2020年12月2日水曜日

【TORCH Vol.127】 図書館には文化を守る役割がある

 教授 氏家靖浩 


 春から健康福祉学科に着任した50半ばのオールドルーキーです。大学の教員歴は20年を超えますし、今は立場上、学生には授業にちゃんと出席しなさい、と厳しく語るものの、若き日の自分は、それはそれはひどい大学生でした。アルバイト、草野球、読書、旅を優先し授業への出席は必要最低限といった感じでした。

 その必要最低限の授業の中のひとつに、1年次の必修科目「国文学史」がありました。月曜1時限目、遅刻は欠席扱いなので必死に出席しました。担当者は奥の細道の研究で有名な先生です。実は私はその先生の著書を既に読んでおり、授業内容は文字通り文学の歴史の基礎知識に関する概論でしたが、時折「これ、知らないでしょ?」と挟み込むエピソードはご自身の著書に関係する話題が多く、私は心の中で「オレ、知っているよ。退屈だなぁ」と思いつつ睡魔と闘って聴講しておりました。

 ところがある日の授業でその先生が突然「君たち、図書館は何のためにあるか、知っていますか?」と問いかけました。何人かの真面目な学生たちは「本を貸すため」とか「高い本は簡単には買えないので、代わりに買って貸す」といったことを答えましたが、先生は少しいらいらした雰囲気を漂わせつつも淡々と「違います」を連発しました。回答は「図書館の本当の役割は、時代の文化を守ること」と答えられたのでした。

 諸説あるのでしょうが、例えば文庫本はどんなに優れた価値や内容を持つものでも、印刷の原版が切れてしまえば印刷はできなくなり、本の形にはなりません。だから、その文庫本が流通しているうちに図書館に収蔵し、その時代の学術文化を守る役割が図書館にはあるのです、と相変わらず淡々と話されてから次の話題に移っていきました。

 電子書籍、PDF化、クラウド保存といった話題が当たり前になっている現在から見ると、ずっと昔のことのようですが、ほんの30年ほど前のこの星のリアルな話です。もはや時代劇ですね。

 ただ、とにかくこの時の私には、青天の霹靂というか、目からウロコが落ちたというか、価値観のコペルニクス的な転換というか「勉強になった、大学に入れて良かった」という熱い思いが込み上げていたのです。『時刻表2万キロ』(河出書房新社、1978年)や『時刻表昭和史』(角川書店、1980年)の著者である紀行作家・宮脇俊三氏が「鉄道の主たる任務は貨物・荷物を運ぶことであり、人間はついでに乗せているに過ぎないということを知って激しい衝撃を受けた」と記し、そのことを宮脇氏を通して私も知って激しい衝撃を受けたことを覚えていますが、それに匹敵する衝撃が走ったのが、この図書館の任務を知った瞬間でした。私も単純に図書館は本を貸してくれるところ、といった印象しか持っていなかったので、それ以来、図書館のことが話題になるたびに、文化を守る役割があるんだよなぁ・・という厳粛な思いを持つようになったのでした。これを知ることができただけでも、大学に入れて良かったと思ったものです。

 しかし、残念な私はその後、この授業の感動はあっという間に忘れてしまい、成績は低空飛行のまま卒業しました。バブル景気がまだまだ加速していた時代でしたが、私はどうしても心の病気を良い方向に向ける医療に関わりたくて精神科病院のカウンセラーとして就職しました。でも、いざ仕事としてカウンセラーをやってみると、知識不足を痛感する毎日です。そんな折、出身の大学の大学院では、社会人の経験も交えて勉強することがとても重要であるというメッセージを打ち出しており、思い切って勤務していた病院を退職し、あらためて大学院生として学生生活を送ることにしたのです。

 社会人の時の蓄えと奨学金、それにパートタイマーとして病院や福祉施設のカウンセラーとして食いつなぐことで大学院生としての生活を送る決意を固めましたが、大学院に入学して早々、大学の図書館からある情報が流れました。それは「大学院生も増えてきたので、図書館を夜も開館したい。しかし、スタッフは少ないので、夜のカウンター業務や急速に進みつつあった図書の電子化登録作業については給与を支払うので、大学院生をアルバイトとして募集したい」というものでした。

