2026年2月5日木曜日

【TORCH Vol. 168】「風林火山」は武田信玄の200年前、宮城の地で掲げられていた

 

                    子ども運動教育学科 教授 小野 敬弘


■「破軍の星」 北方謙三著 集英社文庫

武田信玄の代名詞とされている「風林火山」だが、信玄が掲げる200年も前の1330年頃、ときは鎌倉時代末期、この宮城の地で「風林火山」と書かれた軍旗をなびかせていた武将がいたことを知っているだろうか。そもそもこの「風林火山」は、周知のとおり中国の孫武が記した「孫子」という兵法書の中の教えのひとつである。その内容は、「風のように速く、林のように静かに、火のように激しく、山のように動かない。」というもので軍隊を動かす際の心得とされるものである。この考え方は、人として世を渡る際にも実に理にかなったものと称されているのと同時に、スポーツにも戦術・戦略を練る際の概念として親和性があり多くの競技において精神的な拠りどころにもなっている。過去に私も高校教員として運動部活動を指導してきたが、かくのごとく臨機応変に戦況そして人生を見定める力をつけてほしいと願い諭してきた。


正しくは「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」と表記されるが、この旗を最初に掲げた男は、先述の通り、宮城、多賀城にいたらしいのである。しかし、多賀城に政庁が創建されたのは奈良時代の724年であり、約300年の時を経てこの地は平定し、その後、政庁は荒廃している。ではなぜ、さらに300年後の多賀城にこの武将は登場したのか。詳しい書物がない中で、北方謙三が史実に基づき描いた「破軍の星」という小説にたどり着いた。

彼の名は北畠顕家(きたばたけあきいえ)、実は武将ではなく天皇家の末裔にあたる公卿で、幼い頃からその才覚が認められたエリート貴族である。南北朝の動乱を招いた後醍醐天皇による建武の新政以降、再び勢力を持ち始めた東北地方の豪族を抑えるため、弱冠十六歳にして地方統治機関となった陸奥国の国府、多賀城に入った。顕家は繊細かつ大胆で人心掌握に長けており、東北地方の主だった実力者を次々と服従させ自身の配下に置いていき、わずか一年ほどで東北を安定に導いた。

しかしその矢先、後醍醐天皇の政策に不満を持った足利尊氏が謀反を起こし京都を占領する。すぐさま顕家に足利討伐の命が下るが、この若きプリンスは見事に百戦錬磨の足利尊氏を打ち破り九州へ追いやることに成功する。任務を完遂させ多賀城に戻る顕家。そして物語はクライマックスへと入っていく。


この本の読後、顕家の清々しい戦い方に胸を打たれ、多賀城市にある東北歴史博物館にゆかりのある資料がないかすぐに足を運んでみだ。しかし、見つけたのは展示ブースの長い長い多賀城史の年表の中にたった1行、「北畠顕家多賀城に入る」ただそれだけだった。多賀城の後に城を構えた福島県の霊山(りょうぜん)には彼を祭る立派な神社もあるというのに、あまりの軽い扱いに愕然とした。ただこれには歴史作家、司馬遼太郎も、彼は多賀城政庁跡の上に居を構えたのではなく、当時の状況から推測して城は現在の仙台市岩切付近だったのではないかと語っている。資料が乏しく諸説あるため、地元多賀城では元城主としての愛着が湧きにくいものと思われるが、彼の活躍いかんによっては室町幕府自体が成立せず、日本史そのものが大きく変わっていたかもしれないという儚くも切ない壮絶な歴史ドラマが宮城の地にあったのだ。

宮城県を「風林火山発祥の地」として彼の功績を称えたいほど一読の価値がある一冊だ。

2026年1月16日金曜日

【TORCH Vol. 167】スポーツから行動経済学を学ぶ

 

スポーツ情報マスメディア学科 助教 吉村広樹


書籍「行動経済学が勝敗を支配する」(著者 今泉拓氏)をご紹介したいと思います。

本書は、心理学と経済学を融合させた「行動経済学」の視点から、スポーツにおける意思決定のメカニズムを鋭く分析した一冊です。著者は、行動経済学において、スポーツのデータは「人間心理が凝縮された宝庫」であると述べています。極限のプレッシャーがかかるスポーツの現場では、人間の本質的な心理傾向が如実に表れるからです。本書を通じて明らかになるのは、どれほど訓練を積んだプロのアスリートや審判であっても、「つい不合理な選択をしてしまう」という驚きの事実です。


本書は、各章ごとに1つの「認知バイアス(思考の偏り)」を取り上げ、多様なスポーツ事例を題材に解説する構成となっています。単なる事例紹介にとどまらず、これらの認知バイアスを理解し克服することが、最終的な競技力の向上につながるという実践的なメッセージが込められています。本書で紹介されているバイアスの中から、特に興味深い2つの事例を紹介します。


1つ目は損失回避バイアスです。本書で紹介されているゴルフを題材にした事例をご紹介します。人間は損を嫌う生き物であるため、「バーディー=得」、「ボギー=損」と意識し、バーディーを取ろうと難しいパットに挑戦するよりも、ボギー(=損)を嫌って安全なパットをする可能性が高いと提唱されています。本来、ゴルフはボギーの少なさやバーディーの多さを競う競技ではありません。18ホールを回って最終的に少ない総打数であることが最も重要なはずです。しかし、トッププロであっても損失の恐怖が不合理な慎重さを招くことを示しています。


2つ目はフレーミング効果です。サッカーと野球(MLB)では、ビデオ判定によって判定が覆る確率が大きく異なります。これは「誰が」「どのような枠組み(フレーム)で」判断するかが影響しているようです。サッカーは、主審自身が映像を見て最終判断を下し、MLBでは、 別のスタッフが最終判断を下す。というフレームになっています。主審が自分自身で映像を確認する場合、「自分の判定は正しかったか?」という疑いの目で再確認することになります。「疑いのフレーム」を通して再度プレーを確認する事で、判定が覆る可能性が生まれるのです。同じプレー映像でも、どのような心理的枠組みで見るかによって結果が変わることを示唆しています。


本書は、スポーツのあらゆる場面における意思決定の裏側で、いかに多くの「不合理な意思決定」が行われているかを教えてくれます。

 

人間である以上、バイアスから完全に逃れることは難しいかもしれません。しかし、少しでも行動経済学の知見を取り入れ、自分たちの陥りやすい罠を理解することで、冷静な判断が可能になり、結果として競技力が向上するかもしれない――本書は、そんな希望と新たな視点を与えてくれる本です。皆さんもぜひ一度、読んでみてください。

【TORCH Vol. 166】なぜ学術英語論文を読み, 英語で論文を書くのか

 

                         体育学科 講師 金 瑞年

はじめに

私たちは今日,書籍,新聞紙,テレビ,さらには SNS など,多様な媒体を通じて新しい知識や情報を得ることができる.それでは,仮にこれらの情報媒体が存在しなかったらどうなるだろうか?また,これらの媒体の大きな違いは何だろうか? 言うまでもなく,「情報伝達の速度」と「影響の及ぶ範囲」であると思われる.本稿では,「なぜ学術英語論文を読み, 英語で論文を書くのか」という題にして,これまでの自分の経験を踏まえながら述べていきたい.

  1. なぜ学術論文を読み,どのように読むのか

学術論文とは,科学研究によって得られた新たな知見を,指定されたフォーマットや学術誌の投稿規定に沿って論理的に記述した文章のことである.その中心には,【問題提起】とそれに対する【問題解決】の構造が明確に存在します.

【問題解決】の構成は,「○○という問題が存在しているため,本研究ではその解決を試みた」という形で提示される. たとえば,日本の昔話「モモタロウ」を例にとれば,物語の大筋は,「鬼が村人を苦しめた」という問題を「モモタロウが剣で退治した」というものである.ストーリーの構造が明確であるため,子どもから大人まで容易に理解できるのである.一方,なぜ英語論文を読むべきなのか? 日本語の論文だけではだめなのか? 簡単に言えば,英語で学術論文を書く人は多い(情報が多い).つまり, 最新の研究成果は主に英語論文として公表されるため,大学での学習や研究においては,何らかの英語文献や資料を読むことが不可欠である.しかし,初めて学術論文を読むのは,誰にとっても大変な苦労を伴うと思います.ここでは,私自身の経験にもとづき,英語論文の読み方について,基礎の基礎から話を進めていきたい.

私が英語論文をまともに読んだのは,博士課程 1 年目に初めて研究計画書を作成したときである. 当時,研究計画書の枠組みやどのように内容を展開させていけばいいのか,全く分からなかったため,同分野で既に発表されている英語論文を読んで,最低限把握すべき内容は次のとおりである.

    • Introduction・背景」部分で執筆者がどう論理展開しているか

    • 自分のアイデアとの重複と相違点はどこにあるか

    • どこまでわかっていて,どこがわかっていないのでしょうか

    • 論文で使われる専門用語の使用方法とその定義

    • 結論

    • 参考文献 (自分の興味に関連する情報を探す際に有用です)

補足:ある論文を読むべきか,読むべきでないかを, 素早判断するポイン

  1. 論文を読む目的を明確にする(Aim)

    • 読みたい論文が自分の研究テーマや関心に合致しているのか?

