2015年12月20日日曜日

【TORCH Vol.076】「間接経験のすすめ」

荒井 龍弥

直接経験と間接経験という区別がある。自ら経験するのを直接経験といい、映像や活字などを通じて、できごとを理解し経験した気持ちになることを間接経験という。そうです。今回は間接経験も捨てたもんじゃないよね、ということを書くのです。よくわかりましたね。「書燈」だもの、当たり前だ。題にも書いてあるってば。

直接経験のもつ「強み」は、皆さんよくご存知だ。試合場に行けば、テレビなどとは臨場感、高揚感が違う。時間やお金をかけてわざわざ旅行やライブに足を運ぶのも、実際に見聞きする感動はプライスレスだからだ(昔はひいきチームが負けると「金返せ」とどなっていたおっさんがいたけどね)。

自分が見たいものを選択できるのも直接経験の良さだ。サッカーで得点が入った時、テレビでは選手の騒ぎを映すことが多い。でも現場にいれば、周囲のサポーターがどんなだったのか、相手チームのベンチは消沈したのか、ジャッジにブーイングしているのかも一目瞭然だ。

でも、です(さあ来ました)。旅行は出発する前が一番楽しいというのが私の持論だ。なぜって、行く前に、ここにも行ってみよう、これうまそうだ、などとガイドブックを眺め、あれこれ計画をしているときが最も自由だからだ。実際に行くとですね、切符をなくしただの、まだ腹減ってないだの、部屋の鍵はどこやっただの、といった調子で雑事が山盛りで、なかなか楽しむ気分に至らない。しかも、ディズニーランドなんかでは待ち時間が山ほどある。アトラクションを限定したり、泣く泣くもう一度乗るのをあきらめるなんてのは当たり前だ。

その点ですね、ガイドブックを見ているだけなら待ち時間なしに何度でも読める。ファーストパスを求めてダッシュする必要もない。タワーオブテラーだってどんなのかわかる(息子の友人がびびって「僕はのらない」と言いだし、ほっぽらかしておくわけもいかず私は居残り組だったのだ、まあ進んであんな上から落ちたいとも思わない)。

つまり、だ。テレビなら待ち時間なしで、クライマックスをアップで見せてくれる。録画すれば何度でも見られる。しかも解説までついてくる。観戦中、スローモーションでもう一度見たい、あ、無理か、なんて思ったことはないだろうか(これは国語の教科書で誰か書いていた)。こういった時間や空間の操作は間接経験の得意とするところだ。

活字媒体、例えば書籍ならさらに自由度が高まる。ページをペラペラ繰って、空間や時間を移動する(場面を探すということね)本の手軽さは捨てたもんじゃない。

内容面でも、そうだ。犯罪を直接経験しようという特攻野郎とはお近づきになりたくないが、ミステリーが好きです、と言っている人からは別に逃げる必要もない。間接経験なら破産しようが、化けて出ようが、なんでも来いだ。また、生まれ変わったら、とか、タイムマシンに乗って、なんてのは誰もが妄想するところだが、実際にはできない(と、思う)。一方、間接経験の世界では、昔からのテーマだ。時間旅行ものが一つのジャンルになるほどだ。

フィクションばかりではなく、時間や空間の制約なしに情報を収集できるのは間接経験ならではのことだ。たとえば、野球観戦をハシゴしても、ダブルヘッダーがいいところだが、テレビや新聞ならセ・パ6試合にプラスMLBまで自由自在だ。ついでにJリーグと高校野球も。国会はいらないか、そうか。ただし、本稿のように無駄な情報も入ってきてしまうこともあるのは気をつけよう。そうです。間接経験の場合、情報が多いぶん、取捨選択がいっそう大事になってくるのです。

さて、ここまで述べていたこととはほとんど関係ないが、最近読んだ本を紹介しよう。もしよかったら間接経験を分かち合おうではないか、諸君。いやか。私のこと嫌いなのね、ぐっすん、なんて思わない。好みと情報源は人それぞれだ。多い方が世界を楽しめるが。
 
川端裕人「ギャングエイジ」PHP学芸文庫 857円(税別)
 この作家の情報収集能力はきわめて高い、と思っている。知識も増えるし、仕立ても面白い。フォローしている(文庫だけね)。本書は小学生と新米教師をテーマにしている。何より子ども、学校をめぐる人々の関わり方や新米教師の悩みがリアルだ。まあ、小説なので、それなりの結末に向かうが、これで救いようのないエンディングでは、読んだ教師はがっくりしかねない。数年前にドラマや映画で「鈴木先生」ってありましたよね、あれに近い読後感だった。

林純次「残念な教員 学校教育の失敗学」 光文社新書 800円(税別)
 私が大学の講義や認定講習などで話すことがかなりとりあげられている。同じことに眼をつけてる人もいるんだなあ、私は間違っていないかも、と同時に、これを読まれたら、私の話を聞いてもらう意味が減るなあ、と、思った。強力な商売敵出現で、恩師の言葉を借りれば「ほっとがっかり」な本。しかも、著者は現役のベテラン教員なので、説得力が高い。あ、この先生と並んで同じこと言ったら、私は見劣りするな、と思わせられた。まあ、あちこち理念や事実把握の違いは探せばあるので、逃げ場はあるが、参考になった。

岡田尊司「インターネット・ゲーム依存症」文春新書 820
 一時期「ゲーム脳」という言葉が流行ったものの、ゲームが脳に何らかの器質的変化をもたらす、という言説は否定されてきた。しかしながら著者は、ゲーム依存をめぐる最近の脳科学の研究成果によれば、脳の機能変化は明らかである、と主張している。そのメカニズムは脳内快楽物質をめぐるギャンブル依存や薬物依存等のそれとほぼ同様のものが想定されているようだ。ゲーム依存特有の変化ではないことということは、依存を予防したり、依存から抜け出すためには、他の依存同様、外部環境にカギがある。ゲームのせいにしては解決しないのだ。

本書は豊富な症例のもと、ゲームのもつ魅力の強さには納得した。

松村卓朗「勝利のチームマネジメント」竹書房新書 850
 オフト・加茂・岡田の時代から、ザッケローニに至るまでの歴代の男子サッカー日本代表監督、そして佐々木女子監督の指導の要諦を、順に追っていったもの。いわゆる「内幕もの」ではなく、誰もが手にしうる情報を、サッカー好きの企業コンサルタントがビジネス書として書いた体裁だ。

監督には様々なスタイルがあることを再確認した。トップ選手の寄せ集めでなくチームとして機能することを求めた人、求めるプレースタイルを徹底して強いリーダーシップを発揮した人、コミュニケーションを何よりも重視する人など。

中でも岡田さんと佐々木さんの選手に対するスタイルが対比的である。岡田さんは豊富な情報量と抜群の思考力を基に、高い目標を掲げ、選手を率いていこうとする。結果として選手とは一定の距離をおく。情実が入って決断が鈍らないためだ。一方、佐々木さんは選手の中に身を置く。戦術的な指示はできるだけ避け「自分たちで何とかしよう」という自律性を引き出そうとする。

 F先生という小学校教諭を思い出した。子どもの先に立つことをあまりしない。しかし「せんせ、仕方がないなあ。僕たちがやってあげるから」と子どもが自分たちでやりだす不思議な力を持っていた。変わったことをするわけではない。ただ子ども一人一人の思いや感情の流れを読み取ることには誰にも負けなかった。