2013年8月5日月曜日

【TORCH Vol.027】2冊の「生物と無生物の間(あいだ)」



教授 小澤 輝高


 学生時代に読んだ「生物と無生物の間」(岩波新書)(川喜田愛郎著)についての書評を書くつもりでいたら、たまたま、書店で同じタイトルの「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)(福岡伸一著)を見つけた。両書とも、ウイルスは生物か否かという命題が取り上げられているので、両著者の考えを比較した書評を書いてみようと思う。

 タイトルにあるような、生物と無生物の間(境界)はどこにあるのか、違いはどこにあるのか、あらためて尋ねられても、明快に答えられる人は少ないだろう。両書とも、無生物に近いウイルスの活動を取り上げながら、生物とは何かについて考えさせる内容である。

 「生物と無生物の間」(1956年刊行)では、ウイルス病のことが詳しく述べられた後、タバコモザイクウイルスは、ある条件下では、核蛋白質の結晶として単離することができるというスタンレーの実験結果(1935年)が紹介されていた。それを読んだ当時の私には、病原性を持つ微生物(ウイルス)が結晶化できるなどとは、夢にも思っていなかったので、大変感動した記憶が残っていた。ウイルスが鉱物や化学物質などと同じように、結晶化できるなら、ウイルスは無生物なのだろうか。ウイルスを結晶化したスタンレーの実験は、多くの人に衝撃を与えると同時に、ウイルスは生物なのか、それとも無生物なのかという命題を提起し、現在も決着がついていないようだ。ウイルスは、核酸(遺伝子)とそれを取り囲む蛋白質からなり、他者の細胞内に侵入し、その細胞内の遺伝子複製機構を利用して増殖する。ウイルスは細胞外では休眠状態にあるが、細胞内で自己増殖という生命活動を営んでいるのだから、細胞外で起こった現象だけを捉えて、ウイルスは無生物ではないかと議論しても意味がないと、著者(川喜田氏)は主張している。

 もう一方の「生物と無生物のあいだ」(2007年刊行)では、生命とは自己複製をおこなうシステムであり、ウイルスはこの概念に当てはまる。この点においては、ウイルスは生物である。しかし、生物とみなすには、もう一つの動的平衡という概念が必要であると主張している。動的平衡とは何か。例えば、生体を構成している蛋白質は、それを構成しているアミノ酸が、更に、それを構成している分子、原子が絶えず、置き換わっている現象を指している。ウイルスには、この動的平衡が見られないので無生物であると、著者(福岡氏)は断定している。確かに、動的平衡は、生命現象の重要な要素には違いないが、これがない、あるいは、ないように見えるからといって、無生物と断定してよいのだろうか疑問が残る。ウイルスを無生物とみなしたいがために、動的平衡という概念を持ち込んだようにも思える。私は、ウイルスに、動的平衡という概念を当てはめようとするよりも、むしろ、川喜田氏の「細胞の中に侵入して、生命体として振る舞う」という表現の方がウイルスの特徴を正しく捉えているような気がする。

 どちらの解釈が正しいにせよ、両書とも、生物とは何か、生命の神秘を考える上で、有用な書物と言ってよい。特に、福岡氏の「生物と無生物のあいだ」は、文章が上手で、ワトソン、クリックの二重らせんモデルから、最近の分子生物学的手法(PCR法、ノックアウトマウス、ES細胞)まで、分かりやすく書かれており、生物学を学んでいない人にも薦められる。更に、研究にまつわるエピソードなども興味深く面白かった。この本は、新書大賞、サントリー学芸賞のダブル受賞した書物でもある。


所蔵Information <図書館で探してみよう!>

  • 川喜田愛郎 『生物と無生物の間』 岩波新書 460 Ka 図書館2階
  • 福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』 講談社現代新書 460.4 Fs 図書館2階