2017年5月16日火曜日

【TORCH Vol.093】 スポーツの美しさ


                                         高橋 徹


 去る8月、熱狂と感動とともにリオデジャネイロ・オリンピックが閉会しました。今大会も日本人選手の活躍には目覚ましいものがあり、毎日眠い目を擦りながら、夜遅く(朝早く?)までテレビにくぎ付けになった方も多かったのではないかと思います。 

 さて、今回のオリンピックでのアスリートのプレーの数々を皆さんはどの様な観点で観ていたでしょうか?金メダルを目指して勝ち負けを競い合う様子に一喜一憂したでしょうか?一人ひとりの選手が背負うヒューマンヒストリーに感動したでしょうか?競技の専門家としてトップアスリートのプレーを分析していたでしょうか?知人や友人が出場していたためにまるで家族のように応援していたでしょうか?‥など。アスリートのプレーを観るという行為には人それぞれに多様な形があります。そのようなスポーツの観方の一つとして、アスリートのプレーの中に“美しさ”を見出すという変わった観方があります。 

 内村航平選手の鉄棒演技の着地の瞬間、男子陸上4×100mリレーのアンダーハンドパスの淀み無い繋がり、錦織圭選手のラリーの攻防後のドロップショットによる空間の静寂、柔道選手が一本勝ちを収める瞬間の技の繰り出し、今回のオリンピックにおいても沢山の美しいプレーを目にすることが出来ました。また、オリンピックに限らず、日頃テレビで目にするスポーツの中にもその美しさは存在します。野球選手が守備で見せる二遊間の球捌き、フットボールチームが見せる幾何学模様を描くかの如くのパス回し、あるいはイチロー選手がプレー中に見せる(魅せる)一連の所作、横綱が見せる立合いの所作など、枚挙に暇が無いほどに、スポーツにおける“美しさ”に私たちは魅了されているのです。

 今回ご紹介する長田弘編『中井正一評論集』に収められた数編のエッセーは、そのようなスポーツにおける“美しさ”の構造を見事に解明して見せてくれます。この本は美学者である中井正一の18編のエッセーが収められた一冊であり、その中でも特に『スポーツ気分の構造』『スポーツの美的要素』『リズムの構造』『美学入門』の4編には、スポーツにおける“美しさ”の様相が書き記されています。中井自身は明治の生まれであり、またその文章の多くが脱稿されたのも戦前(昭和初期)ということもあって、表現などに若干の古めかしさは感じられますが、現代を生きる私たちにとってはその文体のおかげでより深く文章に惹きつけられる気さえします。さて、『美学入門』の一節を紹介しましょう。 

ボートのフォームなどは、あの八人のスライディングの近代機械のような、艇の構造に、八人の肉体が、溶け込んで、しかも、八人が同時に感じる調和、ハーモニー、「いき」があったこころもちが、わかってこないと「型」がわかったとはいえないのである。しかも、それがわかった時は、水の中に溶け込んだような、忘れようもない美しいこころもちなのである。よく「水ごころ」とか「ゲフュール」などど、ボートマンがその恍惚とした我を忘れるこころもちを呼んで楽しむのである。それはまた他の人が見ても、近代的な、美しいフォームなのである。この気分が八人の乗りてに一様に流れてくる時、ひとりでにフォームは揃ってき、ゆるがすことのできぬもの、一つの鉄のような、法則にまで、それは高まってくるのである。 

 私はボート競技をしたことがありませんし、湖で漕ぐレジャーボートに乗った経験がある程度です。しかし、この文章を読むことで、先日のオリンピックでも行われていたボート競技の選手たちの心持や、その競技を観て素人である私であっても美しさを感じることのできた理由が少しは理解できるような気がします。

 スポーツを観ていると、とかく勝ち負けという結果にのみ目が行きがちになってしまいますが、勝か負に至るまでのプレーの中にもスポーツを観る面白さが潜んでいるのかもしれません。スポーツのプレーに“美しさ”を感じたことのある方はもちろん、そんな事を気にしたことがない方にとっても、この本はお勧めの一冊です。 

長田弘編『中井正一評論集』岩波文庫(青帯)

※『美学入門』はそれだけで一冊で上梓され、中井正一著『美学入門』朝日選書 としても出版されていますが、『中井正一評論集』の方が安価、且つ他の作品も併せて読めるのでお勧めです。