    • 論文から何を知りたいのか?

  2. タイトルを確認する(Title)

    • タイトルは,その研究の最も重要なメッセージを表している.

    • 良いタイトルは,研究対象・問題・キーワードなどを反映する.

  3. 研究の出発点(Motivation)を把握する

    • 一般的に,論文の冒頭にある要約は,論文全体の概要を示し,研究モチベーションを把握できるため,読者は,その論文を続けて読む価値(要性)があるかどうかを, 判断することができる.

  4. 考察(Discussion)を確認する

    • 考察の最も重要な目的の一つは,イントロダクションで提示したリサーチクエスチョンを踏まえながら、観察された現象(研究結果)について議論するセクションである.

まとめ

最初にある程度の専門用語や背景知識が分かるのであればそれでいいと思います.

  1. なぜ英語で学術論文を書くのか

まず,「なぜ論文を書くのか?」について触れておきたいと思います.私たちはそれぞれ唯一無二の存在であり,異なる教育的背景を持つため,同じ問題に対しても多様な考えやアプローチが生まれる.したがって,論文執筆の動機は人それぞれである.次に述べるのは,私の個人的な考えですが,あなたが考えるヒントになるかもしれません.

    • 修士・博士号取得を目指す

    • 研究活動の初歩をやってみる

    • 研究の過程で得られた経験や成長を重視する

    • 自らの考察の妥当性を他者に認めてもらいたい

    • キャリア形成や昇進のために執筆する

私の場合は,知的好奇心の追求と科学的真理の探究,そして新たな知見や技術を社会に還元することにより,人類に貢献したいという思いが根底にある.


では,「なぜ英語で学術論文を書くのか?

紙面に限りがあるため,要点を以下に簡潔にまとめる.


    • 学術および科学研究に関する論文や著作の約 9 割が英語で書かれてい.

    • 英語は長年にわたり学術出版と国際研究交流の主要言語である.

    • 世界の多くの大学・研究機関では,国際ジャーナルへの英語論文発表が,採用・昇進・評価・学位取得に直結している.

    • 世界のトップレベルの大学や研究機関の多くが英語圏に位置し,新しい知識や技術へのアクセスが英語を通じて行われやすい.

    • 英語は科学界の共通語であり,研究成果を迅速かつ広い範囲へ伝える最も効果的な手段となっている.

おわりに

研究とは, 観察・実験を通して新しい知を生み出し, それに基づく理論や技術により,人類社会の発展や生活の「質」の向上に寄与する営みである.しかし,論文を読むも論文を書くも,ここで強調したいのは,大部分の研究領域は試行錯誤の積み重ねによって進歩しており,科学に「絶対の正解」は存在しない.たとえ高い評価を受けた研究であっても,後続・将来の研究で修正されたり,異なる解釈が示されたりすることは珍しくない.したがって,学部生・大学院生・若手研究者を問わず,「批判的に読め!」姿勢が重要となる.これは,新しい研究課題を発見し,既存の知識の空白を埋める上で不可欠である.


【参考文献】

1 佐藤春彦. (2019). なぜ英語で論文を書くのか:5 つの動機.理学療法, 46(4), 289-293.

2 English As the Language of Research and Worldwide Academic Journals V. Laxmi Tulasi et al. DOI: 10.54850/jrspelt.9.47.001


【推薦図書】

1] 近江幸治:学術論文の作法・論文の構成・文章の書き方・研究倫理(3版),成文堂, 出版年月日(2022/01), ISBN1:9784792327767

2] 石 圭:論文・レポートの基本 : この 1 冊できちんと書ける! 実業出版社 (2024 2 16 ),ISBN-10: 4534060807


Please feel free to contact to me if you have questions on this essay and more information about me is available at https://researchmap.jp/ruinian.jin

e-mail: r-jin@sendai-u.ac.jp

2025年12月7日日曜日

【TORCH Vol. 165】「思い出の本との再会」 

                                                            現代武道学科 教授 伊藤 晃弘

 某月某日、仙台大学図書館の各書棚をじっくり探索していた時のこと、「えっ?」なつかしい本と三十数年ぶりの再会を果たしたのです。島根県の片田舎から就職で東京へ、数年が経った頃に仕事で区役所に行き、時間に余裕もあったことから近くの図書館に立寄りました。もろもろの不安やストレス解消だったのか、はたまた何か刺激を求めていたのか、記憶も定かではありませんが、本のあら捜しをはじめました。これまで学校の教科書以外で本に接する機会も少なく、大袈裟ですが考えてみますと、小・中学校時代の夏休み課題「読書感想文」以外無いのでは!と思うほどです。

 しばらく見ていると、「心のささえに」の題名で厚さも手頃の本が目に入り、目次が約30あり、それぞれの章は4から5ページで挿絵ありのものでした。館内で読み始めたところ、非常に読み易くはまってしまい、時間の経過も忘れ全て読み終えてしまいました。

 本を読んで感銘を受けた、指標になった、人生が変わったなどの経験をされた方もおられるかと思います。「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」などで有名な司馬遼太郎は、長編小説作品を多数執筆していますが、電車の通勤時間や移動時間を有効活用し本に親しんでもらうための短編作品も数多く執筆したといわれています。まさにこの本は、通勤時間や僅かな時間で効率的に読めるものであり、身近な人との交流、日頃の生活での出会いや場面を通じて感じたことが素直に記述され、かつ端的に表現されており、読んでいて「このような感じ方、考え方もあるんだ」との思いを巡らせてくれた本であることに加え、強く記憶に残っている本の一冊でした。この本との再会に感激するとともに、まさかの出会いに「本当にありがとう」の瞬間で、当然すぐに貸出を受け、懐かしくじっくりと読ませていただきました。

 本の紹介やTV番組などで、「人生に大きく影響を与えてくれた本」であったり、「感銘を受けた偉人や師の一言」等を見聞きすることがありますが、自身の心に刺さった言葉、影響を与えてくれた言葉は生涯忘れないものだと思います。この本を通じて強く感じたことは、「自分自身を知ることの重要性、豊かな心とは、そして自分の心のささえは何?」を考えさせてくれ、その後の仕事や生活に大きく影響を与えてくれたと思っています。いろいろな人と出会い、さまざまな出来事を経験しますが、悩んだり困難な場面に遭遇した時は、勢いや衝動的に判断する前に一旦立ち止まり、時には(後悔先に立たずの考えで)自分を見つめ直す時間があってもよいと思います。パスカルの「人間は考える葦である(考えることこそが人間に与えられた偉大な力である)」の言葉のとおり、考えて出した結論であるからこそ自分自身が納得できるものとなります。(安全安心につながる)

 自身の健康を守ること、社会のマナーやモラルを守ること、自身や家族の生活を守るべく仕事をして収入を得ること、そして自己及び周囲の人の命(危険場面の回避)を守ることなど、全ての行為が自己及び社会の安全安心につながることになると考えます。すべての人が是非、自身の「心のささえ」となる本を見つけ、そして力となる言葉を見つけてほしいと切に願います。

 

【TORCH Vol. 164】「私に勇気をくれた作品紹介」

                                                                             体育学科 講師 江尻 沙和香

 私は幼い頃から本を読むことが大好きでした。幼少期には両親が絵本をたくさん読み聞かせてくれたり、多くの本を買い与えてくれたりしたことで、自然と読書が生活の一部になりました。小学生から大学生にかけては、スポーツ関連の単行本や雑誌、エッセイ、ケータイ小説、ファッション誌など、幅広いジャンルに興味を持って読み漁りました。現在はそれらに加えて、ビジネス書や教育に関する文献にも関心を持つようになっています。 その中でも特にエッセイを読むことが多く、著者の生き方や考え方に触れることで、自分の凝り固まった思考が柔らかくなったり、新しい発見につながったりするのが魅力だと感じています。そして特にエッセイの中でも、林真理子さんの本が大好きです。代表作には、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』、『野心のすすめ』、『最高のオバハン 中島ハルコはまだ懲りていない!』などがあり、ドラマ化された小説も手がけています。もちろん、ドラマも欠かさず全話視聴しました。林真理子さんの作品は、女性の視点から仕事や結婚にまつわる葛藤や、人間の繊細な心理を率直に描き出しています。さらに、巧みな文章表現によって、思わずクスッと笑ってしまうようなユーモアが散りばめられています。その中でも、今回は、私自身が勇気をもらった1冊をピックアップし、その中で最も印象に残った章を紹介します。

紹介本タイトル:『過剰な二人』 林真理子×見城徹

●第3章最後に勝つための作戦

「人がやりそうにないことをやる」 pp.138-142
私自身、幼少期から突拍子のないこと、他人から「えっ⁈」と思われるような言動をするタイプです・・・。しかし、自信が持てない案件では、つい周囲と似たような形にまとめてしまい、後から他の人がオリジナリティ溢れたアイデアを出してしまい、「自分の考えを素直に出せば良かった」と後悔したことが多々あります。似たような経験を持つ人はきっと多いのではないかと感じます。しかし、この章を読むと、自分らしさを出すことへの勇気が湧きました。その内容を以下に要約しました。