 この話を聞いて私の頭には、ふたつのことが思い出されました。ひとつは単純に「お金」であり、もうひとつはあの授業で聞いた「図書館には文化を守る役割がある」という言葉でした。実利と名誉のふたつの思いから早速応募しました。しかし、応募者が多数なので、あとで図書館長が面接をして採用する人を決めます、とのことでした。

 後日、私の面接の日、さて図書館長は誰だろうと思いつつドキドキして面接室に入ると、そこにいた図書館長は、かつて私に「図書館は文化を守る役割がある」という授業をしたあの先生だったのです。その先生は私の経歴を見て「社会人からわざわざ入学したんだ」と少し驚かれ(何年も前のことですし受講している学生も多く、ましてや不真面目だった私のことなど覚えているわけはありません)「図書館は何のためにあると思いますか?」という質問を投げかけて寄こしたのです。私は冷静に心の中の時計を逆回転させて、以前その先生が話されたように回答しました。

 もともと合否は後日お知らせしますとありましたが、この回答が気に入られたのか私はその場で採用が決まり、面接の直後には早くも図書館の仕事を任され、大学院生兼夜の図書館スタッフ(ほかにパートタイマーとしてカウンセラー、ラーメン屋さんのどんぶり洗い、古本屋さんの店番)に就任した次第です。

 まとめです。学生時代にサボりまくった私が言うと説得力に欠けますが、学生の皆さん、学生の本分はやはり勉強です。ちゃんと授業に出て、先生の話に耳を傾けましょう。授業でしっかり学ぶことで時間を有効利用して、部活や学生生活をより一層エンジョイさせることができるはずです。そうすると私のように(?)めぐりめぐって少しはいいことがあるかもしれませんから。

2020年11月25日水曜日

【TORCH Vol.126】 キャンプで感じる疲労は良い?悪い?

 講師 井上望


 今回、私が紹介する本は下光輝一さんと八田秀雄さんが執筆された「運動と疲労の科学―疲労を理解する新たな視点」である。この本を読んだきっかけは、ある保護者からの問いかけでした。

 「キャンプに行ってとても疲れて子どもが帰ってきたが、これは良いことなのか?」

 私は、野外教育が専門で、子どもを対象としたキャンプを多く実施してきたが、この質問を受けたのは三年前で、初めてであった。確かにキャンプをすると普段とは違う生活をするために「疲れる」し、それが「当たり前」だと思っていた。おそらく、多くの人が「キャンプに行って疲れるのは当たり前で、それでも望んでキャンプに参加している」と思って、良し悪しについて「説明不要」だと思っていた。その時は、キャンプの疲労について書かれた論文を参考にして、説明をして納得をしてもらったが、核心に迫る必要性を感じた。そこで疲労についてもっと良く学びたいと感じ、この本を読む事にした。

 さて、本の内容ですが、ただのレビューであると私が本を紹介している意味がないので、キャンプ(野外教育)に置き換えるとどうなる?と自問自答しながら紹介したいと思う。まず、疲労の定義としてまえがきにはこう書かれている。


『疲労を原因の如何を問わず、生体機能が低下し、その機能が可逆的に復帰できる状況を保っていながら、低下前の状態に復帰できていいない生体機能の低下状態とし、可逆的に復帰できない器質的変化を伴う生体機能の低下状態は含まれない。』


 このことをキャンプでの疲労という観点で考えると慣れない環境で寝不足になる、活動量が増えて筋肉痛になるなどを指す事となる。また、この定義から考えるとキャンプそのものが「疲労の状態に追い込む」とも言える。読み進めていくとこの様に書かれている。


『疲労の多くの場合、複合的要因で形成されると考えられる。性別、年齢、睡眠や食事などの生活習慣、健康状態等が疲労度に影響を与える可能性がある。』

『身体活動度が高いほど疲労が低く、逆に身体活動度が低いほど疲労が高い』

 

