2013年10月8日火曜日

【TORCH Vol.033】一見は百聞にしかず!?


講師 笹生心太

 初めまして。今回ブログを執筆します、笹生(ささお)です。

 本文に入る前に簡単に自己紹介をしますと、普段は社会学や社会調査法の授業、そしてスポーツマネジメント関係の授業で皆さんの前に現れることが多い教員です。あるいは、フットサル部の選手兼監督をしているので、そちらで知っているという学生の方もいるかもしれませんね。

 さて、今回はどんなことを書こうかなと夏休みの2か月間悩んでいたのですが(嘘です)、好きな本の紹介よりも、私と本の関わりについて書こうかなと思います。「日本人の階層意識」とか「ボウリング場産業のブルーオーシャン戦略」のようなマニアックな本の紹介をしてもいいのですが、それでは皆さんつまらないですからね。

 私は大学生のころ、本をたくさん読んでいました。…と言うと、「大学の先生になるくらいなんだから、俺らとは違う大学時代を送っていたんだろう」と思われる方もいるかもしれません。が、私は多くの仙台大学生同様、スポーツに命を懸けた大学生時代を過ごしていました。

 私はまだ「フットサル」という言葉が「え、猿がどうしたって?」と言われている頃、大学にフットサルチームを立ち上げて活動していました。当時はフットサル関する専門書などもなかったので、唯一のフットサル雑誌をむさぼるように読み、フットサルに関する記事をインターネットで夜な夜な探していました(YouTubeはまだありませんでした)。

 そんなわけでなかなか忙しい毎日を送っていたのですが、当然大学生ですから授業に出ねばなりません。ところが私のいた大学は、仙台大学とは大きく異なり、やる気のない先生が多くいる大学だったのです。もちろん授業熱心な先生もたくさんおられましたが、「概論」なのにマニアックすぎて何も分からない授業や、教科書をもにょもにょ読むだけの授業、あげくには学生にお昼ご飯を買ってこさせて、食べながら授業をする先生などもいました。

 そんな授業が多かったので、大学生のころの私は、授業中は体力の回復に努めたり、フットサルの戦術について色々考えていました。が、もちろんそれでは単位が取れないので、ちゃんと勉強もしました。そんなとき、確かに授業のノートを見るのもいいのですが、だいたい断片的で何を書いているのか分からないんですよね。なので、その先生の本を買って読んでいました。90分我慢して座っているよりも、コーヒーでも飲みながら本を読むほうが効率がいいと思いませんか?そのときに「本を読むのって大事なんだな~」としみじみ思ったものです(ちなみに大学時代に「不可」を1つももらったことがないのが、私の数少ない自慢の1つです)。

 また、卒論の時期にも、「本を読むのって大事なんだな~」としみじみ感じたことがありました。ゼミの時間に、ゼミ生たちが自分の卒論の構想を話すと、指導教員の先生がこう言うのです。「君たちが考えるようなアイデアは、ほとんどすべて、過去の偉い学者が考えていることだ。そんなつまらないアイデアはゴミ箱にでも捨ててしまいなさい」と。学生時代の私には、相当ショックな言葉でした。しかし、今にしてみればその言葉の意味がよく分かります。

 例えば君が、「どうやったらもっと速く走ることができるだろう?」とか「どうやったらもっと強いシュートが打てるようになるだろう?」と考え、周りに意見を求めたとしましょう。しかし、そんなものたかだか数十人に聞くのがせいぜいでしょう。世の中に何億人も人間がいるのに、身の周りの数十人の中に、たまたま速く走ったり、強いシュートを打つ方法を知っている人がいるものでしょうか?当然のことながら、できるかぎりたくさんの人にアドバイスをもらうほうがいいですよね。

 そんなときに頼りになるのが、本です。本は、我々よりもはるかに頭のいい過去の偉い人たちが、うんうん頭を捻って考え、親切にもまとめてくれたものです。周りにいる人何十人に話を聞くのはナンセンス、本を読めば一発で目当ての答えが見つかるのです。こんなラッキーな話があるでしょうか。

 ということで話を学生時代のゼミの話に戻すと、私の指導教員は、「君のアイデアは、自分では斬新だと思っているかもしれないけど、そんなことないんだよ。過去の偉い人たちがきっともう見つけているアイデアなんだよ」ということが言いたかったんですね。

