健康福祉学科 助教 田中亨
学生の皆さんは普段本を読んでいますか?
定期的に本を読んでいる人もいれば、本を読むことが苦手(馴染みがない)な人もいるのではないでしょうか。分厚い本や文字だけの本を読むことは億劫になってしまうかもしれません。
まずは「興味が湧く」「読みやすい」本や雑誌を見つけてみるのはどうでしょうか。
私が体育大生の頃から、楽しくよく読んでいたのが雑誌「Tarzan」でした。毎回テーマが異なり、健康情報、トレーニング、コンディショニング、トレンド情報など様々な内容が含まれています。内容が簡潔に記載されており、より深くまで知りたいときや信憑性を確認するためにはその分野の本や研究論文を探してみるのも良いと思います。
体育大生の皆さんは将来、体育教員、スポーツクラブ、福祉系、栄養系などの職に就く人もいるでしょう。身体のことについては一つでも多くの知識を持ち合わせておく必要があると思います。
図書館は読書だけでなく、資格試験や採用試験の勉強などにも利用できる場所です。
図書館を活用して、より一層学びを深めていただければと思います。
2025年11月7日金曜日
【TORCH Vol. 163】「図書館を活用し学びを深める」
2025年10月22日水曜日
【TORCH Vol. 162】「戦後80年で考える戦争とフェイク」
スポーツ情報マスメディア学科 教授 横山義則
第二次世界大戦から80年の今年、世界ではロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻、そしてインドとパキスタンの軍事衝突など、いまだ戦火が収まることはなく多くの人が命を落としている。緊迫する戦況の中で核兵器の使用が現実味を帯び、まさに危機的な状況ではないのか。
そこで核抑止論はどういった理屈で成り立っているのか、改めて考えるために『「核抑止論」の虚構』(豊下楢彦 集英社新書)を読んだ。
核抑止とは、相手方が核攻撃を仕掛けてくる場合に、より破壊的な報復核攻撃を加えるという脅しをかけることによって攻撃を抑えるというものである。
そこで重要となるのが「脅しの信憑性」となる。泥沼化するベトナム戦争において、リチャード・ニクソン大統領は、「北ベトナムに対し、戦争を終わらせるためならどんなことでもやりかねないところまできている、と信じ込ませたいのだ。(中略)怒りだしたら手がつけられない、しかも核のボタンに手をかけているのだと」このように側近に話したとされている。これが「狂人理論」と呼ばれるもので、何をしでかすかわからないと思わせ「脅しの信憑性」を得るというものである。
つまり核抑止論とは、核兵器を持つ者同士が、実は互いに「狂人を装っている」ことを前提とする“奇妙な信頼関係”によって核兵器の使用を抑えているということになるのではないか。人への猜疑心の強い私などは、核の発射ボタンを司る者の中に「本当の狂人」がいつなんどき現れてもおかしくないと考えてしまう。その時、「核抑止論」は全く成り立たない。
歴史的事実とされていることにも懐疑的なのはジャーナリスト故なのか、今年8月、櫻井よしこ氏が「『南京大虐殺』はわが国の研究者らによってなかったことが証明済みだ」とするコラムを新聞に書いた。そこで、時を同じくして出版された『南京事件 新版』(笠原十九司 岩波新書)を読んだ。
南京大虐殺事件、その略称である南京事件は日本の海軍・陸軍が南京爆撃と南京攻略戦、そして南京占領期間において、中国の兵士や民間人に対して行った戦時国際法に違反した不法残虐行為の総体をいう。
旧版が世に出てから28年ぶりとなる新版では、盧溝橋事件をきかっけに始まった日中戦争のなかで南京事件がなぜ起きたのか改めて検証している。中志那方面軍の独断専行で行われた南京攻略戦では、兵站部隊が貧弱であったため、通過地域において戦時国際法に違反する食料等の略奪や虐殺行為が繰り返されたことなど、日本軍の資料に加え被害者・犠牲者の証言を積み上げ、より精緻にその実態に迫っている。また、事件による犠牲者総数の概数を旧版と同じく「十数万以上、それも20万人近いかそれ以上」としつつ、南京“大”虐殺はなかったとする言説の根拠「当時、南京には20万人しかいなかった」に対しては、20万人は南京城内の安全区の人口であり南京市全体の人口ではないと明確に否定する。