 またキャンプで考えると、疲労度は参加者が普段の生活で行っている生活習慣に依存する可能性が高く、個々によって差があるため、主催者(私)が「このぐらいなら適切だろう」と思って行ったプログラムがある人にはかなりの疲労を与えることになるのではないかということになる。この事はわかってはいたが、この様にはっきりと記されると、自分が行ってきたキャンプの中で子どもたちに「適切な疲労に対するケア」はできていなかったのではないかと感じた。

 そのあとは、精神的な疲労の定義と測定、身体的な疲労の定義と測定について続き、最終的には、オーバートレーニング症候群についてエピソードを踏まえて解説してあった。

 読み終えて、総じて感じた事は自分の疲労に対する無知である。自分の今まで感じていた疲労に対する認識とこの本に書かれている事は似ている部分もあり、とても共感できるものであった。一方、私が知らなかった事も多く書かれており、冒頭で挙げた保護者からの質問に答えるにはこの様なエビデンスが必要であるとも感じた。

 最後に、タイトルの「キャンプで感じる疲労は良い?悪い?」という問いかけだが、私なりの回答は「両方ある」という事である。過度な運動やトレーニングが中枢性疲労を引き起こすため、キャンプでも過度な登山行程などは「悪い疲労」となるが、キャンプ生活におけるストレス(寝れない、仲間とうまくやっていけないなど)は回復する事で「適応」という形となるため、「良い疲労」になるのではないかと考える。

 先ほども述べた様に、これはあくまで私の個人的な見解であるため、是非、読んでいただき、違う答えを導き出して欲しいと思う。また、疲労についてはかなり細かく書かれている1冊となるため、疲労のメカニズムについて知りたい方にもおすすめです。

2020年11月11日水曜日

【TORCH Vol.125】 睡眠科学と自己改善 ―寝なくても元気な学生のみなさんへ―

講師 賴羿廷


  大学では、知識だけでなく人生のあり方についても、主体的に学んでいく姿勢が求められています。しかし、これまで自ら立てていた活動計画がいつの間にか安易な方向に流されてしまい、「自分」に 負けたという悩み・悔しさがありませんか?


 実は私自身も学生の頃から大人になった現在でも、よくそういう「自分」という敵に負けてしまいます。どうすれば自分をうまく駆使しコントロールできるかという課題、いつも試行錯誤しながら困っています。目標に向けて思い通りにいかない自分と、どう向き合えばよいのか、小説などの文学作品から学ぶこともありますが、私は、より自分への理解を深められる本や自己改善に繋がる本(いわゆる自己啓発本?)を探して読む傾向があります。


 そういうわけで、私は、学生の皆さんにも、その「自分」をコントロール・管理する本を紹介します。その1つは、『スタンフォードの自分を変える教室』という本で、意志力を鍛えて確実に行動できるまでの科学的な方策を明らかにしています。本学図書館のブログ「書燈」を確認してみたら、すでに栗木先生がご紹介しておられましたので、ぜひそちらを合わせて読んでください。(http://shotoh.blogspot.com/2013/02/torch-vol010.html)


 もう1つ。今回は私が自分自身への好奇心を満たしてくれた、ポピュラーサイエンスの “Why We Sleep:The New Science of Sleep and Dreams” の本を紹介したいと思います(翻訳版では、桜田直美訳『睡眠こそ最強の解決策である』SBクリエイティブ出版)。私たちの人生の1/3、約25年間以上も占める睡眠ですが、人間の3大欲求(生きるための基本的ニーズ)の中では、一番解明されていないそうです。寝ることを大切にしている睡眠科学者のマシュー・ウォーカー教授が、近年ようやく解明されてきた睡眠について、科学的に分かりやすい例をあげて解説しています。


 この本では、「睡眠という難問の謎を解明していく」、「睡眠の効果と睡眠不足の恐ろしさについて見ていく」、「夢を科学的に説明し、夢を見ている人の脳をのぞき見る」、「不眠症を含むさまざまな睡眠障害について見ていく」という4つのパートで構成されています。


