2022年4月1日金曜日

【TORCH Vol.136】 「本を読めることへの感謝」

 教授 重巣吉美


読書との本格的な出会いは、中学生の時でした。昼休みになると、学校の図書館に通いました。本がたくさんあって、一人で没頭できる時間が楽しかったことを思い出しました。様々なジャンルの本を手にとって読みましたが、中学生の私は、海外の古典的な推理小説にはまり読み続けました。その後は、読まなければならない本や読みたいなと思う本を購入して読んできました。なぜこんなジャンルに惹かれるのかなと思うような本もたくさんあります。でも、活字を読むこと、本を手にして読むことが楽しいのです。

老眼になって、初めて眼鏡をかけなければならなくなった私は、矯正をしなければならない人の気持ちを実感しました。想像はできていたのですが、いざ、自分が体験したからこそわかることはやはり大きいのだと思います。矯正をしなければ文字が読めないことだけでも不自由であることがよくわかりました。大きな分厚い本は持ち運ぶのも大変だから、今や電子書籍が老眼になった私にも便利なのかもしれません。しかし、どうしても、紙媒体で物としての実態のある本で読みたくなります。

本を読んで、自分で考えたり想像したりできることが楽しみの一つです。今回は、最近読んだものから思うことを2つ書かせていただきます。

一つ目は、小川 糸著「とわの庭」「ライオンのおやつ」という二冊の小説です。「とわの庭」は、生まれて戸籍もなく、家の外に一歩も出たことのない盲目の少女「とわ」の話です。ある日母親から捨てられ、ゴミ屋敷となった家で命をつなぎ、火事が起こったことで、社会と接点ができて助けられ、支援を受けながら盲導犬と暮らす話です。現代社会の縮図のような課題がたくさん詰まったものでした。虐待を受けるだけでも大変なのに、視覚障害があり、飢えてゴミ屋敷にいなければならなかった・・・これまで関わってきた学校にも同じような境遇の子どもたちがおり、子どもがなぜこんなことにならなければならないのかという現実の問題と重なりました。同じ著者の「ライオンのおやつ」は、末期癌の主人公を描くターミナルケアの話です。もう半世紀近く前に、看護の勉強をしている中で、ターミナルケアについて、ホスピスにおける看護について、死にゆく人の看護についてゼミで議論をしたことを思い出したり、自分や家族の最後を考えたりと、これも重い現実の問題を思い巡らせてくれました。

二つ目は、ブレイディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」です。どちらも、イギリスで暮らす著者の家族や環境を含めた生活について書かれたものです。その中で、彼女の息子さんが学校でどのような学びをしているのかを書いている部分があります。日本の小・中学校、特に中学校でも、こんな学び方をしてきたら、子どもたちは違うだろうと思うことがあります。日本の教育のすべてがダメなわけでも、間違っているわけでも、成果がないわけでもないのです。しかし、イギリスという伝統と文化の中で育まれてきた教育によって育つ力を知り、実際に最近の子どもたちに伝わる様子を本を通して知ることで、きっと、日本でも今子どもたちに必要としているのは、このような力ではないだろうかという気持ちにさせられました。正解がない中、自分も周りの人も、よりbetterな生活が送れるよう、社会と関わり合い自分に合う納得解を導いていける力を身に付けていくことが求められています。せめて大学でそんな授業ができるようにしたいと自分を鼓舞することにもつながったように感じています。

 

楽しみとして読める本があること、そして、本を読むこと、活字を読めることを楽しめることは、私の人生を豊かに幸せにしてくれています。(2022/3