日本政府も公式に南京事件を認めているにもかかわらず、南京“大”虐殺はなかったから南京事件自体がなかったと誤認させる発言は、フェイクニュースといっていいのかもしれない。
そもそもフェイクニュースとは何なのか。『フェイクニュースを哲学する-何を信じるべきか』(山田圭一 岩波新書)を読んだ。
フェイクニュースを明確に定義することは難しいのだが、「情報内容の真実性が欠如しており、かつ、情報を正直に伝えようとする意図が欠如している」と定義すると、①偽なる発言で欺こうとしている場合②ミスリードな内容で欺こうとしている場合③偽であり、でたらめである場合④ミスリードであり、でたらめである場合、この4つに分類できるとする。櫻井氏の「南京大虐殺」はなかったとする発言は、本人に欺こうとする意図があったのかどうかはわからないので、③か④になるのだろうか。確かに判断は難しい。
自分に批判的なマスメディアの情報にフェイクニュースを多用しているのがアメリカのトランプ大統領だが、この場合の使われ方は深刻な問題を孕む。彼は、情報が間違っているという事実を主張しているのではなく「やつらの言うことを信じるな!」という命令や勧告として使われていて、中身はどうでもよく感情や直感に重きを置かれ、論理や科学的根拠はないがしろにされている。
このような状況の中で、何を信じればよいのか。著者の山田氏は、フェイクニュースには、情報の真偽に無関心なでたらめが数多く含まれていることを問題視し、インターネット上の情報や意見を結論としてすぐ受け入れるのではなく、まずは真偽の判断を保留する「何が真実なのか結論なのか急がない」ことを主張する。
五味川純平の小説『戦争と人間』の中で、満州事変で戦死する兄が出征前に一人残していく幼い弟にかけた言葉が思い出された。
「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも、本当によくわかるまで、わかりが遅いってことは恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だ」
2025年10月8日水曜日
【TORCH Vol. 161】「あなたの『居場所』は見つかりましたか?」
子ども運動教育学科 講師 宮田洋之
大学に入って、新しい環境で友達を作るのに苦労していませんか。サークル、部活、ゼミ活動等において「なんか自分だけ浮いてるかも」と感じたことはありませんか?あるいは、SNSで他人の充実した日々を見て、「みんな楽しそうなのに、自分だけ...」と落ち込んだりしていませんか?
今日は、そんなあなたに「アドラー心理学」という心理学の話をしたいと思います。アルフレッド・アドラーは、フロイトやユングと並ぶ心理学の巨匠でありながら、日本ではあまり知られていませんでした。しかし近年、『嫌われる勇気』という書籍がベストセラーになり、注目を集めています。
アドラーは「過去のトラウマ」に縛られる考え方を否定し「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しました。そして、対人関係を改善していくための具体的な方法を示したのです。人間関係に悩む現代の私たち、特に新しい環境で人間関係を築いていく大学生にとって、とても役立つ考え方だと思います。
あなたは何のために、その行動をしているのでしょうか?
アドラー心理学には「目的論」という考え方があります。人は過去の原因に縛られて行動するのではなく、未来の目的に向かって行動しているという考え方です。例えば、あなたが授業中に突然スマホをいじり始めたとします。「授業がつまらないから」というのは原因論的な説明です。でもアドラーは違う見方をします。「注目を集めたいから」「先生に反抗して自分の強さを示したいから」という目的があると考えるのです。
人間関係で悩んでいるあなたも、ちょっと考えてみてください。SNSに「疲れた」「もうダメかも」って投稿するのは、本当に疲れているからでしょうか?それとも、誰かに心配してほしい、注目してほしいという目的があるのではないでしょうか?