 私が最も魅了されたのは第2章と第3章:人はどう眠くなっていくのか、寝ている間に脳内にどういうことが起きているのか、私たちにどういう働きかけをしているのか、といった睡眠のメカニズムと役割について触れた部分です。「寝ている時は、外界への認識がなくなるほか時間感覚も失われているということだ」と、“ふむふむ~”誰でも感覚的に判断できることをこのように科学っぽく言われてみると確かに新鮮です。また、著者は「『睡眠紡錘波』は夜間の見張りをする兵士のようなものだ、外界の音を脳から遮断し、眠りをまもっている」というように、私の想像を膨らませてくれる表現で説明してくれますので、最新の睡眠科学を読んでいるはずなのに、全然苦にならずに読み進めることができます。


 今まで、寝る時間が惜しく感じることもありましたが、この本を読んで睡眠という自然な行為が、心身にとって、とても大切であることが分かりました。私は、ついつい研究や趣味で夜更かししてしまう自分の生活習慣を見直すことにしました。この本は自己啓発本ではありませんが、本当に自分自身へのコントロール/管理効果を高める良い本です。夜更かしがやめられない人、朝寝もやめられない人、だけどなんとか生活改善したい人、特に寝なくても元気そうな大学生の皆さんに(笑)、ぜひ、一読をお勧めします!


2020年10月30日金曜日

【TORCH Vol.124】 巨匠の息遣いに触れる―ウンベルト・エコ著『論文作法』而立書房.

教授 白幡真紀

 

 私は自他ともに認める活字フリークである。子供の頃から本や漫画が大好きで、町の本屋さんや図書館に入りびたりであった。初見で読む際にはページをめくるのももどかしく、ぱらぱらと貪るように最後まで読み、気に入った本はじっくりと読む。もう中のセリフや文章を暗記するほど読み込む。またこれ読むの、と言われても何度も読む。そのため、私物の本のタイトルが並んでいる本棚を見られるのは至極恥ずかしい。私の心の中そのものを覗かれている気がする。

 ジャンルも問わず、少年漫画、少女漫画から始まり、ミステリー、ラノベ、小説、ビジネス書からファッション誌まで面白ければ正直何でもありである。しかし、このところ、じっくり好きな本を読む時間がなくなり、空いた時間に電子書籍を読むようになったため、昨年のGWの令和大連休では「こんまり流」お片付けで800㎏もの紙片を処分した。無念である。

 その中でも私のお薦めの本は何か。それは、私のバイブルであるウンベルト・エコ著、谷口勇訳『論文作法-調査・研究・執筆の技術と手順』(而立書房)である。論文の書き方、と言ってしまうとそこまでだが、さすがの巨匠の筆致で実にエスプリの効いた仕上がりとなっており、しかし非常に有用な書である。論文の書き方はもとより研究の姿勢そのものに至るまで包括的に論じていおり、文系研究者や学生には必読の書であろう。声を大にして読み手に伝えたいことに関しては文章の熱量も上がる。1ページにひとつは必ず名言がある。単なる読み物としても楽しめるのである。

 1991年が初版であるので、インターネット検索が当たり前になった現在とは多少事情が異なる部分もあろうが、基本は何も変わっていない。私も社会人として2003年に放送大学の修士課程に入学した際にこの本を購入した。通信制大学院で、しかも指導教官とは手書きの手紙のやりとり(!)であったため、この本が実質のチューターであった。博士論文もこれを片時も離さず執筆した、まさにパートナーなのである。指導教官の名誉のために付け加えると、当時、先生はメールもちゃんとお使いになっていた。古き良き時代のイギリスを愛する先生は、何より手書きのお手紙を良しとされる風流で粋な方なのである。

 その後も博士課程の後輩たちに自費で購入してプレゼントするなど、コツコツと販促活動を続けていたのだが、いつの間にかAmazonで新品の在庫がなくなってしまい、筆者の巨匠もお亡くなりになり、ここまでか、と思っていたら、先ごろ思わぬところで再会した。先日、某大学の専門演習にゲスト講師として講義を行う機会があったのだが、そこのゼミの教科書になんとこの書が指定されているではないか。慌ててAmazonで検索したところ、新品で在庫が存在していた。誰に感謝したらよいかわからないが、ありがとうの気持ちでいっぱいである。

