2018年9月19日水曜日

【TORCH Vol.106】野地秩嘉(2011)TOKYOオリンピック物語, 小学館


 

 体育学科  講師  荒牧 亜衣

 


本書は、15年にわたる取材執筆の後、2011年に出版されたものである。その視点は、「大会を裏で支えた人たち」に置かれている。それは、オリンピック競技大会でメダルを獲得した選手たちでもなく、現在、1964年東京大会の遺産として評されているようなインフラ整備に取り組んだ人々でもない。

 まえがきにおいて、野地は以下のように述べている。



 そこで活躍した人々は、従来の仕事のやり方にとらわれることなく、自己変革を繰り返しながら目的を達成した。他人まかせにして、いつかは問題が解決する、いつかは景気がよくなると念じていた人間ではない。腹を据え、バカになって突っ込んでいって、活路を開いた人々だ。



 1964年東京大会の公式ポスターを手がけたグラフィックデザイナーの亀倉雄策、競技結果速報のためのシステムを導入した日本IBMの竹下亨、オリンピック村料理長を務めた帝国ホテルの村上信夫、大会の警備を請け負ったセコム創業者の飯田亮、記録映画の総監督を務めた市川昆。彼らがどのような姿勢でこの一大プロジェクトに取り組んだのか。本書で描かれるのは、困難と思われることにも果敢に挑戦し、それぞれの分野において新たな道を切り開いた人たちの姿である。ここで語られる1964年東京大会は、当時は存在しなかった職業、業界、システム等々を構築した現場であり、そこからまた何かが始まるスタートラインでもあった。

 例えば、亀倉は1964年東京大会の閉会式のことを覚えていないという。オリンピック競技大会のポスターによって彼の名前が広く知られるようになり、次々と新たな仕事が舞い込んだからである。「大会を裏で支えた人たち」のその後の功績は、現在を生きるわたしたちの意外と身近なところに存在している。1964年東京大会で標準化されたといわれるピクトグラム、銀行のオンラインシステム、民間の警備会社。どれも今のわたしたちにとっては<あたりまえ>のものである。1964年東京大会が開催されなくてもいずれは登場していたであろうが、これらの<あたりまえ>が誕生するきっかけや機会を提供し、あるいはそれを加速度的に成長させた要因がオリンピック競技大会であったことは興味深い。

 2020年東京大会開催決定も相まって、近年、「大会を裏で支えた人たち」は本書だけでなく、テレビメディアでも様々な形で取り上げられるようになった。時には、彼らの仕事によってのこされたものをオリンピック競技大会のレガシーと指摘したり、遺産として一括りに整理したりすることもある。一方で、今一度私が「大会を裏で支えた人たち」に問うてみたいことは、彼らにとってのオリンピックとは何だったのかということである。

 4932433349。これは、上述した本書の登場人物たちの1964年東京大会当時の年齢である。2020年東京大会を当時の彼らと同世代で迎える私は、一体何ができるのだろうか。

2018年8月30日木曜日

【TORCH Vol.105】これからの日本について考えよう~新しい視点からのアプローチ~


現代武道学科 助教 川戸湧也


 私は「常識」や「当たり前」、「普通」といった言葉が好きではありません。誰にとっての常識なのか、なぜ当たり前として認知されているのか。自分の知らないところで物事を決められていることに長らく納得することができませんでした。

例えば、身近なところでいうと、「婚約指輪は給料3か月分!」という言葉を聞いたことはないでしょうか?結婚をするとなると新居の準備などでお金がたくさんかかります。そのような時期であるにも関わらず、給料3か月分を指輪につぎ込むのはなぜなのでしょうか?そもそもなぜ指輪なのでしょうか?

