2014年7月24日木曜日

【TORCH Vol.058】 池井戸潤 『ルーズヴェルト・ゲーム』 ~企業スポーツのエンタメ参考書~

高成田 亨

日本のスポーツを大学とともに支えてきた企業スポーツの歴史や現状、今後のあり方を学ぶ「企業スポーツ論」という講義を続けている。ある日の授業のあとで、「先生が話しをしていたのと同じような話がこの本に書かれています」と言って、紹介されたのが池井戸潤の『ルーズヴェルト・ゲーム』(講談社文庫)だった。

早速、本屋で買い求めてわかったのは、この作家が「倍返し」で話題になったテレビドラマ「半沢直樹」の原作者(原作は『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』=いずれも文春文庫)であり、2011年には『下町ロケット』(小学館文庫)で直木賞を受賞した人物で、受賞後の第1作として2012年に刊行されたのがこの作品ということだ。

直木賞といえば、芥川賞と並び、文学界ではもっとも権威のある賞だけに、直木賞作家となった池井戸氏が相当に力を入れたものだと想像できる。実際、読んでみると、その筋書きの面白さにつられて一気に読んでしまった。

中堅の電子部品メーカーである青島製作所は、創業者が熱心な野球ファンで、自らも企業内に野球チームを設けて、支援してきた。しかし、ライバル会社のミツワ電器に監督と主力投手や打者を引き抜かれ、成績不振に陥ったところに、2008年のリーマンショックで会社本体の経営も苦しくなり、野球部の存続も危うくなる。

そこで、風前の灯火(ともしび)となった野球部を再興するために立ち上がった男たちがこの物語のヒーローたちで、次々に襲いかかる危機と、その後の逆襲というか「倍返し」は、はじめからテレビの連続ドラマを意識したようなで展開になっている。作者の思惑通り、2014年4月から6月までテレビドラマとして放送されたというから、ご覧になった人も多いのではないか。

★企業スポーツの歴史
日本の企業は、西欧の文化であるスポーツが我が国に紹介された明治以降、企業内にスポーツチームをつくり、その競い合いのなかで、日本のスポーツ全体の水準を国際レベルにまで高めてきた。その成功例のひとつが1964年の東京オリンピックで、紡績会社ニチボー(現ユニチカ)の企業チーム「ニチボー貝塚」の選手を主力とした女子バレーボールが金メダルを獲得した物語だ。

日本で企業スポーツが発達したのは、社員の福利厚生の一環として、従業員によるスポーツチームを積極的に支援したためだが、戦前は労働運動のエネルギーを企業スポーツに向けさせたり、戦後は企業の名前をPRする広告塔としての役割を課せられたりした。さらに企業は経営者が父、従業員が子どもの家族という家族主義の経営が社会に受け入れられ、その家族統合のシンボルとして企業スポーツが使われてきた。

しかし、1990年代にバブル経済が崩壊すると、企業チームを養うだけの財力がなくなったうえに、従業員を大事にする家族主義ではリストラができないとして、企業スポーツは次々に廃部の憂き目にあってきた。2000年代に入ると、廃部の動きは目立たなくなったが、リーマンショックとともに、再び企業スポーツを廃部にする動きが目立ってきた。

この小説の時代設定も、企業スポーツにとっては最後の逆風ともいえるリーマンショックのころで、企業が懸命に生き残り策をさぐるなかで、企業スポーツに何が求められたのかがよく描かれている。この題名は、世界大恐慌から第2次大戦にかけて米国の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(1882~1945)が野球でいちばん面白いのは8対7のゲームだと語ったというエピソードが小説のなかに出てくるので、そこからとったものだろう。

★日産自動車硬式野球部
企業スポーツの現実は、ルーズベルトゲームどころか、経営者の鶴の一声で完封負けというところが多かったが、それでも小説的な展開を見せたという点で思い出されるのは都市対抗野球で活躍した日産自動車の野球チームだ。

1959年に神奈川のチームとして産声をあげた日産自動車硬式野球部は、社会人野球の甲子園ともいえる都市対抗野球に29回の出場を誇る強豪で、1984年と1998年の2度にわたって優勝し、その栄冠である黒獅子旗を獲得している。1999年、悪化する会社の経営を立て直すために、提携先のルノーから「コストカッター」の異名で送り込まれてきたのがカルロス・ゴーン社長だ。

