぶりだった。当時、東京オリンピックの強化に向けて掲げられたテーマは長身者の発掘・育成と日本人の体力不足を補う平面バスケットボールの展開だった。それから約50年。7年後に二度目の東京オリンピックを控えた現在の日本代表の強化テーマも以前と変わっていない。以前にも小誌にて掲載したことがあるが、強化策は何ら進歩していないと感じている。

 自分の経験から語ればチームの強化には時間がかかる。仙台高校において指導に当たった16年間において、毎年、練習、実戦の中から反省し、改善していくという積み重ねによって強化していった。現在の日本代表を見るにつけ思うのは、積み木を積み上げていくような地道な作業が成されていないと感じられ、それが競技力向上に効果を見ない原因となっているのだと思っている。

 2020年オリンピックの東京開催決定の朗報に誰もが大きく喜んでいる。私自身、人生で2度も母国でのオリンピックを見られるとなれば、これほど幸運なことはない。同時にすべてのバスケットボール関係者が日本代表が強くなってほしいと願っているに違いない。
そうしたたくさんの方々から連絡をいただいた。これまでの反省に基づき、新しい方法を見出し、7年後を契機に日本代表が国際舞台で活躍できるようにしなければならないといった話もされた。「がんばろう。やろう」。そうした言葉とともに、私も日本を強くしなければという情熱が湧いてきた。1964年以降の日本代表の強化を今一度、しっかりと検証し、7年後には前大会以上の結果を収めてもらいたいものだ。
(月刊バスケットボール10月号投稿)

積み木を積み重ねるように強化は進む

 この号が店頭に並ぶ頃には、ウインターカップを一か月後に控え、全国の出場チームが出そろっている。それぞれのチームは、相当の苦労・努力の上に予選を勝ち抜いたに違いない。そして、それは1年や2年の苦労ではないはずで、毎年、毎年、苦労や工夫、バージョンアップを繰り返し、その積み重ねによって強化してきているのだ。要するに、単独チームにおける強化は、積み木を一つ一つ積み重ねていくように、1シーズン、1シーズンを積み重ねていくことによって成り立っていくものなのだ。

 東京オリンピック・パラリンピック開催を7年後に控え、日本代表チームも国際舞台で活躍できるチームへと変貌を遂げて欲しいと思っているが、代表チームを単独チームと置き換えれば、この7年間を一年一年、しっかりと積み木を積み重ねることができるかどうか。それが土台となり、2020年以降に、より一層大きな力を生み出すことになるはずなのだ。積み木を一つ一つ積み重ね、しっかりとした土台を築くためには、より多くの経験が必要となる。その基盤となるものは、1964年の東京オリンピック以後の代表の強化策、戦術、戦略。更に世界に通じる日本のスキルとはいかなるものかという検証と、反省によって行われなければならないというのが私の持論である。

 今シーズンは多くの高校、中学の選手たちと、バスケットボールの未来についての話を聞く時間を得ることができた。そうした選手たちに共通して感じることは、自分のバスケットボールの未来に対して、夢を持たなくなってきているのではないかということである。バスケットボールを続けていく上でのモチベーションが、期待と夢が薄れてきていると感じるのだ。私などは1964年の東京オリンピックをテレビで見て、国際舞台での活躍にあこがれを感じ、オリンピック選手になりたいとの思いで東京に出てきたものだ。今の若い選手たちにしても、日の丸を付けたいという夢を語る者はいたが、その上で、国際舞台で活躍したいとの言葉を聞くことはなかった。バスケットボールが大好きで、日々練習を積み重ねている若者たちに大きな夢を抱かせ、今以上に日本においてバスケットボールが盛り上がりを見せるようになるためには、代表チームの国際舞台での活躍が必要であろう。2020年の東京オリンピック・バラリンピックの開催は、さまざまな意味で、日本バスケットボール界の将来を左右する大きな、本当に大きなチャンスなのである。
(月刊バスケットボール11月号投稿)

本物のまぐれで優勝したウインターカップ

 4年前、明成高での一度目のウインターカップの優勝においては、「だれもができることを、しっかりと遂行すれば優勝できる」という印象を持ったが、それはまだ、まぐれ勝ちのようなものだった。今回も、そのまぐれのような優勝ではあったが、2度も起きれば本物のまぐれと感じている。

