2018年12月14日金曜日

【TORCH Vol.112】宇宙は足元にある ~『荒野に叫ぶ声 女収容所列島』(雫石とみ著、1976年)~


スポーツ情報マスメディア 准教授 日下三男

 

冬の電車に乗ると、車窓に息を吹きかけると文字や絵が現れるときがある。先の週末に乗ったJR仙石線がそうだった。向かい側の長いシートに親子だろうか、母親と小学男児が並んで座り、共に窓に漢字を書いては消し、また書いては息をハーハー吹き掛けている。「これが『上』、こっちが『下』」「『上』はこうで、『下』はこう?」「そうそう、もう一回」…。



電車で見た光景を、その夜、石巻駅近くの居酒屋で落ち合った旧友に話した。数年ぶりに実家に帰ったという旧友は「さすが仙石線だ。電車の窓が黒板か。考えてみりゃ、勉強なんて、どこでもできるからな」と感心した後、すぐに「そういえばシズクイシさんのこと覚えてるか? シズクイシさんの賞、ついになくなるんだぞ」と言い、寂しそうな表情を見せた。シズクイシ? その名を呪文のように唱えてもすぐには思い浮かばなかった。深酒がもう記憶の古層にまで染み入っていた。らちが明かない飲んだくれをおもんぱかってか、旧友はそれ以上その話題には触れなかった。



「誰だろう」。帰りの電車で酔いをさましながら、気になった名をふと車窓に書いてみた。当てずっぽうに、何となく岩手の地名を思い出して「雫石」と。息を吹きかけてみた。



雫石とみ。1911(明治44)年、宮城県桃生郡深谷村(現石巻市)の貧しい農家に生まれた。地元の広渕小を出て奉公に出た。両親の病死をきっかけに20歳で上京。社会の底辺をはうように生き、65歳のときに自身の生涯をつづったノンフィクション『荒野に叫ぶ声 女収容所列島』(社会評論社)を著した。

戦前に建設作業員と結婚し3人の子に恵まれた。幸せは昭和20年の東京大空襲で暗転する。家族4人を失い、一人上野の山に逃げ込んだ。しばらくはたばこの吸い殻を拾い集めて食いつないだ。さまよい続けて10年。ようやく母子家庭から老人まで約1000人収容の寮に入ることができた。公的施設は名ばかりで、女たちは職員たちに愚弄された。それでも雫石は職安で工事現場の雑仕事を得た。寮には寝るに帰るだけだった。毎日へとへとだったが、ある一つだけ欠かさなかったことがある。日記をつけた。新聞の折り込みチラシの裏や薬袋の余白に思いのたけを書いた。小説のような、手記のような、詩のような、そんな文章だった。

46歳のとき、職安でたまたま文芸作品を公募するポスターを目にする。短編の原稿を送ってみた。入賞した。4年後にはコツコツ貯めたお金を元にして埼玉県に土地を買い、2畳一間の家を建てた。掘っ立て小屋に近い。仕事の方は相変わらず日雇い暮らしとはいえ、時代が東京五輪を控えて建設ラッシュ。忙しかった。体はついに悲鳴を上げた。入院したベッドで書いたのが『荒野に─』である。齢は65を重ねていた。

 雫石の生涯で目を見張るのは、実はこの後である。76歳になった1987年に家や土地を売り払い、総額2800万円で基金をつくり「銀の雫文芸賞」を設けた。200391歳で没してからも「NHK銀の雫文芸賞」と名を変え、「高齢社会をどう生きる?」というテーマで文学界にささやかながらも息吹を注ぎ続けた。

しかし、第31回を迎えた今年、使命を終えたとして作品公募が終わった。



 石巻の旧友とは高校時代に知り合った。共に公立校の受験に失敗し、自暴自棄になっていた。入学した仙台市内のミッション・スクールにはほとんど通わず、2人で他校の仲間とロックやジャズのバンド活動に明け暮れた。ある日、3年生の秋だったろうか、もうすぐ定年を迎えるだろうという進学担当の先生からわれわれに呼び出しがあった。定まらない志望校や将来の夢などを聴かれた。明確な未来図を持たなかった私は「何にもなりたくないんです。特にやりたいものもありません。勉強? 強いてあげれば星が好きなので天文学でしょうか」と答えた。隣に座った友人は「私も星は好きです。ロックスターを目指します」と言い放った。先生は怒るどころか熱心に資料を調べた後、静かに口を開いた。「天文学は東北大にはない。専門の先生がいるのは東大と京大ぐらいしかない」「ロックスターもいいが、音楽を系統立てて勉強するのもいいんじゃないか。音大という道もあるぞ」。こう言いながら先生は自身の机の引き出しから一冊の本を取り出して私たちの前に差し出した。その本が『荒野に─』だった。「いいか、宇宙なんてものは空の上にだけあるんじゃないぞ。もっと足元を見てみろ。この本は君たちにやる」。先生の懇願するような眼を今でも覚えている。

 あのとき本を回し読みした2人は少しだけ大人の階段を上ったような気がする。空に夢を見ていた「井の中の蛙」はやがて、大学で「天」の1字が足りない学部に進み新聞記者となった。一方、友人はもめごとや争いごとが絶えない喧騒たる社会を法理で解こうと弁護士となった。振り返れば、それぞれのフィールドには果てしない宇宙が広がっていた。空は青く、深いものであった。



 電車は終着の仙台駅に近付いていた。雫石が歩んだ道のりをあらためて考えていると、彼女の生前の口癖を思い出した。「読み書きは一生の宝」「一行でも書けばいい」。なぜだか「お前はどうだ」という声がどこからともなく聞こえた。車窓の向こうの闇に向かってため息が出る。たちまち窓ガラスは曇り、さっき書いた「雫石」の字が浮き出た。そして消えた。

思えば、教員の仕事は窓に息を吹きかけることに似ている。見えない問題に光を当て、隠れている才能を引き出す。駅のホームに降り立ち夜空を見上げると、いっぱいの星が瞬いていた。