大胆なリストラを進めるゴーン氏のもとで、野球チームも存続が危ぶまれたが、この年の夏の都市対抗野球大会で奮戦する自社のチームを観戦したゴーン氏は、スタンドを埋める応援団の盛り上がりに感銘を受け、直後の記者会見で「都市対抗野球こそは日本の企業文化の象徴」と語り、野球部の存続を明言した。

残念ながらリーマンショック後の2009年、野球部の廃止が決まり、企業スポーツとしては、最後に逆転負け気を喫したが、強引なコスト削減を進めたゴーン氏ですら、野球チームを切ることが難しかったわけで、日本の企業文化における企業スポーツの重要性を物語るエピソードだろう。

★企業スポーツの参考書
この小説の結末がどんな展開になったかは、小説を読んでいただくしかないが、日本の企業スポーツが置かれた最近の状況をわかりやすく、そして面白く解説する参考書として、みなさんには本書を薦めたい。企業スポーツ論を講義するのなら、このぐらいのエンタメ精神がなければ、学生はついてきませんよ。本書を私に紹介した学生の真の意図は、そんなところにあったのかもしれない。スタンドを沸かせるどころか眠らせるのを得意とする私自身の授業ゲームにも、大いに参考になったと、告白しておこう。

2014年7月4日金曜日

【TORCH Vol.057】 1914年

乗松央

 ちょうど100年前のこの年、第一次世界大戦は始まった。第二次大戦における原爆やホロコーストの禍々しい衝撃に目を奪われ、ともすると第一次大戦の歴史的な意義を忘れそうだが、第二次大戦を超える強烈なインパクトを、それは人類史にあたえていた。「現代」と現代史はまさにここから始まる。ルネッサンスに始まりフランス革命を経て完成された西欧近代は、第一次大戦を契機に急激な転換を見せる。時間の経過とともに未来のユートピアへ向けて人類が歩んでいるという進歩思想が、音を立てて崩れ去り、予定調和や自由放任といった近代に特有の価値は第一次大戦を契機に疑念の目で見られるようになる。この衝撃を如実に物語った文献として著名なのが、S.ツヴァィクの『昨日の世界』《注1》である。清水幾太郎編集の『思想の歴史(8)近代合理主義の流れ』《注2》は、この諸相を分かりやすく説明している。
 後の第二次大戦において大英帝国の戦争指導を担うW.チャーチルは自伝的回想「世界の危機*」の中で、第一次大戦について次のように述べている。「--人類は初めて自分たちを絶滅できる道具を手に入れた。これこそが、人類の栄光と苦悩の全てが最後に到達した運命である。」
 にもかかわらず日本の場合、第一次大戦の衝撃が見過ごされがちだ。極東にあってほとんど戦闘行為を経験することなく多大の利益を得ることのできた日本人にとって、この大戦に関する情報は稀薄であったばかりか逆に空前の戦争景気という甘美な事件として記憶された。この辺りの事情は猪瀬直樹の『黒船の世紀』《注3》が次のように生々しく伝えている。「日本人は、悲惨なヨーロッパ戦線を知らず、戦勝景気で湧いていた。--天長節を祝うために、在ベルリンの日本人は高級ホテルのカイザーケラーに集まり、祝賀行事を催した。外交官、軍人、実業家、新聞記者らである。といってもわずか二十数名しかいない。日本国内が戦争景気に湧いているとき、敗戦直後のドイツの実情をつぶさにみる立場にあった人々の数が、たったこれだけだったことは記憶にとどめておきたい。」また加藤陽子の『戦争の日本近現代史』《注4》は外交・軍事面での日本の反応を描いているが、そこには新しい国際情勢に対し目先の利益に右顧左眄する日本の姿と総力戦における戦略と軍事技術への当惑や怯懦があるばかりで、第一次大戦の世界史的な意義を捉える視点を、日本の指導者は欠いていたようである。
  第一次大戦に関する文献の中で特に有名なものにバーバラ・タックマンの『八月の砲声』《注5》がある。ピユリッツァー賞を受けたこの作品は、大戦の背景と開戦劈頭の数週間を描いたに留まるが、しかし甚だ肝要な史実をわれわれに告げている。それは、世界史の大転換をもたらす第一次世界大戦が実は偶然の所産であり、そればかりか各国の指導者たちが本格的な戦闘を回避しようとしたにも拘わらず全面戦争へ突入せざるを得なかったという意外な史実をである。まさに、「ヨーロッパはよろめき入るように戦争に入った」のである。この後につづく戦争の多くが、明確な意思と緻密な計画の下に開始されたのに対し、第一次大戦は偶然の所産という側面が大きい。
(むろんドイツのシュリーフェン計画のように戦争勃発後における戦略や作戦計画は各国に存在したが、開戦前の時点で全面戦争を企て遂行するという明確な国家意志をもつ国は無く、指導者たちはサラエボの暗殺事件から「八月の砲声」に至る数週間を戦争回避のために費やしたのであった)
