2013年2月25日月曜日

【TORCH Vol.010】最近読んだ本


仙台大学教授 粟木一博


①「スタンフォードの自分を変える教室」 ケリー・マグゴニガル著 神崎朗子訳 大和書房
②「パーソナリティー障害とは何か」 牛島定信著 講談社現代新書
③「これが物理学だ!」ウォルター・ルーウィン著 東江一紀訳 文藝春秋社
④「ふふふふ」 井上ひさし著 講談社文庫
⑤「にんげん蚤の市」 高峰秀子著 新潮文庫
⑥「贈与の歴史学」 桜井英治著 中公新書
⑦「統計学が最強の学問である」 西口啓著 ダイヤモンド社
⑧「わかりあえないことから」 平田オリザ著 講談社現代新書
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 これらは私が平成25年の年明けから今(2月18日現在)までに読んだ本のタイトル、著者、出版社の一覧である。大体一か月に4から5冊程度本を読む。もちろん、必要に迫られて手に取ったり、目を通したりする本があるのでもう少し増えるが、これが多いのか少ないのかはわからない。一年が過ぎると本棚にその年に買った本が増えていることになる。

 当たりもあればハズレもある。もったいない?しかし、くじは引いてみなければわからないところにその醍醐味がある。ただ、読書がくじと少し違うところがあるとすれば、経験の積み重ねによって当たりくじを引く確率を高くすることができるということだろうか。

 人間は合理的に行動しているのかというと決してそうではないということをわかりやすく解説してくれるのが①である。5分後に増加することがわかっていながら目先の報酬に目がくらんでしまう行動に関する実験など刺激的な内容が満載だ。しかし、「5年後の報酬などいらない」となると地道にトレーニングを積んでいるアスリートはどうなってしまうのだろうか。太古の昔、生存のために必要とされた欲求をすぐに満たそうとするメカニズムが現存しいることがこの根拠となっているのだが、計画的で、長期的な目標の達成には何が必要か、スポーツでハイパフォーマンスを目指す人にも参考になる一冊である。

 みなさんの身の回りにいる「性格の悪い人」「ちょっとおかしな人」のとらえ方が少し変わる本、それが②である。風邪などの病気にかかった場合、日常生活をいつも通り送ることは難しいし、周りの人にもいくらかの負担を強いることになる(例えば仕事を代ってもらったり、看病してもらったり)。しかし、熱やのどの痛みに最も苦しむのは自分である。著者は性格もこれと同じで、周囲に迷惑をかけるのと同じくらい、本人も悩んだり苦しんだりしているというのである。本書はその捉え方について書かれた一冊である。

 最近、NHK教育の夕方の番組でも公開講義を行い、人気を博しているのが③の著者である。③はこの講義録と著者の背景をまとめたものであるが、「空はなぜ青いのか」「雲はなぜ白いのか」などの素朴な疑問に実験で明快な解答を与えてくれる。著者は物理学が嫌いな人間がいるのは、物理を教える人が努力をしていないからだと手厳しい。物理学が不得手な人でも十分楽しめる内容だが、授業というものに対して真摯に向き合おうとする気持ちにさせられる。

 井上ひさしの比較的近年のエッセイを集めたものが④である。この中に「失言集」という一文がある。短い文章の中で「失言」の類型化(いや、構造化)を行い、最後には「完全無欠の失言」の実例を挙げて文章を結んでいる。おもしろい。

 長い電車の中で読むために駅の売店で手に取ったのが⑤である。「二十四の瞳」(壺井栄の原作は有名。この大石先生役が著者)や「喜びも悲しみも幾年月」(古いから学生の皆さんは見たことがないだろう。灯台守の夫婦の物語だが夫役は佐田啓二。ちなみにこれは中井貴一のお父さん。妻役が著者。再び、ちなみにこの映画の主題歌が聞きたい場合は●●先生とカラオケに行き、リクエストをすると必ず歌ってもらえる。ただし、お酒が入っている場合がほとんどなので音程や音質はオリジナルと少し異なる。)スクリーンのイメージとは少し異なり、少し酸っぱい思いをする部分もあるけれど、文章は明快で勉強になる。