ここでの解決の糸口は、まず自分の行動の目的に気づくことです。「私は今、何を求めて、この行動をしているのだろう?」と自分に問いかけてみてください。目的がわかれば、もっと適切な方法で、その目的を達成できるかもしれません。注目してほしいなら、困った行動ではなく、授業での発言や何らかの活動への積極的な参加など、建設的な方法で注目を集めることができるはずです。
「所属欲求」という、人間の根源的な願い
アドラーは言います。人間には「集団の中に居場所がある」という所属欲求があると。この欲求は時として、食欲や睡眠欲よりも強いのです。人は孤立を深く恐れ、どこかに所属していたいと強く願う生き物なのです。
あなたが今、人間関係で悩んでいるなら、それはこの所属欲求が満たされていないのかもしれません。「ここに自分の居場所はあるのか?」「自分はこの集団に受け入れられているのか?」という不安が、あなたを苦しめているのではないでしょうか。
この悩みへの解決の糸口は、小さな所属から始めることです。
いきなり大きな集団に溶け込もうとしなくても大丈夫です。まずは、一人でもいい、気の合う友人を見つけてみましょう。図書館で一緒に勉強する仲間を作るのもいいでしょう。小さな所属感が、やがてあなたの自信となり、より広い人間関係へとつながっていきます。
三つの課題を、ちゃんとこなせていますか?
アドラーは、人間には三つのライフタスク(人生の課題)があると言いました。
一つ目は「仕事」のタスクです。大学生のあなたにとっては、勉強がそれにあたります。ゼミの発表準備やレポート、サークルの運営なども含まれます。社会や集団への貢献を意味する課題です。
二つ目は「友情」のタスクです。他者との良好な関係を作ること。友達だけではありません。先輩や後輩、教員との関係も含まれます。
三つ目は「愛情」のタスクです。家族との関係、恋人との関係がこれにあたります。
この三つがうまく回っていると、人は安定します。でも、一つでも欠けると不安定になっていきます。逆に言えば、一つがうまく動き始めると、他にもいい影響を与えます。
ここでの解決の糸口は、今できていることから始めることです。三つ全部がうまくいっていないと感じても、焦らないでください。例えば、人間関係がうまくいっていなくても、まずは勉強に集中してみる。レポートをきちんと仕上げる、授業に真面目に参加する。そうした「仕事」のタスクに取り組むことで、自信がついてきます。その自信が、友達に話しかける勇気につながるかもしれません。あるいは、家族に電話をかけてみる。「愛情」のタスクを満たすことで、心が安定し、大学での人間関係も改善していくかもしれません。一つずつ、できることから始めましょう。
あなたには、適切な行動を選ぶ「勇気」があります
アドラー心理学のキーワードに「勇気づけ」というものがあります。これは、どんな人であっても、自分には適切な行動を選択し、実行する力があると気づかせることです。
あなたも同じです。今は人間関係で悩んでいるかもしれません。でもあなたには、適切な行動を選ぶ力があります。一歩を踏み出す勇気があります。完璧じゃなくていいのです。人は不完全で、失敗するものですから。大事なのは、あなたがあなた自身の存在に価値を見出すこと。立派なことをした時だけ認められるのではありません。あなたはそこに存在するだけで、価値があるのです。
最後の解決の糸口は、小さな成功体験を積み重ねることです。今日、誰かに挨拶をしてみる。授業で一度手を挙げてみる。困っている友人に声をかけてみる。そんな小さなことでいいのです。その小さな行動が、あなたの勇気を育てていきます。失敗しても大丈夫。次はもっとうまくできるはずです。そして、うまくいった時は、自分を褒めてあげてください。「今日、よくやった」と。
最後に
あなたの周りには、必ず居場所があります。もし今いる場所がしっくりこないなら、別の場所を探してもいいのです。でも忘れないでください。あなたはその集団の一員として、何か貢献できることがあるということを。
今日から少しずつ、あなたの「居場所」を作っていきましょう。一人で悩まず、周りの人にも相談してみてください。学生相談室だって、いつでもあなたを待っています。あなたには幸せになる方法を見つける力がある。そう、アドラーは信じていますし、私も信じています。