 足を速くしたいとか、強いシュートを打ちたいといったときには、過去の偉い人たちのアイデアをパクっちゃいましょう。そのために本を読みましょう。しかし卒論というのは、過去の偉人に負けないくらいの斬新なアイデアを、世の中に提出する作業です。そのとき、そもそも世の中にどんなアイデアがあふれているのか、知らなければ話になりませんよね。卒論ではこういう作業を「先行研究のレビュー」と言いますが、独りよがりの卒論にしないためには、本を読んで、過去の偉い人たちのアイデアを知るという作業はとても大事なことです。

 こんなことを書くと、「本ばかり読んでて理屈っぽい」とか「机上の空論」とか「百聞は一見にしかずだろ」とか言う人もいるでしょう。そんなに本ばかり読んでないで、まずは自分で体験したほうがいいじゃん、と思う人もいるでしょう。もちろん、私もそう思います。机の上の勉強ばかりではなく、自分で体験したほうがはるかに役に立つこともたくさんあります。フットサルしているときだって、マニュアル本を読むばかりでなく、大会に出たほうがずっとうまくなりました。

 しかし、自分の経験だけがすべてだと思うのも、私は違うと思います。それは上に書いたように、本というのは自分よりもすごい人たちの経験が1冊に凝縮された、超お得な宝の山だからです。何も知らずにぼけっとフットサルを体験するよりも、正しい方法を頭の上で学んでから体験したほうが、上達も早いでしょう。理屈を知る→体験する→もっと高度な理屈を知る→もっと高度な体験をする→…と、理屈と経験を行ったり来たりすることが、スポーツでも勉強でも、上達の一番の近道ではないかと思います。

 ということで皆さん、自分の知りたいこと、やりたいことに関する本を1冊でいいから読んでみませんか。がむしゃらに経験を重ねるよりも、はるかに得るものが大きいはずです。「百聞は一見にしかず」ならぬ、「一見は百聞にしかず」を、ぜひ実践してみてください。大きなチャンスが、仙台大学図書館には転がっています。

2013年10月1日火曜日

【TORCH Vol.032】難しいことを簡単に伝えることは難しい


助教 柴山一仁

 昨年から教壇に立つようになり,毎回のように考えさせられることがある.それは,学生たちに対して,物事をわかりやすく伝えることがどれだけ難しいかということだ.いわゆる「できる」人は,難しいことを簡単そうに話す.もちろん教員から学生に対してもそうだし,友達同士の会話もそうだろう.難しい言葉をそのまま使って話すことによって会話の齟齬が生まれ,相手は会話の内容ではなく言葉の意味を考えることに懸命になる.それは有益なコミュニケーションとは言えないだろう.

 さて,今さっそく私は「齟齬」という言葉を使った.齟齬とは食い違うこと,行き違いといった意味であるが,こんな言葉を使わなくとも初めから「行き違い」といえば済む話だ.初めて書く書橙でいい恰好したかっただけなのである.このように,円滑なコミュニケーションを目的とするならば,対象とする人物を考えて(このブログの対象は主に学生の皆さんだろう),その場にふさわしい言葉を使う必要がある.要は「空気を読む」ことが重要なのである.

 前置きが長くなったが,今回紹介させてもらう本は「フェルマーの最終定理」という本だ.タイトルからして既にごめんなさいという方もいるだろう.正直,私もこの本のタイトルを初めて見たときにはごめんなさいだった.簡潔に説明すると,この本はフェルマーという数学者が17世紀に残したある数式に対して,アンドリュー・ワイルズという数学者が様々な苦労をしながらそれを証明していく過程について書いたノンフィクションである.

 この本のすごいところは,著者であるサイモン・シンは数学者ではなく,元々テレビ局のプロデューサーであったことだろう.最も,素粒子物理学の博士号を持っているということなので,全くの数学初心者ではないだろうが.もちろん文章中にある程度の数式が出てくるのは事実である.しかし,ピタゴラスの定理などそのほとんどが我々の知識でも理解できるものだ(詳細についての理解はもちろん難しいだろうが).一流の数学者が証明までに360年を費やした数式を,数学の知識がない我々にある程度分かるように説明することがどれだけ難しいか,想像できるだろうか.その点,サイモン・シンは非常に良くこの証明について理解しており,それを伝える能力に長けていたのだと思う.

 実は,この本を読もうと思ったきっかけは,大手通販サイトAmazonでおすすめの欄に出てきたから,という何とも情けない理由である.そこのレビュー欄に「難しい内容なのに,そう感じない」というコメントが多く寄せられていたので,気になって購入してしまったのである.まさにAmazonの思うつぼである.しかし実際に読んでみると,確かに内容自体は私でも理解できるものであったし,何よりも難攻不落の目標に対する数学者たちの挑戦と挫折が丁寧に書き込まれており,非常に楽しく読むことができた.興味のある方は,こういった本を通して,誰かとコミュニケーションを取る際の「空気を読む」ことについて考える一助にしていただきたい.

