2014年7月24日木曜日

【TORCH Vol.058】 池井戸潤 『ルーズヴェルト・ゲーム』 ~企業スポーツのエンタメ参考書~

高成田 亨

日本のスポーツを大学とともに支えてきた企業スポーツの歴史や現状、今後のあり方を学ぶ「企業スポーツ論」という講義を続けている。ある日の授業のあとで、「先生が話しをしていたのと同じような話がこの本に書かれています」と言って、紹介されたのが池井戸潤の『ルーズヴェルト・ゲーム』(講談社文庫)だった。

早速、本屋で買い求めてわかったのは、この作家が「倍返し」で話題になったテレビドラマ「半沢直樹」の原作者(原作は『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』=いずれも文春文庫)であり、2011年には『下町ロケット』(小学館文庫)で直木賞を受賞した人物で、受賞後の第1作として2012年に刊行されたのがこの作品ということだ。

直木賞といえば、芥川賞と並び、文学界ではもっとも権威のある賞だけに、直木賞作家となった池井戸氏が相当に力を入れたものだと想像できる。実際、読んでみると、その筋書きの面白さにつられて一気に読んでしまった。

中堅の電子部品メーカーである青島製作所は、創業者が熱心な野球ファンで、自らも企業内に野球チームを設けて、支援してきた。しかし、ライバル会社のミツワ電器に監督と主力投手や打者を引き抜かれ、成績不振に陥ったところに、2008年のリーマンショックで会社本体の経営も苦しくなり、野球部の存続も危うくなる。

そこで、風前の灯火(ともしび)となった野球部を再興するために立ち上がった男たちがこの物語のヒーローたちで、次々に襲いかかる危機と、その後の逆襲というか「倍返し」は、はじめからテレビの連続ドラマを意識したようなで展開になっている。作者の思惑通り、2014年4月から6月までテレビドラマとして放送されたというから、ご覧になった人も多いのではないか。

★企業スポーツの歴史
日本の企業は、西欧の文化であるスポーツが我が国に紹介された明治以降、企業内にスポーツチームをつくり、その競い合いのなかで、日本のスポーツ全体の水準を国際レベルにまで高めてきた。その成功例のひとつが1964年の東京オリンピックで、紡績会社ニチボー(現ユニチカ)の企業チーム「ニチボー貝塚」の選手を主力とした女子バレーボールが金メダルを獲得した物語だ。

日本で企業スポーツが発達したのは、社員の福利厚生の一環として、従業員によるスポーツチームを積極的に支援したためだが、戦前は労働運動のエネルギーを企業スポーツに向けさせたり、戦後は企業の名前をPRする広告塔としての役割を課せられたりした。さらに企業は経営者が父、従業員が子どもの家族という家族主義の経営が社会に受け入れられ、その家族統合のシンボルとして企業スポーツが使われてきた。

しかし、1990年代にバブル経済が崩壊すると、企業チームを養うだけの財力がなくなったうえに、従業員を大事にする家族主義ではリストラができないとして、企業スポーツは次々に廃部の憂き目にあってきた。2000年代に入ると、廃部の動きは目立たなくなったが、リーマンショックとともに、再び企業スポーツを廃部にする動きが目立ってきた。

この小説の時代設定も、企業スポーツにとっては最後の逆風ともいえるリーマンショックのころで、企業が懸命に生き残り策をさぐるなかで、企業スポーツに何が求められたのかがよく描かれている。この題名は、世界大恐慌から第2次大戦にかけて米国の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(1882~1945)が野球でいちばん面白いのは8対7のゲームだと語ったというエピソードが小説のなかに出てくるので、そこからとったものだろう。

★日産自動車硬式野球部
企業スポーツの現実は、ルーズベルトゲームどころか、経営者の鶴の一声で完封負けというところが多かったが、それでも小説的な展開を見せたという点で思い出されるのは都市対抗野球で活躍した日産自動車の野球チームだ。

1959年に神奈川のチームとして産声をあげた日産自動車硬式野球部は、社会人野球の甲子園ともいえる都市対抗野球に29回の出場を誇る強豪で、1984年と1998年の2度にわたって優勝し、その栄冠である黒獅子旗を獲得している。1999年、悪化する会社の経営を立て直すために、提携先のルノーから「コストカッター」の異名で送り込まれてきたのがカルロス・ゴーン社長だ。

大胆なリストラを進めるゴーン氏のもとで、野球チームも存続が危ぶまれたが、この年の夏の都市対抗野球大会で奮戦する自社のチームを観戦したゴーン氏は、スタンドを埋める応援団の盛り上がりに感銘を受け、直後の記者会見で「都市対抗野球こそは日本の企業文化の象徴」と語り、野球部の存続を明言した。

残念ながらリーマンショック後の2009年、野球部の廃止が決まり、企業スポーツとしては、最後に逆転負け気を喫したが、強引なコスト削減を進めたゴーン氏ですら、野球チームを切ることが難しかったわけで、日本の企業文化における企業スポーツの重要性を物語るエピソードだろう。

★企業スポーツの参考書
この小説の結末がどんな展開になったかは、小説を読んでいただくしかないが、日本の企業スポーツが置かれた最近の状況をわかりやすく、そして面白く解説する参考書として、みなさんには本書を薦めたい。企業スポーツ論を講義するのなら、このぐらいのエンタメ精神がなければ、学生はついてきませんよ。本書を私に紹介した学生の真の意図は、そんなところにあったのかもしれない。スタンドを沸かせるどころか眠らせるのを得意とする私自身の授業ゲームにも、大いに参考になったと、告白しておこう。