2021年12月2日木曜日

【TORCH Vol.134】 「ブックサーフィン」

准教授  金田 詳徳


「ネットサーフィン」

若い学生は、もうこんな言葉は使っていないでしょうか。

「ググる」(Googleで検索すること)も死語のようですね。

 

昔は新聞がその役割を果たしていたようです。

毎日、隅々まで自分の興味・関心に関係なく情報が飛び込んでくる。

 

私は大学を卒業後、『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)などの著者である、スポーツドクターの辻秀一先生のオフィスで働いていた時期がありました。

スポーツドクターと言っても手術などをする整形外科医ではなく、メンタルトレーニングなどで選手をサポートする内科医のドクターです。

 

先生には良く「本を読む」ように言われ、先生の推薦する書籍を紹介してもらったり、プレゼントしていただいたりと学生時代、読書感想文を書く時などの課題に取り組む時くらいしか、あまり本を読んでこなかった私には習慣にするまでは大変でした。

 

読書しようと興味のあるタイトルの本や著者の本を手に取り、買って満足。

後から読もうと家の中で山積みになっていく。

そして引越しをするたびに、荷物が増えていく、、、

 

そんな悪循環の状況だった私に知り合いが「本は図書館で借りれば、邪魔にならない」とアドバイスをくれ、それまで学校以外の図書館をほとんど利用したことがなかったのですが、はじめて市町村の図書館を利用してみました。

利用登録をして借りたい本が決まっていればインターネットで最寄りの図書館に取り寄せることができたり、貸し出されていれば予約をして自分の順番が来ればメールで案内してくれたりと結構便利です!(最近では市町村によっては電子書籍の貸し出しも増えているようです。)

 

さらに、荷物にならないだけではない図書館の利点を発見しました!

そう、図書館の本は、期日までに読んで返さなければならない!(読まなくても返さなければならないですが・・・)

興味のある本を買って満足してしまっていた私には、とても効果的な方法でした。

私のような方は少ないかもしれませんが、ぜひ、読書習慣を身につけるためにも図書館を利用してみてください。

 

私は今年(2021年)の7月から仙台大学に勤務しているのですが、その報告を兼ねて6月に先生に会ってきました。

その時にも、たくさんの先生の著書をプレゼントしていただきました。

その中でも『リーダー1年目からの教科書』(ぱる出版)の書籍の中で紹介されているリーダーの著書を読みたくなる。

(以下、紹介)

 

元ラグビー日本代表HC:エディ・ジョーンズ

『コーチングとは「信じること」』(生島淳著/文芸春秋)

 

NBAコーチ:フィル・ジャクソン

『イレブンリングス 勝利の真髄』(スタジオタッククリエイティブ)

 

ヨーロッパサッカーコーチ:ジョゼ・モウリーニョ

『モウリーニョのリーダー論』(タカ大丸訳/実業之日本社)

 

青山学院大学陸上部監督:原晋

『逆転のメソッド』(祥伝社)

 

元サッカー日本代表監督:岡田武史

『岡田武史というリーダー』(ベストセラーズ)

 

帝京大学ラグビー部監督:岩出雅之

『負けない作法』(集英社)

 

また、たくさんの人の考えを一冊で楽しめる、下記のような書籍は何度読んでも私は面白いと感じます。

 

『プロフェッショナル100人の流儀』(致知出版社)

 

『プロ論。『プロ論2『プロ論3』(徳間書店)

 

同じようなことを別の表現で語っている方もいれば、次のページでは、まったく反対のことを言っている方もいる。

 

しかも、何となく手に取って読み返してみると、そのときのタイミングで自分の感じ方もまったく異なってくる。

そう、まさに本は自分を映す鏡なのです。

 

何となく毎日を過ごしているときは、本の言葉から刺激を受けたり、壁にぶつかっているときは、解決策を見つけたり、自分以外にも同じ悩みを持っていた方がいることを知るだけでも安心したり、その時、自分が欲している言葉を自分なりに解釈して目の前の課題に対処していく。

成功や解決策なんて、どれも同じじゃないんだなと。他人の真似事ではなく自分なりの方法を見つけ出すしかないと本を通じて学んだ気がします。

 