【TORCH Vol.031】「本から学ぶこと」


講師 後藤満枝

 この夏、ある介護実習施設を数名の学生たちと一緒に訪問した際、最後に実習指導者の方が学生たちに対してこんなことを話してくださった。「介護実習とは関係ない話になるけれども、やはり今自分が介護のこと以外に伝えられることとしたら、若いうちに本をたくさん読んだほうがよいということかな」と。

 その指導者の方は中年の男性で、若い頃はあまり本を読むことが好きではなかったそうだが、あるときから本を読むようになったとのことだった。仕事をするようになるとなかなか本を読む時間がとれなくなったりするが、休みの日など一気に読むこともあるという。「本から学ぶことはそんなに多くはないかもしれないが、ただ、こういう考え方もあるんだなという一つの参考になることはあるよ」と、控えめにおっしゃった。

 「こういう考え方もある」と知ることは読書の魅力の一つでもあり、本から学ぶことでもあると考える。もっともそれ以外にも本から学ぶことはたくさんあるとも思うが。

 恥ずかしながら、私もこの指導者の方のようにこれまでそれほど多くの本を読んでこなかったし、むしろ普段本を読むことは少ないほうだが、「こういう考え方もあるんだなあ」と学ぶことのできた1冊の本がある。

 それは、河合隼雄氏のエッセイ『こころの処方箋』である。河合氏は臨床心理学者で、生前、文化庁長官も務めていた人物だ。

 私がこの本に出会ったのは高校生の頃である。高校時代の国語の先生が、最近買った図書としてなかなかよかったからと貸してくれたのだった。この本は当時は単行本として販売されていたが、現在は文庫本として店頭に置かれているようだ。読むと心が軽くなるような生き方のヒントとも言えるようなことが書かれてあり、55の章(篇)から構成されている。55章(篇)というと長そうに感じられるかもしれないが、1つひとつの章(篇)は単行本の場合4ページずつにまとめられているので非常に読みやすく、当時、私はわりと一気に読むことができたことを覚えている。その日のペースに合わせてきりの良いところまでちょっとずつ読んでいくのも良いだろう。この借りた本は読み終わってから先生に返却はしたものの、自分でもひそかに1冊購入し、現在も手元に置いている。ふとまた読んでみようかと思わせてくれる1冊だ。

 河合氏自身があとがきで述べているように、この本に書かれていることは、時に「もともと自分の知っていたこと=腹の底では知っていること」でもあったりする。だが、改めて指摘されると「フムフム」「なるほど」「たしかに」と、妙に説得力があるのだ。例えば、自分が何かに行き詰まったり抱えたりしている事柄があった場合などに、そっと肩の荷をおろしてくれる「目からうろこ」のような考え方、心を軽くしてくれるような言葉が55章(篇)の中からきっと見つかるだろう。

 おそらく河合氏の考え方には賛否両論あるのではないかと思われるのだが、人の考え方はそれぞれなので、こういう考え方もあるのだなあと、一つの参考に、何か課題を乗り越えるための手がかりになればそれでよいと思う。

 55章(篇)のうち河合氏も特に好んで使用されていたとされていたのが、『ふたつよいことさてないものよ』という言葉であり、私もこの言葉がとても印象に残っている。

 この「『ふたつよいことさてないものよ』というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ」そうだ。世の中うまくできていて、「よいことづくめにならないように仕組まれている」という。

 また、この言葉は、「ふたつわるいこともさてないものよと言っているとも考えられる」と河合氏は述べている。「何か悪いこと嫌なことがあるとき、よく目をこらしてみると、それに見合うよいことが存在していることが多い」という。

 そして、この言葉はもう一つの見方ができるという。「さてないものよ」と言って、ふたつよいことが「絶対にない」などとは言っていないところが素晴らしいというのだ。ふたつよいことも、よほどの努力やよほどの幸運、またはその両者が重なったときなど、条件によってはあることもあるが、幸運によることのほうが多いようだ。「幸運によって、ふたつよいことがあったときも、うぬぼれで自分の努力によって生じたと思う人は、次に同じくらいの努力で、ふたつよいことをせしめようとするが、そうはゆかず、今度はふたつわるいことを背負い込んで、こんなはずではなかったのに、と嘆いたりすることにもなる」という。