 そしてこの偶然性こそが、第一次大戦にいっそう暗く冷酷な相貌をあたえている。第一次大戦という偶然がなければ、その後のロシア革命も第二次大戦もなく、その結果、広島・長崎への原爆投下もアウシュビッツも、数える上げることが困難な夥しい命が失われることもなく、そして多大の犠牲を強いながら不毛の結果に終わったソ連東欧圏における社会主義の実験も無かったのである。もし神が存在するなら彼は気まぐれなサディストだろうし、神が存在しないのなら人類は時間の奔流に流され水底に沈む塵芥に過ぎなくなるのではないか。
 何れにせよ、われわれは第一次大戦に始まる現代に存在し、その現代を生きねばならない。この意味において第一次大戦は不可避の史実であり逃れられない現実と言える。
  そこで、この大戦を世界史的展望の中に位置づけて考えようとするなら、ウィリアム・マクニールの『戦争の世界史-技術と軍隊と社会-』《注6》が文庫本になり入門書として便利である。同じマクニールの『世界史』《注7》は、大学生協で現在最も売れている歴史書だそうだが併読すると第一次大戦の立体的な把握が容易になる。また、戦争それ自体を把握するにはリデルハートの『第一次世界大戦』《注8》が最適といえるが、これは浩瀚な大著であるため時間の制約がある場合には同著者の『第一次世界大戦/その戦略』《注9》がコンパクトで読み易い。さらにビジュアル資料によって立体的な理解を進めるには学研の歴史群像シリーズ『[図説]第1次世界大戦』《注10》がある。またNHKと米国のABCによる共同取材、共同制作『映像の20世紀:大量殺戮の完成』《注11》は優れたドキュメンタリー作品である。
 フィクションの分野では、レマルクの『西部戦線異状なし』《注12》があまりに有名だが、これを映画化したR.マイルストン監督作品《注13》も第3回アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した佳品と言える。最近の映像作品ではW.ボイド監督の『トレンチ<塹壕>』《注14》がある。わずか2時間で6万人が犠牲となったソンムの戦いと塹壕戦の諸相をリアルに再現した映像である。
  第一次世界大戦の衝撃を確認するとき真っ先に掲げねばならなかったのがO.シュペングラー『西欧の没落』《注15》である。これを最後に上げるのは、あまりの大著であるため読み切れていないゆえである。
【読書案内】
《注1》S.ツヴァィク『昨日の世界Ⅰ、Ⅱ』原田義人/訳、みすず書房
《注2》清水幾太郎/編『思想の歴史(8)近代合理主義の流れ』平凡社
《注3》猪瀬直樹『黒船の世紀 -ガイアツと日米未来戦記-』(文春文庫)
《注4》加藤陽子『戦争の日本近現代史 東大式レッスン 征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書)
《注5》B.タックマン『八月の砲声(上)(下)』山室まりや/訳(ちくま学芸文庫)
《注6》W.マクニール『戦争の世界史(上)(下)』高橋 均/訳(中公文庫)
《注7》W.マクニール『世界史(上)・(下)』増田義郎・佐々木昭夫/訳(中公文庫)
《注8》リデルハート『第一次世界大戦(上)・(下)』上村達雄/訳、中央公論新社
《注9》リデルハート『第一次世界大戦 その戦略』後藤冨男/訳、原書房
《注10》星川 武/編『歴史群像シリーズ 戦略・戦術・兵器詳解 [図説]第一次世界大戦(上)(下)』学習研究社
《注11》企画・制作:NHK、ABC(米)『映像の20世紀:第2集/大量殺戮の完成;塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た』(NHKエンタープ ライズ)
《注12》レマルク『西部戦線異状なし』秦豊吉/訳(新潮文庫)
《注13》L.マイルストン監督作品『西部戦線異状なし』(発売元:ファーストミュージック株式会社)
《注14》W.ボイド監督作品、S.クラーク製作『ザ・トレンチ <塹 壕>』(英国)販売元:株式会社 ポニーキャニオン
《注15》O.シュペングラー『西欧の没落世界史の形態学の素描<第1巻>形態と現実と』五月書房
*なお、W.チャーチルの「世界の危機World  Crisis」は 1930年に『大戦後日譚:外交秘録』のタイトルで邦訳されたものがあるが、国立国会図書館で閲覧する以外、一般の書籍流通ルートを通じた入手が困難と言われている。本文の引用は、《注11》の映像ソフトにおけるナレーションに拠る。
(完)