人は様々な人と出会い、様々な経験を重ねることで刺激を受け、成長するもの。それは直接会う人だけではなく、本を通して考え方を知るだけでも体験できると私は考えています。

そして、前途したように経験が変われば、感じることも変わる。

 

話があちこちにいってしまいましたが、ふらりと図書館に寄って興味・関心のある本を手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

その本が面白ければ、他の著書も読んでみる。

また読んだ本の中に、別の誰かの本のタイトルや一部抜粋した内容が出てくることも多いでしょう。

そんな本を探して読んでみる。

そう、まさに「ブックサーフィン」とでも言いましょうか?

 

様々な考え方に触れあえる読書。

皆さんも、ぜひ図書館に寄って新しい出会いをしてみてはいかがでしょうか。


2021年11月2日火曜日

【TORCH Vol.134】 「不確実性の時代に ーフランクル「夜と霧」(みすず書房)よりー」

 教授 中里 寛


 震災から10年が経ち,沿岸被災地にも復興住宅が建ち並ぶ。海が見えぬほど高く築かれた堤防は,忌まわしい記憶を呼び起こさせないための造作なのかも知れない。あのとき全てを失ってしまった方の中には,今を生きることに,未だ現実感が感じられない方もいるだろう。ある日突然,「起きるはずのない」ことが起きる…身近にも感じていなかった「死」が生々しい現実となって眼前に現れる。これが人生というものなのか。「死」も「生」も,あのときは各々の偶然でしかなかった。

 しかし,あのような悲劇はあれで「終わった」のではない。毎年のように発生する大規模水害,昨年からのコロナによる医療危機と景気低迷と,人生の苦難に終わりはない。今,日本の自殺者は,14年連続で3万人を超えているという。このような不確実性の高い時代であればあるほど,「人はなぜ,何のために生きるのか」という問いに直面する機会も多い。そして,時にはささやかな日々の暮らしを見つめ直してはその意味を考え,時には書物を紐解いて救いを求めることもあるだろう。

 ここに『夜と霧』という本がある。著者は,ナチスの強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人のヴィクトール・フランクルだ。精神科医だったフランクルは,冷静な視点で収容所での出来事を記録するとともに,過酷な環境の中,囚人たちが何に絶望したか,何に希望を見い出したかを,隠し持っていた小さなメモにびっしりと記録したのだ。

 彼は,収容所という絶望的な環境の中で希望を失わなかった人たちの姿から,極限に置かれた人間の心理と行為の関係,そして人間の「生きる意味」とは何なのかを考える。そして,この書において人間の本質に関する二つの重要な見解を示している。

 一つ目は,人間の本質は,生理的欲求が満たされない極限状態にあっても,絶えず生きる意味,目的を求め,実現しようとすることにより,困難に耐えうる存在であるということ,そして二つ目は「人間は極限状態にあっても心の支えとなるもの……自分の役割や自分を待っているもの,例えば『愛する人』や『やり残した仕事』……がある人間は自己崩壊せずに生き延びることができる」ということである。

 

【極限状態を耐えうる資質とは】

 収容所では処刑のための様々な「選抜」が行われた。ガス室に送られるか,あるいはどの収容所に移されるかは,ちょっとした偶然で決まったのだ。明日生きながらえるかも分からない中,収容所ではクリスマスに解放されるとのうわさが広まる。しかしそれが裏切られると,多くの者は失望し,突如力つきて亡くなることが多かった。自暴自棄になり,食料と交換できる貴重な煙草を吸いつくして死んでいく者もいた。

 ところが,逆に,飢えと寒さの極限状態でも希望を失わず,人間らしさを失わなかった者たちがいた。それは,時には演芸会を催して音楽を楽しみ,美しい夕焼けに心を奪われるような価値観を持った者たちだ。フランクルは,彼らの姿を見て,人間には生きるための欲求が満たされない中でも,「創造する喜び」や「美や真理,愛などを体験する喜び」があると考えるようになる。

 過酷な運命にも向き合い,運命に毅然とした態度をとり,どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること。それが生きがいを見いだす力になるとフランクルは考えた。幸福を感じ取る力を持てるかどうかは,運命への向き合い方で決まるというのだ。