 これまでも示してきたとおり、私の目指しているバスケットボールは、流れに逆らっているようなスタイルだろう。それは、自分のバスケットボール観に逆らわず、自分のチームにマッチするスタイルと言い換えられるかもしれない。現在では、オフェンスでの仕掛けを早めるためにピック&ロールなどを多用する傾向にあるが、そうした流行にとらわれないバスケットボールを求めている。私が大事に思っていることは、技術、戦術といった方法論の前に、自分の目指すべきチームのビジョンはどういったものなのかといったことである。

 私が求めてきたスタイルの源流は、これまでの偉業を成し遂げてきた指導者の方々の良い所を、自分なりに吸収しているところにある。それは、「古きを知って、新しきを得る」と言えるだろうか。夏のインターハイで優勝した京北高の田渡優コーチも、同様に周囲から学び、吸収しながら、あのすばらしい二段構え、三段構えのコンビネーション・バスケットボールを築き上げられた。今回の優勝の後、私が勉強させていただき、大いに影響を受けた偉大な先輩諸兄から、たくさんの祝福の言葉をいただいた。中でも、前人未到の58回の全国制覇を果たしている能代工高の礎を築き上げた加藤廣志氏から、大変なお褒めの言葉をいただいたことは、これまでの努力が報われたようであり、感慨もひとしおだった。
(月刊バスケットボール1月号投稿)

【TORCH Vol.047】「本(媒体)を選ぶ」

講師 藤本晋也

 私は他の人と比べると、本を読む量が少ない方である。最近では、時間を作り読むように心掛けてはいるが、乗物移動中に活字を見ると酔う体質であることから、本や紙媒体をはじめ、PCやタブレット等、アナログやデジタルの媒体問わず、活字を見るともれなく酔うことになる。そのため、最近活字媒体の読み上げ機能等を導入し利用しようかと考えている。

 私にとって本は、小学生の頃、家での親の勧めや、学校の読書の時間等の設定により、半ば強制的に勧められ、仕方なくその時間を過ごすために読んでいた。しかし、親によると幼児期には、覚えていないが、絵本は好んでよく手に取っていたと聞いている。この違いには何があるのか考えると、活字情報を主とする“本”とビジュアル情報であるイラストを主とする“絵本”と捉えることができる。

 本として見た場合、同じものなのかもしれないが、本は、物事の概要をつかみ、深く理解するための情報を与えてくれる物。絵本は、イメージをつくりやすく、想像を膨らませてくれる物。この2つは、私にとって受け取る情報の質が異っていたと考えており、これらの違いが現在でも情報元として本を選択する大きな要因となっている。

 書籍よりもどちらかというと、専門誌、いわゆる雑誌をよく読む。特にモノ(物)系の雑誌で読むのが、雑誌の中ほど、もしくは最後の方に位置する、白黒のページである。最近の雑誌は全面カラーページが増え少なくなってきたが、この白黒のページには、興味を引くような情報が意外に多く掲載されていた。それは、その記事を担当する記者の体験記やコラムなどである。この内容には記者自身の感想はもちろんであるが、新しい製品等の活用用途や、通常使用ではありえないような内容を実験的に意図的に実践した結果等掲載していた。これらの情報は、あくまで、記事を担当した記者の主観的な立場で書かれていることが多いわけだが、意外にもユーザーが実施したくてもできないことをしているケースや、新しい方法を提案していたりすることが多かった。このような情報は、書籍である本には、まず掲載されない情報である。

 近年のICT技術の進歩により、当コラムに投稿されている先生方の中にも記述されているが、紙媒体をデジタルデータにし持ち歩き閲覧できるようにする“自炊”など、電子書籍による活字情報の閲覧のみならず、先に述べた読み上げ機能等、それらも含めた様々なビジュアル的表現が可能となってきている。最近では、電子雑誌等のページの画像部分が動画で閲覧できたり、3Dで立体的に見られたりと、紙媒体ではできなかったことができるようになってきている。

 このように、経験を基に記述してきたが、一般社会においても、情報の媒体とその活用方法がさらに多様化している現状を考えると、改めてこれまでの書籍、雑誌等の紙媒体としての情報の蓄積が圧倒的に多いということ。それらが膨大な量で記録・保管・管理されていることがわかる。そこから、情報の検索能力の向上が必要不可欠な能力としてこれまで言われてきたが、さらに、これら情報媒体が、活用されるシーンに応じて、日々進化し拡張しているということも考えると、検索能力の向上と同時に、自身にあった本の活用(媒体選択)能力も必要になってくるのではないだろうか。