 「ふたつよいことがさてないもの、とわかってくると、何かよいことがあると、それとバランスする『わるい』ことの存在が前もって見えてくることが多い」ともいう。こうした「法則」のようものを知っておくことによって、私たちはそれなりの覚悟や難を軽くする工夫をしてあらかじめ備えておくことができるということが述べられている。

 今回紹介したこの言葉以外にも「なるほど」とうなずける言葉はたくさんあったが、その中でも私が特に印象に残っている章(篇)の言葉を最後に5つ紹介させていただく。

「イライラは見とおしのなさを示す」
「100点以外はダメなときがある」
「やりたいことは、まずやってみる」
「二つの目で見ると奥行きがわかる」
「『知る』ことによって、二次災害を避ける」

 もし今回紹介したこの本に興味を持たれた方がいれば、「こういう考え方もあるのだな」ぐらいの感覚でご一読いただき、参考にできそうなことがあれば、今後生きる上でのヒントにしていただければ幸いである。

【単行本】河合隼雄著『こころの処方箋』 新潮社 1992
【文庫本】河合隼雄著『こころの処方箋』 新潮文庫 1998

【TORCH Vol.030】「生きること・死ぬこと」


准教授 庄子幸恵 

 「死生観」という言葉がありますが、20歳前後の大学生の皆さんには「死」を意識する機会はまだそんなにないと思います。ただ身近なところでは、2年半前の「東日本大震災」で多くの人々が震災による死に直面したことや、家族や友人など大切な人々を失ってしまったことで、多くの人々が「死」ということを考えざるを得なかったことと思います。

 今回皆さんに紹介するのは「僕の死に方-エンディングダイアリー500日」という本です。これは流通ジャーナリストの金子哲雄さんが「肺カルチノイド」という、癌の中でも数千万人に一人という悪性の癌の中で最も治療が難しいとされるタイプの癌の告知を医師に受け、そして亡くなるまでの500日間の闘病中に自分が感じたこと、また死への準備や現代の癌治療の実際と限界を生々しくつづった本です。

 私は仙台大学に来る前に8年間病院の看護師としてがん看護に携わってきました。その中で肺がんの手術を受けた人、抗がん剤の治療で吐き気がひどくみるみるうちにやせ細ってしまった人、乳がんの術後に片腕が腫れ上がり、パンパンになって苦しむ人、白血病でまだ小さい子どもなのに一生懸命無菌室で治療をがんばっている子どもたち・・・、たくさんの人が癌で苦しむ姿を見てきました。当時はまだ、告知が一般的ではなく、家族と本人が希望するときのみ告知がされている時代でしたので、最後まで自分が何の病気にかかっているかを知らずに亡くなる人も多くいました。毎日のように人が亡くなっていく病棟の中で私は「死」に対して向き合わざるを得ないということを日々感じていました。

 金子さんは癌が見つかったとき、すでに肺や肝臓、骨にまで癌が転移していたため、大病院の医師たちは「残念ながら、私たちには何もすることがありません。あとはできるだけ苦しまないよう、痛み止めやせきどめのお薬で様子を見ていきましょう。」という言葉で金子さんに終末医療、つまりホスピスへの入院を勧めます。金子さんは言います。「大病院は、自分の病院の治癒率を下げたくない。したがって日常的に、治癒する可能性がある患者が優先されるということなのだろう。治癒する可能性が低い患者は、極端な話、邪魔者でしかない。医者から匙を投げられ、死を待つのみの人生。それを私はどう過ごしていったらいいのだろうか。」この時の金子さんの絶望感、未来からの断絶、自分の目の前が真っ暗な闇となってしまったような現実はどんなに苦しかったことでしょうか。

 しかし、この後金子さんはゲートタワーIGTクリニックの堀医師と出会うことで「血管内治療」という希望を見出します。「咳、おつらかったでしょう。」とはじめて堀医師にかけられた言葉に号泣し、「はじめて人として患者を診てくれる先生と出会えた」と語っています。

 そして、この本の中では献身的に金子さんを支える奥様の稚子さんの姿が取り上げられています。がんは患者本人だけでなく家族にも痛みと苦しみを与えるものなのです。
 残念ながら、この後治療及ばず金子さんは41歳の若さで急逝します。それまでに自分の葬儀とお墓の準備をすべて行い、この本の出版を奥さんに託し亡くなっていくのです。

 正直、このことを知るまで私は金子哲雄さんが嫌いでした。テレビで金子さんが出て、甲高い声で「お買い得情報」を流していると、「ああ、またあの軽薄な経済なんたらが出ているんだー。」となかば軽蔑のまなざしで彼を見ていたのです。