「良し悪し」の問題とは別で、「なぜそう決まっているのか?」ということに対して「勝手に決めてんじゃねぇよ」という思いがありました。



 私が紹介する『日本再興戦略(落合陽一著,幻冬舎)』には、「日本」がどのように形成されてきたか、そしてこれからどのようにアップデートしていくかということが書かれています。上で具体例として挙げた婚約指輪もそうですが、私たちが自然と持っている価値観が何に由来するものなのか、それがどうやって広まったのかという点について記されています。著者はテクノロジーの専門家でホログラムの研究者です。さらにメディアアーティストとしても活躍している方です。「現代の魔法使い」や「平成のレオナルドダヴィンチ」とも呼ばれています。著者の深く幅広い知識から生み出された文章は、私たち日本人がこれまでどのように歩んできたか、またこれからどこに向かって歩むべきかを示してくれています。


 大学は最後の教育機関です。大学を出た後、どのように人生を送るかは学生諸君によってさまざまかと思います。少なからず、この本は人生を送る上でのヒントになると思います。大学生の今だからこそ、読んでもらいたい本です。


2018年7月17日火曜日

【TORCH Vol.104】競技者とピアニスト 〜からだを使った自己表現はどのように行われるのか?〜


体育学科 教授 名取英二

 

 ★「ピアニストは指先で考える/青柳いづみこ(2007年中央公論新社)」

 「親指、爪、関節、耳、眼、足・・・。身体のわずかな感覚の違いを活かして、ピアニストは驚くほど多彩な音楽を奏でる。そこにはどのような秘密があるのか?鋭敏な感覚を身につけるにはどうすればよいのか?演奏家、文筆家として活躍する著者が綴る、ピアニストの身体感覚とは。」

 というコピーを新聞の隅に見つけた瞬間、これはかけっこにつながるかもと直感し急いで購入したものの、いつものように積読。読みたいな、読んでみたいなと思いながらも積読継続中だったものを、ブログ投稿の依頼を受け慌てて読んで見ることにした。

 

 ピアニストであり文筆家でもある著者が「ムジカノーヴァ」という音楽雑誌に連載したエッセイをまとめたもので、基本的にピアニストのことが綴られている。内容は音楽についての専門的なことを中心に、ピアノの演奏技法やいろいろなピアニストの特徴、作曲家のエピソードなどなど。文化とは何か、芸術とは何かを、ヒトを核とした様々なエピソードを用いて考えさせられるものとなっている。

 

 ピアニストは身体感覚を身につけるために、からだの緊張や脱力の練習をする。骨盤を中心とした姿勢づくりをする。ピアニストも姿勢が大事なのだ。かけっことおんなじ。「足の裏に大地を感じてすくっと立つというのが、なかなかむずかしいのである。骨盤が正しい位置におさまっていいないために、横から見るとお腹がぽこっと出てしまう。先生はひとりひとりの後ろにまわって、骨盤を正しい角度になおし、胸とお尻がSの字を描くように矯正していった」

 

 ピアノの演奏技法のいくつかは、「実際の演奏で使う場合とトレーニングとして使う場合に分けて考えなければならないだろう。太股を高く上げて走るトレーニングを積んだ陸上競技の選手が実際のレースで必ずしも同じ姿勢で走るとは限らないように、自然に指を伸ばして弾いているように見える人でも、練習のときはどちらかのハイフィンガーを取り入れて訓練しているかもしれない。」パフォーマンスを発揮するためのトレーニングと、発揮の実際が違うことがあることを再認識。

 

 「暗譜のプロセスには視覚的、聴覚的、運動感覚的、頭脳的・分析的の4つの要素があり、それぞれの役割は演奏家によって異なるという。」「運動的に覚えるのもひとつの手だが、危険なこともある。しばしば運動が微妙にずれるからだ。200511月にメルボルンで開かれた体操の世界選手権で個人総合優勝した冨田洋之選手は、会場で使われた器具の反応が日本で使っているものと違うので、ずいぶん苦労したと語っていた。ピアノも同じで、あまり運動に頼りすぎると、ちょっとした鍵盤の跳ね返り具合、戻り具合の違いで記憶まで飛んでしまうことがあるから気をつけなければならない」覚えた運動が微妙にずれるのは、器具などの影響が大きいのか?うまく走れなかったときに考えてみよう。

 

