2014年3月3日月曜日

【TORCH Vol.041】回想

助教 仲田 直樹

 この執筆を依頼されたとき何を書こうか迷った。現在は、大学の研究費の使途でも本を読むように促されており、そのおかげでたくさんの本を読んでいる。しかし、それらは専門的な柔道に関する本かウエイトトレーニングに関する本であり、これらのことを書いたり、ましてや勧めることなどできない。そこで、毎日の生活を精一杯過ごした、というよりもこなしてきた懐かしき小中学校時代に触れていくことにした。

 小学校時代、私は電車で1時間以上かけて塾に通っていた。その塾ではとにかく宿題が多く、1週間平均にして問題集50ページほど出される。それから、6年生になると宿題が半分くらいに減った代わりに小説を数十ページ読み、そこまでの要約と感想を書くようになった。そこで与えられた小説が夏目漱石の「坊ちゃん」である。私は愛媛県伊予市出身ということで当時「坊ちゃん」が松山を舞台に書かれていたことくらいは知っていたが、大して興味はなく、それが5教科になんの意味があるのかわからずやっていた。

 この頃、隣町の内子町出身、大江健三郎さんが日本文学史上2人目のノーベル文学賞を受賞したと話題になった。そして、当たり前のように「坊ちゃん」の次はノーベル文学賞を受賞した理由に挙げられる「万延元年のフットボール」へと変わった。しかし、本に興味がない小学校6年生の少年には難しく、もはや理解不能であった。この宿題は塾を辞める中学3年まで続いたが、速読というレベルではないが読むのが早くなったこと、苦手な国語が嫌いではなくなったことなど、中学生になってから意識の変化もあり、読解力がついたと自分でもわかった。

 私は、中学1年から神奈川県に柔道留学するまでの3年間、普通とは違う生活を送っていた。ここで出てきた“普通”という言葉は結婚してから極力使わないようにしている。育った環境や習慣、考え方の違いがあるのは当然である上、さらには私が3兄弟、妻が3姉妹であるため、おならや大便についてのモラルのなさには度々指摘を受けている。南條准教授が外国へ行く度に感じると言われる“日本の常識は世界の非常識”と、さすがに外国にいるようだとまでは思わないが、様々な価値観の違いには現在も苦戦している。

 ここでいう普通の中学生の生活とは、学校から下校して就寝(23時くらい)まで順番は問わないが、宿題と夕食と入浴を済ませることであるとしておく。私の生活は週に3日、部活動後も道場で稽古していたが、それ以外の日は部活動後、夕食を摂り入浴して1,5時間ほど仮眠する。22時あたりに起きて勉強を始め、就寝は2時~3時であるが、その間勉強しているのは2時間くらいである。勉強しているかと思えば机の上を掃除したり、ベッドに横になって小説を読んでいるかと思えば漫画に代わっている。月曜日は1時からスクールウォーズとワールドプロレスを毎週楽しみに見ていた。とにかく柔道をしている時とは違い、勉強に対する集中力はもたなかったのである。塾の宿題が山ほどあり、当時は自分なりに考え一番よいサイクルだと思っていたが、今思えば全て悪循環である。

 しかし、無駄な時間は多いが毎日2時間以上勉強していたため、学校の成績は常に300人以上いる中で30番以内にはいた。将来教員を目指す者として、決して自慢できる順位ではないが、当時ある程度は満足していた。弟の2人も同じ中学校であり、彼らは常に学年トップの成績であったため、年に1、2度家族が集まる場で私は今でも恰好の劣等生である。なにかと理由をつけて小馬鹿にしてくるのでこちらの反撃手段としては腕立て伏せを命じることくらいである。彼らもまた、私と同じで5教科以外は勉強しても意味がない、という考えであったため、9教科になると格段に順位が落ちた。そこまでは知っていたが、3者面談か家庭訪問で母親が担任の先生に“どういう教育をしているんですか?!”と一括されたことは先月、弟から聞かされた。

 この中学時代は与えられた本を読むのではなく、自分で興味がある本を買って読むようになった。その中でも「ガリバー旅行記」、「オズの魔法使い」、「山下清」などは今でも印象に残っており、あらずじを他人に一通り説明できるほどである。

 高校に入ってからは本を読むことが少なくなったが、高校3年の時に陸上の女子マラソンで高橋尚子選手がシドニー五輪で優勝したが、そこで小出監督が出された「君ならできる」を読んだ。ここでは“自主性を重んじることも大切だが、強くしたいなら強制させトレーニングさせることが重要である”という考えは今監督をしている中で共感でき大事にしている。また、大学1年時に何気なく買った“栃木リンチ殺人事件・両親の手記”は、怒りが込み上げてきて最速であろう2日で読んだのを覚えている。

 本ではないが、芥川龍之介さんの名前を真似ているであろう映画「三丁目の夕日‘64」の茶川竜之介の、父の背中を見せられ見せるシーンは現在の少年柔道の指導にも大きな活力を与えてくれている。大学の事業として立ち上げた仙台大学柔道塾の稽古日は火・金・土曜日の2時間であり部活指導に加え、日曜の試合も小学生は多いため月に1度休みがあればいいほうである。また、贅沢な要望だが、社会人の飲み会はだいたい金曜である。そのため大学内での若手教員飲み会にも毎回欠席、忘年会も毎年行けないのは残念である。そんなの知ったこっちゃないのが塾生であるが当たり前である。しかし、子供たちの成長はそんなわがままも吹き飛ばしてくれ、大切な少年期の夜の時間を預かっている者としてしっかり指導しなければならない。そして将来、この中から仙台大学柔道塾を“昔、仲田先生も僕らのために家庭も休みもそこそこに指導してくれた”と言って指導者となって引き継いでくれることが夢である。また、私自身も熱心なよき指導者にそのように成長させてもらった。

 この執筆を機に他の先生方のブログを拝見し、自分の専門分野以外の知識も身に付け、大きく成長していきたいと思うようになってきた。