『人がやりそうにないことをやる、これは林真理子さんが世に出るための戦略だった。なんとなく思いついたアイデアは、たいていありふれていて、いくら自分が良いと思っても、同じようなことを考える人は多々いる。林真理子さんは、尊敬する超一流コピーライターの目に留まるために、服装、髪型、出される課題に対して必死に工夫を取り入れた。そして、作詞が課題となった際に、他の人が書いてくるのであろう詞を予想し、違う雰囲気の詞を書き、「絶対にウケるはず」と意気込んだが、まさかのしーんと静まりかえり、誰も笑わないという状況だった。しかし、その尊敬する超一流コピーライターだけは、「君、面白いよ」とほめてくれた。その出来事が大きな転機となった。やはり、何かを持つということは大事である』

 私は、この章を読んだ後に、自分らしさ、独自性を出すことは素晴らしいことであり、自由に生きるための必須事項だと感じました。現在社会人である私も、今後社会に飛び出す大学生も、「こんなことを発言したら他人から変な風に思われるかも・・・」、「自分の考え方は独特すぎるかな・・・?」と迷っても、まずは自分の考えを第一に尊重し、発信して欲しいと思います。その経験が、後々自分の成長に大きな影響を与えることもあり得ます。また、独自のアイデアを打ち出すことで、組織に新しい風を吹かせることにも繋がる可能性もあります。たとえ誰からも共感が得られなくても、自分の本音や考えに向き合い続けることは大切であり、きっと自己成長に繋がります。この章は、これから社会人を目指す大学生に勇気づける内容だと思い、紹介しました。

●第4章「運」をつかむために必要なこと

「運はコントロールできる」 pp.198-202
 このページの冒頭に、「これから私は、人生における大きな真実を、はっきり言おうと思います。私は、運命の正体を知っています。それは意志なのです」と書かれていました。私は初めてこの文章を見た時に、「運って、偶然じゃないの⁉コントロールなんかできないでしょ」と疑いました。しかし、続けて読んでいくと「確かにそうだわ・・・」と納得してしまいました。その内容を以下に要約しました。

『運とは自分からつかみに行こうとしなければ通り過ぎてしまう。本当はこうなりたい、今の状態は不本意だと思っていても望むような変化が起きない場合には、実はその状況は自分自身が作り出してしまっているのではないか?自分から何もしなければ何も起きない、まじめにじっと待っていれば、いつか幸運がめぐってくるなどというのは、おとぎ話にしかすぎない。おとぎ話から現実の世界に飛び出すこと、これが意志の力で運をつかむことだと思う。幸運とは、強い意志を持つ人にめぐってくる』
私はこの章を読んだ後に、自分が「ツイてる!」と思える出来事が起こった時期は、やりたいことに対して常に敏感でアンテナを張っていたことを思い出しました。逆に、中途半端な頑張り方をしていた、考えているだけで行動に移さない時間が長くなればなるほど、「もういいや」と冷めて終わってしまう経験もしました。また、周囲の成功している人達の中で、「自分は運が良かった」と言っている人、客観的に見て「この人、運が良いよなー」と見える人ほど、実は強い意志を持って他人の見えないところで行動し続けていたのではないか?と気づきました。

 以上、私が勇気をもらった1冊、最も印象に残った章についての紹介でした。林真理子さんの全作品おすすめですので、ぜひ手に取っていただきたいです。また、読書は、教養を深めると同時に、心を落ち着かせることも実感しています。
皆さん、ぜひ読書を楽しんでください!

本タイトル:『過剰な二人』 林真理子×見城徹
発行者:渡瀬昌彦
発行所:講談社

2025年11月7日金曜日

【TORCH Vol. 163】「図書館を活用し学びを深める」

                        健康福祉学科 助教 田中亨

学生の皆さんは普段本を読んでいますか?
定期的に本を読んでいる人もいれば、本を読むことが苦手(馴染みがない)な人もいるのではないでしょうか。分厚い本や文字だけの本を読むことは億劫になってしまうかもしれません。

まずは「興味が湧く」「読みやすい」本や雑誌を見つけてみるのはどうでしょうか。

私が体育大生の頃から、楽しくよく読んでいたのが雑誌「Tarzan」でした。毎回テーマが異なり、健康情報、トレーニング、コンディショニング、トレンド情報など様々な内容が含まれています。内容が簡潔に記載されており、より深くまで知りたいときや信憑性を確認するためにはその分野の本や研究論文を探してみるのも良いと思います。

体育大生の皆さんは将来、体育教員、スポーツクラブ、福祉系、栄養系などの職に就く人もいるでしょう。身体のことについては一つでも多くの知識を持ち合わせておく必要があると思います。

図書館は読書だけでなく、資格試験や採用試験の勉強などにも利用できる場所です。
図書館を活用して、より一層学びを深めていただければと思います。

2025年10月22日水曜日

【TORCH Vol. 162】「戦後80年で考える戦争とフェイク」

                                                           スポーツ情報マスメディア学科 教授 横山義則

第二次世界大戦から80年の今年、世界ではロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻、そしてインドとパキスタンの軍事衝突など、いまだ戦火が収まることはなく多くの人が命を落としている。緊迫する戦況の中で核兵器の使用が現実味を帯び、まさに危機的な状況ではないのか。

そこで核抑止論はどういった理屈で成り立っているのか、改めて考えるために『「核抑止論」の虚構』(豊下楢彦 集英社新書)を読んだ。

核抑止とは、相手方が核攻撃を仕掛けてくる場合に、より破壊的な報復核攻撃を加えるという脅しをかけることによって攻撃を抑えるというものである。

そこで重要となるのが「脅しの信憑性」となる。泥沼化するベトナム戦争において、リチャード・ニクソン大統領は、「北ベトナムに対し、戦争を終わらせるためならどんなことでもやりかねないところまできている、と信じ込ませたいのだ。(中略)怒りだしたら手がつけられない、しかも核のボタンに手をかけているのだと」このように側近に話したとされている。これが「狂人理論」と呼ばれるもので、何をしでかすかわからないと思わせ「脅しの信憑性」を得るというものである。

つまり核抑止論とは、核兵器を持つ者同士が、実は互いに「狂人を装っている」ことを前提とする“奇妙な信頼関係”によって核兵器の使用を抑えているということになるのではないか。人への猜疑心の強い私などは、核の発射ボタンを司る者の中に「本当の狂人」がいつなんどき現れてもおかしくないと考えてしまう。その時、「核抑止論」は全く成り立たない。

歴史的事実とされていることにも懐疑的なのはジャーナリスト故なのか、今年8月、櫻井よしこ氏が「『南京大虐殺』はわが国の研究者らによってなかったことが証明済みだ」とするコラムを新聞に書いた。そこで、時を同じくして出版された『南京事件 新版』(笠原十九司 岩波新書)を読んだ。

南京大虐殺事件、その略称である南京事件は日本の海軍・陸軍が南京爆撃と南京攻略戦、そして南京占領期間において、中国の兵士や民間人に対して行った戦時国際法に違反した不法残虐行為の総体をいう。

旧版が世に出てから28年ぶりとなる新版では、盧溝橋事件をきかっけに始まった日中戦争のなかで南京事件がなぜ起きたのか改めて検証している。中志那方面軍の独断専行で行われた南京攻略戦では、兵站部隊が貧弱であったため、通過地域において戦時国際法に違反する食料等の略奪や虐殺行為が繰り返されたことなど、日本軍の資料に加え被害者・犠牲者の証言を積み上げ、より精緻にその実態に迫っている。また、事件による犠牲者総数の概数を旧版と同じく「十数万以上、それも20万人近いかそれ以上」としつつ、南京“大”虐殺はなかったとする言説の根拠「当時、南京には20万人しかいなかった」に対しては、20万人は南京城内の安全区の人口であり南京市全体の人口ではないと明確に否定する。

日本政府も公式に南京事件を認めているにもかかわらず、南京“大”虐殺はなかったから南京事件自体がなかったと誤認させる発言は、フェイクニュースといっていいのかもしれない。

そもそもフェイクニュースとは何なのか。『フェイクニュースを哲学する-何を信じるべきか』(山田圭一 岩波新書)を読んだ。

フェイクニュースを明確に定義することは難しいのだが、「情報内容の真実性が欠如しており、かつ、情報を正直に伝えようとする意図が欠如している」と定義すると、①偽なる発言で欺こうとしている場合②ミスリードな内容で欺こうとしている場合③偽であり、でたらめである場合④ミスリードであり、でたらめである場合、この4つに分類できるとする。櫻井氏の「南京大虐殺」はなかったとする発言は、本人に欺こうとする意図があったのかどうかはわからないので、③か④になるのだろうか。確かに判断は難しい。

自分に批判的なマスメディアの情報にフェイクニュースを多用しているのがアメリカのトランプ大統領だが、この場合の使われ方は深刻な問題を孕む。彼は、情報が間違っているという事実を主張しているのではなく「やつらの言うことを信じるな!」という命令や勧告として使われていて、中身はどうでもよく感情や直感に重きを置かれ、論理や科学的根拠はないがしろにされている。

このような状況の中で、何を信じればよいのか。著者の山田氏は、フェイクニュースには、情報の真偽に無関心なでたらめが数多く含まれていることを問題視し、インターネット上の情報や意見を結論としてすぐ受け入れるのではなく、まずは真偽の判断を保留する「何が真実なのか結論なのか急がない」ことを主張する。

五味川純平の小説『戦争と人間』の中で、満州事変で戦死する兄が出征前に一人残していく幼い弟にかけた言葉が思い出された。

「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも、本当によくわかるまで、わかりが遅いってことは恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だ」

 

2025年10月8日水曜日

【TORCH Vol. 161】「あなたの『居場所』は見つかりましたか?」

 子ども運動教育学科 講師 宮田洋之


大学に入って、新しい環境で友達を作るのに苦労していませんか。サークル、部活、ゼミ活動等において「なんか自分だけ浮いてるかも」と感じたことはありませんか?あるいは、SNSで他人の充実した日々を見て、「みんな楽しそうなのに、自分だけ...」と落ち込んだりしていませんか?