2025年9月24日水曜日
【TORCH Vol. 160】「いさお君がいた日々」(さくらももこ)
体育学部 子ども運動教育学科 教授 原 新太郎
「日曜日 夕方のテレビ」と言えば? 「笑点」「サザエさん」と並んで出てくるのは「ちびまる子ちゃん」でしょうか。「ちびまる子ちゃん」作者のさくらももこさん(以下「ももこさん」と書きます)は、漫画家としてだけではなく、イラストレーター、作詞家、作曲家、そしてエッセイストとしても才能を発揮しました。エッセイストとしてのももこさんは、数十冊のエッセイ集を世に送り出しています。その中の一冊、「さるのこしかけ」(1992年 集英社)に収められている「いさお君がいた日々」を紹介しましょう。たった7ページ(約4900字程度)の短いエッセイです。
ももこさんが小学校3年生の時に、特殊学級(現在の特別支援学級)にいさお君が転校してきました。いさお君は、全校集会でみんなに紹介されます。15歳くらいに見える風貌のいさお君にみんながあっけにとられていると、いさお君はとてつもなく大きい声で「よろしくお願いしマッス」と叫び、しばらく台から降りようとしません。そんないさお君を見て、ももこさんは「ものすごい人がやってきた」と思い、気になって仕方がない日々に突入しました。
それからの3年あまり、いさお君が織りなすエピソードに、ももこさんはこんなことを感じています。
〇普通の学級の生徒がいさお君にちょっかいを出し、いさお君のことを笑ったりあざけったりしていたが、いさお君の顔は変わらなかった。振りまわされているのは周りの子どもたちだけで、いさお君は間違いなく自分の中心を持っていた。
〇「そこにいる人」というだけの、何もかも超えた圧倒的な存在感が彼にはあった。
卒業式。いさお君は静まり返った式典の最中に二回放屁し、いつもの顔で卒業していきました。ももこさんは卒業文集に書かれた絵と文字を見て心を打たれます。
〇明らかに自分にない何かを彼は持っている。そしてそれは途方もなく大きな何かだ。
〇彼の書いたものの中に、私の失いかけていたものが全てあった。彼の眼は全て映している。(中略)彼はいつも全てに対してニュートラルなのだ。そこに彼の絶対的な存在感がある。
〇心の底からいさお君を尊いと思った。そしてその時、いさお君のエネルギーは私の中のどこかのチャンネルを回してくれたと確信している。
私が「いさお君がいた日々」に出会ったのは33年前、29歳の時でした。私は小学校の特殊学級の担任をしていて、まさにいさお君とそっくりな子どもたちと一緒に毎日を過ごしていました。その頃の私にはどんな思いがあったでしょうか。
・この子たちの苦手なところをどうやって克服させようか。
・この子たちができないことをどうやって補おうか。
・この子たちのことを、ほかの学級の子どもたちや地域の人にどうやって理解してもらおうか。
・この子たちが幸せな人生を歩むために、どんなことをしてあげられるだろうか。
このような思いの根底には、
・この世には二種類の人がいる。それは障害がある人とない人だ。
・障害のある人は、苦手なこと、できないこと、劣っていることがある。
・障害がある人は、障害のない人のようになることを目指さなければならない。
・障害はマイナスでしかない。
こんな考えがあったように思われます。
「いさお君がいた日々」は、私の中にあった考えのチャンネルを確実に回してくれました。
・障害はネガティブなものじゃない。
・苦手なこと、できないこと、それらをその人の力に変えていくことができる。
・障害がある人とない人の二種類の人に分けることなんてできない。
・自分のありのままに生きられることこそが幸せだ。それを実現するには、本人の努力だけじゃなくて、みんなの意識を変えることが必要だ。
私はこんなふうに考えるようになりました。
ももこさんが小学生の時に考え至ったことに、30歳になろうとしていた私は初めて気づかされました。それ以来30有余年、今や世間では「ダイバーシティー」「共生」という言葉がすっかりお馴染みのものとなりました。教育の世界にも「インクルージョン」の考え方が広がり、特別支援教育に移行し、「インクルーシブ教育システム」構築のために、様々な取り組みが行われています。でもそれらは真に私たちの骨や肉や血になっているでしょうか。
