2016年10月3日月曜日

【TORCH Vol.087】「三国志」に関係する5種類の本について

菊地 博

 今回「書燈」に原稿を寄せるということになって,文章を書くことの得意でない私はかなり悩みました。自分が本の紹介や書評めいたことを書けるのだろうかと。けれども,逃げるわけにもいかず日にちも迫ってくるので,なんとか書くしかないと思い,自分が何度か読み返したりしてきた「三国志」に関係する5種類の作品を取り上げることにしました。皆さんご存知の有名な話なので,改めて皆さんに新しい知見や素晴らしいものをお示しすることはできないと思いますがお許しください。

 5種類の作品とは,まず吉川英治の「三国志」,つぎに北方謙三の「三国志」そして陳舜臣の「諸葛孔明」さらに井波律子の「三国志名言集」最後に三国志新聞編纂委員会編の「三国志新聞」です。

 そもそも私が「三国志」に初めて接したのは,小学校高学年の頃の少年向けの読み物でした。その時は筋を追うことが主体で,劉備たちがどうなっていくのかを中心に読んでいたような気がします。もちろん判官びいきの例にもれず,とにかく,劉備よ負けるな,孔明よなんとか策をめぐらせろと思っていたわけです。その時の幼いながら,わくわくしたりした経験が,大人になってからの読書に結びついていったと思います。その後,吉川本の「三国志」には高校生の時文庫本で出合っているのですが,さすがに大人の読む物になると面白い,とは思ったものの,どういう訳か小学校の時のような興奮を覚えませんでした。
 しかし,就職した次の年,昭和54年7月頃に「講談社が,吉川英治全集を新装版で毎月一冊ずつ発刊する」旨の広告が新聞に載りました。しかも第1回配本は,全集の第21巻となる「三国志」から始めるとありました。(もちろん全集の売れ行きに大きく影響する大事な第1回配本ですから,一番売れ筋になりそうな「三国志」を選んだわけでしょう)それを見て私は学校に出入りしていた書店にすぐさま申し込みをしました。いよいよ10月になって学校にいる私の手元に本が届いてみると,まず装丁が素敵で,気に入りました。(いかにもミーハーな私です。)そして家に帰って読み始めるとどうでしょう,高校生の時とは違って,小学校の時以上に引き込まれていきました。その夜は,夢中になって3時ころまで読んでしまいました。(当時は1,2,3年生の英語を全て一人で教えていたので,その準備のため読み始めるのは9時,10時でしたので,たくさんは読めないのです)また次の日も夢中になってしまい,3時ころまでということを一週間ほど続けて1冊を読み終えました。それからは,毎月の配本が楽しみで,本が来るのを待ちかねて「三国志」の世界を楽しみました。作品の世界に引き込まれ,登場人物と一緒に泣いたり喜んだりして,4か月の楽しい読書期間となりました。この時の体験のおかげで,その後先にあげたような作品を買って読むことになります。
 吉川英治の「三国志」と北方謙三の「三国志」を比べると,流れるような美文調と感情移入を誘う吉川流と,作者の思いは示しつつも淡々と冷厳に事実を述べて読者に判断の余地を残す北方流の違いが,私には感じられます。たとえば,それぞれの作品の始まり方にそれが表れていると思われます。吉川は,むしろ売りをしてためた貴重な金を持って病身の母のための茶を求めに来た劉備が,賊につかまったことが元で張飛に出会い仲間になるくだりから始めています。一方北方は,すでに仲間である劉備と関羽張飛らが,600頭の馬を約束をきちんと守って送り届けるところから始めています。吉川の文を読むと,劉備の優しさと粘り強さが一番に感じられ,一方,北方の文では,劉備の信義を最も大切にする剛毅な心が伝わってきます。この差が最後まで二つの作品の差になっているように思われますが,どちらが良いというのではなく,どちらも良いと思わせてくれるのは,二人の作家の力のすばらしさと人柄の力というものであるように思います。どちらの作品も最後は,孔明の死を描いて終わっていますが,吉川の文では,部下に囲まれて静かに息を引き取ります。一方,北方の文では,孔明が部下に知られずに一人で亡くなります。この辺りも,二人の描き方の違いとして面白いように思います。
 さて,陳舜臣の「諸葛孔明」は,もちろん,孔明から見た三国志ということになります。亮という字が「明るい」という意味を持ち,孔明という名が「はなはだ明るい」という意味を持つというところから始まりますが,こちらは吉川や北方の作品ではあまり前面に出てこない孔明を描いています。私が一番驚いたのは,長身の孔明の妻もまた長身で,彼と同じように(当時としては珍しく)物を発明したり策を講じたりするのが好きで,それを夫に対等に話すことです。もちろんこれは創作の世界であり本当にそうであったかどうかはわかりませんが,それを差し引いても面白く感じました。クライマックスである最後の五丈原を描く場面では,彼が貫き通した主君への思いとそれがかなわないと分かっているつらさが,孔明の人間としての美学を感じさせつつ,他の作品同様静かに幕を閉じています。
 井波律子の「三国志名言集」は羅漢中の「三国志演義」を基にして,名場面を名言で紹介しながら,読み進むうちに三国志の大きな流れをたどることができるようになっています。井波氏は筑摩書房刊の「三国志」の共訳もされている方です。「演義」を基にしていることから,漢文調の歯切れと調子の良い名言名文に触れられるのが特徴です。
 最後は三国志新聞編纂委員会(日本文芸社)による「三国志新聞」です。名前と装丁だけですとトンデモ本のように見えますが,そういうわけではなく,ビジュアルを使っているため分かりやすいという特徴があります。この作品は,中国のテレビ局が作成した「三国演義」というビデオを基にした写真を入れて作った見開き2ページで一つの事件を報じた新聞という形式になっています。まあ,半分受け狙いのようなところもありますが,面白い作品です。
 さて,ダラダラと文を続けてきましたが,「三国志」はたくさんの作家の作品があるだけでなく,漫画やゲームにもたくさん取り上げられています。登場人物の多彩な人物像やその交流の美しさ、権謀術数等,魅力は数え上げたらきりがないと思います。そして細部には創作があったにしても,大筋このようなことが現実にあったということが一番の魅力だと思います。そして,どの作品に触れても,劉備と孔明らが守ったは蜀は魏に下り,その魏も曹家から司馬家へと政権が移ってしまう歴史を知っているだけに,万物流転,諸行無常の思いを感じながらも,登場人物の素晴らしさ,生きざまに惹かれるのではないでしょうか。