今日は、そんなあなたに「アドラー心理学」という心理学の話をしたいと思います。アルフレッド・アドラーは、フロイトやユングと並ぶ心理学の巨匠でありながら、日本ではあまり知られていませんでした。しかし近年、『嫌われる勇気』という書籍がベストセラーになり、注目を集めています。

アドラーは「過去のトラウマ」に縛られる考え方を否定し「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しました。そして、対人関係を改善していくための具体的な方法を示したのです。人間関係に悩む現代の私たち、特に新しい環境で人間関係を築いていく大学生にとって、とても役立つ考え方だと思います。

 

あなたは何のために、その行動をしているのでしょうか?

 

アドラー心理学には「目的論」という考え方があります。人は過去の原因に縛られて行動するのではなく、未来の目的に向かって行動しているという考え方です。例えば、あなたが授業中に突然スマホをいじり始めたとします。「授業がつまらないから」というのは原因論的な説明です。でもアドラーは違う見方をします。「注目を集めたいから」「先生に反抗して自分の強さを示したいから」という目的があると考えるのです。

人間関係で悩んでいるあなたも、ちょっと考えてみてください。SNSに「疲れた」「もうダメかも」って投稿するのは、本当に疲れているからでしょうか?それとも、誰かに心配してほしい、注目してほしいという目的があるのではないでしょうか?

ここでの解決の糸口は、まず自分の行動の目的に気づくことです。「私は今、何を求めて、この行動をしているのだろう?」と自分に問いかけてみてください。目的がわかれば、もっと適切な方法で、その目的を達成できるかもしれません。注目してほしいなら、困った行動ではなく、授業での発言や何らかの活動への積極的な参加など、建設的な方法で注目を集めることができるはずです。

 

「所属欲求」という、人間の根源的な願い

 

アドラーは言います。人間には「集団の中に居場所がある」という所属欲求があると。この欲求は時として、食欲や睡眠欲よりも強いのです。人は孤立を深く恐れ、どこかに所属していたいと強く願う生き物なのです。

あなたが今、人間関係で悩んでいるなら、それはこの所属欲求が満たされていないのかもしれません。「ここに自分の居場所はあるのか?」「自分はこの集団に受け入れられているのか?」という不安が、あなたを苦しめているのではないでしょうか。

この悩みへの解決の糸口は、小さな所属から始めることです。

いきなり大きな集団に溶け込もうとしなくても大丈夫です。まずは、一人でもいい、気の合う友人を見つけてみましょう。図書館で一緒に勉強する仲間を作るのもいいでしょう。小さな所属感が、やがてあなたの自信となり、より広い人間関係へとつながっていきます。

 

三つの課題を、ちゃんとこなせていますか?

 

アドラーは、人間には三つのライフタスク(人生の課題)があると言いました。

一つ目は「仕事」のタスクです。大学生のあなたにとっては、勉強がそれにあたります。ゼミの発表準備やレポート、サークルの運営なども含まれます。社会や集団への貢献を意味する課題です。

二つ目は「友情」のタスクです。他者との良好な関係を作ること。友達だけではありません。先輩や後輩、教員との関係も含まれます。

三つ目は「愛情」のタスクです。家族との関係、恋人との関係がこれにあたります。

この三つがうまく回っていると、人は安定します。でも、一つでも欠けると不安定になっていきます。逆に言えば、一つがうまく動き始めると、他にもいい影響を与えます。

ここでの解決の糸口は、今できていることから始めることです。三つ全部がうまくいっていないと感じても、焦らないでください。例えば、人間関係がうまくいっていなくても、まずは勉強に集中してみる。レポートをきちんと仕上げる、授業に真面目に参加する。そうした「仕事」のタスクに取り組むことで、自信がついてきます。その自信が、友達に話しかける勇気につながるかもしれません。あるいは、家族に電話をかけてみる。「愛情」のタスクを満たすことで、心が安定し、大学での人間関係も改善していくかもしれません。一つずつ、できることから始めましょう。

 

あなたには、適切な行動を選ぶ「勇気」があります

 

アドラー心理学のキーワードに「勇気づけ」というものがあります。これは、どんな人であっても、自分には適切な行動を選択し、実行する力があると気づかせることです。

あなたも同じです。今は人間関係で悩んでいるかもしれません。でもあなたには、適切な行動を選ぶ力があります。一歩を踏み出す勇気があります。完璧じゃなくていいのです。人は不完全で、失敗するものですから。大事なのは、あなたがあなた自身の存在に価値を見出すこと。立派なことをした時だけ認められるのではありません。あなたはそこに存在するだけで、価値があるのです。

最後の解決の糸口は、小さな成功体験を積み重ねることです。今日、誰かに挨拶をしてみる。授業で一度手を挙げてみる。困っている友人に声をかけてみる。そんな小さなことでいいのです。その小さな行動が、あなたの勇気を育てていきます。失敗しても大丈夫。次はもっとうまくできるはずです。そして、うまくいった時は、自分を褒めてあげてください。「今日、よくやった」と。

 

最後に

 

あなたの周りには、必ず居場所があります。もし今いる場所がしっくりこないなら、別の場所を探してもいいのです。でも忘れないでください。あなたはその集団の一員として、何か貢献できることがあるということを。

今日から少しずつ、あなたの「居場所」を作っていきましょう。一人で悩まず、周りの人にも相談してみてください。学生相談室だって、いつでもあなたを待っています。あなたには幸せになる方法を見つける力がある。そう、アドラーは信じていますし、私も信じています。

2025年9月24日水曜日

【TORCH Vol. 160】「いさお君がいた日々」(さくらももこ)

                                                        体育学部 子ども運動教育学科 教授 原 新太郎

 「日曜日 夕方のテレビ」と言えば? 「笑点」「サザエさん」と並んで出てくるのは「ちびまる子ちゃん」でしょうか。「ちびまる子ちゃん」作者のさくらももこさん(以下「ももこさん」と書きます)は、漫画家としてだけではなく、イラストレーター、作詞家、作曲家、そしてエッセイストとしても才能を発揮しました。エッセイストとしてのももこさんは、数十冊のエッセイ集を世に送り出しています。その中の一冊、「さるのこしかけ」(1992年 集英社)に収められている「いさお君がいた日々」を紹介しましょう。たった7ページ(約4900字程度)の短いエッセイです。

ももこさんが小学校3年生の時に、特殊学級(現在の特別支援学級)にいさお君が転校してきました。いさお君は、全校集会でみんなに紹介されます。15歳くらいに見える風貌のいさお君にみんながあっけにとられていると、いさお君はとてつもなく大きい声で「よろしくお願いしマッス」と叫び、しばらく台から降りようとしません。そんないさお君を見て、ももこさんは「ものすごい人がやってきた」と思い、気になって仕方がない日々に突入しました。
それからの3年あまり、いさお君が織りなすエピソードに、ももこさんはこんなことを感じています。
〇普通の学級の生徒がいさお君にちょっかいを出し、いさお君のことを笑ったりあざけったりしていたが、いさお君の顔は変わらなかった。振りまわされているのは周りの子どもたちだけで、いさお君は間違いなく自分の中心を持っていた。
〇「そこにいる人」というだけの、何もかも超えた圧倒的な存在感が彼にはあった。
 卒業式。いさお君は静まり返った式典の最中に二回放屁し、いつもの顔で卒業していきました。ももこさんは卒業文集に書かれた絵と文字を見て心を打たれます。
〇明らかに自分にない何かを彼は持っている。そしてそれは途方もなく大きな何かだ。
〇彼の書いたものの中に、私の失いかけていたものが全てあった。彼の眼は全て映している。(中略)彼はいつも全てに対してニュートラルなのだ。そこに彼の絶対的な存在感がある。
〇心の底からいさお君を尊いと思った。そしてその時、いさお君のエネルギーは私の中のどこかのチャンネルを回してくれたと確信している。