【TORCH Vol.046】図書館で出会う「友人」

田中 智仁(社会学)

 体育学部の教員としては不相応だが、私はスポーツが苦手である。いわゆるオタク系文化部が大好きで、さわやかに汗を流すのは嫌いだった。小学校から高校まで地域の囲碁教室に通い、中学・高校で所属した部活動もパソコン部、男子バレーボール部、帰宅部であった。男子バレー部は「初戦敗退」の常連校だったので、「オタクとは思われたくないけど、マジな体育会系は無理だから、一番ヒマそうなところ」という消極的な理由で選んだ。入学から卒業まで続けたのは、大学時代の文藝會だけである。

 また、クラスでも明らかに浮いた存在であった。物心ついた頃から変人扱いされ、女子からは「気持ち悪い」、教師からは「夢見る夢子さん」(何を考えているかわからない奴)と言われる始末である。このような有様で、友達が多いはずがない。もっとも、社会学者には不可欠な気質であろうから、今となっては「これでよかった」と思っている。
その一方で、人間は無いモノを求める。「友達がもっと多ければなあ…」と願ってしまうのだ。小学校入学前に「1年生になったら、友達100人できるかな」なんて歌を聞かされ、友達づくりが推奨される風潮があった。そのため、いつしか「友達が多いことはよいこと」という価値観が刷り込まれていたのだろう。

 大学生になって社会学と文藝に出会い、多くの友達ができた。社会学は批判的に物事を考える(「常識」を疑う)のが基本的態度だし、文藝も変人気質が不可欠である。ゼミや文藝會で似た者同士に囲まれ、ようやく人間になれた気がした。

 そこで、ふと思ったことがある。友達が増えると、どうしても一人ひとりと過ごす時間が限られてくるため、個々の関係は希薄になりやすい。しかし、友達が少なければ、その少ない友達と過ごす時間が多くなり、濃密な関係を築くことができる。つまり、友達づきあいに割ける時間や労力には限度があり、濃密な関係を築くためには友達が少ない方が有利なのではないかということだ。

 そうなると、「1年生になったら、友達100人できるかな」という歌詞は、「1年生になったら、希薄な関係でもいいから人脈を広げましょう」と推奨していることになる。これは、企業の営業マンのスタンスと同じではないか。小学校入学の時点で、社会学者のテンニースが言った「ゲゼルシャフト」(利害によって形成される人間関係やその社会)が望まれているのだ。なるほど、産業社会を生き抜くための社会化のステップが、義務教育としてライフコースに埋め込まれている。これが近代学校制度なのか…と、社会学的な屁理屈を楽しんでみたりした。

 そのとき、衝撃的な1冊と出会った。高田保馬著『社会学概論』(岩波書店)である。約90年前の社会学者である高田は、この本で「結合定量の法則」について述べている(初登場は1919年の著書『社会学原理』)。結合定量の法則とは、簡単に言えば「人づきあいの総量は限られている」という法則だ。この法則に従えば、多くの人と付き合うと関係が浅くなり、限られた人とだけ付き合えば関係は深くなる。なんと、私がふと思ったことと同じ内容ではないか。約90年前に私と同じことを考えていた人がいたのだ。

 高田は社会学の巨匠であり、経済学者としても活躍した人だが、なぜ結合定量の法則なんて理論を着想したのだろう。もしかしたら友達が少なかったのか。それとも、友達が多すぎてウンザリしていたのか。まあ、この際はどちらでもいい。とにかく、約90年前の社会学者と自分がつながったことに変わりはないし、これを機に高田に親近感をもってしまったのである。

 そして、高田への親近感はさらに深いものになる。私は社会学の観点から警備業を研究してきたが、そもそもの問題意識は「なぜ警備業が存在するのか?」という率直なものだ。防犯にせよ防火にせよ、警備業が扱っている分野は、基本的に日常生活の中で当たり前のこととして行われてきたことではないか。それをなぜ、わざわざお金を払って、警備業という得体の知れない他者にやってもらわなければならないのだろう。つまり、日常生活で防犯や防火を行っていれば、警備業なんて不要ではないかということだ。