むしろ今の世の中は、多様性への寛容さに背を向けるような流れが強まりつつあるようにも思えます。寛容性は、言葉や、理論や、システムにではなく、私たち一人一人の心の中にこそ育てていかなければならないのではないでしょうか。「いさお君」のような人が真の意味でみんなと共に学び、生活し、ありのままの姿で幸せな人生を歩めるような世の中を目指して、私たちが考えなければならないことはまだたくさんあるように思えるのです。
ももこさんは1965年生まれ。残念ながら2018年に夭折されましたが、ご存命であれば今の世の中を見てどんなことを言ってくれるでしょう。60歳になったいさお君も、どんな人生を歩んできたでしょう。「何もかも超えた圧倒的な存在感」をもったまま、「そこにいる人」としてのびのびと日々を送っていてくれるといいなぁ。
2025年9月1日月曜日
【TORCH Vol. 159】DIE WITH ZERO
体育学部体育学科 講師 坂上 輝将
「残りの人生で本当にやりたいことを考えたことはありますか?」
今回は、学生の皆さんが若いうちにしかできないことに挑戦する勇気をくれる本を紹介したいと思います。紹介するのは、ビル・パーキンス著『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』です。タイトルには「死ぬときに財産を残すのではなく、すべてを使い切って死ね」というメッセージが込められています。少し過激に聞こえますが、決して浪費を推奨しているわけではありません。お金・時間・健康という3つの限られた資源をどう配分し、どう使い切って充実した人生を送るかを考えさせてくれる一冊です。
著者が一貫して伝えているのは、「お金は後から稼げても、若さや体力は取り戻せない」ということです。大学生の今は、好奇心旺盛で体力もあり、挑戦できる幅が一番広い時期です。将来のために貯金することも大切ですが、「この時期にしかできない経験」を逃さないことが人生においてとても重要です。
本の中で紹介されている著者自身の体験も印象的です。20代の頃、彼は仕事を一時的に減らしてまで長期のバックパッカー旅行に出かけました。多くの人が「もっとお金を貯めてから行こう」と考える中、彼は体力と好奇心がピークにある時期を選んだのです。その旅で見た景色や人との出会い、文化の違いは、時間が経つほどに価値を増していると彼は語ります。まさに「経験に投資する」という本書の核心を体現しています。
さらに本書が教えてくれるのは、「モノ(物質)は時間が経つと価値を失うが、経験は『思い出』として一生残る」ということです。洋服や車、家などのモノはやがて古びていきますが、経験から生まれた思い出は消えることなく、自分の中に積み重なっていきます。だからこそ著者は、お金や時間をモノではなく、経験にこそ投じるべきだと強調しています。
著者は、実践的な方法として「人生カレンダー」を描くことを推奨しています。自分の残りの時間を意識しながら、どの年代にどんな経験を積むのかを具体的に計画するのです。大学生であれば、4年間という限られた時間を区切って、「今しかできないこと」をリストに書き出し、実際に行動に移すことができます。留学、部活やサークルでの挑戦、長期旅行などの機会は、実は「今」が最適なタイミングかもしれません。
『DIE WITH ZERO』は、「今を生きろ」とただ漠然と説くのではなく、経験の価値を最大化し、人生の最後に「やり残したことはない」と言えるための具体的な考え方を示してくれる本です。読み終えたとき、「自分は何をいつやるのか」という問いが、これまで以上に明確に浮かんでくるはずです。そしてその答えは、きっと思っているよりも近い「今」の中にあるでしょう。
この本を手に取って、ぜひ自分の「やりたいこと」に一歩踏み出してみてください。その行動が、これからの大学生活をより充実させる大きな力になります。
2025年8月5日火曜日
【TORCH Vol. 158】『ぼく モグラ キツネ 馬』が教えてくれる、教師として大切にしたいこと
子ども運動教育学科 助教 小川 真季