 私が「いさお君がいた日々」に出会ったのは33年前、29歳の時でした。私は小学校の特殊学級の担任をしていて、まさにいさお君とそっくりな子どもたちと一緒に毎日を過ごしていました。その頃の私にはどんな思いがあったでしょうか。
・この子たちの苦手なところをどうやって克服させようか。
・この子たちができないことをどうやって補おうか。
・この子たちのことを、ほかの学級の子どもたちや地域の人にどうやって理解してもらおうか。
・この子たちが幸せな人生を歩むために、どんなことをしてあげられるだろうか。
このような思いの根底には、
・この世には二種類の人がいる。それは障害がある人とない人だ。
・障害のある人は、苦手なこと、できないこと、劣っていることがある。
・障害がある人は、障害のない人のようになることを目指さなければならない。
・障害はマイナスでしかない。
こんな考えがあったように思われます。
「いさお君がいた日々」は、私の中にあった考えのチャンネルを確実に回してくれました。
・障害はネガティブなものじゃない。
・苦手なこと、できないこと、それらをその人の力に変えていくことができる。
・障害がある人とない人の二種類の人に分けることなんてできない。
・自分のありのままに生きられることこそが幸せだ。それを実現するには、本人の努力だけじゃなくて、みんなの意識を変えることが必要だ。
私はこんなふうに考えるようになりました。

 ももこさんが小学生の時に考え至ったことに、30歳になろうとしていた私は初めて気づかされました。それ以来30有余年、今や世間では「ダイバーシティー」「共生」という言葉がすっかりお馴染みのものとなりました。教育の世界にも「インクルージョン」の考え方が広がり、特別支援教育に移行し、「インクルーシブ教育システム」構築のために、様々な取り組みが行われています。でもそれらは真に私たちの骨や肉や血になっているでしょうか。
むしろ今の世の中は、多様性への寛容さに背を向けるような流れが強まりつつあるようにも思えます。寛容性は、言葉や、理論や、システムにではなく、私たち一人一人の心の中にこそ育てていかなければならないのではないでしょうか。「いさお君」のような人が真の意味でみんなと共に学び、生活し、ありのままの姿で幸せな人生を歩めるような世の中を目指して、私たちが考えなければならないことはまだたくさんあるように思えるのです。
ももこさんは1965年生まれ。残念ながら2018年に夭折されましたが、ご存命であれば今の世の中を見てどんなことを言ってくれるでしょう。60歳になったいさお君も、どんな人生を歩んできたでしょう。「何もかも超えた圧倒的な存在感」をもったまま、「そこにいる人」としてのびのびと日々を送っていてくれるといいなぁ。

2025年9月1日月曜日

【TORCH Vol. 159】DIE WITH ZERO

                                                                             体育学部体育学科 講師 坂上 輝将

「残りの人生で本当にやりたいことを考えたことはありますか?」


今回は、学生の皆さんが若いうちにしかできないことに挑戦する勇気をくれる本を紹介したいと思います。紹介するのは、ビル・パーキンス著『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』です。タイトルには「死ぬときに財産を残すのではなく、すべてを使い切って死ね」というメッセージが込められています。少し過激に聞こえますが、決して浪費を推奨しているわけではありません。お金・時間・健康という3つの限られた資源をどう配分し、どう使い切って充実した人生を送るかを考えさせてくれる一冊です。


著者が一貫して伝えているのは、「お金は後から稼げても、若さや体力は取り戻せない」ということです。大学生の今は、好奇心旺盛で体力もあり、挑戦できる幅が一番広い時期です。将来のために貯金することも大切ですが、「この時期にしかできない経験」を逃さないことが人生においてとても重要です。


本の中で紹介されている著者自身の体験も印象的です。20代の頃、彼は仕事を一時的に減らしてまで長期のバックパッカー旅行に出かけました。多くの人が「もっとお金を貯めてから行こう」と考える中、彼は体力と好奇心がピークにある時期を選んだのです。その旅で見た景色や人との出会い、文化の違いは、時間が経つほどに価値を増していると彼は語ります。まさに「経験に投資する」という本書の核心を体現しています。


さらに本書が教えてくれるのは、「モノ(物質)は時間が経つと価値を失うが、経験は『思い出』として一生残る」ということです。洋服や車、家などのモノはやがて古びていきますが、経験から生まれた思い出は消えることなく、自分の中に積み重なっていきます。だからこそ著者は、お金や時間をモノではなく、経験にこそ投じるべきだと強調しています。


著者は、実践的な方法として「人生カレンダー」を描くことを推奨しています。自分の残りの時間を意識しながら、どの年代にどんな経験を積むのかを具体的に計画するのです。大学生であれば、4年間という限られた時間を区切って、「今しかできないこと」をリストに書き出し、実際に行動に移すことができます。留学、部活やサークルでの挑戦、長期旅行などの機会は、実は「今」が最適なタイミングかもしれません。


『DIE WITH ZERO』は、「今を生きろ」とただ漠然と説くのではなく、経験の価値を最大化し、人生の最後に「やり残したことはない」と言えるための具体的な考え方を示してくれる本です。読み終えたとき、「自分は何をいつやるのか」という問いが、これまで以上に明確に浮かんでくるはずです。そしてその答えは、きっと思っているよりも近い「今」の中にあるでしょう。


この本を手に取って、ぜひ自分の「やりたいこと」に一歩踏み出してみてください。その行動が、これからの大学生活をより充実させる大きな力になります。

2025年8月5日火曜日

【TORCH Vol. 158】『ぼく モグラ キツネ 馬』が教えてくれる、教師として大切にしたいこと

子ども運動教育学科 助教 小川 真季

  

 私が初めて高校の担任をしたときに出会った絵本が、『ぼく モグラ キツネ 馬』でした。

「“キツネはぜんぜんしゃべらないね”ぼくがささやくと、馬がいった。“そうだな。でもいっしょにいることがすてきじゃないか”」

 クラス経営は、とても大変で、難しいことばかりでした。今回は、「生徒と向き合うことで見えてくる世界がある」ということについて、お話ししたいと思います。当時の私は極端に言えば、「全員が同じ方向を向き、楽しそうに仲良くしている」そんなクラスこそが“良いクラス”だと信じていました。

この絵本のセリフで例えると——「“キツネはぜんぜんしゃべらないね”」。私は、「この子はこの空間を楽しいと思っていないのかな? 誰かと話せるようにしなきゃ!」と焦っていた状態だったのです。

 そんな時、本屋さんで「大人のための絵本」というコメント付きで売られていたこの本に出会いました。

「“そうだな。でもいっしょにいることがすてきじゃないか”」

 この言葉にハッとさせられました。そして、生徒との面談や日々の観察・触れ合いを重ねていく中で、担任としての自分の在り方を見つめ直すきっかけになったのです。それから私は、「私と28人の生徒でしか作れない、居心地の良い空間」を見つける旅を始めました。気づけば、それはとても充実した3年間になっていました。

「それぞれの生徒の行動や姿を尊重しよう。観察してみよう。聞いてみよう」

そんなふうに意識して過ごすことで、生徒との距離が自然と縮まり、私自身もクラスの中で居心地のよさを感じられるようになったのです。

 教育の世界には「正解」がたくさんあります。28人の生徒がいれば、28通りの正解がある。そして私を含めた29人でつくる、そのときだけの正解があります。

 スポーツの世界に長くいると、「比べること」が当たり前になってしまっていることがあります。「普通」とか「一般的には」といった考え方に縛られると、心から面白い・楽しいと思えるものが生まれにくくなり、生徒の可能性をも制限してしまう——このことにも改めて気づかされました。もちろん、なんでも自由にというわけではありません。けれど、「尊重すること」がまず何より大切なのではないかと思います。時間の流れも、成長のスピードも、人それぞれです。早いから良いというわけではありません。正解は生徒の中にある。だからこそ、その正解をできるだけ見抜ける先生でありたい。そう思って、今、教員という仕事に誇りを持ち、学生と日々向き合っています。

 一生懸命に生きていても、認められなかったり、馬鹿にされたり、誰かと比べて焦ってイライラしてしまったりすることもあります。そんなときに、そっと「大丈夫」とやさしく伝えてくれる——そんな存在になりたい。だからこそ、この絵本は、私にとってとても大切な一冊なのです。

「“いちばんのおもいちがいは?”モグラがいう。“かんぺきじゃないといけないとおもうことだ”(いま、私の犬がこの絵のうえを歩き、汚していった……まさにそういうことさ)」

「この世界をおもしろがろう」

 人生は難しい。けれど、確かに“愛されている”ということを、やさしく教えてくれる——私にとってかけがえのない一冊です。


2025年4月30日水曜日

【TORCH Vol. 157】『論理哲学論考』のすゝめ

   教授 宮西 智久

語りえぬものについては、沈黙せねばならない。

この印象的な一文は、オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889–1951)が生前に唯一出版した著作『論理哲学論考』(1921年、以下『論考』)の最終命題である。本書は20世紀哲学に決定的な影響を与え、分析哲学、言語哲学、論理実証主義、科学哲学の成立に深く関わった。刊行から100年以上を経た現在も、その思想は哲学にとどまらず、文学や芸術など多様な領域に影響を及ぼし続けている。