 物事は何でも構造化してとらえることがとても大切だと日頃から考えている。「この問題の最も大切な部分はどこだろう」「この問題を構成している骨組みを考えるとどうなるだろう」と問題をとらえることはどんな分野においてもとても大切だと考えている。⑥は「贈与」という日常的な行為を歴史を軸にして構造化しようとしている書である。私は歴史に関しては「下手の横好き」以外の何者でもないので、正直、よく理解できない部分もあるのだが、何となく(これはとても大切なこころの働き)その面白さを予感しつつ読み通してみた。(面白かったのかどうかは結論が出ていない。でも、読み返してみようという気にはなる。)

 データに依って立つことはあらゆる分野において最強の武器となる。⑦が統計学を最強の学問とする根拠である。「ビッグデータ」に対してサンプリングによってデータ収集のコストを下げることができるという主張から、サンプリングの手法、データの関連性に関する分析、データマイニングなど取り上げられている内容は極めて基礎的なものである。データ分析の入門者向きの一冊である。

 「表現ができない」ということ「表現したくない」ということ「表現する何かを持たない」ということはそれぞれ同じように見えて実は大きく異なる。「表現しようとする何か」を持たずに表現はできないのだ。⑧は著者が演出家としてのこれまでの経験や知識から、昨今、巷間において重要視されているコミュニケーション能力の本当の姿を紐解こうとする試みがつづられている。さらに、コミュニケーションは正しいことばや文字を教える国語の中で取り扱われる材料なのかという疑問を提示し、現代の教育の枠組みへの提案を行っている。「体育」という教科の中で取り扱われるべき教材は跳び箱やサッカーだけでいいのだろうか。あるいは、数学の中に体を使う「体育的要素」はないのだろうか。様々な発想をさせてくれる非常に興味深い一冊だ。

 人に本を薦めるのは得意ではないし、少し怖い。でも、同じ本について感想を語り合うことはとても好きだ。「最近なんか面白い本読んだ?」会話のはじめ方としてはいい文句だと思うのだが。どうだろう。

所蔵Information <図書館で探してみよう!>

  • 平田オリザ著 「わかりあえないことから」 講談社現代新書
    361.45 Ho  図書館1階

2013年2月15日金曜日

【TORCH Vol.009】読書を語る。

助教 入澤裕樹

電子書籍元年といわれた2012年。(そうでもないのでしょうか?)

私も、「時代の波に乗り遅れてなるものか!」(いや、単に流行物が好きなだけかもしれない)と某社が安価で販売していた、良くも悪くも多くの話題を呼んだ電子書籍リーダーを発売前から予約し購入。期待に胸を膨らませつつ、送られてきた簡易包装の小箱に「これだけ?」と少々驚くも、意気揚々とセッティング開始。がしかし、自分のPCでの初期設定ができず、「はぁ?」と某社のコールセンターへ問い合わせる。

私「あのー、初期設定ができないのですがー・・・」
対応社員「少々お待ちください!」

♪~(保留)
(いらいら)

10分経過。
♪~

(・・・おいおい。)

プツッ。
ツーツーツー。

・・・。

数日後には無事にPCでも設定ができるようアップデートはされましたが、いろいろあって手に持つ機会がなく(いや、本来読書をしようと思えばそのような機会は簡単に増えるでしょうが)購入した電子書籍もごくごくわずか。気づけば引き出しの中もいることが多く・・・。

それでも外出時には多くの本や資料を1台にまとめられ、PDF資料も保存閲覧可能。「これは良い!」と思い、先の出張でも論文資料をPDFにしてさっと取り出し移動中にスマートに読むことを思いつく。がしかし、資料の文字が小さいこと小さいこと。

「えー!全然スマートじゃない。」

結局は途中で紙の資料を取り出すはめに。うーん、何かと不便。

それでもせっかく手にしたものなので何とか活用してやりたい!・・・とは思ってみるもの結局他の新製品の誘惑に負けそうな2013年。

まあ、そんな新しい電子端末を買う買わないは別として・・・、やはり読書は昔から馴染みがあるので紙の方が結局は読みやすいのかな。

小学生の頃には読書感想文が苦手ではあったが、図書委員会に所属していた頃は推理、伝記などなど良く読んでいたことを思い出す。読書の時間は自らの成長の糧となることは間違いなく、本と向き合う時間は大切だ。その時間が一番確保できるのはやはり学生の頃だと思う。何でもいいと思う。まずは手に取り読むことから始めることが大事。それから本を通じて自らがどのように知見を広げていけばよいかを考えれば良いかだと思う。

先日所用で仙台に行くことがあったのだが、時間前に入ったコンビニに適当に置かれていた「子供の『なんで?』がわかる本」というタイトルに惹かれ思わず購入した。

「宇宙ってどれくらい広いの?」「どうして顔には鳥肌が立たないの?」

みなさんは答えられるだろうか?

