乗松央
ちょうど100年前のこの年、第一次世界大戦は始まった。第二次大戦における原爆やホロコーストの禍々しい衝撃に目を奪われ、ともすると第一次大戦の歴史的な意義を忘れそうだが、第二次大戦を超える強烈なインパクトを、それは人類史にあたえていた。「現代」と現代史はまさにここから始まる。ルネッサンスに始まりフランス革命を経て完成された西欧近代は、第一次大戦を契機に急激な転換を見せる。時間の経過とともに未来のユートピアへ向けて人類が歩んでいるという進歩思想が、音を立てて崩れ去り、予定調和や自由放任といった近代に特有の価値は第一次大戦を契機に疑念の目で見られるようになる。この衝撃を如実に物語った文献として著名なのが、S.ツヴァィクの『昨日の世界』《注1》である。清水幾太郎編集の『思想の歴史(8)近代合理主義の流れ』《注2》は、この諸相を分かりやすく説明している。
後の第二次大戦において大英帝国の戦争指導を担うW.チャーチルは自伝的回想「世界の危機*」の中で、第一次大戦について次のように述べている。「--人類は初めて自分たちを絶滅できる道具を手に入れた。これこそが、人類の栄光と苦悩の全てが最後に到達した運命である。」
にもかかわらず日本の場合、第一次大戦の衝撃が見過ごされがちだ。極東にあってほとんど戦闘行為を経験することなく多大の利益を得ることのできた日本人にとって、この大戦に関する情報は稀薄であったばかりか逆に空前の戦争景気という甘美な事件として記憶された。この辺りの事情は猪瀬直樹の『黒船の世紀』《注3》が次のように生々しく伝えている。「日本人は、悲惨なヨーロッパ戦線を知らず、戦勝景気で湧いていた。--天長節を祝うために、在ベルリンの日本人は高級ホテルのカイザーケラーに集まり、祝賀行事を催した。外交官、軍人、実業家、新聞記者らである。といってもわずか二十数名しかいない。日本国内が戦争景気に湧いているとき、敗戦直後のドイツの実情をつぶさにみる立場にあった人々の数が、たったこれだけだったことは記憶にとどめておきたい。」また加藤陽子の『戦争の日本近現代史』《注4》は外交・軍事面での日本の反応を描いているが、そこには新しい国際情勢に対し目先の利益に右顧左眄する日本の姿と総力戦における戦略と軍事技術への当惑や怯懦があるばかりで、第一次大戦の世界史的な意義を捉える視点を、日本の指導者は欠いていたようである。
第一次大戦に関する文献の中で特に有名なものにバーバラ・タックマンの『八月の砲声』《注5》がある。ピユリッツァー賞を受けたこの作品は、大戦の背景と開戦劈頭の数週間を描いたに留まるが、しかし甚だ肝要な史実をわれわれに告げている。それは、世界史の大転換をもたらす第一次世界大戦が実は偶然の所産であり、そればかりか各国の指導者たちが本格的な戦闘を回避しようとしたにも拘わらず全面戦争へ突入せざるを得なかったという意外な史実をである。まさに、「ヨーロッパはよろめき入るように戦争に入った」のである。この後につづく戦争の多くが、明確な意思と緻密な計画の下に開始されたのに対し、第一次大戦は偶然の所産という側面が大きい。
(むろんドイツのシュリーフェン計画のように戦争勃発後における戦略や作戦計画は各国に存在したが、開戦前の時点で全面戦争を企て遂行するという明確な国家意志をもつ国は無く、指導者たちはサラエボの暗殺事件から「八月の砲声」に至る数週間を戦争回避のために費やしたのであった)
そしてこの偶然性こそが、第一次大戦にいっそう暗く冷酷な相貌をあたえている。第一次大戦という偶然がなければ、その後のロシア革命も第二次大戦もなく、その結果、広島・長崎への原爆投下もアウシュビッツも、数える上げることが困難な夥しい命が失われることもなく、そして多大の犠牲を強いながら不毛の結果に終わったソ連東欧圏における社会主義の実験も無かったのである。もし神が存在するなら彼は気まぐれなサディストだろうし、神が存在しないのなら人類は時間の奔流に流され水底に沈む塵芥に過ぎなくなるのではないか。