今回、本学附属図書館ブログ『書燈』において『論考』を紹介する機会を得た。哲学的問題について考えると、私たちはしばしば抽象的な問答の応酬に陥りがちである。そうした思考の迷路に入り込む前に、哲学とは何をする営みなのかを根本から考え直すための一冊として、本書を学生の皆さん(とくに新入生)にすすめたい。

以下では、『論考』の要点を、野矢茂樹の解釈を手がかりに簡潔に整理してみたい。

1.    思考と言語の関係について、野矢は二つの立場を区別している。一つは、思考が先にあり、言語はそれに意味を付与するための手段にすぎないとする考え方である。もう一つは、言語の構造そのものが、私たちが何を考えうるかを決定しているとする考え方である。ウィトゲンシュタインは後者の立場を徹底し、哲学的問題の多くは、言語の働きに対する誤解から生じていると考えた。

2.    この立場から、ウィトゲンシュタインは「思考の限界は言語の限界である」と捉え、語りうるものと語りえないもののあいだに明確な区別を引こうとした。『論考』において語りうるものとは、事実を描写し、真か偽かが定まる命題である。たとえば、「ハチ公は秋田犬である」や「漱石はエベレストに登った」といった文は、事実関係によって真偽が決まるという意味で、有意味な命題である。

3.    これに対して、倫理、価値、美、人生の意味、自我といった主題は、事実を記述する命題としては真偽を定めることができない。野矢が強調するように、ウィトゲンシュタインはこれらを単に「無価値」や「どうでもよいもの」として退けたわけではない。むしろ、こうした主題は、論理的言語によっては語ることができないが、私たちの生や世界の捉え方のうちに不可避的に関わってくるもの、すなわち「示されるもの」であると考えられている。

4.    野矢の解釈によれば、『論考』における「無意味(ナンセンス)」とは、意味が欠けているという否定的評価ではなく、「事実を記述する言語の枠組みから外れている」という論理的性格の指摘である。倫理や価値に関する言明は、真偽を問う命題としては成立しないが、それゆえに私たちにとって重要でないということにはならない。むしろ、それらは沈黙を通して、あるいは生き方そのものを通して示されるべきものだと理解される。

5.    このように考えると、『論考』の最終命題「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」は、思考停止や禁欲を命じる言葉ではない。野矢が述べるように、それは、語ることのできないものを無理に語ろうとする哲学的衝動を鎮め、言語の限界を正しく見極めるよう促す言葉なのである。

6.    ウィトゲンシュタインは後年、哲学の役割を「ハエ取り壺の出口をハエに示してやること」に喩えた。野矢はこれを、哲学の仕事とは新たな理論を構築することではなく、私たちを混乱させている問いの立て方そのものを解消する営みだと説明している。哲学は答えを与える学問というよりも、問いの呪縛から私たちを解放するための作業なのである。

『論考』は、独特の構成と極度に凝縮された文章からなる難解な書物である。しかし、その難解さこそが、多様な解釈を生み、今日まで読み継がれてきた理由でもある。本書を通して、哲学とは何をする学問なのか、言語はどのように世界と関わっているのかを考えるきっかけを得てほしい。

本書に関心をもった学生は、以下の邦訳書・解説書を併読すると理解が深まるだろう。とりわけ野矢茂樹による著作は、『論考』の思想を初学者にも開かれたかたちで理解するための最良の導きとなる。大学在学中に、ぜひ手に取ってもらいたい教養書である。 


【推薦図書】

[1]   ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳):論理哲学論考. 岩波文庫, 2003.

[2]   野矢茂樹:『論理哲学論考』を読む. ちくま学芸文庫, 2006.

[3]   野矢茂樹:言語哲学がはじまる. 岩波新書, 2023.

[4]   永井均:ウィトゲンシュタイン入門. ちくま新書, 1995.

[5]   飯田隆:ウィトゲンシュタイン−言語の限界. 講談社, 1997.

[6]   古田徹也:ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考. 角川選書, 2019.

[7]   古田徹也:はじめてのウィトゲンシュタイン. NHKブックス, 2020.

[8]   ウィトゲンシュタイン全集8(藤本隆志訳):哲学探究. 大修館書店, 1986.

 

 

 

 

2025年3月6日木曜日

【TORCH Vol.156】「本は出会い」

 現代武道学科 准教授 阿部弘生

 「本は出会いだから」

 私の母がよく口にする言葉です。自分が読んでみたいと思う本があった時、後で買おうと思っても心が動いた本にかぎって次に買うことができない、ということだそうです。こんな信念があるため、私が小さい頃に本屋に行った時、ある本の上下巻のうち上巻を買ってもらおうとすると、「こういう本は上下巻とも読むことではじめて内容がわかるもの」と、必ず両方を買ってくれました。お祝いごとをほとんど行うことのない家でしたが、珍しくプレゼントをせがんだ高校1年生のクリスマス、要望していた『夏目漱石全集』が本棚に並んでおり、感激したことを覚えています。幼い頃に教えられた通り「どうせ読むなら全部!」が効いたみたいです。後で聞いたところ、“少しでも綺麗な本を!”ということで、仕事の合間をぬって古本屋をかけずりまわってくれていたそうです。

 さて、私の人生の軸は剣道です。

「いいところに連れて行ってやる。」

 幼稚園の年中児だった私は父親のそんな言葉に疑いなど持たず、気付けば凌雲館渡辺道場(秋田県・2003年に閉館)に入門していました。剣道との長い付き合いの始まりでした。その後、中学2年生の時に居合道、高校1年生の時に杖道をはじめ、これまで様々な武道に触れる機会を得てきました。そして、今では専門領域を武道学として、武道の歴史や思想史を研究する立場となっています。こうした経験の中、私の興味の方向性は常に日本文化でした。

 大学院生の頃、恩師の博士論文のあとがきで紹介されている、竹本忠雄先生の著書『マルローとの対話』に出会いました。ド・ゴール政権下に文化大臣をつとめられた作家アンドレ・マルローと竹本忠雄先生との8度に渡る対談とその前後に往還された手紙が収録されています。絵画や彫刻、宗教性や死への至り方など、日本の文化について熱く議論され、しかも海外からの視点で述べられています。お二人が紡ぎ出す言葉の連続に、単なる運動競技ではなく、日本の伝統的身体運動文化である武道を実践している自分を誇らしく思うと同時に、何かとてつもない重さを背負っていることを痛感しました。そして、ある日恩師より、「何度も読んだ本だ。難しいけど、挑戦してみろ」と和辻哲郎の『日本精神史研究』を手渡されました。博士論文に示唆を与えた本ということでした。その後すぐに『和辻哲郎全集』を、これまた母親にせがんで購入してもらい、片っ端から読みあさりました。

 もともと自分を守るために相手を殺傷する、そんな目的の中で生まれた武道が人間形成の道とされている。しかも、戦闘集団である武士が長期に渡って政権を握っていた世の中であるのに、武道は単なる暴力として扱われてこなかった。そこには、日本にとって重要な、忘れてはならない深い文化性があるのではないだろうか。そんなことを日々考えるようになりました。

 本というのは、自分が実際に会って話すことのできない人の知識、考え、感性と出会わせてくれます。人生における経験値が何倍にもなったように思えます。これからもたくさんの出会いを楽しみに過ごしていきます。

2025年2月25日火曜日

【TORCH Vol.155】「読書と聴書」

                      現代武道学科 教授 猪狩 一彦 

 私が前職で勤務していた高校の行事で、校内ビブリオバトル大会というものがありました。ご存じの方も多いと思いますが、「ビブリオバトル」には次のような公式ルールがあります。『発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。順番に1人5分間で本を紹介する。それぞれの発表後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2〜3分間行う。全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員が1人1票で行い最多票を集めた本をチャンプ本とする。』というものです。 

 私も、思わず高校生の推す本に対する熱い思いに惹かれて、その本を手に取り読んでいました。高校や大学生の時期は感受性が豊かで、周囲のあらゆるものから刺激や影響を受けながら自分だけの感性を磨き輝かせる時期です。彼らが感銘する世界観を共有し、その感性を感じることはとても楽しい時間であり、同時に彼らの成長を感じることもありました。

 本の中には、普段会話をする際に自分では使わないような言葉や知らなかった言葉に触れ、さまざまな言葉を覚えていくことで語彙力が身につきます。また、物語は起承転結などの構成に沿って話が作られていますので、順序立てて物事を考える力がはぐくまれ、論理的な思考力が身につきます。さらに、本を読んでいるときには具体的な情景を思い浮かべたり、主人公の気持ちを考えたり、頭の中でさまざまなイメージを思い浮かべることによって、想像力や判断力が養われていきます。そして、自身が行動を起こす際にさまざまなシーンを想像しながら行動する術が身につくとともに、対話力やコミュニケーション力も向上します。文科省の学習指導要領にも読書活動のすすめが盛り込まれており、「主体的・対話的で深い学び」の定義にも繋がります。 

 ところで、このように楽しみの多い読書ですが、最近のマイブームとして、車での通勤時間が増えてことによりオーディオブックを通した聴書(読書とはいえないので)時間が多くなりました。オーディオブックの良さは、目に負担がかからないことと併せて、作業をしながら本の世界に浸れます。今年度の聴書は40冊を超え、楽しい通勤時間を過ごしています。しかし欠点としては、「運転しながら」であり、自分のペースで読めるわけでもないので、知識を得るような本には向いてないので、どちらかというと、気軽に読める小説がおすすめです。そこで、この1年で聴書した本からお気に入りの2冊を紹介します。