【TORCH Vol.056】 私が唯一読む東野作品

山口貴久

このブログを書くことが決まった時、私が最近読んだ本を思い返してみました。すると、驚くことに、ここ数年は東野圭吾の小説以外に読んだ本といえば、アスレティックトレーニングやスポーツ医学に関する専門書しかないことに気が付きました。我ながら情けないことですが、そんな私でも専門書以外に唯一読んでいた東野圭吾作品について今回は触れたいと思います。

私が初めて東野圭吾という作家を知ったのは、当時所属していた社会人体操クラブの選手が東野作品を読んでいた時のことでした。

私「何、読んでるの?」
彼「東野圭吾です!」
私「誰それ?」
彼「え゛~知らないんですか~!?」

当時、数々の作品で既に有名になっていた東野圭吾を私が知らなかったのは、彼からするとかなりショッキングな出来事だったようです。とにかく、この時、初めて東野圭吾という名前を聞きました。

しかし、もともとミステリーや謎解き作品が好きではなかったからか、それからすぐに東野作品を読んだ、というわけではありません。実際に東野作品を読んだのは。数か月後の遠征の移動時でした。出発前の駅の書店で「十字屋敷のピエロ」という作品を購入しました。なぜこの作品を選んだのかは覚えていません。恐らく深い意味はなく、ただ、そこで売られていただけ……だからだと思います。

この「十字屋敷のピエロ」という作品は、とある一家に起こる事件の様子をピエロ人形の視点で語るといった、一風変わったものでした。物語がわき道に逸れることなく、非常にシンプルで読みやすかった印象があります。とはいえ、ものすごく面白かったかというと、それ程でもありませんでした。

しかし、その後も時間があるときは東野作品を読んでいました。それは“はまった”というよりも、他に読む本がなかったから、というのが正しい表現だと思います。

そんな中、東野作品に“はまる”きっかけとなったのは「手紙」という作品でした。この作品は犯罪加害者の家族をテーマに書かれたものです。兄は弟のために殺人を犯したが、弟は殺人犯の兄がいるという理由で様々な苦労を強いられる。とても悲しいですが、いろいろと考えさせられる作品でした。

そして私が「東野圭吾ってすごい!」と心から感じた作品は「天空の蜂」です。私がこの作品を手にしたのは2010年6月のことでした。大学の出張でベラルーシへ行く際に、せっかく移動時間がたっぷりあるので、長編大作をと思い購入しました。作品の内容は、盗まれた超大型ヘリコプターに爆薬を載せ、稼働中の原子力発電所に落とすと脅迫するテロリストを探し出す、というものです。内容に関しては意見が分かれるところですので、あえて触れませんが、何より私は、震災・福島原発問題より16年も前に、東野圭吾が原子力発電所をテーマに作品を書いていたことに驚き、感服しました。震災後に再読したことは言うまでもありません。ちなみにこの作品は来年映画化されるそうです。

東野圭吾といえば、ガリレオシリーズか加賀恭一郎シリーズを挙げる人が多いと思います。私は加賀恭一郎派で、実はガリレオシリーズはあまり好きではありません。理由は自分でも分かりませんが、加賀恭一郎というキャラクターが好きで、湯川学がそれほどでもないからだと思います。ただ両方ともドラマや映画などの実写版を見るのは好きです。それぞれの俳優さんが好きなので(このブログで書くことではないですかね・笑)

東野作品は、ひょっとしたら本格的なミステリー作品をお好みの方は、少し肩すかしを食らうかもしれませんが、非常に分かりやすく、入り込みやすいストーリの作品が多いのでミステリー導入編としては良いものだと思います。是非一度手に取ってみてください。