私が初めて高校の担任をしたときに出会った絵本が、『ぼく モグラ キツネ 馬』でした。
「“キツネはぜんぜんしゃべらないね”ぼくがささやくと、馬がいった。“そうだな。でもいっしょにいることがすてきじゃないか”」
クラス経営は、とても大変で、難しいことばかりでした。今回は、「生徒と向き合うことで見えてくる世界がある」ということについて、お話ししたいと思います。当時の私は極端に言えば、「全員が同じ方向を向き、楽しそうに仲良くしている」そんなクラスこそが“良いクラス”だと信じていました。
この絵本のセリフで例えると——「“キツネはぜんぜんしゃべらないね”」。私は、「この子はこの空間を楽しいと思っていないのかな? 誰かと話せるようにしなきゃ!」と焦っていた状態だったのです。
そんな時、本屋さんで「大人のための絵本」というコメント付きで売られていたこの本に出会いました。
「“そうだな。でもいっしょにいることがすてきじゃないか”」
この言葉にハッとさせられました。そして、生徒との面談や日々の観察・触れ合いを重ねていく中で、担任としての自分の在り方を見つめ直すきっかけになったのです。それから私は、「私と28人の生徒でしか作れない、居心地の良い空間」を見つける旅を始めました。気づけば、それはとても充実した3年間になっていました。
「それぞれの生徒の行動や姿を尊重しよう。観察してみよう。聞いてみよう」
そんなふうに意識して過ごすことで、生徒との距離が自然と縮まり、私自身もクラスの中で居心地のよさを感じられるようになったのです。
教育の世界には「正解」がたくさんあります。28人の生徒がいれば、28通りの正解がある。そして私を含めた29人でつくる、そのときだけの正解があります。
スポーツの世界に長くいると、「比べること」が当たり前になってしまっていることがあります。「普通」とか「一般的には」といった考え方に縛られると、心から面白い・楽しいと思えるものが生まれにくくなり、生徒の可能性をも制限してしまう——このことにも改めて気づかされました。もちろん、なんでも自由にというわけではありません。けれど、「尊重すること」がまず何より大切なのではないかと思います。時間の流れも、成長のスピードも、人それぞれです。早いから良いというわけではありません。正解は生徒の中にある。だからこそ、その正解をできるだけ見抜ける先生でありたい。そう思って、今、教員という仕事に誇りを持ち、学生と日々向き合っています。
一生懸命に生きていても、認められなかったり、馬鹿にされたり、誰かと比べて焦ってイライラしてしまったりすることもあります。そんなときに、そっと「大丈夫」とやさしく伝えてくれる——そんな存在になりたい。だからこそ、この絵本は、私にとってとても大切な一冊なのです。
「“いちばんのおもいちがいは?”モグラがいう。“かんぺきじゃないといけないとおもうことだ”(いま、私の犬がこの絵のうえを歩き、汚していった……まさにそういうことさ)」
「この世界をおもしろがろう」
人生は難しい。けれど、確かに“愛されている”ということを、やさしく教えてくれる——私にとってかけがえのない一冊です。
2025年4月30日水曜日
【TORCH Vol. 157】『論理哲学論考』のすゝめ
教授 宮西 智久
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
この印象的な一文は、オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889–1951)が生前に唯一出版した著作『論理哲学論考』(1921年、以下『論考』)の最終命題である。本書は20世紀哲学に決定的な影響を与え、分析哲学、言語哲学、論理実証主義、科学哲学の成立に深く関わった。刊行から100年以上を経た現在も、その思想は哲学にとどまらず、文学や芸術など多様な領域に影響を及ぼし続けている。
今回、本学附属図書館ブログ『書燈』において『論考』を紹介する機会を得た。哲学的問題について考えると、私たちはしばしば抽象的な問答の応酬に陥りがちである。そうした思考の迷路に入り込む前に、哲学とは何をする営みなのかを根本から考え直すための一冊として、本書を学生の皆さん(とくに新入生)にすすめたい。