こんな雑学教育をテーマにした本から深く掘り下げる。その次には専門書を見つけて読んで自身の教科教育の教材研究に活用する。(一応専門分野の話題を繋げてみて・・・。)授業を練り上げていくにはやはり本は欠かせない。

充実した人生を送る為のいろんなヒントを本は与えてくれるだろう。

さて、話変わり小説等では、個人的には東野圭吾の作品を推薦。(『ガリレオ』で有名になった作者)「赤い指」という題の本は単純なミステリーのような結末で終わることなく、現代社会の問題(介護、家庭関係、教育、性問題などなど)を取り上げたもので、家族や教育とは何が正しいのかということを考えさせてくれる作品。時間があればご一読を。

と拙い文章を投稿した後で「俺が勧める本も読んでないのにお前が読書を語るな。」と某先生からのご指摘がありそうですが。(終)

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photo by Yuki Irisawa (2013)

参考までにヘルシンキの図書館を。5階まで続く中央の吹き抜け部分のデザインが近代的で美しい。学習スペースも十分確保。すばらしい。(おしゃれなカフェもあるし)

2013年2月8日金曜日

【TORCH Vol.008】好きな本を読むのなら今のうちですぜ。


荒井龍弥 仙台大学教授・宮城県名取市立みどり台中学校校長(出向中)

 最初にグチ。自慢じゃないが、本を読む時間がまとめて取れない。困ったものだ。それでもこのリレーコラムを書いてね、と図書委員会のご要望でした。鬼のようなご依頼だ。そりゃ書類はたくさん来ますよ。学校に来る文書のほとんどは校長を経由するのです。読んだよと認印をぺったんぺったん押していくのも校長の仕事だ。ある日数えたら50枚超えていた。だからと言って、公民館協力委員会(まあ会議だ)の出席依頼の書評なんて、書くほうも読むほうも面白くもなんともない。

 中学や高校の教員なら、生徒もくる。部活がある。飲んだ翌日だって、疲れたといって寝坊するわけにもいかない。教員に限らず、仕事をしている人はみんなそんなもんだろう。そりゃ仕事に関わる本や資料は睡眠時間を削ってでも目を通さなにゃならんが、好きな本を勤務時間内に好きなだけ読めるお方は、投げてるか干されてるかのどっちかだ。何をするにせよ、いいこともあれば悪いこともある。自分にとって都合の悪いことを引き受ける覚悟を決めることも志を立てるうちに入るのかも知れないっす。

 皆さん、好きな本を読むのなら今のうちですぜ。一日二冊(まじめなのと、楽しそうなの)を自分に課した学生時代がうそのようだ。金が続かず挫折したけど。本を読むためにわざわざ電車に乗ったりしたこともあったっけ。交通機関利用中は他にすることもないので絶好だ。でも車の運転中は読まないでね。高速道路で新聞を広げながら運転している猛者を見かけたが、あれはオソロシイ。


 仕事ではなく、楽しみのほうの本の話。通読した後、二度と読み返す気がしない本は「はずれ」、時間を置いて何度でも読みたくなるのが「あたり」と思っている。作者で追うのと、ジャンルで追うのを混在させるタイプだった。誰でもそうだな。そりゃそうだ。確率を上げるためには、前の「あたり」を手がかりにするのは当然だ。

 小中時代はホームズものから始まって、星新一や筒井康隆、「西部戦線異状なし」のレマルク、あるいは落語の筆記本や鉄道ものだったかなあ。近いところでは作者ならクライブ・カッスラーや西原理恵子、川端裕人、ジャンルなら登山ものや棋士の書いたエッセイなんてところだ。無難なところでは食べものがらみはどうだろう。佐川芳枝さんの「すし屋のかみさん」シリーズは好きだなあ。

 「あたり」を引くためには、もう一つ、舞台が自分に関わりのある土地という手もある。仙台で言えば伊集院静や伊坂幸太郎、古くは井上ひさしか。私の場合は家の墓が東京の深川にあるので、山本一力を初めとした江戸物にはつい手が出る。もっとも、国語の教科書を見ていたら、芥川龍之介の「トロッコ」がまだ載っていた。読んでみて、改めて自分の出身地(神奈川の湯河原だ)近くが舞台だったことを思いだした。読み返してなかったわけで、そんなにあてにはならないね。