 このことは,人間の基本的欲求についてのマズローの説と相克するものである。マズロー(A.H.Maslow)は,人間の基本的欲求として五つを挙げ,同時にそれらの欲求の生起には一定の順序・段階があるとする「欲求階層説」を示した。すなわち,もしすべての欲求が満たされないとすれば,人間の行動はまず生理的欲求に支配される。その欲求がほぼ満たされた上で第二段階の安全欲求に行動を支配されるというものである。

 しかしフランクルは,収容所の体験から,人間とは必ずしも第一段階の生理的欲求が充足されない状況においても,崇高な価値観により生きながらえる力を得ることができると考えたのである。

 

【「心の支え」がある人間は自己崩壊しない】

 収容所の極寒と飢えの強制労働の中,いよいよ死を受け入れる覚悟をしたフランクルの心に突然溢れ出てきたのは,故郷で彼の帰還を待っている愛する人,その人の面影だった。

 

  すると,私の前には私の妻の面影が立ったのであった。そしてそれから,われわれが何キロメートルも雪の中を渡ったり,凍った場所を滑ったり,何度も互いに支えあったり,転んだり,ひっくり返ったりしながら,よろめき進んでいる間,もはや何の言葉も語られなかった。しかしわれわれはそのとき各々が,その妻のことを考えているのを知っていた。時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後から朝焼けが始まっていた。そして私の精神は,それが以前の正常な生活では決して知らなかった驚くべき生き生きとした想像のなかでつくり上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き,彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見る……そしてたとえそこにいなくても……彼女の眼差しは,今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。

  そのとき私の身をふるわし私を貫いた考えは,多くの思想家が叡智の極みとしてその障害から生み出し,多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を,生まれて始めてつくづくと味わったということであった。すなわち愛は結局人間の実存が高く翔りうる最後のものであり,最高のものであるいう真理である。(中略)収容所という,考えうる限りの最も悲惨な外的状態,また自らを形成するための何の活動もできず,ただできることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけであるような状態……このような状態においても人間は愛する眼差しの中に,彼がもっている愛する人間の精神的な像を想像して,自らを充たすことができるのである。

 

 愛する人の面影,その眼差しが,死を受け入れようとする自分を幾度となく,生きることに引き戻してくれた,というのだ。(実際にこのときにはすでに彼の妻は収容所で亡くなっていた)そして後にフランクルは言う。心の支え,つまり生きる目的を持つことが,生き残る唯一の道であったと。

 

 私たちは,自由で自己実現が約束されている環境こそが幸福であり,希望だと受け止めている。しかし災害や病気などに見舞われた時,その希望はいともたやすく潰えるものだ。しかしそれでもなお,生きる希望はパンドラの箱の奥底に潜んでいる。どんな状況においても今を大切にして自分の本分を尽くし,人の役に立とうとすること,そこに生きがいを見出すことが大事だとフランクルは考えたのだ。戦後,フランクルは「人生はどんな状況においても意味がある」と説き,生きがいを見つけられずに悩む人たちにメッセージを発し続けた。彼が残した言葉は,不確実性の高い,現代の不安の中を生きる私たちにとって,心の支えとなるのではないだろうか。


2021年10月19日火曜日

【TORCH Vol.133】 「思いどおりになんて育たない」

 教授 賞雅 さや子 

 私の専門分野は保育・幼児教育ですが、「育つ」「育てる」ということ全般に関心があります。ご紹介する、アリソン・ゴプニック著、渡会圭子訳、森口祐介解説『思いどおりになんて育たない-反ペアレンティングの科学-』(森北出版、2019年)は、心理学者・哲学者である著者が「親が子を育てる」という営みを科学的に追及する専門書でありますが、私はこの書を読んで、子どもだけではなく、若者も、大人も、そして私自身も「思いどおりになんて育っていない、育てられない」とひどく納得した、そんな1冊であります。