 ピアノを演奏するのもかけっこするのも、からだを使った身体表現にほかならない。うまく使うためには、①良いコーチとの出会い②相応のトレーニングを積む③時に自己をしっかり主張し、時にコーチの指導を素直に受ける④知的に思考できる⑤豊かな感性と先見性を持つことなどが重要 など、かけっこをしている時に学生たちに話をしていることと、ピアニストにとって大切なことが共通だということ、からだを使った自己表現に違いはないのだと強く感じた。

 

それにしても驚かされたのは、ピアノやバイオリンをしっかりトレーニングすると「指が伸びる」のだそうな。かけっこでも足が伸びるのかな?誰か調べてみてください。

 

(「 」内はすべて本書からの引用)

2018年6月19日火曜日

【TORCH Vol.103】「先生」のため?「子ども」のため?

講師 渡邉泰典  



 ここに「開かれた学校の功罪 ボランティアの参入と子どもの排除/包摂(武井哲郎著,明石書店)」という一冊があります.本書は著者武井哲郎氏が数々のフィールドワークを通して,学校と家庭・地域の関わり方について講究した全7章の構成になっています.まえがきを読み始めると,なるほど,著者の問題提起はクリティカルで,各章で次々に提示される課題とそれに対する論考は随所に示唆に富んでいます.
 もしかすると,このブログの読者である学生の皆さんもボランティアとして学校における教育活動に参加している方もいらっしゃるかもしれません.それでは,子どもの学びや育ちにとって有効な「開かれた学校」とはどのようなものなのでしょうかと尋ねてみたとします.実際にボランティアとして活動に参加する皆さんにあっては,「そんなの,学校からの依頼に基づいて活動することが子どものためになるでしょ?」とでも答えるでしょうか.あるいは,「現場の先生たちが担ってきた雑務を保護者・地域住民のボランティアが肩代わりすれば,教職員が子どもに向き合える時間が確保されるよ!」とでも考えるでしょうか.確かに,それらが子どもたちの学びや育ちに一定の意義を持つことは否定できませんが,これはむしろ「先生のため」になることとして取り組まれていることではないでしょうか.本書は,「先生のため」に活動することが必ずしも「子どものため」になるとは限らない,というところから物語がスタートします.今日,こうした学校に関わるボランティアに暗黙の前提条件として存在する学校と家庭・地域の対立なき関係は,子どもの最善の利益を守るという目的を前にしては,時に対立をも辞さない姿勢で各々の関係性を再構築することの必要性に気づかされます.




 本書は,ボランティアの拡大には「動員」という罠が隠されていること,そしてそのボランティアが現場の教師と同じ価値や規範を共有し,自省性―再帰性(現状とは別様の可能性を探ろうとすること)を持ち合わせていなければ,かえってボランティアの参入が教室内の差別や排除の構造をより強固なものとする様子が生々しく記されています.

本書は,インタビューを通して,実際に現場で活動に参加しているボランティアの方の葛藤や苦悩の様子が,当事者たちの語り口調そのままに記されており,かなり多くのページが充てられていますので,全体的に読みやすいと思います.これから教育の現場に立とうと志し,一心に採用試験に向けて勉強している学生の皆さんには,コーヒーブレイクタイムにでも是非一度,手に取って読んでほしい一冊です.

2018年6月14日木曜日

【TORCH Vol.102】「一投に賭ける」



体育学科スポーツコーチングコース

陸上競技部 投てきコーチ 

宮崎 利勝


 私は陸上競技の投てきを専門としています.日本人で投てきといえば,アテネ五輪の金メダリスト,室伏広治選手を思い浮かべる人が多いと思います.しかし,室伏選手が世界トップで活躍する以前に,投てき競技において世界と肩を並べて活躍していた日本人がいました.本書はその人,溝口和洋選手のやり投げを記したものです.

 1989年,溝口選手はやり投げで8768を投げました.当時の世界記録を2センチ上回る記録です.場内に世界新記録樹立がアナウンスされましたが,なぜが再計測….再計測の結果は8760.当時の世界記録(8766)に6センチ足りない記録となりました.「幻の世界記録」となりましたが,世界トップの実力を示し,その後も世界の舞台で活躍をしました.

