2013年10月1日火曜日

【TORCH Vol.030】「生きること・死ぬこと」


准教授 庄子幸恵 

 「死生観」という言葉がありますが、20歳前後の大学生の皆さんには「死」を意識する機会はまだそんなにないと思います。ただ身近なところでは、2年半前の「東日本大震災」で多くの人々が震災による死に直面したことや、家族や友人など大切な人々を失ってしまったことで、多くの人々が「死」ということを考えざるを得なかったことと思います。

 今回皆さんに紹介するのは「僕の死に方-エンディングダイアリー500日」という本です。これは流通ジャーナリストの金子哲雄さんが「肺カルチノイド」という、癌の中でも数千万人に一人という悪性の癌の中で最も治療が難しいとされるタイプの癌の告知を医師に受け、そして亡くなるまでの500日間の闘病中に自分が感じたこと、また死への準備や現代の癌治療の実際と限界を生々しくつづった本です。

 私は仙台大学に来る前に8年間病院の看護師としてがん看護に携わってきました。その中で肺がんの手術を受けた人、抗がん剤の治療で吐き気がひどくみるみるうちにやせ細ってしまった人、乳がんの術後に片腕が腫れ上がり、パンパンになって苦しむ人、白血病でまだ小さい子どもなのに一生懸命無菌室で治療をがんばっている子どもたち・・・、たくさんの人が癌で苦しむ姿を見てきました。当時はまだ、告知が一般的ではなく、家族と本人が希望するときのみ告知がされている時代でしたので、最後まで自分が何の病気にかかっているかを知らずに亡くなる人も多くいました。毎日のように人が亡くなっていく病棟の中で私は「死」に対して向き合わざるを得ないということを日々感じていました。

 金子さんは癌が見つかったとき、すでに肺や肝臓、骨にまで癌が転移していたため、大病院の医師たちは「残念ながら、私たちには何もすることがありません。あとはできるだけ苦しまないよう、痛み止めやせきどめのお薬で様子を見ていきましょう。」という言葉で金子さんに終末医療、つまりホスピスへの入院を勧めます。金子さんは言います。「大病院は、自分の病院の治癒率を下げたくない。したがって日常的に、治癒する可能性がある患者が優先されるということなのだろう。治癒する可能性が低い患者は、極端な話、邪魔者でしかない。医者から匙を投げられ、死を待つのみの人生。それを私はどう過ごしていったらいいのだろうか。」この時の金子さんの絶望感、未来からの断絶、自分の目の前が真っ暗な闇となってしまったような現実はどんなに苦しかったことでしょうか。

 しかし、この後金子さんはゲートタワーIGTクリニックの堀医師と出会うことで「血管内治療」という希望を見出します。「咳、おつらかったでしょう。」とはじめて堀医師にかけられた言葉に号泣し、「はじめて人として患者を診てくれる先生と出会えた」と語っています。

 そして、この本の中では献身的に金子さんを支える奥様の稚子さんの姿が取り上げられています。がんは患者本人だけでなく家族にも痛みと苦しみを与えるものなのです。
 残念ながら、この後治療及ばず金子さんは41歳の若さで急逝します。それまでに自分の葬儀とお墓の準備をすべて行い、この本の出版を奥さんに託し亡くなっていくのです。

 正直、このことを知るまで私は金子哲雄さんが嫌いでした。テレビで金子さんが出て、甲高い声で「お買い得情報」を流していると、「ああ、またあの軽薄な経済なんたらが出ているんだー。」となかば軽蔑のまなざしで彼を見ていたのです。

 この本は「死」という重いテーマを取り上げていますが、装丁は明るいオレンジ色(金子さんのシンボルカラー)の表紙を使い、そこかしこに金子さんの想いや気配りが感じられます。内容も「癌と死」ということを取り上げながらもとても読みやすく、ぐいぐいとひきつけられ最後まで一気に読める内容です。今は特に夏休み、若い学生の皆さんにもぜひ読んでいただきたい本です。「死」を考えることで「生きるとは何か」についても逆に考えることができると思います。この機会にぜひどうぞお読みください。

<参考・引用文献>

  • 金子哲雄 「 僕の死に方 エンディングダイアリー500日 」 小学館 2012年