末永精悦
手塚治虫先生の誕生日は11月3日です。ご存命であれば、今年で満88歳となられます。残念ながら、平成の訪れとともに手塚先生は他界されました。しかし、いまだに手塚先生の作品は出版され続け、新たな読者をも得ています。その秘密はどこにあるのでしょうか。
私が初めて読んだ手塚作品は、鉄腕アトム「アトム大使」の巻です。鉄腕アトムは光文社が発行している「少年」という月刊誌に連載されていました。「アトム大使」はその雑誌に昭和26年4月から連載され、昭和27年4月からは「鉄腕アトム」と題名を変え、昭和43年まで連載が続きました。ですから、正確に言えば、私が初めて読んだ手塚作品は、「アトム大使」です、とこの段落冒頭の一文を書かなくてはならないはずです。しかし、私は昭和30年生まれなので、リアルタイムで「アトム大使」を読むことはできなかったのです。カッパブックスという名で、「少年」に連載された人気漫画が作品ごとに単独で編集され、本誌と同じ大きさで発売されていました。昭和38年に鉄腕アトムがテレビアニメ化されたのを記念して、カッパブックスの鉄腕アトム版が増刷されました。全体を通しての題名が「鉄腕アトム」となり、記念すべき第1巻の第1話が「アトム大使」の巻という扱いになったのです。その第1巻を親におねだりして買ってもらい、私は読んだのです。鉄腕アトムの虜になるのに時間はかかりませんでした。
鉄腕アトムを皮切りに、私は手塚作品にのめりこんでいきました。「ビッグX(エックス)」「0(ゼロ)マン」「マグマ大使」「W(ワンダー)3」「バンパイア」「どろろ」などを夢中で読みました。と言っても、全部を買って読むわけにはいきませんでしたので、友人と貸し借りしたり、貸本屋で借りたりして読み漁りました。その様子は、親に不安を与えてしまいました。何度も漫画禁止令を出されました。が、次第に親は何も言わなくなりました。あきれ返ってしまったのだと想像します。丸を基調とした清潔でスピード感ある画風が私の心をとらえて離さなかったのです。また、正義とは尊いものであるが、そう単純なものではないことを教えてくれたのです。
そんな私が中学生になった頃、「火の鳥 黎明編」が「COM」という月刊誌で連載され始めました。「COM」とは手塚先生ご自身が立ち上げた虫プロ商事で発行した雑誌です。ですから、この雑誌では手塚先生はのびのびと自分の書きたい漫画を発表することができたのです。「火の鳥」が全世界の人々に読み継がれている要因のひとつと言えます。生命の神秘、生きる意義や使命、愛情、憎悪などについて、私が考えるきっかけを与えてくれたのです。この漫画を通して人生を学んだと言っても言い過ぎではないと断言できます。
読書とは書を読むことです。それを通して私たちは自分を育てています。自分がこだわりたい作者あるいは作品を見つけられたら幸せだと私は思います。わたしが最も好きな手塚作品は「きりひと讃歌」です。