 この本の中では,溝口選手がやり投げという競技にどのように向き合ってきたかが,本人の言葉で表現されています.

 例えば,

『「やり投げ」を考えるだけで,これまでのトップ選手のフォームが脳に焼きついてしまっているので,偏見から抜けきらない.そこで私が考えたのは,「全長2.6m,重さ800gの細長い物体を遠くに飛ばす」ということだ.』

これはトップ選手の真似をするのではなく,自身のやり投げを作っていく過程での言葉で,他にも投げの動作を『やりを保持して全力で走り,車に衝突するイメージ』などと独自の表現をしています.自由な発想,独自の視点を持ち,自身のやり投げを極めていきました.

また,溝口選手は体格で欧米人よりも劣る分,ハードトレーニングを積み重ねたことでも有名でした.

12時間ぶっとおしでトレーニングした後,23時間休んで,さらに12時間トレーニングすることもあった』

『他の選手の3倍から5倍以上の質と量をやって,初めて限界が見えてくると私は考えている』

私も知人から聞いたり,記事を読んだ事がありますが,本当の壮絶なトレーニングを自分に課していたそうです.

記録を残すために想像を絶するトレーニングを課す課程はなかなか真似のできることではないと思いますが,世界トップクラスまで上り詰めた溝口選手の生き様は,現在部活動に取り組んでいる学生の皆さんにもぜひ読んでもらいたいと思います.

 






                          





2017年10月19日木曜日

[TORCH Vol.101]「ラーニング・コモンズに集う電子ジャーナル編集長、勉学に励む学生、そして将来を担う幼児達」

                                 柴原茂樹
     
    小学生の頃、探偵小説や冒険小説に夢中になっていました。そのおかげで、熱帯地域には恐ろしい熱病であるマラリアが猛威を振るっていることを知りました。以来、マラリアは私の興味の対象であり、講義で赤血球関連の話になると熱が入るのはそのためです。なお、マラリア原虫は肝細胞経由で赤血球に寄生し、脳マラリアなどの重篤な合併症を惹起します。事実、年間約30万人の乳幼児がマラリアで亡くなっています(WHO 2015年)。 
    大学生時代もそれなりの読書家だったと思いますが、卒業後、読書量は激減しました。現在、読むのは研究に関連する文献、他人が書いた投稿論文、及び週刊誌Natureだけです。よって、本ブログを書く資格は無いのですが、折角の機会を与えて頂きましたので、長年従事している編集長業務、関連する諸問題、及び雑感を紹介します。卒業論文を書く学部学生諸君と修士論文を書く大学院生の皆さんに、多少なりとも参考になれば幸いです。

The Tohoku Journal of Experimental Medicine http://www.journal.med.tohoku.ac.jp/
私は、平成15年(2003年)より、月刊の英文総合医学雑The Tohoku Journal of Experimental Medicine (TJEM) の編集長を務めています。平成25年度より科学研究費助成事業 (研究成果公開促進費)「国際情報発信強化」の支援 (No. 252007) を得ている立場上TJEMを紹介させて頂きます。TJEMは、1920 (大正9) 、東北帝国大学医科大学により創刊された日本最古の国際的な総合医学雑誌です。当初より、国内外の医学研究の成果を広く世界に紹介してきました。特に、終戦直後の1946年を除き、定期的に発行され続けてきた実績は高く評価されています。創刊号から毎月の最新号を含め、TJEMの全掲載論文がweb上で無料公開されています(オープンアクセス刊行)なお、2011年の東日本大震災を契機に、防災科学をTJEMの対象領域に追加しました。東京オリンピックが開催される2020年に、TJEMは創刊100周年を迎えます
毎年、700編の論文がTJEM投稿され、そのうち約80%が海外からの投稿です。国外の研究者からこれほど支持されている国内刊行雑誌は他に例がありません。投稿論文の審査は、査読者(reviewer)、編集委員、及び編集長の連携に基づき、全員のボランティア活動として実施されます(平均査読日数:約16日)。毎年、のべ約800人の世界中の研究者に審査(peer reviewして頂いており、査読者の皆様には心より感謝しています。継続して刊行されてきた実績に加え、公平、的確、かつ迅速な審査体制が、TJEMの人気を支えています。なお、論文の採択率は20%程度であり、掲載されるのはかなりの難関となっています。