 「親が子を育てる目的とは何なのだろうか。子どもの世話はきつくて骨が折れるが、たいていの人が深い満足を感じている。それはなぜなのか。それだけの価値があると思える理由は何なのだろうか。」という問いからこの本は始まりますが、著者はこの問いに対して「現在のペアレンティング(親がなすべきこと)と呼ばれるものの考え方は、科学的、哲学的、政治的な観点から、そして人の生活という面から見ても、根本的に誤りであることを論じたい」という立場で、つまり、解説者の森口祐介氏の言葉を借りると「世の中にあふれる育児書に対する不満をぶつけて」、子どもの発達、学習、遊びなどについて論じています。

 本書の原題「The Gardener and the Carpenter(庭師と木工職人)」は、ペアレンティングがこうあるべきと推奨する親像を木工職人に、著者の提案する親像を庭師に例えたタイトルです。木工職人は設計書に従って材料を組み立て、頭に思い描いた品物をいくつでも同じ形に作り上げるのに対し、庭師がいくら念入りに計画を立てて、丁寧に世話をしても、思ったところに思うように花が咲かなかったり、病気になったり、枯れてしまったり、時には蒔いた覚えのない芽が伸びてきたりもします。子どもも植物同様思いどおりには育たないものだし、子育ても園芸のように「思いどおりにいかない」ものであることをイメージするものです。

ではなぜ育てるのか。育てることに価値があるのはなぜなのか。どのように育てたらよいのか。その答えはぜひ、本書をお読みいただき、考えてほしいと思います。この書は子育てに関する本ではありますが、私にとってそうであったように、子育てにとどまらず、広く養成や教育(育てること)、さらには私がどう生きるかということにまでヒントを与えてくれるものと思います。


2021年10月5日火曜日

【TORCH Vol.132】 私の読書歴

准教授 小西 志津夫


 私が初めて出会った本は、「いるいる おばけが すんでいる」という絵本です。このタイトルは後に「かいじゅうたちのいるところ」と変更になりました。作者は、モーリス・センダックという絵本作家で、この作品の他にも数多くの絵本を執筆しています。コルデコット賞や国際アンデルセン賞、ローラ・インガルス賞、アストリッド・リンドグレーン賞等々、多くの賞を獲得している絵本作家です。この「いるいる おばけが すんでいる」の日本語訳監修委員には三島由紀夫の名前も記載されていて、世界的なベストセラーとなり、子どもたちの心を引きつけた絵本です。当時の私はドキドキするストーリーの展開と、心地よいリズムの言葉遣いにはまりながら、表紙や文中に描かれていた怪獣のイラストに恐怖を覚えた記憶があります。物語の主人公は、いたずら坊主のマックスです。ある日、彼はいたずらが過ぎて、お母さんが反省のために子ども部屋に閉じ込めてしまいます。すると、部屋では不思議な世界が広がり、森や海が現れ、マックスは船に乗って怪獣の世界にたどり着いてしまいます。そこで彼は王様となって、怪獣たちと楽しく過ごしますが、次第に家が恋しくなって部屋に戻るというお話です。大人になってからもこの絵本を読むと、夢の世界と現実の世界での出来事が子どもの頃の気持ちを思い出させてくれる一冊です。

 小学校に入学する頃になると、我が家には世界名作全集全○巻という本がやってきました。しかし、私はそれらの本には目もくれず、十返舎一九の東海道中膝栗毛を読んでは伊勢詣でに出かけた弥次郎兵衛と喜多八の面白おかしい旅の物語を空想しながら大笑いしていました。その後、ジォナサン・スウィフトのガリバー旅行記に出会い、ガリバー旅行記は実は4部構成になっていることを知りました。第1部では大きな人間として小人国へ行き、第2部で小さな人間として大人国へ、第3部では空飛ぶ島と気違い科学者アカデミー、この第3部ではイングランドの当時の政策を批判する内容で書かれていたことを後に知りました。そして最後の第4部では、理性ある馬の国へ行く展開になっています。続・ガリバー旅行記の表紙には空飛ぶ島(イングランド)が描かれていて、アイルランドを植民地化して弾圧している風刺画になっています。何気なく読んでいたガリバー旅行記の内容に国家間の政治的な関係が書かれていたことを後々知りました。