 良書との出会いは何物にも代えがたいが、その書に継続して課金できないのは辛いところである。ぜひこうして皆様の目に触れるところで広報活動を行い、少しでも長くこの書が読み続けてもらえるよう願うばかりである。

2020年10月5日月曜日

【TORCH Vol.123】 本を読むとは

教授 櫻井雅浩 


本を読むとは、ある人々の過去即ち歴史を知ることです。自分が経験できない他人の経験を学ぶと言っていいでしょう。山本夏彦(1915~2002)は「本を読むことは、既に死んだ人と話をすること。」と書き残しています。読書の醍醐味と言っていいでしょう。

今回紹介する本は、鈴木貫太郎著(昔の総理大臣と同姓同名ですね)「中学の知識でオイラーの公式がわかる」です。e iπ+1=0 見たことありますか?理系数学でもほんの少し触れるだけで、詳しい説明は聞いたことがありません。ただあまりにも有名な式なのでずっと気になっていました。eはネイピア数、iは√-1虚数単位、πは円周率ですね。これを中学の知識出来る?と思うでしょう。著者の経歴が変わっています。「中学の知識でオイラーの公式がわかる」によると1966年2月生まれ。県立浦和高校に進学。勉強は高校受験で燃え尽きて高校時代は完全落ちこぼれ。数学は0点連発、成績は学年ビリ(456位/456人)。2浪して早稲田大学入学(社会科学部)。在学中に始めた塾講師(算数・数学)のアルバイトから正社員になり大学は中退。講師時代は過去問を徹底研究。次男が生まれたのを機に専業主夫。2017年からYouTube投稿を始める。所謂コテコテの文系だったのにアルバイトのために数学を勉強してそれを予備校で教える。人の運命は分からない、を地で行く感じです。そしてこの鈴木貫太郎先生のYouTubeが面白い。最初の定義から正しく「中学の知識」で解説してくれます。受験理系数学から離れて約40年、遠い彼方にあったオイラーの公式が理解できるようになりました。有名人のYouTubeチャンネルは沢山ありますが大体は書籍を動画で解説したもので、動画が書籍化された稀な例でしょう。新しい情報発信の一例となると思います。


2020年10月2日金曜日

【TORCH Vol.122】 スポーツ小説がもたらす力

教授 佐藤修


堂場瞬一の「チーム」を選ばせて頂きました。実は「スポーツ文化論」の授業で10月9日分を担当していまして、この日のテーマが「スポーツと文学」なのですが、広い意味でスポーツ小説を取り上げようと思い、真っ先に浮かんだのがこの小説です。

 10年ほど前、私は東北放送でアナウンサー職にあり、ラジオ番組を担当していました。番組内に「おさむのプチ読書」というコーナーを作り、1週間に読んだ本を紹介していましたが、その時会社の先輩が進めてくれたのがこの「チーム」だったのです。

 箱根駅伝で、前年大会でシード権を逃した大学による予選会が、本大会の2か月前に開かれる。予選会を通過できるのは10チーム。不運にも出場を逃した大学の中から、予選会で上位の記録を残した選手により編成される学連選抜が、箱根を走るまでの物語。

 いわば寄せ集めのメンバーがチームになるまでの学生たちの苦闘と本番での個々人の葛藤や思いが描かれています。ストーリーにはお決まりの、チームになじめない地雷のような選手が登場します。しかし記録は群を抜いてトップ。メンバーから外すわけは行かない。だが入れればチームの和は乱れる。キャプテンを任された浦選手が悩み考えます。そこで浦選手はこの選手にある言葉をかけます。

 その一言は私の胸に深く刻まれていました。何かにつけて思い出しては、チャンスがあれば放送で言ってみたい。そんな衝動に駆られていました。

 それから程なくして東日本大震災が発生します。3月11日のことです。4月からスポーツ部長に着任する予定だった私は、前倒しで予定していたスポーツ中継をどうするか、さらには他から押し寄せる復興支援イベントや慈善試合などの調整に追われました。そして4月2日、楽天イーグルスの慈善試合が本拠地球場で開催されました。その時、嶋基宏選手が送った言葉が多くの野球ファンを勇気づけました。