電子ジャーナルの問題点
大手の出版社が刊行する電子ジャーナルは、善意の研究者によるpeer reviewを経た論文を掲載します。そして、当該出版社は大学等(研究者)に電子ジャーナルを販売し、莫大な利益を得ています。このような現状への批判から、近年、無料でアクセス可能な電子ジャーナルが多数誕生しています。事実、毎日のように、私にも論文投稿の依頼メイルが届きます。しかし、増加する電子ジャーナルの信頼性が懸念されています。例えば、著者を食い物にするような雑誌Predatory journals”が知られています (Nature 549: 23-25, 2017)。すなわち、おざなりの審査で論文を採択し、高額の掲載料を徴収する雑誌です。一方、電子ジャーナルの信頼性を探る為に、善意の(?)専門家がイカサマ論文 Spoof paperを作成し、標的とする雑誌に投稿します。このようなSpoof paper には専門家が審査すればすぐわかるような欠陥・瑕疵が仕込まれています。もしイカサマ論文が採択されると、著者はその論文を撤回し、採択した雑誌名を公表するのです(Science 242: 60-65, 2013)Spoof paperを採択してしまった雑誌は面目を失うことになります。

論文執筆者(著者)の問題
        世界的に研究不正が大きな問題になっています。残念ながら、研究者・著者は嘘をつくのです。研究データの捏造は論外ですが、捏造されたデータを容易に見抜けるものではありません。興味のある方は、黒木登志夫(著) 「研究不正 - 科学者の捏造、改竄、盗用」 (中公新書)  をご一読ください。ご参考までに、時に経験する具体例を紹介します。
 ・剽窃(ひょうせつ): 概ね、コピー・アンド・ペーストのことです。TJEMでは、2012年から剽窃検知システムを導入し、全ての投稿論文を予め調べています。例えば、英語を母国語としない著者が、先行論文の英語表現を借用する場合です。なお、引用文献を明記し、著者自身の先行論文からの転用であっても、問題になり得ます。現在、多くの大学は剽窃検知ソフトを導入し、学位論文などにおける盗用の有無を調べています。
 ・Fake peer review: 偽の論文審査という意味です。前述のように、peer reviewは論文の質を担保する最も重要な過程ですが、そこに疑念が生じているのです (Nature 546, 33, 2017)。例えば、偽名と偽メイルアドレスを使って著者自身、あるいは仲間の研究者を査読者に推薦し、当該雑誌が推薦された査読者に審査を依頼すると好意的な評価意見が届くという仕掛けです。よって、好意的な意見であっても、油断はできません。

仙台大学が誇るラーニング・コモンズ
編集長は多様な著者達に対応しなければならず、苦労は尽きません。幸い、私の研究室はラーニング・コモンズ棟(LC棟)2階にあります。インターネット全盛の時代であっても、学生にとっての図書館の重要性に変わりはありません。近年、多くの図書館が「ラーニング・コモンズ」の機能、すなわち、学生のための学習スペースの整備に力を注いでいます。仙台大学では、図書館にラーニング・コモンズLC1階)が隣接しています。そこには机と椅子が配置され、学生諸君が、自由な議論、あるいは様々な資料を広げて学習できるようになっています。ラーニング・コモンズを活用している学生諸君を眺めると、なんとなく私も鼓舞されます。

特筆すべきは、LC1階にはプレイルーム(保育室)が隣接していることです。そこに集う幼児達の姿や声は私を癒してくれます。神経系の発達が著しい幼児期にこそ楽しく体を動かすべきであり、遊び(楽しい運動)により、子どもの健全な発育が促されます。将来、心身共にバランスのとれた社会人、あるいは研究者に育ってくれることでしょう。関連して、仙台大学が開学50周年を迎える2017年に、子ども運動教育学科が新設されたことは素晴らしいと思います。同学科の発展を楽しみにしています。