 中学生になると、友情という小説に出会いました。作者は、武者小路実篤です。その後、愛と死、真理先生等々を読みました。武者小路実篤は、この世に生を受けた人間ひとりひとりが「自分を生かせる世の中になってほしい」という人間愛を文学作品や戯曲、絵画に込めています。彼は、作家としてだけではなく新しき村というユートピアを創り、そこで短い期間でしたが実際に生活していたようです。私は中学生の時に彼の作品に出会い、彼の人物像と生き方憧れていかもしれません。

 教員になってから手元に必ず置いているスーザン・バーレイ作の「わすれられない おくりもの」という絵本を紹介します。この絵本は、死を迎えるとはとういうことなのか、亡くなった人にどう向き合えば良いのかを分かりやすく教えてくれます。物語は、みんなに頼りにされているアナグマが自分の死が近いことを知り、友達に手紙を書きます。そして、不思議な夢を見ながら死んでしまいます。アナグマの死を受け入れられない友達は、彼との思い出が宝物として心に刻まれていることによって、悲しみを乗り越えることができたというお話です。私がこの絵本を知ったのは病弱児の教育に携わり、小児がんの治療・研究で有名な聖路加国際病院の細谷亮太先生にお会いしてからです。それまで、私は勤務する学校で筋ジストロフィーや白血病、医療的ケアが必要な子どもたちが亡くなるケースを何度となく経験していました。子どもたちの死によって担任の先生のフォローはしていましたが、残された家族のことはあまり考えていませんでした。細谷先生との出会いによって、子どもが亡くなった後の家族のフォローも大切であることを知り、数年後に家族の皆さんの気持ちが落ちついた頃に、この絵本をプレゼントして宝物を発掘しています。

 最後に、このブログを書くにあたり、私の読書遍歴を振り返ることによって自分自身を見つめ直すことができました。最近では、スーパーに買い物に行っても値段や説明書きが読みづらいほど老眼が進んできました。読書によって想像力が豊かになったり、知識・教養が身についたり等々、多くの効果があることは分かっていながら、活字から遠ざかっていたように思います。あらためて、今後、読書が習慣化できるようにしていきたいと思います。


2021年9月21日火曜日

【TORCH Vol.131】 大量調理施設衛生管理マニュアルの理解を深めるために

 講師 真木瑛


 給食とは、「特定多数の人に継続的に食事を提供すること」と定義されており、小中学校や病院、学生食堂などで提供されている食事が該当します。この給食は、喫食する対象者の1食または1日に必要なエネルギー、たんぱく質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルなどの栄養素を満たすだけでなく、対象者の嗜好に適した食事を提供すること、季節感や行事食、予算などを考えながら衛生管理に気を付け安心・安全な食事を提供する必要があります。

 栄養士養成課程では、衛生管理について給食分野や食品衛生学分野の授業で学修します。この2つの分野で学修した内容を給食現場(学生のうちは、給食分野の実習や校外実習が該当)で実践できるかが重要となります。実際に、給食現場の栄養士・管理栄養士に求められる能力の1つとして「安全衛生マネジメントができる人材」が挙げられています。

 給食現場での衛生管理のベースとなるのが「大量調理施設衛生管理マニュアル」です。ここに記載されている内容を基に給食の運営を行うため、このマニュアルを熟知することが重要です。このマニュアルの理解を助けるために今回紹介する「改定 管理栄養士のための 大量調理施設の衛生管理(梶尾一監修、株式会社幸書房)」を参考にしていただきたい。(図書館に蔵書されています。)

 例えば、大量調理施設衛生管理マニュアルでは加熱調理をした場合、「中心部温度計を用いるなどにより、中心部が75℃で1分間以上(二枚貝等ノロウイルス汚染のおそれのある食品の場合は85~90℃で90秒間以上)又はこれと同等以上まで加熱されていることを確認する」とされています。基本的には中心温度75℃以上1分間以上で衛生管理をしてもらえば良いのですが、「これと同等以上」とは何でしょうか?筆者が調べた限り、給食分野や食品衛生学分野の教科書でこの件に関して記されているものは本書だけでした。本書では、「Z値を10℃とした場合には、65℃10分、85℃6秒、95℃0.6秒などで達成できる」と記載されています。