以下では、『論考』の要点を、野矢茂樹の解釈を手がかりに簡潔に整理してみたい。
1. 思考と言語の関係について、野矢は二つの立場を区別している。一つは、思考が先にあり、言語はそれに意味を付与するための手段にすぎないとする考え方である。もう一つは、言語の構造そのものが、私たちが何を考えうるかを決定しているとする考え方である。ウィトゲンシュタインは後者の立場を徹底し、哲学的問題の多くは、言語の働きに対する誤解から生じていると考えた。
2. この立場から、ウィトゲンシュタインは「思考の限界は言語の限界である」と捉え、語りうるものと語りえないもののあいだに明確な区別を引こうとした。『論考』において語りうるものとは、事実を描写し、真か偽かが定まる命題である。たとえば、「ハチ公は秋田犬である」や「漱石はエベレストに登った」といった文は、事実関係によって真偽が決まるという意味で、有意味な命題である。
3. これに対して、倫理、価値、美、人生の意味、自我といった主題は、事実を記述する命題としては真偽を定めることができない。野矢が強調するように、ウィトゲンシュタインはこれらを単に「無価値」や「どうでもよいもの」として退けたわけではない。むしろ、こうした主題は、論理的言語によっては語ることができないが、私たちの生や世界の捉え方のうちに不可避的に関わってくるもの、すなわち「示されるもの」であると考えられている。
4. 野矢の解釈によれば、『論考』における「無意味(ナンセンス)」とは、意味が欠けているという否定的評価ではなく、「事実を記述する言語の枠組みから外れている」という論理的性格の指摘である。倫理や価値に関する言明は、真偽を問う命題としては成立しないが、それゆえに私たちにとって重要でないということにはならない。むしろ、それらは沈黙を通して、あるいは生き方そのものを通して示されるべきものだと理解される。
5. このように考えると、『論考』の最終命題「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」は、思考停止や禁欲を命じる言葉ではない。野矢が述べるように、それは、語ることのできないものを無理に語ろうとする哲学的衝動を鎮め、言語の限界を正しく見極めるよう促す言葉なのである。
6. ウィトゲンシュタインは後年、哲学の役割を「ハエ取り壺の出口をハエに示してやること」に喩えた。野矢はこれを、哲学の仕事とは新たな理論を構築することではなく、私たちを混乱させている問いの立て方そのものを解消する営みだと説明している。哲学は答えを与える学問というよりも、問いの呪縛から私たちを解放するための作業なのである。
『論考』は、独特の構成と極度に凝縮された文章からなる難解な書物である。しかし、その難解さこそが、多様な解釈を生み、今日まで読み継がれてきた理由でもある。本書を通して、哲学とは何をする学問なのか、言語はどのように世界と関わっているのかを考えるきっかけを得てほしい。
本書に関心をもった学生は、以下の邦訳書・解説書を併読すると理解が深まるだろう。とりわけ野矢茂樹による著作は、『論考』の思想を初学者にも開かれたかたちで理解するための最良の導きとなる。大学在学中に、ぜひ手に取ってもらいたい教養書である。
【推薦図書】
[1] ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳):論理哲学論考. 岩波文庫, 2003.
[2] 野矢茂樹:『論理哲学論考』を読む. ちくま学芸文庫, 2006.
[3] 野矢茂樹:言語哲学がはじまる. 岩波新書, 2023.
[4] 永井均:ウィトゲンシュタイン入門. ちくま新書, 1995.
[5] 飯田隆:ウィトゲンシュタイン−言語の限界. 講談社, 1997.
[6] 古田徹也:ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考. 角川選書, 2019.
[7] 古田徹也:はじめてのウィトゲンシュタイン. NHKブックス, 2020.
[8] ウィトゲンシュタイン全集8(藤本隆志訳):哲学探究. 大修館書店,
1986.