  『俺たちの箱根駅伝』 著者 池井戸 潤 (文藝春秋)

   母校が出場しているとか、学生の時に陸上競技をやっていたとかに関係なく、お正月に箱根駅伝に見入ってしまう理由が、この本を読んでわかった気がします。タスキをつなぐ選手それぞれに、箱根駅伝に掛けてきたドラマがあります。予選落ちした大学から選ばれた学生連合チームを主人公に、それを伝える放送局やスタッフなど、本戦のテレビ中継のいろいろな裏側が見える構成となっています。上巻の最後は、運転しながら涙が止まりませんでした()

  水滸伝 著者 北方 謙三 (集英社文庫)

 大国「宋」に立ち向かう、同士たちそれぞれの熱い思い(文中では「志」と表現されている)、この志に共感し、梁山泊に集まった人々による革命の物語です。各人が仲間の志や生き方に惹かれて、強くなろうともがきます。挑戦しないで後悔するよりは、後悔を残さずに志を遂行したいと思わせる内容です。全19巻の大作です。

 この2つの作品に共通する魅力は、ともに小さな存在のものが、失敗を恐れずに大きな壁に果敢に挑戦していく姿にあります。人生の選択肢に迷ったとき、なるべく後悔しなさそうな方を選ぶということを続けていこうと思わせる作品でした。

 最後になりますが、拙い文章におつき合いいただきありがとうございました。

2025年2月20日木曜日

【TORCH Vol.154】「企業改革のジレンマ『構造的無能化』はなぜ起きるのか」

                                                                 体育学科 准教授 松井 陽子

 20244月に仙台大学に着任する以前、私の主な仕事は様々な種類の「組織改革」だった。表向きは「国際競技力向上」や「選手育成環境整備」「指導者養成」「統括人材育成プログラム」「女性アスリート支援」など様々な名目がついているのだが、そこで実施する事業はあくまでも時限的なものであり、その本質は、組織を変革し、それぞれの事業で手を付けた課題解決のための取組みが継続的に実施される体制、システムを構築することである。しかもそれは自分の所属する組織ではなく「他組織の中に」「外部から」行わなくてはならない。そうした業務の中で見てきた様々な組織が直面する壁とその乗り越え方について、経験の中で私自身が感じてきたことを理論的にすべて説明してくれたのが本書だった。

 この本に出合ったのはある知人のSNSの投稿だった。彼女はいわゆる民間畑のキャリアウーマンで、本書も一般企業を念頭に書かれているが、その理論は中央競技団体やスポーツ統括団体、地方自治体、そして大学など、あらゆる組織に当てはまると感じた。そこで、「企業」を「組織」と置き換えて紹介する。その概要はこうだ。

 まず、「構造的無能化」とは何か。多くの組織は様々な事業をより効率的に、合理的に実施しようとし、事業が発展していくにつれ分業化、断片化が進んでいく。それをそのままにすると、組織メンバー(職員・スタッフ・コーチ・教員などそれぞれの組織に属す人すべて)の思考の幅と質が制約され、それぞれの部門や部署で目先の問題解決ばかりを繰り返し、根本的な問題解決に至らないまま、徐々に疲弊していく。つまり、組織が考えたり実行したりする能力を喪失し、環境変化への適応力を喪失していくことを指す。

 組織は社会の変化を感じ、自分たちも変わらなければならないと気づいてはいるものの、この構造的無能化に陥った組織はなかなか変わることができない。第1章の小見出しはこう続く。「動かない現場―嫌われる人事部門」「浸透しないパーパス―いらだつ経営企画部門」「いつのまにこんな会社になってしまったのか―愕然とする経営層」・・

 こうした組織がまず陥る問題は、これらの原因を組織メンバー個々人の意識の問題や組織風土の問題としてしまうことであると著者は指摘している。本当は組織の体制や構造に課題があるにも関わらず、「メンバーのせい」にしてしまうのである。そして、組織の危機感を理解させようと、様々なデータやレポートを提出するよう求めたり、ワークショップや研修会を開催したり、あの手この手で取り組むものの成果は全くみられない。改革を進めようとすればするほど、組織内の反発や無力感、非協力的な雰囲気が蔓延する。

著者は「危機感は組織を変えない」と断言する。組織が動かないのは危機感が足りないからであると問題を矮小化してしまうことは、動かない組織に対し「危機を理解する改革派の私(我々)と、危機を理解しない守旧派の人々」という対立の構図を助長するだけでなく、「変革が進まないのは、あなたの危機感が足りないせいだ」と言われたら、声を挙げようとする気持ちまで削がれ、組織を去ってしまうようなこともあるだろうと。

では、どうすればいいのか。

著者は組織メンバーの「自発性」を重要視する。「大切なことは、自発性を一方的に喚起することはできないということ、そして、自発性は一見相手の中に生じる現象のように見えるが、実際は、相手との対話的なプロセスから生まれる協働的な現象であるということだ。」変革を起こそうとする人には様々な立場の人がいる。本書はどちらかというと経営者側や変革推進を任された部署の人向けに書かれているが、根本のところはどの立場の人が取り組む場合も変わらないと私は感じた。

つまり、その組織が直面している問題や課題をみんなで考え協働する体制を整えることが重要だ。協働するためにはお互いが感じている問題や課題を共有し、進む方向を決定する必要がある。その際、一方的に自分が感じていることを話したり、相手に「自由に話してくれ」と振ったりするのではうまくいかない。多くの場合、話のきっかけは変革をしたい側から作る=自分の方から話すことになるが、その時「語り手は聞き手の言葉で語らなければならない」と著者はいう。「相手の視点を媒介にして自分たちの取り組みを捉えなおし、それを相手の言葉で語ることで、双方がその取り組みの参加者となり、結果的に自発性が生まれる。」

私はこれを端的に言うと「仲間を作っていくこと」だと思っている。部署や上下は関係なく、一緒に動いてくれる仲間をどれくらい作れるか。部活動で言えば、部員=仲間ではなく、考えに賛同してくれるメンバーのことだ。最初は組織の外に仲間がいてもいい。話を聞き、一緒に考えてくれる仲間、私の前職はこの立場だ。そして、まず組織内に仲間を増やしていくための作戦を考える。自分の考え、組織の問題、課題を整理し、それをどう伝えたら伝わるか、どこに仲間がいそうかを整理していく。中には手ごわい相手もいる。そんな時は、「その人は誰の話なら聞くのか」をリサーチし、間接的にアプローチする。こうして仲間になっていった組織や部署、チームはどんどんと変わっていき、やがて一丸となって歩み始める。

かなり端折って説明したので「本当に?」と思う人も多いだろう。しかし、この本を紹介したいと思ったのは、この原則を知っていれば、皆さんが今、そしてこれから所属する組織の中で、直面する多くの問題を解決することができるから、そして、そうやって培った仲間は、たとえ一瞬の協働だったとしても、同じ方を向き、歩んだ仲間として、一生の宝物になるからだ。ぜひ手に取って欲しい一冊である。

企業変革のジレンマ-「構造的無能化」はなぜ起きるのか

宇田川 元一 著 日本経済新聞出版(2024

 


2025年2月18日火曜日

【TORCH Vol.153】「本とメモ」

                                                                                      現代武道学科  教授  金   漢老

 体育環境で育ってきた私の人生で本との出会の重要性を感じ、日々の生活でメモを大事にしながら練習と大会と指導に役立ててきました。

 図書館の本は色々な資料がある為、(社会・文化・政治・国際社会・スポーツ)自身を成長させるために必要不可欠です。

 学生時代は図書館の重要性を感じることがありませんでしたが、大学生の本格的なスポーツ選手として、練習をしながらメモの重要性がわかりました。

 メモがなければ、日々の生活に支障がでます。

 メモの積み重ねで社会に役立てる【本】を作成できました。

 スポーツ選手出身は、大学入学の際に今までの体育学科に入るのが普通ですが、体育学科以外も勉強ができます。(商大経営・警備)

 体育以外の勉強をする為に、基本的なことはメモでした。

 大学と大学院時は図書館に足を運ぶことが増えました。

 卒業する為に、私の大切なメモと図書館にある資料【本】を使用しながら無事に論文【本】が仕上がり、卒業ができました。

 メモと【本】の重要性がわかるので、現在学生を指導しながら私の残りの人生、メモをとりながら引退する時に【本】を作ることが最後の仕事であります。

 メモと【本】が重要な資料になるので、社会的必要な資料になります。

2025年2月8日土曜日

【TORCH Vol.152】「読書と私」

                                                                                       体育学科 講師 平山 相太

   私が本と出会ったのは高校1年生の時でした。日本一きつい高校で有名であった国見高校に入学し、日々サッカーに明け暮れました。また、サッカー部の規則はとても厳しく、携帯、漫画などの娯楽は一切禁止されていました。