 Z値:D値を1桁変化させるのに必要な加熱温度の変化、微生物の場合通常10℃として計算している

 D値:処理の温度で供試菌(食品成分)の90%を死滅(分解)させるのに要する時間


他にも、大量調理施設衛生管理マニュアルの「器具等の洗浄・殺菌マニュアル」の部分で「作業開始前に70%アルコール噴霧又はこれと同等の効果を有する方法で殺菌を行う」と記載されていますが、「70%アルコール」の根拠が記載されていません。(ちなみにこれと同等の効果を有する方法とは、塩素系消毒剤(次亜塩素酸ナトリウム、亜塩素酸水、次亜塩素酸水等)やエタノール系消毒剤には、ノロウイルスに対する不活化効果を期待できるものことです。)本書では、「殺菌効果は70~80%濃度で最も強い」ことが記載されています。このことが「70%アルコール」の根拠になると考えられます。また、「第4章調理環境の衛生と管理」では、大量調理施設衛生管理マニュアルの器具等の洗浄・殺菌マニュアルに沿って、写真付きで洗浄・殺菌方法が記載されています。

このような情報を基に、大量調理施設衛生管理マニュアルについての理解を深めていただき、安心・安全な給食を提供できる能力を身につけるために本書を活用いただければ幸いです。


※小中学校で給食の運営を行う際は、学校給食法などのチェックも忘れずに!

2021年9月6日月曜日

【TORCH Vol.130】 「コロナ禍」と「太平洋戦争」当時が似ている!?という話

 准教授 岩渕孝二

 東京オリンピック、パラリンピックの開催を控えた令和3年4月以降、話題になったことのひとつに
   コロナ禍の現状が80年近く前の太平洋戦争に突き進んだ当時と変わらないのでは
というものがありました。
 この話題には多少の幅はあるわけですが、いずれにしても
   ここまで来たらやるしかないと突き進む現状
とか、
   分かっているのにその場しのぎの対策しか講じない
といったもので、さらには、
   意思決定が、非常時になると全く機能しない日本社会の特質を露呈
というものもありました。
 太平洋戦争の話題になると、よく「なぜ、負けるとわかっている戦争を止められなかったのか」といったことが、取り上げられます。
運動競技を行う上での戦術や試合の流れといったことも同様かもしれませんが、警察官として、特に事件捜査に関わってきた私なりに、「進むのか、止まるのか、戻るのか」といったことは、常に考えなければならない課題でした。
 皆さんに分かり易い事例で説明すると、特殊詐欺の犯人グループのアジトが判明したとします。 苦労して判明したアジトですが、犯人は捕まらないように短期間でアジトを変えるのが常ですし、長期間の張り込みや尾行捜査等を行っても犯人グループの個人個人がどこの誰なのかを特定するには至らない、しかもアジトの中の行動が見えないため、10人もいる犯人グループの、誰がどの事件に関与しているのか特定できないということがよくあります。
この間にも犯人グループの犯行が続き、被害の拡大も懸念されるため、いつ、どのタイミングで、どのような体制でアジトを急襲するのかといったことは、アジトが判明した時点で検討しなければなりません。
一方で予定どおりに行かないのが世の常で、それこそ、犯人グループの動きがおかしい、捜査員が遠隔地で病気になり体制が整わない、しかし急襲・突入のタイミングは今しかない、さあどうするということは、日常茶飯事のことでした。
話が若干道をそれた感もあるので本題に戻します。太平洋戦争に関する著作物は、数多ありますが、
  「なぜ必敗の戦争を始めたのか(陸軍エリート将校反省会議)」
   半藤利一編・解説(文春新書)
を読んでみてはいかがでしょうか。
 戦争に関する本ということで毛嫌いされるかもしれませんが、この本を読むと、確かに戦争の中枢にいた将校のほぼ全員が戦争突入を望まず、戦争をしないための努力を惜しまなかったのに戦争に突入することになったこと、終戦後、陸軍や海軍を問わず、中枢にいた将校があらゆる角度から反省を繰り返しているのに、あまり一般の目に触れることなく、国民として反省してみること、考えてみるべきことが伝わっていないことが分かります。
また読み進んでいくと、作戦等の立案に携わった方々は、何か自分のことのようで自分のことではない感情にとらわれているような気がして、益々なぜ戦争を止められなかったのか分からなくなってきます。
様々な政策や経済理論、スポーツ理論等に関しても、高度に確立されたものがあり、そのとおりにやれば(できれば)うまくいくはずなのにそのとおりに行かないのは、感情を持つ人間による思惑のなせる業なのでしょうか。
情報量が圧倒的に少ない太平洋戦争当時はいざ知らず、これだけ情報があふれ、誰でも様々な情報を目にすることが可能となった現在において、誰もが「このままいけば、感染は拡大するだろう。」と感じているにもかかわらず、まさに感染拡大の一途を辿っていることを考えると、それは果たして、指導者側だけの責任と言い切れるのだろうか。
一見すると自分には関係ないと思えるようなことでも、他人事とせずに自分のこととしてよく考えてみることが必要ではないか、紹介した本は、そんなことを考えさせる一冊でした。