 ただ、スポーツと同じで、日ごろ本から遠ざかれば遠ざかるほど打率は下がる、ということは言えそうだ。もっとも、ある程度の凡打は覚悟すべきかも知れない。首位打者だって3割そこそこだ。たとえに無理がありますね。


 図書館は好きだった。本とインクのにおい。中学のころは電車で30分かけて出かけ、図書館で「少年倶楽部」の「のらくろ」を読むのが楽しかった。戦前生まれではありません、念のため。高校になると隣町の図書館で友だちと受験勉強をするという名目で集まり、しゃべって怒られたり小説を読んだりする合間に勉強していた。

 でもまあ、周りが調べものや読書をしているところでは自分も多少は影響されるもんだ。そういう場所に自分をおくことだけでも、自らが成長していない焦りのようなものは少し和らぐ。いろんな図書館に行ってみよう。南相馬市の図書館は本屋のようだし、岩沼の図書館は名取のママたちに「岩沼のメディアテーク」と評判が立っているそうだ。


 これで終わるのも何だかしらける。講義ネタを一つ。小学四年の国語教科書に新美南吉の「ごんぎつね」というのがある。いたずらばかりしている独り身キツネの「ごん」が、村の兵十という男が捕った魚を逃がしてしまう。その後、兵十の母親の葬式がある。ごんはひとりぼっちになった兵十を自分と同じ境遇だと思い、あんないたずらをしなければよかった、と思う。せめてものつぐないにと、兵十の家に、そっと栗やマツタケなどを持っていく。兵十は誰が持ってきたかわからず不思議に思っていた。ある日、ごんが家の納屋の中にいるのを発見し、またいたずらしに来たと思い、撃ち殺してしまう、という話だ(ネタバレごめん)。四十年以上前から教科書の定番となっている物語だ。覚えている方もいるだろう。

 私はあまり好きな話ではなかった。せっかく改心した「ごん」が兵十に殺されて終わり、というストーリーが理不尽だと感じていたのだ。しかしここ十年ほど、いろんな先生の考えや実践を読んだり見たりして考えが変わった。ごんはキツネなのだ。キツネは古くから人々の信仰とおそれの対象で、稲荷神社のお使いとされていた。人があまり関わるとだまされたり、化かされる。敬して遠ざける、というスタンスだったのだろう。人にいたずらするのは、りっぱなキツネとして当然のことなのだ。おそれられこそすれ、しょせん人間と仲良くはなれない存在なのだ。兵十に親切にすることで、キツネとしての「道」をごんは踏み外してしまった。だから死ぬより他に結末はないのだ。そういう考えに触れてから、結末がすっきりと腑に落ちると同時に、「ごんぎつね」という物語が好きになった。愛知県の新美南吉記念館に行ったくらいだ。手に入れた研究紀要には、キツネと人間の関係について同じことをいう人がいた。ビンゴ。

 物語だ。いろんな読み方があっていいけれど、様々な知識や経験とすり合わせていくことで別の読み方もできる。もっと好きになることだってある。読書を楽しめないのは、そういうバックグラウンドとなる知識や経験の不足が一因となるのではないか、そう思う。でもそういう知識や経験だって読書によって得られる部分があるのだ。自分の世界を広げるとはそういうことかなと思う。

2013年2月1日金曜日

【TORCH Vol.007】リレーコラム「TORCH」に寄せて


阿部 肇(体育学科)

 私は幼少の頃から、父や兄に「読書は心の栄養」だの「男なら歴史を知らずして・・・」など、うるさく言われていました。それは私の読書量が足りなかったからなのです。そんな私も、今では「良書が人を育てる」ということは十分理解しています。そして、加齢と共に、活字を追うことにエネルギーが必要になっていることを自覚する今日この頃(単に老眼の進行)、『若いうちに読書はした方が良い』と断言します!!