 そこで、私は仮説を立てた。「家族(イエ)や地域社会(ムラ)の機能が縮小されて、それまで自分たちが行ってきた活動を他者が担うようになり、警備業もその一つとして存在しているのではないか」というものだ。この仮説は、社会学の発想としてはごく標準的なものである。実際に、教育社会学、家族社会学、地域社会学などの領域では先行研究も豊富に揃っている。

 しかしながら、社会学の各領域で研究されてきた内容は、警備業そのものを言い当てているわけではないし、「学校」や「町内会」などの個別のテーマに特化しがちである。各領域を横断するような一般理論があれば面白いのに…と思っていた。そのときに見つけたのが、同じく『社会学概論』で提起された「基礎社会衰耗の法則」だ。

 基礎社会衰耗の法則とは、簡単に言えば「家族や地域社会などの基礎社会は、近代化の進行にともなって機能を失い衰退していく」という法則である。この法則に従えば、家族や地域社会は近代化の進行にともなって防犯や防火の機能を失い、徐々に他者がその機能を担うようになっていく。その他者が警備業である…という説明になる。なんだ、これも私の仮説そのものではないか。

 高田さん、この一致は本当に偶然ですか?私と貴方はたぶん何回も会ってますよね?きっと、日頃から貴方とは盃を交わしながら、語り合ってきた仲だったのでしょう?そうと言ってください!…そんな気持ちになる。

 高田保馬は私が生まれる10年前に死没しているため、もちろん会ったことはない。霊感が強ければ会えるかもしれないが、私にその能力は無い。イタコに頼めば会話できるかもしれないが、安眠を邪魔するのも申し訳ない。なので、いつも『社会学概論』という本を通じて、友人・高田保馬とコミュニケーションしている。

 2014年現在、人々の「出会い」には様々なパターンがある。授業やサークルで一緒になる人、バイト先で知り合う人、SNSでつながる人…それらは紛れもなく「出会い」であり、教室、職場、SNSは「出会いの場」である。しかし、多くは「今を生きる人」との出会いであり、その人とリアルタイムでコミュニケーションすることが当然のスタイルとなっている。しかし、図書館も負けず劣らずの「出会いの場」なのだ。そして、図書館の凄さは、「今を生きていない人」に出会い、「本」を通じてコミュニケーションできることである。これは、他の「出会いの場」にはない出会いだろう。

 残念ながら、本学の図書館に高田の『社会学概論』は所蔵されていない(他の著書はいくつか所蔵されている)。しかし、約10万冊という膨大な蔵書がある。それらの著者には、「今を生きていない人」も少なくないだろうし、遠方にいる人も多いだろう。図書館に行けば、たとえタイムマシーンがなくても瞬間移動ができなくても、「時空を超えた友人」に出会える。

 みなさん、そんな友人と出会うのはいかがですか?

【TORCH Vol.045】趣味本、職業本、実用本?

教授 佐藤滋

 はるか昔、テレビがまだ白黒だった頃のNHKに「夢で会いましょう」という番組があった。永六輔と中村八大のコンビによるプロデュースだったはずと、今そそくさとWikipediaで調べてみると、1961年4月〜1966年4月(筆者の中学高校時代)、構成が永六輔、音楽が中村八大とある。その下には,出演者として、谷幹一、渥美清、EHエリック、坂本九などの今は亡き懐かしい名前が出てくる。本欄の読者諸兄姉はほとんど知らない名前だろう。私にとってのハイライトは、この番組のエンディングで世界のさまざまの言葉で挨拶する音声が字幕とともに流れるところである。この番組のこの部分が何とも魅力的で毎週見ていたものである。そんな訳の分からない音声の何が魅力的だったのかをうまく表現することはできないのだが、意味の分からない音声を聞いて、興奮したことは今になっても強い印象として残っている。

 その後、あるとき高校の担任に「佐藤君、アメリカに行ける留学試験があるぞ、受かるとただでアメリカに行けるぞ」と言われた。その担任は英語ではなく数学の先生だったし、成績優秀者が集まるわが母校で私の英語の成績が抜群でもなかったので、いまだにどういう弾みで私にそのような声がかかったのかは分からない。とにかく受けたら受かってしまい、海外に行くなど考えられない時代だったので、先生も両親も驚いていた。結果、その後の1年アメリカ英語の中で過ごし、ヨーロッパアジア中南米からの留学生と交流し、彼らの訛りの強い英語も聞きながら帰国したわけである。