2014年6月25日水曜日

【TORCH Vol.055】 「本、いつ読むの? いつだっていいでしょ!」

永田秀隆

 大学の頃は自分から進んで本を買って読むという習慣はほぼなかったように記憶している。大学生の皆さんの中には授業で使う教科書を仕方なく買ってという方がいるかと思われるが、私も間違いなくそっち派であった。大学院生になると多少まわりの友人の影響も受けてか、古本屋(なかなか新書には手が出せない状況だったので)に行ければ自分の専門分野に関係のありそうな本を買うようにはなった。ただ、買った本をむさぼり読むということはそれほど多くはなく、本を並べて飾る(これだけで多少読んだ気にはなる。)ということのほうが好きだったかもしれない。なので冊数はある程度あっても、それらの内読んだ物はもしかすると半分以下のような気がする。この時点ですでに私はコラムを書くに相応しくない人物なのかもしれない。以上、で終わりたいところだが、このままだと全く本と関係がない人だと思われ、それはそれでちょっと嫌なので、もう少しおつきあい願いたい。
 大学院生以降は多少読書というものとの接点が増えてきた。私の場合は、何かのきっかけである著書に出会い、その印象が良く自分にあっている時は結構はまるというのがよくあるパターンだ。そのような流れで知りえた著者を三、四人ほど紹介しよう。
 20歳代半ば頃に一気に読んだ、沢木耕太郎氏の『深夜特急1~6』(新潮文庫)、は異国への旅の憧れみたいなものを誘ってくれた。1:香港・マカオ、2:マレー半島・シンガポール、3:インド・ネパール、4:シルクロード、5:トルコ・ギリシャ・地中海、6:南ヨーロッパ・ロンドン、を乗り合いバスでめぐるといった内容だが、沢木氏自身がそう思い立ったのが26歳の頃とのことなので自身に置き換えて考えてみたりするとあまりのギャップに驚きつつも、正直うらやましいと思った。海外をひとり旅することは全くと言っていいほどないが、国内だと出張の仕事を終え、その地域をぶらっと見て回る(だいたいは無計画に)のが好きなのは、本書の影響も少なからずあるだろう。私が大学生の頃は海外留学をする人など自身の周りにはいなかったが、本学も含め昨今の学生は海外へ行ける機会がこんなに多くあり、ありがたいことだなと思う。司馬遼太郎氏の『街道をゆく』シリーズ(全43冊)も同じような理由で私の旅好きに影響を及ぼした。
 はっきりとは憶えていないが、30歳代からはまったのが吉田修一氏の著作である。吉田氏と言えば、朝日新聞で連載、その後著書となり、そして映画化もされた『悪人(上・下)』(朝日文庫)が有名であるが、氏と私との共通点は、同郷(長崎県)であることと、ほぼ同年齢ということである。同じ時代に生まれ、同じような環境(地域)で育った、というだけで身近に感じてしまう。ちなみに、あの福山雅治も同じタイプであるが、あまりの違いに言うほうが恥ずかしくなってしまう。話を戻すと、吉田氏の作品は、いわゆる「あるある」と思えることが多いので共感できるし、臨場感もあるところが何といっても読み甲斐がある。長崎がタイトルについている作品としては、『長崎乱楽坂』(新潮文庫)、がある。昔にタイムスリップできるので、そういう気持ちになりたいときには欠かせないし、方言も懐かしかったりする。「こん人の作るもんは良かよー。(長崎弁です。)」
 最後に登場するのは太田和彦氏である。近年の居酒屋界の巨匠としては、吉田類氏(酒場放浪記が有名)と太田和彦氏があげられ(私見だが)、実は本学の中でも吉田派と太田派に分かれている、といううわさもある。私は太田派を気取っているつもりだが、まだ吉田氏の著作や映像に接したことがないこともあり、実際はなんちゃって太田派なのかもしれない。そこはどうでも良いが、太田氏の作品をいくつかあげてみる。『居酒屋の流儀』、『ニッポン居酒屋放浪記-立志編--疾風編--望郷編-』(新潮文庫)、『ひとりで、居酒屋の旅へ』(晶文社)、そして『太田和彦の居酒屋味酒覧(みしゅらん)』(新潮社)などだが、この部分を打っただけで居酒屋に行きたくなる。もともと氏はグラフィックデザイナーであり、大学教員の経歴もあるが、今ではどちらが本業なのだろうか。太田氏と居酒屋との関わりを読むたび、その場の情景が浮かび、そしてその場へと足を向けたくなる。実際数軒はそうして行った事があるが、大はずれはない。相性やその時の混み具合といった各種条件により、再訪するかどうかは判断に迷う時もあるが、私には合う店が多い気がする。
 少し気持ち的には酔った気分だが、沢木氏と司馬氏は「旅」「地域」、吉田氏は「地元」「地域」、太田氏は「飲食」「地域」、といった視点で私の好奇心を満たしてきてくれたのである。「地域」が全部に関係するのは、この文を書いていて気付き、少しびっくり。彼らの影響でそれらが好きになったのか、もともとそれらが好きだったから彼らに惹かれていったのかはよくはわからないし、ここではどちらでもいいことのように思う。あまり気負わず、気楽に読める本に出会えたらもうけもん、くらいのスタンスでいいのかもしれない(私はそうだったので)。学生の皆さん、今すぐでなくてもいいから、いつかそういう作品や著者と出会えるといいね。