2017年10月6日金曜日

[TORCH Vol.100] 「私の読書遍歴?と最近読んだ本について」

                          現代武道学科 講師 田 中 政 孝

  私はこれまで、あまり本を読んでこなかった。強いて本を読むといえば、推理小説である。今回、書燈への投稿依頼があり、さて、何をどうしたらよいか考えたとき、まず、自分の読書遍歴?について考えてみることにした。小学校の頃によく読んだのは、アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』である。中学校以降は、朝から晩まで部活の連続で時間もなく、教科書や参考書のほかはあまり読まなかった。そして、社会人となった警察官時代は、仕事や昇任試験対策として法学関係の本や参考書等が大半であった。そんな中で、現在まで、息抜きとして時折読む本がある。それは、西村京太郎の『十津川警部シリーズ』である。テレビドラマでも放映されて、ご存じと思うが、警視庁捜査一課の十津川省三警部が主人公で全国各地を舞台としたトラベルミステリーである。 

これが学生諸君にお勧めかどうかはわからないが、私にとっては、一種のオアシスである。特に事件の謎解きと人間模様、土地柄の描写が好きで、十津川警部になりきっている自分がそこにいるのである。また、出張や旅行でその場所や列車に遭遇した時の何とも言えない懐かしさ、喜び(自己満足)は格別である。 

さて、私の読書遍歴は前置きとして、本題に入らなければならない。そこで、まず、これまで各先生方がどのような投稿をされているのかを確かめたくて、「書燈・平成29年4月1日発行版」を読んでみた。その中で、中井憲治先生が紹介している元警視庁警察官の大館和夫氏の語りを収録した『ゼロ戦特攻隊から刑事へ』という本に興味を持ったので、早速、読んでみることにした。本書の概要については省略するが、中井先生が文中で書かれておられるように「少年特攻隊員の貴重な歴史資料であるともに、刑事、そして民間人として生涯、剣道を見事に実践した記録として第一級のもの」と私も感じるとともに、大変感銘を受けた。すでに、学生諸君をはじめ、多くの皆さんが読まれていることと思うが、まだの学生諸君には、是非とも読んでほしい一冊である。 

次に、図書館の新刊コーナーで、ふと目に入ったのが『古代史が解き明かす日本人の正体』(関 裕二 著 ㈱実業之日本社)という本である。「古代史が解き明かす」というフレーズは何かロマンを感じずにはいられない。また、「日本人の正体」とくればますます興味がそそられ、読んでみることにした。本書では、日本人の正体について、世界に類を見ない「天皇」の存在。日本独自の信仰「神道」の秘密。日本人の本当の「戦争倫理」。日本人と日本がこれから「歩むべき道」。の順に歴史や日本書紀を引用しながら論じている。 

元来、日本人は、勤勉で実直であり、礼儀正しく、穏やかで、お人好しだったのではないか。太古の昔から日本人は、大自然を恐れ、崇め、祀ってきた。そして、「和をもって貴しとなす」、「大いなる和の国」として統一されたのが大和朝廷である。こうした考え方から日本人の資質や性格が形成され、美徳として伝承されてきた。16世紀において西欧人は、日本人の資質や性格を称賛している。しかし、そんな日本人が、なぜ、戦争に熱狂し、無謀な対米戦争に突入していったのか。

そして、なぜ、日本人は戦後、歴史を喪失し、日本的な信仰、考え方、立ち居振る舞いを忘れてしまったのか。何もかも欧米的なことが格好良く、正しいわけではない。「昔のままで良かったのかも?」、そして、日本人の正体とは?。これから日本人と日本が歩むべき道とは?。一読してみてはいかがだろうか。 

今、世界の人々が日本の良さに気付き、学ぼうとしている。学生諸君も「温故知新」、もっと日本の歴史、伝統文化と和の心を知り、日本の良さ、日本人の良さを知り、日本人としての誇りを持って世界に羽ばたいてほしいものである。