 上述した私の本能的とも言える言語音声への興味はその後も尽きることなく、卒業論文や博士論文にまで続いた。少年時代という物事の分からない時期に興味が引かれたものが、学位取得のネタになり、大学教員として就職することができ、東北大学、順天堂大学を定年退職し、仙台大学もそのようになる見込みとなっている。ありがたいことである。これは、なによりも情報工学や神経科学分野で、基礎研究としての人間言語の音声や文法の研究を評価してくれる体制があったことが、論文書きとしての私の研究者生活を成り立たせていたことが大きい。大変幸せなことであった。

 さて、少し話を戻すと、私はサウンドスペクトログラフによる母音の音響分析を卒論でやり、その後の博士論文のテーマが意味概念から生成する音声合成、いずれも音声関係に執着したものとなった。少年時代、違う言葉で話す人の声の響きの違いに衝撃を受けたのであったが、大学時代になると口の中でどのように舌を動かすからどうなるのか、声道(声帯から唇までをそう呼ぶ)の形や調音器官(舌や唇や口蓋垂など)の動きと音声波形との関係などと、関心がよりマニアックになってきた。1969年の卒論であるが、自分でも今となるとどのようにして入手したのか思い出せないのだが、詳細なX線撮影の母音発音写真を多数収納した当時の東ドイツ製の図書が入手でき、それをトレースしたり、母音の音響分析と照合しながら、あまりできの良くないものを仕上げた。大学紛争のさなかの1969年に紛争を完全に無視しながらそんなことをやっていた自分の凝り性を思う。同級生には、学生運動に関わり留置所に出入りしたり、学生同士の悶着で負傷した者などなど、大学を一年遅れて卒業した者も多数にのぼるのである。

 要するに、中学以来の興味がたまたま研究に繋がり、大学での研究活動を続ける形で生き残ることができたというのが結果論である。いま本棚を眺めると懐かしい本たちがいまだにそこにありうれしい気持ちになるが、一方では、修士博士の学生たちに学位を取らせるという責務も負っていたため、多数の(主として英語の)論文も読まなければならなかったし、学会に投稿できる水準の論文を(英語で)書く(あるいは書かせる)ためのネタ探しも大変であった。正直に言うとこの辺の責務はけっこう苦痛であったが、大学の教育研究者としての社会的責務を果たしたかな、と自己満足することもある。読んだ論文で、残しておきたいものはほとんどPDF化したが、本類はそのまま本棚に残っている。これらは、音声の趣味本と大学職を成り立たせるための職業本が渾然一体としたものとなっている。懐かしいものを含めて関連書籍を列挙する。

  • 服部四郎「音声学」岩波書店
  • 近藤一夫「数理音声学序説」東京大学出版会
  • 藤村靖「音声科学原論」岩波書店
  • 千葉・梶山「母音」岩波書店
  • 酒井邦嘉「言語の脳科学」中央公論新社
  • Fant「Acoustic Theory of Speech production」Mouton
  • Zsiga「The Sound of Language」Wiley-Blackwell
  • Ladefoged「The Sound of the World’s Languages」Wiley-Blackwell
  • Labrune「The Phonology of Japanese」Oxford
  • Ritt「Selfish Sounds and Linguistic Evolution」Cambridge

 実は、以上述べたような「私の世界」的な言語音声への関心については、私だけではなく世界中の人が興味を持ってきた世界であり、さまざまな教科書や専門書が日本でも英語でもメジャーな出版社から出版されている。専門分野的に言うと文系での古くからの音声学は、世界のことばに使われる音声の膨大な分類学的データベースかつことばを学ぶ者への指標を提供するものである。理工医学系的には、音声科学、音声言語脳科学などで(幼児期からの)言語習得、(脳障害などによる)言語喪失についての世界的な研究の蓄積がある。