2021年2月9日火曜日

【TORCH Vol.129】 不合理だらけの日本スポーツ界

 講師 溝口絵里加

近年の日本スポーツ界は、日大アメフト部の悪質タックル問題、体操やレスリング界のパワハラ問題、日本ボクシング連盟会長の不正問題等々、不祥事がたくさんありました。ただ、これらの問題は近年、同時に「発生」したのではなく、「発覚」した問題だと思います。ずっと以前から行われてきた日本スポーツ界の悪しき伝統、風習が明るみになり、起きるべくして起きた事態と言えます。

そこで私は、スポーツに携わる者として、少しでも日本のスポーツ界を良くするためのヒントを求めて、今回ご紹介する本を手に取りました。

著者はアメリカ・スタンフォード大学のアメフト部でオフェンシブ・アシスタントを務められている河田 剛さんという方です。本書では、指導現場を知る立場から、日米のスポーツ事情や、アメリカのスポーツにあって日本のスポーツにないものや、日米のスポーツビジネスのシステムの違いを明らかにし、日本スポーツ界の問題点を挙げると共に、未来の発展に向けた提案をしています。

本書の中で、私が特に驚いたこと、考えさせられた内容を挙げてみました。

1.          大学スポーツの経済規模の大きさ、指導者の待遇

・キャンパス内に11万人を収容できるスタジアムがある

・学生アスリートを指導するコーチの年俸が10億円を超える

・大学は、スポーツによって年間100億円以上の収益を上げている

 

2.          セカンドキャリア支援の充実ぶり

・所属するプロチームが選手の大学卒業にかかる費用を負担する

・博士号取得にインセンティブを出す

 

3.          マルチスポーツに関する規定

・オンシーズンとオフシーズンを明確に定め、オフシーズンの練習を原則的に禁止する

・練習、活動時間の制限を行う

 

この他にも、多くの観客を虜にする大学生アスリートたちが、「ふつうに勉強している」ことにも大変驚きました。ある一定の成績を取らなければ、いくら“強くてすごい選手”であろうとスポーツの練習や試合に参加することが許されない。つまり、勉強せざるをえないシステムが存在することに、私は衝撃を受けました。

さて、日本スポーツ界のあらゆる問題点は、経済性が向上すれば解決する部分が多くあるのではないかと思うことがあります。スポーツをビジネスとして捉えるのが強く根付いている海外では、多くのスポーツがビジネスとして発展し、得られた利益をもとに選手や競技団体の強化が行われています。しかし、日本はスポーツを「教育」の一環として捉え、スポーツをビジネスとして捉える風潮がまだまだ根付いていない気がします。もっとお金が入り、回るようにするには何を改善し、どう取り組むべきなのか?それを考える上で参考にすべき事案がこの本にはたくさん挙げられています。

日本のスポーツ界、特に学生スポーツ界が大きく変わるための手本として、アメリカのシステムは非常に参考になると思います。ただ、必ずしもアメリカのシステムがすべて良いというわけではなく、その点は著者も本文中で何度も繰り返し言っていますが、日本のスポーツ界の現状と比べるとはるかに優れているのは間違いないです。

ぜひとも、スポーツに関わるすべてのアスリートや指導者、スタッフに読んでいただきたい一冊です。