教授 佐藤久夫
東京オリンピック開催が決定!
1964年に東京オリンピックが開催された時、私は中学3年生だった。今でも鮮明に覚えているのは、開会式で整然と行進する日本選手団の姿であり、その先頭には8頭身のバスケットボール選手たちが並んでいたこと。そして、その後最終聖火ランナーが聖火台に点火したシーンである。オリンピックを契機に日本経済は大いに発展し、それこそ各家庭にテレビが普及していたった時代である。
数々の競技がテレビで実況され、ニュースにもなった。特に「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーチームがソ連と戦った決勝戦は、私だけでなく、全国民が注目したに違いない。優勝まであと1ポイントとなった際、実況アナウンサーが何度も「金メダルポイント」と絶叫したのは語り草であり、私の耳に今も残っている。バレーボールに限らず、すべての日本選手団のプレイぶりに感動を覚え、私自身はバスケットボールに更に夢中になっていくきっかけとなった。
バスケットボール競技は、東京オリンピックでは男子だけの開催であったが、長期にわたる強化を経て、10位(16チーム中)の結果を残した。入賞には至らなかったが、前大会でベスト4のイタリアを破るなど大健闘といえる戦いぶりだった。当時、東京オリンピックの強化に向けて掲げられたテーマは長身者の発掘・育成と日本人の体力不足を補う平面バスケットボールの展開だった。それから約50年。7年後に二度目の東京オリンピックを控えた現在の日本代表の強化テーマも以前と変わっていない。以前にも小誌にて掲載したことがあるが、強化策は何ら進歩していないと感じている。
自分の経験から語ればチームの強化には時間がかかる。仙台高校において指導に当たった16年間において、毎年、練習、実戦の中から反省し、改善していくという積み重ねによって強化していった。現在の日本代表を見るにつけ思うのは、積み木を積み上げていくような地道な作業が成されていないと感じられ、それが競技力向上に効果を見ない原因となっているのだと思っている。
2020年オリンピックの東京開催決定の朗報に誰もが大きく喜んでいる。私自身、人生で2度も母国でのオリンピックを見られるとなれば、これほど幸運なことはない。同時にすべてのバスケットボール関係者が日本代表が強くなってほしいと願っているに違いない。
そうしたたくさんの方々から連絡をいただいた。これまでの反省に基づき、新しい方法を見出し、7年後を契機に日本代表が国際舞台で活躍できるようにしなければならないといった話もされた。「がんばろう。やろう」。そうした言葉とともに、私も日本を強くしなければという情熱が湧いてきた。1964年以降の日本代表の強化を今一度、しっかりと検証し、7年後には前大会以上の結果を収めてもらいたいものだ。
(月刊バスケットボール10月号投稿)
積み木を積み重ねるように強化は進む
この号が店頭に並ぶ頃には、ウインターカップを一か月後に控え、全国の出場チームが出そろっている。それぞれのチームは、相当の苦労・努力の上に予選を勝ち抜いたに違いない。そして、それは1年や2年の苦労ではないはずで、毎年、毎年、苦労や工夫、バージョンアップを繰り返し、その積み重ねによって強化してきているのだ。要するに、単独チームにおける強化は、積み木を一つ一つ積み重ねていくように、1シーズン、1シーズンを積み重ねていくことによって成り立っていくものなのだ。
東京オリンピック・パラリンピック開催を7年後に控え、日本代表チームも国際舞台で活躍できるチームへと変貌を遂げて欲しいと思っているが、代表チームを単独チームと置き換えれば、この7年間を一年一年、しっかりと積み木を積み重ねることができるかどうか。それが土台となり、2020年以降に、より一層大きな力を生み出すことになるはずなのだ。積み木を一つ一つ積み重ね、しっかりとした土台を築くためには、より多くの経験が必要となる。その基盤となるものは、1964年の東京オリンピック以後の代表の強化策、戦術、戦略。更に世界に通じる日本のスキルとはいかなるものかという検証と、反省によって行われなければならないというのが私の持論である。
今シーズンは多くの高校、中学の選手たちと、バスケットボールの未来についての話を聞く時間を得ることができた。そうした選手たちに共通して感じることは、自分のバスケットボールの未来に対して、夢を持たなくなってきているのではないかということである。バスケットボールを続けていく上でのモチベーションが、期待と夢が薄れてきていると感じるのだ。私などは1964年の東京オリンピックをテレビで見て、国際舞台での活躍にあこがれを感じ、オリンピック選手になりたいとの思いで東京に出てきたものだ。今の若い選手たちにしても、日の丸を付けたいという夢を語る者はいたが、その上で、国際舞台で活躍したいとの言葉を聞くことはなかった。バスケットボールが大好きで、日々練習を積み重ねている若者たちに大きな夢を抱かせ、今以上に日本においてバスケットボールが盛り上がりを見せるようになるためには、代表チームの国際舞台での活躍が必要であろう。2020年の東京オリンピック・バラリンピックの開催は、さまざまな意味で、日本バスケットボール界の将来を左右する大きな、本当に大きなチャンスなのである。
(月刊バスケットボール11月号投稿)
本物のまぐれで優勝したウインターカップ
4年前、明成高での一度目のウインターカップの優勝においては、「だれもができることを、しっかりと遂行すれば優勝できる」という印象を持ったが、それはまだ、まぐれ勝ちのようなものだった。今回も、そのまぐれのような優勝ではあったが、2度も起きれば本物のまぐれと感じている。
これまでも示してきたとおり、私の目指しているバスケットボールは、流れに逆らっているようなスタイルだろう。それは、自分のバスケットボール観に逆らわず、自分のチームにマッチするスタイルと言い換えられるかもしれない。現在では、オフェンスでの仕掛けを早めるためにピック&ロールなどを多用する傾向にあるが、そうした流行にとらわれないバスケットボールを求めている。私が大事に思っていることは、技術、戦術といった方法論の前に、自分の目指すべきチームのビジョンはどういったものなのかといったことである。
私が求めてきたスタイルの源流は、これまでの偉業を成し遂げてきた指導者の方々の良い所を、自分なりに吸収しているところにある。それは、「古きを知って、新しきを得る」と言えるだろうか。夏のインターハイで優勝した京北高の田渡優コーチも、同様に周囲から学び、吸収しながら、あのすばらしい二段構え、三段構えのコンビネーション・バスケットボールを築き上げられた。今回の優勝の後、私が勉強させていただき、大いに影響を受けた偉大な先輩諸兄から、たくさんの祝福の言葉をいただいた。中でも、前人未到の58回の全国制覇を果たしている能代工高の礎を築き上げた加藤廣志氏から、大変なお褒めの言葉をいただいたことは、これまでの努力が報われたようであり、感慨もひとしおだった。
(月刊バスケットボール1月号投稿)