 さて、では表題の最後にある「実用本」であるが、私の関心事や関係書籍が、実用本に連続的につながっているということなのである。小学校からの英語教育の開始、中高での英語授業は英語でやるべし、などなど、世界は英語だ、と大騒ぎの教育界であるし、大学ではグローバル化だ、学生の海外派遣だ、TOEFL、TOEIC、IELTSの受験勉強が大学英語だ、会話もできるようにさせろ、など自分ができないことを棚に上げての主張である。
 このような雰囲気と関係ないように見える私の「趣味本・職業本」の延長線上には、特に最近、日本人の英語を上手にするための良い指導本がたくさん出ている。私の本棚にもそのような本が並んでいるのである。一部紹介して本稿を閉じることにする。より詳しく知りたい方は、筆者まで直接お問い合わせいただきたい。ただし、英語をしゃべれるようになるためには、口を動かす運動神経回路を鍛えることが必須であって、このごろのテレビコマーシャルのように、家事をしながらCD音声を耳に流していただけで話せるようになった、なんてことは原理的にありえないと付言しておく。

  • 竹内真生子「日本人のための英語発音完全教本」アスク出版
  • 白井恭弘「英語はもっと科学的に学習しよう」日経出版
  • 坂本美枝「カランメソッド:英語反射力を鍛える奇跡の学習法」東洋経済新報社
  • 英語音声学研究会「大人の英語発音講座」NHK出版
  • 味園真紀「たった72パターンでこんなに話せる英会話」明日香出版社

【TORCH Vol.044】図書館内巡り

准教授 長橋雅人

この度、本稿を書くために図書館内の本を少しですが見て回りました。その中で、学生が興味をもつかもしれない??記述がありましたので、以下に記します。

●書籍①「毒をもつ動物と応急手当」より抜粋(興味深いカラー写真有り)
・ハチ…野外学習、庭いじりなどでハチと遭遇することは意外と多いものです。特にスズメバチは大型で、毒の量も多いので刺されないようにすることが大切です。~(略)~。[予防]※ハチは黒くて動くものに寄ってくるので、野山を歩く時は白い衣服を着用します。※匂いもハチを刺激します。香水、ファンデーション、整髪料などに対して敏感となるので、これらは使用しないことです。~(略)~。[応急手当]~(略)~。
・ハブクラゲ…ハブクラゲはインド洋からフィリピン、琉球列島近海の海岸地域に分布します。~(略)~。触手には毒の入ったカプセル(刺胞)がたくさんついています。遊泳中に触手に触れると刺胞が発射され、毒が体内に注入されます。~(略)~。[症状]刺されると(触手に触れると)激痛があり、呼吸が停止するなどショック症状を起こすことがあります。~(略)~。[応急手当]~(略)~。

●書籍②「気象・天候の知識」より抜粋
・(風の力をあなどってはいけない)『風圧と風速の関係』…風にさらされた物体が風から受ける力を風圧というが、物体が受ける風圧は、風速の2乗に比例する。風速が2倍になれば風圧は4倍、3倍になれば9倍になる計算だ。風の力をあなどってはいけない。
・『“ところにより”ってどこ?』…「くもり、ところにより雨…」こんな天気予報を聞いたら、あなたは傘を持っていくだろうか。「ところにより」とは、その現象が起こる地域を特定できない場合で、さらにその現象が起こる地域の合計面積が予報対象区域の半分に満たない場合を指す。つまり、いつふいの雨に降られるかわからないわけで、こういう予報に加えて、降水確率が30%以上だったら、折りたたみの傘ぐらいは持って出かけたほうが安心だ。

 他にどのようなことが書いてあるか気になった人は、図書館に行って是非確認して下さい。また、その際には、他の本も手に取り眺めてみてください。きっと役に立つと思われます。

※書籍
①「毒をもつ動物と応急手当」篠永哲,少年写真新聞社
②「気象・天候の知識」高塚哲広,㈱西東社

【TORCH Vol.043】伊集院静「夕空晴れて」(文春文庫『受け月』所収)

教授 坂根治美

 スポーツ好きの人にはきっと興味を持って読んでもらえる作品だと思います。学生の皆さんの中には、中学校の国語の教科書に掲載されている作品の一部を読んだという人もいるかもしれません。

 少年野球チームに入って熱心に練習に参加している息子の茂が全く試合に出してもらえず、グラウンド整備や先輩選手の小間使いのようなことばかりさせられていることを知った母親の由美が、監督の冷泉の自宅に出向きクレームをつけようとしたとき冷泉から聞かされたこととは……。

 息子を思う母親の立場からすれば「いまいましく」、「意地悪そうな」人物にしか見えなかった冷泉は、実は亡くなった夫、小田悟の高校時代の野球部の後輩で、プロ野球選手を目指したものの夢かなわず、道を踏み外しかけていたところを悟に誘われて故郷に戻り、少年野球チームの指導者となっていたのです。

