准教授 笠原 岳人
「読書離れ」が進むと、社会の活力や創造性も低下していくのではないか… こういった危機感から、より読書をすすめるために国会で決議され、2010年に「国民読書年」が制定された。読書に対する国民意識が高まりを見せている昨今であるが、その具体的な取り組みとして…
東京都では、「活字離れ」を回避するため、局部署による横断的な「『活字離れ』対策検討チーム」を立ち上げ、活字の大切さを改めて見直すとともに、世界基準とされる「言語力」の向上を通じて、世界で活躍できる若者を育成すべく「言葉の力」再生プロジェクトが実施されている。
文部科学省では、次代を担う子どもたちに向けて、これからの社会において必要となる「生きる力」を育むための新学習指導要領をスタートさせた。以下に記した内容は、小学校版の言語活動の充実に関する指導事例集に記されている主要項目からの抜粋である。
- 事実等を正確に理解すること
- 他者に的確に分かりやすく伝えること
- 事実等を解釈し、説明することにより自分の考えを深めること
- 考えを伝え合うことで、自分の考えや集団の考えを発展させること
- 互いの存在についての理解を深め、尊重していくこと
- 感じたことを言葉にしたり、それらの言葉を交流したりすること
(第2章 言語の役割を踏まえた言語活動の充実より)
このように、公の機関が、そろって「言葉の力」を通して「生きる力」を高めようとする試みの背景には一体何があるのか?
この世に生を受けたヒトは、始めに覚える言葉として「ま」「ぱ」などの破裂音を使いながら、「まんま」「ママ」などの発語からスタートする。そして、幼児期、少年期、青年期…を通して、多くの言葉を読み書きしながら社会の中で「生きる力」を確立していく。しかし、最近の学校現場では、子どもたちの「読む・聞く・書く・話す」といった国語力の低下が、より深刻化しているようである。公の機関が行う取り組みの背景には、子供たちのコミュニケーション力の低下、論理的思考能力の低下、創造力の低下…といった「言葉の力」全体が低下し、それによって子供たちの「生きる力」そのもの崩壊を招いてしまうのでは…と、危惧している証かもしれない。
では、これから社会の一躍を担う大学生の「国語力」はどうだろうか?街中では、大学生はもちろんのこと20代の若者たちの多くが、紙媒体にふれることはなく携帯メールや、DSおよびiPodなどの電子媒体のみに没頭している姿を目にする。このままでは、出版社も新聞社もあっという間に絶滅してしまい、紙媒体の本も新聞も地球上からきれいさっぱりと消滅してしまうかもしれない。そうなれば未来の人々は、いずれ電子画面の上だけで文字を読むようになるにちがいないであろう。そう思うと少々暗澹たる気分になってしまうが… せめて、教員や指導者を目指す学生だけでも本を読む楽しさや意義を理解し、彼らの教え子となる子供たちへ本の持つ素晴らしさを継承してもらえさえすれば、人類の未来はいずれ明るく輝くようになるかもしれないではないか…
社会人目前の学生諸君には、宮台真司の「14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に」という本を一読していただきたい。タイトルの「14歳から…」とはいえ、大学生でも十分ためになる書籍である。内容の一部を紹介すると、第4章の「君が将来就く仕事と生活について」が印象的である。筆者は、これから社会に出て仕事に就く若者に「自己実現できる仕事があるという考えを捨てろ、そうじゃなく、どんな仕事でも“自分流”にこだわることだけを考えろ」と警告している… では、色々な受け取り方のできる“自分流”とはいったいどのようなことなのか?
パソコンや携帯電話が大衆化していない一昔前の話しであるが、社会人となった若者たちに対し、「真っ先に感じる学生時代との違いは」と問いたところ、その多くが「周りは全て自分よりも年上である」との回答であった。当たり前のことであるが、百戦錬磨の大人たちと肩を並べ、仕事を通して自分の存在を認めてもらうには、一日も早く多くの知識を吸収することであり、そのためには、色々な事柄を“自分流”に調べ上げ、そして必死で覚えたものである。つまり、そこで得ることのできた知識や技術などの集積が、自分自身の「生きる力」の糧になっていたのである。
これに対して、情報化社会で生活する現代の若者たちの多くは、自分の興味のあることについては「オタク」と呼ばれるほどに情報を収集するが、それ以外のことへの関心はきわめて希薄な人たちが目立つことである。つまり、自分の幅を広げて成長することより、安全圏を確保してその内側に収まっていることのほうを優先する人たちが多いというのが気がかりなことである。だから彼らは、ストーリーを追っただけのダイジェストと、平均的な解釈を述べた解説を読んで満足し、その向こう側(大人たちの世界)へ踏み込もうとはしないのではないだろうか…
このような若者たちの態度が、大人たちとのつき合い方に大きく反映しているのであれば、社会生活を営むうえで、大きな歪みが生じてくるのではないだろうか? 今の若者たちをみる大人たちの偏見だろうか…
流行語ともいうべき「空気を読む」とは、自分を多数派に同調させてワクをはみ出さないこと、つまり、その場をお互いの安全圏として維持し、「つき合い」を続けるための知恵である。強い自己主張や他人への過度の干渉は、「KY」として排斥される傾向にある。こうしてみると、「活字離れ」と見られる現象の根底にあるのは、他人との濃密な関係を嫌う「他者離れ」があるのでは…と考えてしまう。何とも、もったいない話しである。若者たちよ… せっかく、ヒトとしてこの世に生を受けて育ってきたのだから、もっと「言葉の力」を信じようではないか!
本稿の最後になるが、私自身、大学生活の4年間というのは、厳しい世の中で生きていくために必要な“知識や技術”を修得するための時期であると同時に、自分自身の秘めたる“ブランド力”をより高めることができる最高の時期であると思っている。そこで、是非とも学生時代に以下に記した書籍に目を通していただき、「言葉の力」を通して「生きる力」を養い、そして、ヒトとして大きく羽ばたいてくれることを願っている。
- 「人を動かす」デール カーネギー 創元社
- 「人間学」伊藤 肇 PHP文庫
- 「人間力を高める読書案内」三輪裕範 ディスカヴァー携書
- 「進化する人、しない人」竹野 輝之 角川学芸出版