2025年9月24日水曜日

【TORCH Vol. 160】「いさお君がいた日々」(さくらももこ)

                                                        体育学部 子ども運動教育学科 教授 原 新太郎

 「日曜日 夕方のテレビ」と言えば? 「笑点」「サザエさん」と並んで出てくるのは「ちびまる子ちゃん」でしょうか。「ちびまる子ちゃん」作者のさくらももこさん(以下「ももこさん」と書きます)は、漫画家としてだけではなく、イラストレーター、作詞家、作曲家、そしてエッセイストとしても才能を発揮しました。エッセイストとしてのももこさんは、数十冊のエッセイ集を世に送り出しています。その中の一冊、「さるのこしかけ」(1992年 集英社)に収められている「いさお君がいた日々」を紹介しましょう。たった7ページ(約4900字程度)の短いエッセイです。

ももこさんが小学校3年生の時に、特殊学級(現在の特別支援学級)にいさお君が転校してきました。いさお君は、全校集会でみんなに紹介されます。15歳くらいに見える風貌のいさお君にみんながあっけにとられていると、いさお君はとてつもなく大きい声で「よろしくお願いしマッス」と叫び、しばらく台から降りようとしません。そんないさお君を見て、ももこさんは「ものすごい人がやってきた」と思い、気になって仕方がない日々に突入しました。
それからの3年あまり、いさお君が織りなすエピソードに、ももこさんはこんなことを感じています。
〇普通の学級の生徒がいさお君にちょっかいを出し、いさお君のことを笑ったりあざけったりしていたが、いさお君の顔は変わらなかった。振りまわされているのは周りの子どもたちだけで、いさお君は間違いなく自分の中心を持っていた。
〇「そこにいる人」というだけの、何もかも超えた圧倒的な存在感が彼にはあった。
 卒業式。いさお君は静まり返った式典の最中に二回放屁し、いつもの顔で卒業していきました。ももこさんは卒業文集に書かれた絵と文字を見て心を打たれます。
〇明らかに自分にない何かを彼は持っている。そしてそれは途方もなく大きな何かだ。
〇彼の書いたものの中に、私の失いかけていたものが全てあった。彼の眼は全て映している。(中略)彼はいつも全てに対してニュートラルなのだ。そこに彼の絶対的な存在感がある。
〇心の底からいさお君を尊いと思った。そしてその時、いさお君のエネルギーは私の中のどこかのチャンネルを回してくれたと確信している。

 私が「いさお君がいた日々」に出会ったのは33年前、29歳の時でした。私は小学校の特殊学級の担任をしていて、まさにいさお君とそっくりな子どもたちと一緒に毎日を過ごしていました。その頃の私にはどんな思いがあったでしょうか。
・この子たちの苦手なところをどうやって克服させようか。
・この子たちができないことをどうやって補おうか。
・この子たちのことを、ほかの学級の子どもたちや地域の人にどうやって理解してもらおうか。
・この子たちが幸せな人生を歩むために、どんなことをしてあげられるだろうか。
このような思いの根底には、
・この世には二種類の人がいる。それは障害がある人とない人だ。
・障害のある人は、苦手なこと、できないこと、劣っていることがある。
・障害がある人は、障害のない人のようになることを目指さなければならない。
・障害はマイナスでしかない。
こんな考えがあったように思われます。
「いさお君がいた日々」は、私の中にあった考えのチャンネルを確実に回してくれました。
・障害はネガティブなものじゃない。
・苦手なこと、できないこと、それらをその人の力に変えていくことができる。
・障害がある人とない人の二種類の人に分けることなんてできない。
・自分のありのままに生きられることこそが幸せだ。それを実現するには、本人の努力だけじゃなくて、みんなの意識を変えることが必要だ。
私はこんなふうに考えるようになりました。

 ももこさんが小学生の時に考え至ったことに、30歳になろうとしていた私は初めて気づかされました。それ以来30有余年、今や世間では「ダイバーシティー」「共生」という言葉がすっかりお馴染みのものとなりました。教育の世界にも「インクルージョン」の考え方が広がり、特別支援教育に移行し、「インクルーシブ教育システム」構築のために、様々な取り組みが行われています。でもそれらは真に私たちの骨や肉や血になっているでしょうか。
むしろ今の世の中は、多様性への寛容さに背を向けるような流れが強まりつつあるようにも思えます。寛容性は、言葉や、理論や、システムにではなく、私たち一人一人の心の中にこそ育てていかなければならないのではないでしょうか。「いさお君」のような人が真の意味でみんなと共に学び、生活し、ありのままの姿で幸せな人生を歩めるような世の中を目指して、私たちが考えなければならないことはまだたくさんあるように思えるのです。
ももこさんは1965年生まれ。残念ながら2018年に夭折されましたが、ご存命であれば今の世の中を見てどんなことを言ってくれるでしょう。60歳になったいさお君も、どんな人生を歩んできたでしょう。「何もかも超えた圧倒的な存在感」をもったまま、「そこにいる人」としてのびのびと日々を送っていてくれるといいなぁ。