「もうすぐですよ。もうすぐ小田三塁手もゲームに出られるようになります。……名選手にならなくったっていいんですよ。自分のためだけに野球をしない人間になればいいと思っています」。

 由美と息子の茂、由美と夫の悟、悟と茂、それぞれの間の想いや思い出が、悟のかつての指導者佐々木(少年野球チームの会長)および冷泉と悟の間の想いや思い出と重なっていくところで、冷泉はそのように語ります。
 
 故郷での再婚を勧める両親の想いをしっかりと受けとめながら、由美は悟と出会った町で茂と暮らし続けていく決心をします。ラストシーンとして描かれる近くの河原での母と息子のキャッチボール。由美が笑いながら茂に投げた白球の軌跡が、その前向きな気持ちと夫と息子への想いを象徴しているようです。

 読み返すたびに涙なしには読み終えられない作品に出会えたことは、とても幸せなことだと思っています。

【TORCH Vol.042】「本を探してみる」

准教授 竹村英和

 このブログを執筆するにあたって、「自分自身で最初に読んだ本は何だろう?」と、ふと考えてみました。おそらく幼稚園生のときに読んだ「こどものせかい」という絵本であったと記憶しています。今から30年以上も前のことですので漠然とした記憶ですが、描かれている絵を見ながら、空想を膨らませ、興味を持ったのではないかと思います。

 あれから30年以上が経過した現在、定期的に読書をする習慣はありません。しかし、本を読むことが嫌いというわけではなく、新幹線や飛行機で移動するときなど時間に余裕がある際には、必ずといっていいほど本を読んでいます。また、何かを購入する目的がなくても、書店に立ち寄ることもあります。

 具体的な目的もなく書店で本を眺めていると、ふと興味が持てそうな本を見つけることがあります。それは、漫画であったり、推理小説であったり、スポーツ指導者の考え方に関するものであったりと様々です。そして、実際に読み始めると、その本に引き込まれていくとともに、新たな発見をすることがあります。

 学生の皆さんも、子どものときに空想を膨らませ、興味を持ったことが一つはあると思います。また、大人になった現在も漫画を含めた何らかの本を読むことに夢中になったことがあるのではないでしょうか。

 図書館や書店で「本」を眺めていると、自分自身が興味を持てる新たな「出会い」があるかもしれません。そして、本との出会いは単に知識を身につけるだけではなく、自分自身の視野を広げることや、気分転換にもつなげられるのではないかと思います。

 興味の持ち方は、人それぞれです。本を「探してみる」・「眺めてみる」、あるいはこのブログで紹介されている諸先生方の記事を手がかりにすることで、自分自身に合った本を見つけることができるのではないでしょうか。

【TORCH Vol.041】回想

助教 仲田 直樹

 この執筆を依頼されたとき何を書こうか迷った。現在は、大学の研究費の使途でも本を読むように促されており、そのおかげでたくさんの本を読んでいる。しかし、それらは専門的な柔道に関する本かウエイトトレーニングに関する本であり、これらのことを書いたり、ましてや勧めることなどできない。そこで、毎日の生活を精一杯過ごした、というよりもこなしてきた懐かしき小中学校時代に触れていくことにした。

 小学校時代、私は電車で1時間以上かけて塾に通っていた。その塾ではとにかく宿題が多く、1週間平均にして問題集50ページほど出される。それから、6年生になると宿題が半分くらいに減った代わりに小説を数十ページ読み、そこまでの要約と感想を書くようになった。そこで与えられた小説が夏目漱石の「坊ちゃん」である。私は愛媛県伊予市出身ということで当時「坊ちゃん」が松山を舞台に書かれていたことくらいは知っていたが、大して興味はなく、それが5教科になんの意味があるのかわからずやっていた。

 この頃、隣町の内子町出身、大江健三郎さんが日本文学史上2人目のノーベル文学賞を受賞したと話題になった。そして、当たり前のように「坊ちゃん」の次はノーベル文学賞を受賞した理由に挙げられる「万延元年のフットボール」へと変わった。しかし、本に興味がない小学校6年生の少年には難しく、もはや理解不能であった。この宿題は塾を辞める中学3年まで続いたが、速読というレベルではないが読むのが早くなったこと、苦手な国語が嫌いではなくなったことなど、中学生になってから意識の変化もあり、読解力がついたと自分でもわかった。