【TORCH Vol.054】 「心が晴れる時代小説、楽しみ方色々」

小池和幸

 肥満防止のために車通勤を止めて、電車通勤にしたころから通勤時間を利用して気分転換を目的に文庫本を読むことにしました。
 以前からなんとなくですが直木賞作家、山本一力の作品を一度読んでみようと思っていました。直木賞作品の「あかね空」を読んだことがきっかけで江戸を舞台にした時代小説にはまってしましました。山本一力の小説には江戸の職人が多く登場します。江戸の職人は皆一本気で義理堅く自分の仕事に対する矜持を忘れません。江戸で暮らす人たちの人情や職人気質な描写は読んでいてすがすがしさを感じます。せめて小説の世界だけでも潔い世の中であってほしい。なんと普段の私たちの暮らしは姑息で不誠実なのかと自戒することしばしばです。義理と人情そして人間愛・・・が満載です。読んだ後になんとなく救われた気持ちになります。人生に悩んだときに江戸時代に生きた人たちの正義や人を思いやり愛することに価値を見出す生き方が手本になるような気がします。

 最近、お亡くなりになりましたが、「利休をたずねよ」で直木賞を受賞した山本兼一の安土桃山城築城にまつわる信長と城づくりの職人親子らの物語「火天の城」を読んでから日本の城に興味を持つようになりました。以前から少々関心はありましたが、小説を読んで俄然、興味がわきました。城の設計図にあたる縄張りから建築様式、石垣の組み方など小説で啓発され趣味が広がります。出張先に城があれば何とか時間を捻出して足を運べないものかと思案します

 休日の天気の良い日は1時間、2時間、文庫本をデイバックに忍ばせてウォーキングをします。地下鉄やJRの路線沿いに歩きます。疲れたら電車に乗って容易に帰宅でるからです。歩いているといろいろな風景に出合います。結構小説に出てくる地名や建造物やその面影が残っています。ああ、ここがあの小説の舞台になったところか・・・これが老舗の〇〇屋?・・・本当に実在したんだ・・・などと思いを馳せることができます。

 余談ですが山本一力の小説には当時のお菓子や食べ物などの描写も多く登場します。日本酒も実在するご当地の銘柄のものが登場します。いかにも飲みたくなるよう。例えば、土佐の高知の「白牡丹」。高知から江戸に船で運ぶ間に船に揺られて味が一層うまくなる件があります。どうしても飲みたくなりました。休日に比較的大きな百貨店の地下に行って白牡丹をさがしてしまいました。

 時代小説。色々と楽しめています。

2014年6月11日水曜日

【TORCH Vol.053】「読書の思い出」

早川公康

私の母校である愛知県立半田高校は、児童文学作家・新美南吉の母校でもある。新美南吉は代表作『ごんぎつね』などで知られる。2013年には「新美南吉生誕100年記念事業」が半田市を中心に盛大に開催された。私自身は、故郷愛知を離れて久しかったが、文学を尊ぶその趣に、あらためて文学作品というものへの敬愛の念を深めたものである。
 私自身の思い出として、東京大学大学院(駒場キャンパス)在籍時代に、時間があればひたすら読書に熱中した日々を送ったことが懐かしい。東大図書館にはとにかくありとあらゆる本があった。なかなか本を買える経済的余裕がなかった私にとって、その最高の環境に感謝したものだ。一方で仙台大学も体育系の単科大学であるにも関わらず、その蔵書数は決して少なくないという印象を持っている。
 私はもともと二十歳くらいまでは、それなりにしか読書をしてこなかったように思うが、恩師と出会い、読書についての度重なる指導を受けられたことがきっかけとなり、“本の虫”となっていったことも今もって鮮明に思い起こされる。平成21年に仙台大学に赴任する前は、東大柏キャンパス(千葉県)に勤務していたが、当時住んでいた柏市の認可を得て「読書会かしわ」サークルを発足した。私が代表者(主宰)を務めたわけだが、地域の方々からは「(活字離れが進むこのご時世にあって)若いのに感心ねぇ~」と何やら褒めていただきながら、私自身は老若男女を問わず地域の「読書復興」に情熱を燃やして活動したものである。地域の方々からは、「読書サークルにありがちな陰気な雰囲気が全く無くて、とにかくおもしろい!」と評判になり、会場であった地域のコミュニティセンターが活気にあふれた。地域の人たちと有意義に読書について語りあってきたことは本当に懐かしい思い出であり、今でもお手紙を交し合うなど絆が続いている。
 ところで、今の私があるのは恩師のおかげであり、今も恩師のご指導を日々自分に言い聞かせながら生きている。その恩師の箴言ともいえるお言葉を紹介させて頂きたい。

