助教 伊藤 愛莉
幼稚園生の頃、『おひさま』という絵本雑誌を買ってもらったのが文字を読むこととの出会いだった。出産のため母がしばらく家におらず、寂しくないようにと買ってもらった。「へんてこライオン」や「クレヨンまる」などカラフルな絵とちょっと不思議な話に夢中になり、毎月の楽しみになった。この頃から本を読むことはいつも私を助けてくれていたのだなと思う。
小学生や中学生の頃は、宮部みゆきさん(『火車』は強烈なインパクトだった。個人情報の流出には本当に気を付けたい)や、有川浩さん(『図書館戦争』はラブコメ要素があり読みやすいが、表現の自由や抑止力について考えさせられた)、伊坂幸太郎さん(仙台に10年住んでいるがミルクコーラをまだ飲めていない。いちおしは飄々とした死神による人間の観察が面白い『死神の精度』)、三浦しをんさん(『風が強く吹いている』は読んだことがある人も多いでしょうか。辞書編纂という長い時間のかかるプロジェクトを題材にした『舟を編む』も好きである)などを読んだ。とにかく小説が好きだった。高校では古典にはまり、『源氏物語』や『枕草子』にとどまらず、大学の試験の古文の問題は一度読んだことがあるものが出たくらいだった。高校2年生の時の二者面談では、面接用紙の将来の夢の欄に「本に囲まれて暮らしたいです」と書いた(今はある意味この夢がかなったともいえるかもしれない)。
ところが、自由に本を読み放題になるはずの大学生時代、ただ自分の心のままに本を読むという時間を忘れてしまった。皆さんと同じように教員免許と卒業単位をとるためにほぼフルコマで授業を受け、それに伴うレポートや授業の理解のために必要な文献を読み、一人暮らしの家事をして、学費のためのバイトをしなければならなかったからだ。
さらに修士課程に進んでからは、もはや凶器になるサイズの英語の本をもとにした報告や、それ以外にも英語の授業が3コマくらい課された。本の1章以上か1日で論文1本を翻訳しないとぜんぜん間に合わない。当然その他に日本語の授業もある。1回の授業を身につけるには、最低15本くらいの英語や日本語の論文を読む必要があった。もちろん研究に興味があり進学したので、特に不満などはなくやる気に満ちていた。小説や古文とは異なる、論文や学術書の読み方(まずは要約、問いと結論を読み、どこまで読みこむかを判断したり、研究方法を確認したり、重要な研究の場合、その研究を自分が再現できるか頭でシュミレーションするなど色々)を身に着け、たくさんの知識が頭に入る感覚は楽しかった。しかし今思えば、私の文字好きの原点である小説や物語を読むという考えがなくなった時期だった。
博士課程後半、これまで以上にたくさんの文献を読む必要がある時期に、文字を読むことが好きだった私についに異変が起きた。論文を読もうとしても文字の形がただ眼球をすべるだけの状態になった。文字を読もうとしても内容が、一切、はいってこなくなってしまったのだ。あれだけ好きだった文字たちがストレスの原因になってしまったので、しばらく、論文や学術書は封印することにした。少し時間が経ってから、まずは、1日1回論文をひらいたらokとか、それができるようになったら1頁読めたらokとか文字を読むためのリハビリみたいなことをしていた。
そんなもどかしい生活をしばらくしていると、上橋菜穂子さんの新刊が出ていると教えてくれた人がいた。上橋先生はアボリジニの研究者であり、児童文学者だ。守り人シリーズや、『獣の奏者』『鹿の王』などの作品がある。おそらく私の一番好きな作家さんであり続ける人である。私としたことが、上橋さんの新刊情報を見落とすほど本から離れていたのだった。その人は『香君』という本のリンクを送ってくれた。「上橋さんのファンだったよね!植物や昆虫が出てくる話だから好きそうだなと思って」そして、本の本体も送ってくれたのだ!
段ボールを開けたら、私の好みとしか言いようのないデザインの本がそこにあった。上橋さんの本にも集中できなかったらどうしようと思いながらも、お茶を淹れて、万全の態勢を整え私は本を読み始めた。一つ一つの文字を丁寧に読んで、登場人物の服装、光の差し方、空気の感触、香りなどを焦らずにゆっくりと味わった。こんな本の読み方をしたのは本当に久しぶりだった。提出期限のある論文執筆のための読書で、私は常に何かに追いこまれながら文字を読む癖がついてしまっていたのだ。
上橋さんの作品はファンタジーではあるが、とにかくその世界に本当にいるような気になる。現実よりも現実だと思わせる緻密な世界観、ストーリーの展開に、「そうそう、本を読むってこんな感じだった」とわくわくしながら次のページをめくる気持ちが湧き上がってきた。まる2日間ほど、その本のことしか考えずに没頭することができた。読み終わった後には、上橋さんの作品に必ず登場する、賢く、勇気があり、毅然とした登場人物が、私もこうありたいという気持ちを思い出させてくれた。そして、これくらいの長さの本を読めたことは、文字を読むことに対する安心感と、自分への信頼を私にもたらした。
私はもともと、読書が好きではあるが、追い込まれながらする読書、何かを得なければならないと思わせる読書、押し付けられる読書、一生懸命読んでも理解できない読書も経験したことで、本を読むのは面倒、読書は苦手だなという敬遠する気持ちを持つ人がいるのもわかるような気がする。
しかし、学生の皆さんには、Instagram、Twitter、Tik Tok、YouTubeなどから得られる、誰でも簡単に発信できる文や情報だけではなく、作者が生みの苦しみを感じながらも書き上げ、本になることを許された文にたくさん触れてほしい。私にとって、読書という活動は、情報や刺激、やるべきことがたくさんあり、他者の視線を意識してしまう日常生活において、本と私だけの空間をあたえてくれるものである。文字から風景や心情を想像することは、いつも使っている脳の部位とは違うところが動いていて、たぶん瞑想のような効果があるのではと思っている。ただ心のままに自分が気になった本を開くと、それだけで自分を大切にできた気分になるのでおすすめだ。
オンライン授業を受け、スマホを使いこなす皆さんにとって、読書は特に難しいことではない。1ページよんで、よくわからないでもよいし、表紙がかわいいから買ってもよい。絵本や漫画ももちろん読書だし、目次に目を通すとか、あとがきを読むだけでもよい。3行よんでよくわからないでもよい。なんなら図書館や本屋さんで、タイトル、帯の言葉、表紙のデザインを見るだけでも読書といってよいと思う。こう考えると服とか靴をみることとそんなに変わりはないので、ぜひ本を目にする時間を生活に取り入れてほしい。
今から私が読もうと思っているのは、木下龍也さんの『あなたのための短歌集』という本だ。1ページめくれば、きっと心がほぐれると思う。中学生の頃、上橋菜穂子さんの講演会に連れて行ってくれた友人が「これすごい良い」とLINEで教えてくれたのでたぶん面白いはず。普段読書になじみのない方もこのあたりから本にふれてみてはいかがでしょう。