何れにせよ、われわれは第一次大戦に始まる現代に存在し、その現代を生きねばならない。この意味において第一次大戦は不可避の史実であり逃れられない現実と言える。
そこで、この大戦を世界史的展望の中に位置づけて考えようとするなら、ウィリアム・マクニールの『戦争の世界史-技術と軍隊と社会-』《注6》が文庫本になり入門書として便利である。同じマクニールの『世界史』《注7》は、大学生協で現在最も売れている歴史書だそうだが併読すると第一次大戦の立体的な把握が容易になる。また、戦争それ自体を把握するにはリデルハートの『第一次世界大戦』《注8》が最適といえるが、これは浩瀚な大著であるため時間の制約がある場合には同著者の『第一次世界大戦/その戦略』《注9》がコンパクトで読み易い。さらにビジュアル資料によって立体的な理解を進めるには学研の歴史群像シリーズ『[図説]第1次世界大戦』《注10》がある。またNHKと米国のABCによる共同取材、共同制作『映像の20世紀:大量殺戮の完成』《注11》は優れたドキュメンタリー作品である。
フィクションの分野では、レマルクの『西部戦線異状なし』《注12》があまりに有名だが、これを映画化したR.マイルストン監督作品《注13》も第3回アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した佳品と言える。最近の映像作品ではW.ボイド監督の『トレンチ<塹壕>』《注14》がある。わずか2時間で6万人が犠牲となったソンムの戦いと塹壕戦の諸相をリアルに再現した映像である。
第一次世界大戦の衝撃を確認するとき真っ先に掲げねばならなかったのがO.シュペングラー『西欧の没落』《注15》である。これを最後に上げるのは、あまりの大著であるため読み切れていないゆえである。
【読書案内】
《注1》S.ツヴァィク『昨日の世界Ⅰ、Ⅱ』原田義人/訳、みすず書房
《注2》清水幾太郎/編『思想の歴史(8)近代合理主義の流れ』平凡社
《注3》猪瀬直樹『黒船の世紀 -ガイアツと日米未来戦記-』(文春文庫)
《注4》加藤陽子『戦争の日本近現代史 東大式レッスン 征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書)
《注5》B.タックマン『八月の砲声(上)(下)』山室まりや/訳(ちくま学芸文庫)
《注6》W.マクニール『戦争の世界史(上)(下)』高橋 均/訳(中公文庫)
《注7》W.マクニール『世界史(上)・(下)』増田義郎・佐々木昭夫/訳(中公文庫)
《注8》リデルハート『第一次世界大戦(上)・(下)』上村達雄/訳、中央公論新社
《注9》リデルハート『第一次世界大戦 その戦略』後藤冨男/訳、原書房
《注10》星川 武/編『歴史群像シリーズ 戦略・戦術・兵器詳解 [図説]第一次世界大戦(上)(下)』学習研究社
《注11》企画・制作:NHK、ABC(米)『映像の20世紀:第2集/大量殺戮の完成;塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た』(NHKエンタープ ライズ)
《注12》レマルク『西部戦線異状なし』秦豊吉/訳(新潮文庫)
《注13》L.マイルストン監督作品『西部戦線異状なし』(発売元:ファーストミュージック株式会社)
《注14》W.ボイド監督作品、S.クラーク製作『ザ・トレンチ <塹 壕>』(英国)販売元:株式会社 ポニーキャニオン
《注15》O.シュペングラー『西欧の没落世界史の形態学の素描<第1巻>形態と現実と』五月書房
*なお、W.チャーチルの「世界の危機World Crisis」は 1930年に『大戦後日譚:外交秘録』のタイトルで邦訳されたものがあるが、国立国会図書館で閲覧する以外、一般の書籍流通ルートを通じた入手が困難と言われている。本文の引用は、《注11》の映像ソフトにおけるナレーションに拠る。
(完)