以下、我が恩師の言葉より
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 確実に言えることは、「読書の喜び」を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまうということです。

 一冊の良書は、偉大な教師に巡り会ったのと同じです。読書は「人間だけができる特権」であり、いかなる動物も読書はできない。読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ、見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出あえる。しかも、時間の制約もない。

 「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」。「心に」です。“暇(ひま)がない”という人は、たいてい“心に暇(いとま)がない”のです。読む気があれば、十分、二十分の時間がつくれないわけがない。

 机に向かって読むだけが読書ではない。昔から、文章を練るのにいいのは「三上」と言って、「馬の上」「枕の上」「厠(かわや)の上」という。今で言えば「電車で」「寝床で」「トイレで」本を読めるではないかということになるでしょう。

 朝、昼、夜と、それぞれ十分の時間を作れば、一日三十分の読書ができる。むしろ忙しければ忙しいほど、苦労してつくった読書の時間は、集中して読むものです。そのほうが、漫然と読んでいるよりも、ずっと深く頭脳に刻まれることが多い。

 人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある。良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるのです。古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。二十一世紀にも色あせないでしょう。一生の財産です。

 イギリスの小説家、バーナード・ショーにこんなエピソードがある。ある婦人が、一冊の著名を挙げたところ、ショーは、読んでいなかった。婦人は得意気に言った。「ショーさん、この本は、もう五年もベストセラーですよ。それなのに、ご存じないとは!」。ショーは穏やかに答えた。「奥さま、ダンテの『神曲』は、五百年以上もの間、世界のベストセラーですよ。お読みになりましたか?」

 エマソンも「出版されて一年もしていない本など読むな」と言っている。要するに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。人生の時間には限りがある。ゆえに良書から読むことです。良書を読む時間をつくるには、悪書を読まないようにする以外にない。

 古典というのは、つり鐘みたいなもので、小さく打てば小さな音しか出ない。大きく打てば大きく応えてくれる。こちらの力次第なのです。どうしてもむずかしいと思うところは二、三十ページくらい飛ばして読んでもいいと思う。

 読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいなければならない。これは非常に重要なことなのです。海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。

 本の読み方にも、いろいろな読み方がある。第一に、筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、もっとも浅い読み方だ。第二に、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本の中の人物、またその本が表そうとしている意味を思索しながら読む読み方がある。第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方がある。そこまで読まなければ、本当の読み方ではない。

 諸君はだれでも、自分の中に無限の「可能性の大地」をもっている。その大地を耕す「鍬(くわ)」が読書なのです。自分は精いっぱい読書に挑戦しきった、「もう、これ以上は読めない」「もう、これ以上は勉強できない」。そう言いきれる青春であってほしいのです。
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以上が我が恩師の言葉です。

最後に、私早川公康の青春時代の思い出の書を以下に記します。
『戦争と平和』トルストイ
『アンナ・カレーニア』トルストイ
『レミゼラブル』ヴィクトルユゴー
『九十三年』ヴィクトルユゴー
『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー
『罪と罰』ドストエフスキー
『神曲』ダンテ
『ファウスト』ゲーテ
『若きウェルテルの悩み』ゲーテ
『阿Q正伝』魯迅
『水滸伝』
『三国志』
『赤と黒』スタンダール
『永遠の都』ホールケイン
『隊長ブーリバ』ニコライゴーゴリ