 さて、前置きはともかく、私からは二つの作品を紹介させていただきます。それは、2002年春にそれまでの職場から本学に赴く際に、しっかり背中を推してもらえた作品です。

 一つ目は、高村光太郎の「道程」という詩です。
僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため
漕艇部創部は、文字通り創り上げるゼロからの出発でした。艇やオールはもちろんありません。部員も新入学の5名のみです。けれども「必ず日本一の漕艇部になろう!」、「ボートと言えば仙台大学」などの目標を掲げて船出をしたのです。一年生部員とともに沢山の壁を乗り越えるためには、心のエネルギーを常に満たしておかなければなりません。折に触れ、この詩を部員と共に読んだものです。

 新しい道を踏み出すために全国から集った5名は希望に溢れていました。けれども4年間の部活動がどのようなものになるか、誰も解らない状況です。多くの失敗や、悔しい思いをすることも容易に想像できたはずです。そんな大きな不安を乗り越えるために、この詩はピッタリでした。部員は勇気凜々で不安を乗り越え、確信に変えていくことができました。

 実はこの詩の全文はもっと長いものなんです。学生の皆さん!社会人になる前に是非触れてください。

 二つ目は、童門冬二の「小説 上杉鷹山」。
 
 上杉鷹山は米沢藩の藩主として、様々な改革を成し遂げました。かのJFケネディー大統領が、尊敬する政治家として上杉鷹山を挙げています。上杉鷹山の残した有名な言葉は
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
です。皆さん一度は耳にしたことがあると思います。

 さて本書では、鷹山が高い理想に燃え、実践する人であったことが解ります。それは、武士にとって考えられない改革を、少なくない強い反発を受けながらも、藩主自らが率先し、励行していきます。その逞しさは、慈愛にみちた真の優しさがあるからこそ。鷹山の「何にも負けない強さ」を感じ取れます。

 その中で本学に赴任し、漕艇部創部の私を支えたのは、鷹山が絶望感に襲われたときに、灰の中に偶然「小さな火種」を見つけた時の思いです。・・・この残った小さな火種が、しっかり吹けば燃え上がる「新しい炭」に火をつける。このつながりは、大きく燃え立つ改革になる・・・という内容です。

 草創の漕艇部に当てはめれば、宮城には縁もない5名の一期生は、とても大切な「火種」です。その後に入部してくる部員は、私たちの活動に賛同し集ってくるので、彼らはいつでも火のつく、乾ききった「新しい炭」にあてはめられました。一期生を大切に育てることは、その後に続く部員がしっかり育つことに直結すると信じて取り組むことができました。

 また、改革にはいくつかの壁を乗り越えなければならないことも学べました。壁とは「物理的な壁」「制度の壁」「心の壁」です。この中でも最も手強い壁は「心の壁」です。この壁を乗り越えていくために、大変な決断をしていきます。それが何のためかというと、すべて領民の生活向上のためであるのです。

「領民」を置き換えれば「選手」です。コーチはチームを運営しなければなりません。選手一人一人の目標が、チームの目標とどのようにつながっているのか。目標達成のために、組織と個人がどのような取り組みを行うことが必要なのかを、見極めていかなければなりません。

 少し視点は変わりますが、競技スポーツのコーチとして影響を受けただけではなく、一人の人間として「福祉」とはどういうことなのかを考えさせられる項もあります。それは、鷹山の妻(幸姫:障害者)に対する深い愛情です。これは「人形妻」という題に書かれています。

 鷹山の改革には福祉政策の改革もありました。育児資金を窮民に与えたことや、90歳以上の人には、亡くなるまで食べてゆけるというお金を与え、70歳以上の人には、村でいたわり世話をしたのです。このように当時の階級制度では到底考えられないであろう、画期的な福祉改革を成し遂げられる深い慈愛を持つ人でもあるのです。

 上杉鷹山というと、最近は財政再建の面ばかりが取りざたされています。けれども、本書からは上杉鷹山の「精神」や「人柄」を学ぶことができます。企業人(社会人)として生き抜く準備をしている学生時代に「組織で自分がどう生かせるか、生きるか」を学べる一冊として紹介します。

 そうそう、もう一冊。内村鑑三の「代表的日本人」も紹介します。この本には、上杉鷹山・西郷隆盛・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の5人の生涯を叙述しています。日本人って?という思いを少しでも持っている学生諸君にはオススメです。

以上

所蔵Information <図書館で探してみよう!>

高村光太郎 『道程』
 出版社 日本近代文学館(名著復刻全集第28巻)
 請求記号 913Me
 配架場所 図書館書庫
 備考 利用する時は、図書館カウンターに申し出てください。

童門冬二 『小説 上杉鷹山』
 出版社 集英社(集英社文庫)
 請求記号 913.6Df
 配架場所 図書館2階