2014年3月3日月曜日

【TORCH Vol.045】趣味本、職業本、実用本?

教授 佐藤滋

 はるか昔、テレビがまだ白黒だった頃のNHKに「夢で会いましょう」という番組があった。永六輔と中村八大のコンビによるプロデュースだったはずと、今そそくさとWikipediaで調べてみると、1961年4月〜1966年4月(筆者の中学高校時代)、構成が永六輔、音楽が中村八大とある。その下には,出演者として、谷幹一、渥美清、EHエリック、坂本九などの今は亡き懐かしい名前が出てくる。本欄の読者諸兄姉はほとんど知らない名前だろう。私にとってのハイライトは、この番組のエンディングで世界のさまざまの言葉で挨拶する音声が字幕とともに流れるところである。この番組のこの部分が何とも魅力的で毎週見ていたものである。そんな訳の分からない音声の何が魅力的だったのかをうまく表現することはできないのだが、意味の分からない音声を聞いて、興奮したことは今になっても強い印象として残っている。

 その後、あるとき高校の担任に「佐藤君、アメリカに行ける留学試験があるぞ、受かるとただでアメリカに行けるぞ」と言われた。その担任は英語ではなく数学の先生だったし、成績優秀者が集まるわが母校で私の英語の成績が抜群でもなかったので、いまだにどういう弾みで私にそのような声がかかったのかは分からない。とにかく受けたら受かってしまい、海外に行くなど考えられない時代だったので、先生も両親も驚いていた。結果、その後の1年アメリカ英語の中で過ごし、ヨーロッパアジア中南米からの留学生と交流し、彼らの訛りの強い英語も聞きながら帰国したわけである。

 上述した私の本能的とも言える言語音声への興味はその後も尽きることなく、卒業論文や博士論文にまで続いた。少年時代という物事の分からない時期に興味が引かれたものが、学位取得のネタになり、大学教員として就職することができ、東北大学、順天堂大学を定年退職し、仙台大学もそのようになる見込みとなっている。ありがたいことである。これは、なによりも情報工学や神経科学分野で、基礎研究としての人間言語の音声や文法の研究を評価してくれる体制があったことが、論文書きとしての私の研究者生活を成り立たせていたことが大きい。大変幸せなことであった。

 さて、少し話を戻すと、私はサウンドスペクトログラフによる母音の音響分析を卒論でやり、その後の博士論文のテーマが意味概念から生成する音声合成、いずれも音声関係に執着したものとなった。少年時代、違う言葉で話す人の声の響きの違いに衝撃を受けたのであったが、大学時代になると口の中でどのように舌を動かすからどうなるのか、声道(声帯から唇までをそう呼ぶ)の形や調音器官(舌や唇や口蓋垂など)の動きと音声波形との関係などと、関心がよりマニアックになってきた。1969年の卒論であるが、自分でも今となるとどのようにして入手したのか思い出せないのだが、詳細なX線撮影の母音発音写真を多数収納した当時の東ドイツ製の図書が入手でき、それをトレースしたり、母音の音響分析と照合しながら、あまりできの良くないものを仕上げた。大学紛争のさなかの1969年に紛争を完全に無視しながらそんなことをやっていた自分の凝り性を思う。同級生には、学生運動に関わり留置所に出入りしたり、学生同士の悶着で負傷した者などなど、大学を一年遅れて卒業した者も多数にのぼるのである。

 要するに、中学以来の興味がたまたま研究に繋がり、大学での研究活動を続ける形で生き残ることができたというのが結果論である。いま本棚を眺めると懐かしい本たちがいまだにそこにありうれしい気持ちになるが、一方では、修士博士の学生たちに学位を取らせるという責務も負っていたため、多数の(主として英語の)論文も読まなければならなかったし、学会に投稿できる水準の論文を(英語で)書く(あるいは書かせる)ためのネタ探しも大変であった。正直に言うとこの辺の責務はけっこう苦痛であったが、大学の教育研究者としての社会的責務を果たしたかな、と自己満足することもある。読んだ論文で、残しておきたいものはほとんどPDF化したが、本類はそのまま本棚に残っている。これらは、音声の趣味本と大学職を成り立たせるための職業本が渾然一体としたものとなっている。懐かしいものを含めて関連書籍を列挙する。

  • 服部四郎「音声学」岩波書店
  • 近藤一夫「数理音声学序説」東京大学出版会
  • 藤村靖「音声科学原論」岩波書店
  • 千葉・梶山「母音」岩波書店
  • 酒井邦嘉「言語の脳科学」中央公論新社
  • Fant「Acoustic Theory of Speech production」Mouton
  • Zsiga「The Sound of Language」Wiley-Blackwell
  • Ladefoged「The Sound of the World’s Languages」Wiley-Blackwell
  • Labrune「The Phonology of Japanese」Oxford
  • Ritt「Selfish Sounds and Linguistic Evolution」Cambridge

 実は、以上述べたような「私の世界」的な言語音声への関心については、私だけではなく世界中の人が興味を持ってきた世界であり、さまざまな教科書や専門書が日本でも英語でもメジャーな出版社から出版されている。専門分野的に言うと文系での古くからの音声学は、世界のことばに使われる音声の膨大な分類学的データベースかつことばを学ぶ者への指標を提供するものである。理工医学系的には、音声科学、音声言語脳科学などで(幼児期からの)言語習得、(脳障害などによる)言語喪失についての世界的な研究の蓄積がある。

 さて、では表題の最後にある「実用本」であるが、私の関心事や関係書籍が、実用本に連続的につながっているということなのである。小学校からの英語教育の開始、中高での英語授業は英語でやるべし、などなど、世界は英語だ、と大騒ぎの教育界であるし、大学ではグローバル化だ、学生の海外派遣だ、TOEFL、TOEIC、IELTSの受験勉強が大学英語だ、会話もできるようにさせろ、など自分ができないことを棚に上げての主張である。
 このような雰囲気と関係ないように見える私の「趣味本・職業本」の延長線上には、特に最近、日本人の英語を上手にするための良い指導本がたくさん出ている。私の本棚にもそのような本が並んでいるのである。一部紹介して本稿を閉じることにする。より詳しく知りたい方は、筆者まで直接お問い合わせいただきたい。ただし、英語をしゃべれるようになるためには、口を動かす運動神経回路を鍛えることが必須であって、このごろのテレビコマーシャルのように、家事をしながらCD音声を耳に流していただけで話せるようになった、なんてことは原理的にありえないと付言しておく。

  • 竹内真生子「日本人のための英語発音完全教本」アスク出版
  • 白井恭弘「英語はもっと科学的に学習しよう」日経出版
  • 坂本美枝「カランメソッド:英語反射力を鍛える奇跡の学習法」東洋経済新報社
  • 英語音声学研究会「大人の英語発音講座」NHK出版
  • 味園真紀「たった72パターンでこんなに話せる英会話」明日香出版社