 私は、中学1年から神奈川県に柔道留学するまでの3年間、普通とは違う生活を送っていた。ここで出てきた“普通”という言葉は結婚してから極力使わないようにしている。育った環境や習慣、考え方の違いがあるのは当然である上、さらには私が3兄弟、妻が3姉妹であるため、おならや大便についてのモラルのなさには度々指摘を受けている。南條准教授が外国へ行く度に感じると言われる“日本の常識は世界の非常識”と、さすがに外国にいるようだとまでは思わないが、様々な価値観の違いには現在も苦戦している。

 ここでいう普通の中学生の生活とは、学校から下校して就寝(23時くらい)まで順番は問わないが、宿題と夕食と入浴を済ませることであるとしておく。私の生活は週に3日、部活動後も道場で稽古していたが、それ以外の日は部活動後、夕食を摂り入浴して1,5時間ほど仮眠する。22時あたりに起きて勉強を始め、就寝は2時~3時であるが、その間勉強しているのは2時間くらいである。勉強しているかと思えば机の上を掃除したり、ベッドに横になって小説を読んでいるかと思えば漫画に代わっている。月曜日は1時からスクールウォーズとワールドプロレスを毎週楽しみに見ていた。とにかく柔道をしている時とは違い、勉強に対する集中力はもたなかったのである。塾の宿題が山ほどあり、当時は自分なりに考え一番よいサイクルだと思っていたが、今思えば全て悪循環である。

 しかし、無駄な時間は多いが毎日2時間以上勉強していたため、学校の成績は常に300人以上いる中で30番以内にはいた。将来教員を目指す者として、決して自慢できる順位ではないが、当時ある程度は満足していた。弟の2人も同じ中学校であり、彼らは常に学年トップの成績であったため、年に1、2度家族が集まる場で私は今でも恰好の劣等生である。なにかと理由をつけて小馬鹿にしてくるのでこちらの反撃手段としては腕立て伏せを命じることくらいである。彼らもまた、私と同じで5教科以外は勉強しても意味がない、という考えであったため、9教科になると格段に順位が落ちた。そこまでは知っていたが、3者面談か家庭訪問で母親が担任の先生に“どういう教育をしているんですか?!”と一括されたことは先月、弟から聞かされた。

 この中学時代は与えられた本を読むのではなく、自分で興味がある本を買って読むようになった。その中でも「ガリバー旅行記」、「オズの魔法使い」、「山下清」などは今でも印象に残っており、あらずじを他人に一通り説明できるほどである。

 高校に入ってからは本を読むことが少なくなったが、高校3年の時に陸上の女子マラソンで高橋尚子選手がシドニー五輪で優勝したが、そこで小出監督が出された「君ならできる」を読んだ。ここでは“自主性を重んじることも大切だが、強くしたいなら強制させトレーニングさせることが重要である”という考えは今監督をしている中で共感でき大事にしている。また、大学1年時に何気なく買った“栃木リンチ殺人事件・両親の手記”は、怒りが込み上げてきて最速であろう2日で読んだのを覚えている。

 本ではないが、芥川龍之介さんの名前を真似ているであろう映画「三丁目の夕日‘64」の茶川竜之介の、父の背中を見せられ見せるシーンは現在の少年柔道の指導にも大きな活力を与えてくれている。大学の事業として立ち上げた仙台大学柔道塾の稽古日は火・金・土曜日の2時間であり部活指導に加え、日曜の試合も小学生は多いため月に1度休みがあればいいほうである。また、贅沢な要望だが、社会人の飲み会はだいたい金曜である。そのため大学内での若手教員飲み会にも毎回欠席、忘年会も毎年行けないのは残念である。そんなの知ったこっちゃないのが塾生であるが当たり前である。しかし、子供たちの成長はそんなわがままも吹き飛ばしてくれ、大切な少年期の夜の時間を預かっている者としてしっかり指導しなければならない。そして将来、この中から仙台大学柔道塾を“昔、仲田先生も僕らのために家庭も休みもそこそこに指導してくれた”と言って指導者となって引き継いでくれることが夢である。また、私自身も熱心なよき指導者にそのように成長させてもらった。

 この執筆を機に他の先生方のブログを拝見し、自分の専門分野以外の知識も身に付け、大きく成長していきたいと思うようになってきた。