   そんな生活の中、国語の先生に灰谷健次郎の「兎の目」を借りることになりました。時間潰しで借りた本でありましたが、読み進めていくと没入しました。そこから、様々な小説を読み漁りました。その中でも、当時世界的に流行した「ハリーポッター」シリーズは、娯楽のない高校生活に「虹色」の想像を掻き立てられました。当時はまだ映像化もされていなかったため、登場人物やアイテムなどを頭の中でイメージすることが楽しくて仕方がありませんでした。休み時間や、遠征の移動中など時間を見つけては読書をしていました。

   高校卒業後も多くの本を読みました。小説は読者の想像力を掻き立て、没入する力を持っています。現代では、様々な方法で動画を見ることができます。多くの情報、娯楽が存在しますが、文章から頭の中で映像化することもお勧めしたいと思います。

【TORCH Vol.151】「本と私」

 

                      子ども運動教育学科 教授 中里 和裕

   リレーコラム「TORCH」の執筆を依頼されてから,どんな本を紹介しよう?とあれこれ悩んでいるうちに,あっという間に締め切りが迫ってきました。

 おまけに,本を読むのは大好きなのに,読書感想文を書くのは大の苦手…ということもあって,どうにも筆が進みません。

 そこで,今回はとりあえず「本と私」という題にして,これまでに出会ったいろいろな本や作家を紹介してみたいと思います。

 記憶に残っている本の中で一番古いのは,幼稚園の頃に父が買い与えてくれた「ピーターとオオカミ」(セルゲイ・プロコフィエフ)。絵本とレコードがセットになっていて,レコードを聴きながら夢中になって絵本のページをめくっていた思い出があります。ちなみにセルゲイ・プロコフィエフはロシアの作曲家で,「ピーターとオオカミ」は彼が子どものために作曲した交響的物語です。主人公のピーターをはじめとして,登場する人物や動物たちには例えば「小鳥」には「フルート」,「猫」には「クラリネット」というように特定の楽器とテーマが割り当てられており,今でもそれぞれのテーマを聴くと絵本の絵柄が思い浮かびます。残念ながら現物が残っていないので,この絵本の作者や出版社も今はもう分からないのですが,現在でもいろいろな出版社から「CD付き絵本」という形で出版されているようですから,読んだことがない(聴いたことがない)という方はぜひ一度手に取って見て(聴いて)ほしいと思います。

 次に思い出に残っているのは漫画なのですが,ムロタニツネ象さんが執筆された「漫画日本史」(集英社刊)です。これは小学校3年生の頃に父が買い与えてくれたものでしたが,当時私が住んでいた名古屋市緑区鳴海町というところが,戦国時代には織田信長と今川義元が戦った「桶狭間の戦い」の前哨戦が繰り広げられた古戦場だったということもあり,歴史が身近に感じられる土地柄も相まって,私はこの本をきっかけに大の歴史好きとなったのでした。この本は既に絶版になっていますが,ムロタニツネ象さんはその後も学研から多くの歴史漫画を執筆されていますので,絵を見ると「あぁ,この漫画を描いた人か」と思い出される方も多いのではないかと思います。

 もう一つ,小学生の頃によく読んでいたのが「童話」でした。坪田譲治,宮沢賢治,壺井栄,小川未明,浜田廣介,新美南吉といった日本の童話作家が好きで,中でも新美南吉の叙情的な童話が大好きでした。新美南吉さんの童話は小学校の教科書に載っている「ごんぎつね」が有名ですが,私のオススメは絵本の「手ぶくろを買いに」(新美南吉作,黒井健絵,偕成社刊)です。黒井さんの描く絵は南吉の作風に最もマッチしていると私は勝手に思っています。

 ここまで書いたらもう結構な文字数になってしまったので,最後に中学時代の思い出を紹介します。私が人生の中で最も本に親しんだのがこの頃でした。毎日のように学校の図書館に通っては本を借りて読み,年間の読書量で校内1位になったこともありました。この頃読み漁っていたのは,SF(サイエンスフィクション)と世界の神話,民話でした。

 当時のSFは今ではもう「空想科学小説」というよりは「古典」に分類されるような作品ばかりですが,海外の作品では,HG・ウエルズ,ロバート・A・ハインライン,アーサー・C・クラーク,アイザック・アシモフといったSF作家の作品をよく読んでいました。日本のSF作家ではやはり星新一さん,小松左京さん,筒井康隆さんといったところでしょうか。

 世界の神話や民話への興味・関心は,実はその後成人してからのカール・グスタフ・ユングの分析心理学との出会いにつながっていくことになるのですが,そのお話はまた次の機会にしたいと思います。

 最後に,今回このコラムを書かせていただいて,最近読んでいるのは専門書ばかりで,「心を豊かにしてくれる本」をちっとも読んでいないことに気付きました。今度の休みには久し振りに地元の図書館に行ってみようかな…と思っています。

2024年12月12日木曜日

【TORCH Vol.150】『ありがとうの神様』「神様が味方をする71の習慣」(ダイヤモンド社) ~人生の悩みを解決する法則と方程式とは?~

 スポーツ栄養学科 教授 石澤 浩二

ここ8年ほどずっと愛読したり、愛聴したりしているものがあります。それは、斎藤一人氏と小林正観氏の書籍と話(YouTube等)です。お二人には、出逢いがもっと早ければと思うこともありますが、前職場の定年を終え、この人性の折り返し地点にある時にこそ、お二人に出会えたことを、天に感謝しています。
 基本的にお二人共、共通する考え方が多く、どちらもその道で大変な成功を納めており、誰にも当てはまる教えなのですが、特に斎藤一人さんはビジネスマンや商売人向けで、小林正観さんは万人向けであると感じます。

 今回は、特に小林正観さんに焦点を当てます。小林氏の教えを読むことで、人生観ががらりと変わる方も多いと思いますが、読みやすい、興味のある個所から気軽に読んでみてください。すると、私のようにその日から、人生の重荷がやけに軽く感じられるようになるかも知れません。仕事で、学業で、人生で行き詰まった時にも読むのに最適です。

小林氏は1948年東京生まれ。中央大学法学部卒。心理学博士、教育学博士、社会学博士。心学研究家、コンセプター、デザイナー。SKPブランドオーナー。2011 年没。亡くなる直前まで年間300回ほどの講演を毎年開催。小林氏は元々、無神論で、唯物論者で、努力至上主義の塊のような方でした。それは、当時、最も受験生の多い大学で偏差値最高にある中央大学法学部合格卒業であることからも垣間見られます。
 そんな小林正観氏が、40年の研究を通して、人生の法則や方程式を発見し、神様の存在を知るようになっていきます。人生の後半で、上記のような無茶苦茶な努力は無用とまで唱えます。彼の発見した数々の法則や方程式には、腑に落ち過ぎて驚かされます。人生のモノの見方・考え方を改めさせてくれます。

 冒頭の『ありがとうの神様』はこれまでベストセラーになった小林氏の数々の書物のエッセンスをまとめた「ベスト•メッセージ集」と言われています。数々の珠玉の法則が並んでいます。正に、人生で挫折したり、失敗したり、問題を抱えたりした時に、悟りと癒やしと希望を与えてくれるものばかりです。また、若い学生の皆さんが読むのには、人生の転ばぬ先の杖となることでしょう。


 私がなるほどと納得した71の習慣、法則からほんの一部をシェアします。

1「ありがとう」を言い続けると、また「ありがとう」と言いたくなる現象が降ってくる

宇宙では、「その人がいつも言っている言葉」が「その人の好きな言葉だろう」と思って、「もっとたくさん言わせて、喜ばせてあげたい」という法則が働いています。

神様は、「その言葉がそんなに好きなのなら、その言葉を言いたくなるような現象を用意してあげよう」という働きかけをはじめるらしいのです。(略)「神様」は宇宙法則の番人です。「否定的な言葉を言う人には否定的な現象を、肯定的な言葉を言う人には肯定的な現象を降られている」のです。(略)たくさんの「ありがとう」を口にするだけで、「神様の力」を自由に味方につけることができそうです。

 

2 幸も不幸も存在しない。そう思う「心」があるだけ(「幸せの本質」とは)

 「幸せ」は個人にのみ帰属するものです。「幸せの本体」がどこかにあるのではなく、私が「幸せ」と思えば「幸せ」に、「不幸」と思えば「不幸」になります。(略)すべての人が、「幸せだ」と言える出来事や現象があるのではなく、自分が「幸せだ」と思った瞬間に、そう思った人にだけ「幸せ」が生じるのです。(略)

 目が見える。耳が聞こえる。呼吸ができる。言葉が発せられる。手でものを持つことができる。自分の足で歩ける。携帯で会話できる。家族がいる•••と、いろいろなものに幸せを感じようと思えば、1秒に数十個の幸せを感じることさえできるでしょう。(略)毎秒毎秒毎秒毎秒、「私」が幸せだと思うすべてのことが、「私」にとっての幸せになります。

 

 その他に、「人間関係」、「仕事」、「お金」、「子ども」、「病気」、「運」、「イライラ」、「男女」などすべての悩みが解決する習慣や法則が満載です。

 ここまで読んでくださった皆様に、ありがとう!