 この本は「死」という重いテーマを取り上げていますが、装丁は明るいオレンジ色(金子さんのシンボルカラー)の表紙を使い、そこかしこに金子さんの想いや気配りが感じられます。内容も「癌と死」ということを取り上げながらもとても読みやすく、ぐいぐいとひきつけられ最後まで一気に読める内容です。今は特に夏休み、若い学生の皆さんにもぜひ読んでいただきたい本です。「死」を考えることで「生きるとは何か」についても逆に考えることができると思います。この機会にぜひどうぞお読みください。

<参考・引用文献>

  • 金子哲雄 「 僕の死に方 エンディングダイアリー500日 」 小学館 2012年

【TORCH Vol.029】粋なプレゼント~『人生の地図(The Life Map)』~


助教 柴田恵里香

 これまでに、何度か本をプレゼントされたことがある。
 誕生日に2回、そして退職時に1回。

 勝手な思い込みかもしれないが、本は他のプレゼントと一味違う。
 贈り主が主張したいこと、贈られる側に向けられたメッセージ、その本から読み取れるものなど、はっきりと用途が分かる「モノ」とは違って、本にはあれこれ推察や想像をさせてくれる楽しみがある。しかも、これは長年に渡って楽しめる場合が多い。

 今回は、そのような楽しみをいまだ提供してくれている1冊にまつわる話をしたい。

 本というよりは写真集と言った方がいいかもしれない。『人生の地図(The Life Map)』という1冊だ。表紙には、ゴーグル付ヘルメットをかぶって顔をピエロのようにペイントした男の子の白黒写真がデカデカと登場している。この本を贈ってくれたのは、私が大学卒業後から5年間勤務していた会社の先輩で、仕事のみならず人生相談などよく面倒をみてくださった方だ。その先輩は、仕事を120%こなしつつも組織に染まりきらず自分の信念をしっかりと持ち続け、一方ではおやつを目にすると目を輝かせるお茶目な部分も持ち合わせ、さらにはプライベートで奥さま・息子さんと仲の良い素敵な家庭を築かいており、結婚するならこのような人!と周囲の女性社員から人気が高かった。私が会社を離れ、大学院という全く別な道を歩もうとしていたときに贈られたのがこの1冊だった。

 「もう僕は身動きが取れないけど、君はここに留まっているような人間じゃない。色々もがいて、また話聞かせてもらえるのを楽しみにしているよ。」

 当時、新たな世界に踏み出すことで希望に満ちあふれていたので、通常は人生に悩み、立ち止まったようなときに読むことが想定されるこの本を上記のような言葉と共にプレゼントされたことに少し違和感を覚えた。この本は、「欲求」「職」「パートナー」「選択」「行動」「ルール」「物語」というパートに分かれており、それぞれ短いフレーズや著名人の言葉がインパクトある写真と共に記されている。正直、その頃は飛び込もうとしている世界に浮かれ気味だったので、本の言葉はそこまで響くことがなかった。そのため、当時の私にとっては、この本が私への応援メッセージというよりは、今後も同じ会社で働き続ける先輩の心境を表しているように感じた。

 しかし、大学院に通い始め進路に迷ったり、現在教員という職に就き戸惑ったりするときに、改めてこの本に目を通すと、その時々で何か引っかかる、心に響く言葉が違うことに気づかされる。昨今デジタル化が進み、情報や資料を流し読みしてしまうことが多い。しかし、本は手元に置いておけば何年経っても簡単に読み返すことができる。ましてや他人からの贈り物だと、思い出と共に何度も楽しむことができる。先輩から本をもらってもう5年以上になるが、改めて粋なプレゼントだったなぁと感じる。

 最近読み返していて、納得させられるフレーズを2つだけ紹介して終わりにしたい。これは、今後社会に出る大学生にとってもシンプルで、トンと背中を押してくれる言葉ではないかと思われる。

 「自分の仕事を嫌ってるようなクソッタレだけにはなりたくない。」
 「必要なのは勇気ではなく、覚悟。決めてしまえば、すべて動き始める。」

 仕事の愚痴をこぼすくらいなら、覚悟して行動し、愚痴を言わなくて済むように自ら環境を変えていけばいい。先輩から本をプレゼントされ、数年後にこの本を読み返したときにふと思ったことだ。デジタル化だ、グローバル化だと世界は複雑になりつつあるが、たまにはこのような写真や短いフレーズが中心のシンプルな本に触れてみるのも悪くない。もちろん、誰かにプレゼントすることも含め。