2013年10月1日火曜日

【TORCH Vol.032】難しいことを簡単に伝えることは難しい


助教 柴山一仁

 昨年から教壇に立つようになり,毎回のように考えさせられることがある.それは,学生たちに対して,物事をわかりやすく伝えることがどれだけ難しいかということだ.いわゆる「できる」人は,難しいことを簡単そうに話す.もちろん教員から学生に対してもそうだし,友達同士の会話もそうだろう.難しい言葉をそのまま使って話すことによって会話の齟齬が生まれ,相手は会話の内容ではなく言葉の意味を考えることに懸命になる.それは有益なコミュニケーションとは言えないだろう.

 さて,今さっそく私は「齟齬」という言葉を使った.齟齬とは食い違うこと,行き違いといった意味であるが,こんな言葉を使わなくとも初めから「行き違い」といえば済む話だ.初めて書く書橙でいい恰好したかっただけなのである.このように,円滑なコミュニケーションを目的とするならば,対象とする人物を考えて(このブログの対象は主に学生の皆さんだろう),その場にふさわしい言葉を使う必要がある.要は「空気を読む」ことが重要なのである.

 前置きが長くなったが,今回紹介させてもらう本は「フェルマーの最終定理」という本だ.タイトルからして既にごめんなさいという方もいるだろう.正直,私もこの本のタイトルを初めて見たときにはごめんなさいだった.簡潔に説明すると,この本はフェルマーという数学者が17世紀に残したある数式に対して,アンドリュー・ワイルズという数学者が様々な苦労をしながらそれを証明していく過程について書いたノンフィクションである.

 この本のすごいところは,著者であるサイモン・シンは数学者ではなく,元々テレビ局のプロデューサーであったことだろう.最も,素粒子物理学の博士号を持っているということなので,全くの数学初心者ではないだろうが.もちろん文章中にある程度の数式が出てくるのは事実である.しかし,ピタゴラスの定理などそのほとんどが我々の知識でも理解できるものだ(詳細についての理解はもちろん難しいだろうが).一流の数学者が証明までに360年を費やした数式を,数学の知識がない我々にある程度分かるように説明することがどれだけ難しいか,想像できるだろうか.その点,サイモン・シンは非常に良くこの証明について理解しており,それを伝える能力に長けていたのだと思う.

 実は,この本を読もうと思ったきっかけは,大手通販サイトAmazonでおすすめの欄に出てきたから,という何とも情けない理由である.そこのレビュー欄に「難しい内容なのに,そう感じない」というコメントが多く寄せられていたので,気になって購入してしまったのである.まさにAmazonの思うつぼである.しかし実際に読んでみると,確かに内容自体は私でも理解できるものであったし,何よりも難攻不落の目標に対する数学者たちの挑戦と挫折が丁寧に書き込まれており,非常に楽しく読むことができた.興味のある方は,こういった本を通して,誰かとコミュニケーションを取る際の「空気を読む」ことについて考える一助にしていただきたい.