2015年5月15日金曜日

【TORCH Vol.071】 「活字とのつきあい」

齋藤ちさ子

 学校を卒業し社会に出ると、本を読む時間がなくなる。読むとしても専門書が中心となる。だから、今のうちに沢山本を読んでおきなさい。と高校の時の担任に言われた。当時、高校生は、宿題あり、レポートあり、予習復習で本当に忙しく、社会人は、仕事が終わればすべてが自分の時間で、どのようにでも使うことが出来るだろうと、思っていた。しかし、振り返ってみれば、退勤時間と同時に帰れる職種などそう多くはない。また、仕事を円滑にするためには、就職してからが本当の勉強、自分の時間を使って努力をしなければならないことに気付いた。卒業し、勤め始めてから、あれも読みたい、これも読もうと思っていたが、なかなか読むことが出来なかった。そこで初めて高校の時の担任の言葉を振り返ることが出来た。その時の担任は、今もお元気で、執筆活動を続け、先日、コメンテーターとしてテレビに出演していた。91才とのこと。
「専門バカ」になるな、といつも言われた。その言葉がいつも頭から離れず、電車の往復は仕事とは関係のない小説を読むようにした。
 30歳代のころ、倉本聰さんの「北の国から」を読んで衝撃を受けた。それまで読んだ本とは全く違って、物語が立体的に見えてきた。それからというもの、テレビを見る時、映画を見る時や本を読む時も、第三者の目線で見たり考えたりするようになってきた。
 いろいろな本を読み進むうちに、本に書いてあるとおりの行程で旅がしたくなり、休暇を利用し、本を片手に旅行をしたこともあった。歴史の後をたどって昔の人たちに思いを巡らせたり、植物や地形を訪ね歩くこともあった。
 心に響く言葉や美しい文章に出会うと、それをメモし本を読み終わってから、その言葉をもう一度読み返したり、手紙を書くときにその文章を真似ることもあった。時には、話し言葉として応用し、照れくさいながらも話してみた。
 最近は、禅に関心がある。お寺や神社に行くと、目に触れてふとひかれる言葉、ホットする言葉、癒される言葉、なるほどと心に響く言葉や素敵な文章に出会う。そんな時は、手帳に書き、後でもう一度読んだり、書いてみる。自分で手を動かすと、心に残るものにも深みが出るような気がする。本を読んだだけでは見えなかったものが見えてくる。繰り返し読むことが出来るのも魅力の一つだ。
 禅とは難しいもの、というイメージがあったが、最近はわかりやすく親しみやすく書かれた本が、たくさん出ている。もやもやした気持ちに、ピタッとくる言葉にすっきりすることもある。
 人によって、いろいろな読み方があってもいいと思うし感じることはそれぞれだと思うが、活字に触れていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。中途半端な空白の時間によく辞書を読んだ。辞書には続きがなく、いつでも切り上げることが出来る。今まで信じて使っていた言葉が、まったく違う意味だと気づき、一人赤面することもある。隣に書いてある単語で、新しい発見をすることもある。今どきの人たちは、インターネットなどで簡単に調べることが出来る。しかし、それが正しいかどうかの検証が難しい。読みだけで検索し、まったく違うとらえ方をしてしまうこともあるのではないか。忙しい現代では、辞書を引く時間もないかもしれないが、たまには辞書を片手に調べてみるのはいかがだろうか。