【TORCH Vol.052】「世界最大の祭典の裏で」

吉井秀邦

2014年6月12日、過去5回の最多優勝を誇るブラジルでFIFAワールドカップが開幕する。ブラジルでワールドカップが開催されるのは2回目であり、前回は1950年に開催された。その時は4チームによる決勝リーグの最終戦でウルグアイに負け、惜しくも優勝を逃している(マラカナンの悲劇)。よって今回は母国開催で悲願の優勝をブラジル全国民が願っているのだろうと思っていたら、1年ほど前からブラジル国内でワールドカップ反対のデモが起きているというニュースが日本でも報道され始めた。
 当初は「ワールドカップ開催には本当は賛成しているが、このワールドカップという全世界が注目する時期に、自分達の主張を全世界に届けたい「層(グループ)」が便乗してデモを行っているのかな?」と思っていたが、そうでもない事が少しずつ報道等でわかってきた。「BRICS」と持て囃されブラジル国民全体が少しずつ豊かになってきたが、リーマンショック等の経済危機で大きく状況は変わり、所得格差がかなり広がってしまった。そういった状況で、新たなスタジアム建設や改修に多額の費用をブラジル国民の税金から投入する政府に多くの国民の不満がぶつけられたのである。特に医療と教育の分野に対して不満を述べるデモが多く、「病院の数を増やせ」、「教員の賃金を上げろ」と書かれた横断幕が多く見られた。私は10数年前に南米チリで仕事をしていたが、チリ人の友人から「父親が地方の小学校の校長先生をしているが、給料がかなり少ない。」との話を聞いた事がある。南米では教員や警察官の待遇が悪いとの事であった。そういう問題がメディアで取り上げられ、さらにワールドカップ開催による経済的効果の恩恵は、ブラジル国民よりも他ならぬFIFAが与る事が報道されるにつれ、大会開催反対のデモが拡大していったのである。
 一方、2020年に東京でオリンピック開催が決まり、多くの日本のスポーツ関係者(私も含め)は喜んだ。しかし、2016年開催に立候補し敗れた時には、都民の多くが開催に反対していた事は忘れてはいけない。
 「ロサンゼルスオリンピック以降、オリンピックやワールドカップ等を開催する事で、開催都市は多大な経済的な利益を受ける事ができる。」という意見や、「スポーツに国民が興味を持つことで、健康で豊かな社会づくりに貢献できる。」という意見は開催に肯定的な意見だが、一方で「経済的な利益を受けるのは、建設業やスポーツ関係団体だけ。」という意見や「建設した施設等のインフラがその後財政の負担となる場合もあり、長期的には開催による経済効果はマイナスとなる。」という声も多くあるのが事実だ。
 我々のようなスポーツに携わる人間は、オリンピック開催によって直接的でなくても間接的に多くの恩恵に与る側になるからこそ、負の一面を積極的に知る事は大切な事であろう。そういった意味で、本からは多くの事を学ぶ事ができる。客観的な視野を持ち、スポーツがもっと社会に受け入れられるように、これからも読書を続けていきたい。
今回はブラジルワールドカップに関連し、最近読んだ本のうち下記2冊を紹介したい。
 2010年に発刊された「あの野球選手とゴルフ選手はどちらが儲かるのか?」(著者;松尾里央、税理士)では、東京オリンピックで一番儲かるのは誰か?という問いと東京都が公表していた「予算表」を基に筆者の見解等が書かれている。スポーツ関係者以外の開催国・開催都市の市民にはどのような開催メリット、デメリットがあるのかを再考する一つの材料となった。この本はスポーツという身近なものから「会計」を学んで欲しいという思いで筆者が書いたものだそうだが、税理士の方から見た「スポーツ業界」というのが大変興味深く一気に読み進んでしまった。
 もう一冊は、プロ野球やJリーグに独占的にデータを提供する(株)データスタジアムの元会長である森本美幸氏から先日紹介頂いた「今いるメンバーで「大金星」挙げるチームの法則」(著者;仲山進也)である。「ジャイアントキリング」という漫画を題材に取り上げ、いろいろなチームビルディングのマネジメント手法が誰でも簡単にわかるように書かれている。チームの成長法則が取り上げられ、一般的にチーム(企業)の成長ステージには4つの段階があり、1)フォーミング、2)ストーミング、3)ノーミング、4)トランスフォーミングの段階を踏むことが説明されていた。
 前回南アフリカワールドカップに臨む岡田ジャパンは、直前の親善試合等で負け続けストーミングの時期に入り、多くのメディアから岡田ジャパンは酷評されたが、大会が進むにつれトランスフォーミングの段階まで一気に進み、最終的にベスト16という結果を残した。今回ブラジルワールドカップに臨むザックジャパンは、数年前に一度ストーミングの時期があったが、その後順調にきている。
相手もある事でこの状態がどのような結果を生むか現段階ではわからないが、是非ともわくわくするような魅力的な試合となって欲しいと願っている。

紹介した本
「あの野球選手とゴルフ選手はどちらが儲かるのか?」(著者;松尾里央、税理士)
「今いるメンバーで「大金星」挙げるチームの法則」(著者;仲山進也)