体育学科 准教授 松井 陽子
2024年4月に仙台大学に着任する以前、私の主な仕事は様々な種類の「組織改革」だった。表向きは「国際競技力向上」や「選手育成環境整備」「指導者養成」「統括人材育成プログラム」「女性アスリート支援」など様々な名目がついているのだが、そこで実施する事業はあくまでも時限的なものであり、その本質は、組織を変革し、それぞれの事業で手を付けた課題解決のための取組みが継続的に実施される体制、システムを構築することである。しかもそれは自分の所属する組織ではなく「他組織の中に」「外部から」行わなくてはならない。そうした業務の中で見てきた様々な組織が直面する壁とその乗り越え方について、経験の中で私自身が感じてきたことを理論的にすべて説明してくれたのが本書だった。
この本に出合ったのはある知人のSNSの投稿だった。彼女はいわゆる民間畑のキャリアウーマンで、本書も一般企業を念頭に書かれているが、その理論は中央競技団体やスポーツ統括団体、地方自治体、そして大学など、あらゆる組織に当てはまると感じた。そこで、「企業」を「組織」と置き換えて紹介する。その概要はこうだ。
まず、「構造的無能化」とは何か。多くの組織は様々な事業をより効率的に、合理的に実施しようとし、事業が発展していくにつれ分業化、断片化が進んでいく。それをそのままにすると、組織メンバー(職員・スタッフ・コーチ・教員などそれぞれの組織に属す人すべて)の思考の幅と質が制約され、それぞれの部門や部署で目先の問題解決ばかりを繰り返し、根本的な問題解決に至らないまま、徐々に疲弊していく。つまり、組織が考えたり実行したりする能力を喪失し、環境変化への適応力を喪失していくことを指す。
組織は社会の変化を感じ、自分たちも変わらなければならないと気づいてはいるものの、この構造的無能化に陥った組織はなかなか変わることができない。第1章の小見出しはこう続く。「動かない現場―嫌われる人事部門」「浸透しないパーパス―いらだつ経営企画部門」「いつのまにこんな会社になってしまったのか―愕然とする経営層」・・
こうした組織がまず陥る問題は、これらの原因を組織メンバー個々人の意識の問題や組織風土の問題としてしまうことであると著者は指摘している。本当は組織の体制や構造に課題があるにも関わらず、「メンバーのせい」にしてしまうのである。そして、組織の危機感を理解させようと、様々なデータやレポートを提出するよう求めたり、ワークショップや研修会を開催したり、あの手この手で取り組むものの成果は全くみられない。改革を進めようとすればするほど、組織内の反発や無力感、非協力的な雰囲気が蔓延する。
著者は「危機感は組織を変えない」と断言する。組織が動かないのは危機感が足りないからであると問題を矮小化してしまうことは、動かない組織に対し「危機を理解する改革派の私(我々)と、危機を理解しない守旧派の人々」という対立の構図を助長するだけでなく、「変革が進まないのは、あなたの危機感が足りないせいだ」と言われたら、声を挙げようとする気持ちまで削がれ、組織を去ってしまうようなこともあるだろうと。
では、どうすればいいのか。
著者は組織メンバーの「自発性」を重要視する。「大切なことは、自発性を一方的に喚起することはできないということ、そして、自発性は一見相手の中に生じる現象のように見えるが、実際は、相手との対話的なプロセスから生まれる協働的な現象であるということだ。」変革を起こそうとする人には様々な立場の人がいる。本書はどちらかというと経営者側や変革推進を任された部署の人向けに書かれているが、根本のところはどの立場の人が取り組む場合も変わらないと私は感じた。
つまり、その組織が直面している問題や課題をみんなで考え協働する体制を整えることが重要だ。協働するためにはお互いが感じている問題や課題を共有し、進む方向を決定する必要がある。その際、一方的に自分が感じていることを話したり、相手に「自由に話してくれ」と振ったりするのではうまくいかない。多くの場合、話のきっかけは変革をしたい側から作る=自分の方から話すことになるが、その時「語り手は聞き手の言葉で語らなければならない」と著者はいう。「相手の視点を媒介にして自分たちの取り組みを捉えなおし、それを相手の言葉で語ることで、双方がその取り組みの参加者となり、結果的に自発性が生まれる。」
私はこれを端的に言うと「仲間を作っていくこと」だと思っている。部署や上下は関係なく、一緒に動いてくれる仲間をどれくらい作れるか。部活動で言えば、部員=仲間ではなく、考えに賛同してくれるメンバーのことだ。最初は組織の外に仲間がいてもいい。話を聞き、一緒に考えてくれる仲間、私の前職はこの立場だ。そして、まず組織内に仲間を増やしていくための作戦を考える。自分の考え、組織の問題、課題を整理し、それをどう伝えたら伝わるか、どこに仲間がいそうかを整理していく。中には手ごわい相手もいる。そんな時は、「その人は誰の話なら聞くのか」をリサーチし、間接的にアプローチする。こうして仲間になっていった組織や部署、チームはどんどんと変わっていき、やがて一丸となって歩み始める。
かなり端折って説明したので「本当に?」と思う人も多いだろう。しかし、この本を紹介したいと思ったのは、この原則を知っていれば、皆さんが今、そしてこれから所属する組織の中で、直面する多くの問題を解決することができるから、そして、そうやって培った仲間は、たとえ一瞬の協働だったとしても、同じ方を向き、歩んだ仲間として、一生の宝物になるからだ。ぜひ手に取って欲しい一冊である。
企業変革のジレンマ-「構造的無能化」はなぜ起きるのか
宇田川 元一 著 日本経済新聞出版(2024)