「見せましょう、野球の底力を」

 その言葉を球場で聞いていた私の心にも深く届きました。下を向いている場合じゃない。

そして実はその前に語った、あるフレーズに私は釘付けになっていたのです。そのフレーズこそが「チーム」の中で浦キャプテンがその選手に語り掛けた言葉だったのです。そのフレーズはスポーツシーンのあらゆる場面で語られている言葉なのかもしれません。もしかしたら嶋捕手がこの小説に接していて無意識に湧いてきたのかもしれません。

 実況中継に明け暮れていたころ、自分が発する言葉にもっと魂やエネルギーを吹き込みたいとスポーツ小説やノンフィクションを多く読みました。視野が狭くなる取材や放送にあって、ふっと頭に浮かんでくる作品のワンフレーズが選手へのインタビューや中継の時に、行き詰まった自分をたびたび救ってくれました。スポーツ選手だけではない、スポーツを外から応援している人も多くの言葉を持っています。それは未経験だからそこ到達できない世界への強いあこがれが、選手の心を揺り動かすのかもしれません。スポーツ小説にはそんな力があることを学生に伝えたいと感じています。


2020年9月7日月曜日

【TORCH Vol.121】 競技人生と向き合う ~たった一人のオリンピック~

講師 田口直樹


 新型コロナで2020東京オリンピックは延期となりました。アスリートたちはさまざまな困難に立ち向かい日々練習に励んでいます。このような混乱はかつてモスクワオリンピック代表選手になりながら出場を奪われたアスリートたちにもありました。時代に翻弄されながらも懸命に生きた彼らの激動の人生を紹介したいと思います。


本書「たった一人のオリンピック(角川新書)」は「江夏の21球」で知られる山際淳司氏のオリンピックにまつわる作品を集めた短編集です。今改めて読んでみると学生の時に読んだ時とはまた違った感情が湧いてきます。その中の「真夜中のスポーツライター」にはオリンピックを印象づけるこんな一文があります。


「生活を保証されたうえで、のびのびとメダルを目ざす選手がいる。その対極に、シビアな選択を迫られ、なおかつオリンピックを目ざそうという選手がいる。その両方を見ていかないと、オリンピックという大舞台の魅力は伝わってこない。」


オリンピックの華やかな舞台の裏で、オリンピックに人生を懸けた若者がいました。

本書「たった一人のオリンピック」の主人公はふとオリンピックに出ることを決意します。

物事を決断するきっかけは偶然やってくることがあります。どこで何があるかわからない。

ふと決意するぐらいの魅力がオリンピックにはあるのです。

そして決意してから5年で1980年モスクワオリンピックの代表を勝ち取ることとなりました。本気でオリンピックを目指し挑戦することで誰にでも代表になるチャンスがあるのです。そういった一心不乱に目標に向かうアスリートの美しさに魅了される一方で、競技以外を犠牲にして葛藤する場面もみられます。まさにアスリートは表裏一体であることがわかります。そんな極限状態の中、モスクワオリンピックボイコットとなり出場が絶たれたわけです。


また同じく幻のモスクワオリンピック棒高跳びの代表選手をえがいた「ポール・ヴォルター」にも主人公の苦悩が読み取れる一文があります。


「むなしかったんですよ。何もかもが。なぜぼくはこんなところで走っていなければならないのか。なぜ高く跳ばなければならないのか。ぼくにはわからなくなってしまったんですね。新しい記録を作った。それはいい。それだからどうしたというのか。そこまでいけば、ぼくはもっと自信をもてるようになるんじゃないかと思っていた。もっと自信にあふれて生きているはずだった。でも何も変わらないんです。」


40年経った2020年においてもシビアな選択の中、2021東京オリンピックを目指すアスリートたちがいます。オリンピアンも例外ではありません。延期によって生活状況が一変し、日々の暮らしやモチベーション維持に苦慮しながらも奮闘するアスリートたちがいます。大学生アスリートにとっても将来へのさまざまな選択を迫られることになるかもしれません。


アスリートにとってオリンピックとはなにか?

アスリートにとって競技人生とはなにか?


今、自分の競技人生と向き合うための書として推薦したいと思います。