佐々木 鉄男
今から44年前、大学受験のため通っていた東京の予備校で、英文解釈を担当していた慶応大学のある教授が、「夜寝付かれないとき、適当なところを開いて読んでみたまえ。睡眠導入剤になるから…」と薦めてくれたのが、エルネスト・ディムネの『考える技術』(弥生選書・大西尹明訳)でした。昭和45年初版で、私が購入したのは48年の第3版。転居を繰り返しながら、紛失せずにまだ手元に残っていますが、外観はかなり黄ばんでいます。
確かに「じじつ、プラトンからハーバート・スペンサーにいたるまでのあらゆる哲学者は、その哲学のうちに教育論と思考の技術との二つを包含しており、したがってその二つのつじつまは合っているということになる(p.78)」等の文章をしばらく読みすすむと、心地よい眠りに誘われていきました。ところが、眠くなりかけてきたところで、急に視界が開くように活字の先に広がる世界が見えてくることがあります。そうすると、目が冴えてくる。困った本でした。(エルネスト・ディムネは1866年フランスに生まれ、第一次世界大戦後にアメリカに移住し、1930年代にベストセラー作家になったという。1954年死去。)
イスラム教徒の国でありながら、政教分離を進めて西側との関係を深め、EUへの加盟を目指してきたトルコの人たちの心情や日常を垣間見ることのできる小説があります。1996年にノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの『雪』(上下巻・早川epi文庫)です。主人公は、ドイツから13年ぶりにイスタンブールに戻ったKaという詩人。彼が少女の連続自殺の取材で訪れたトルコの北東の辺境の町カルスで、昔の学生運動の仲間だった美貌のイペキと再会。彼女との関係を中心に展開するストーリーで、世俗主義の現体制を守ろうとする勢力と、イスラム主義者、イスラム過激派のテロリストとの微妙な関係の上で日常が営まれる中、突如大雪の3日間にクーデターが発生する。トルコの人たちの置かれている複雑な状況を肌で感じることができる作品でした。
エルドアン大統領が、首都アンカラの郊外に、まるでオスマン帝国時代のスルタンの宮殿を思わせるような大統領公邸を作り話題となった2014年の秋に妻とトルコを訪れました。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王を公邸に迎え会談したタイミングでした。まだトルコ国内でのテロの発生はほとんどなく、イスタンブールやエーゲ海沿いのトロイ、エフェスはもちろん、中央アナトリアの方まで足を伸ばして、トルコを満喫しました。
しかしその後、2016年に軍の一部がクーデターを起こして失敗、するとエルドアン大統領はクーデターに加わった軍人だけでなく警察や公務員、記者などに至るまで大規模な粛清を行います。さらに大統領の権限を大幅に拡大する憲法改正の国民投票を実施し、独裁体制を確立します。小説をも上回るスケールで展開するトルコの行く末に唖然とするしかありませんでした。
スポーツに関連する本をひとつ。『たかが江川されど江川』(新潮社・江川卓+玉置肇・西村欣也・長瀬郷太郎著)
私が仙台放送に入社した昭和53年の11月に行われたプロ野球ドラフト会議、江川卓は前年のドラフトで指名されたクラウン(福岡)を断って野球留学していたアメリカから戻り、巨人と電撃契約する「空白の一日事件」の渦中、阪神が江川との交渉権を獲得。最終的に江川は一旦阪神に入団した後、小林繁との交換トレードで巨人に移籍します。
この一件によって江川はマスコミから総攻撃を受けることになります。しかし、そんな江川を冷静に見つめ、取材を続けてきた記者がいました。その一人が日刊スポーツの玉置肇氏です。彼は私の大学時代のサークルの後輩でもあり、若いころ仙台支局にも籍を置いていました。
『たかが江川されど江川』を読むと、心から野球を愛しながらも、ある「仮面」をかぶり続けて現役時代を送らざるを得なかった江川と、適度な距離を保ちながら、時代の証言者として江川を取材し続けてきた玉置記者との関係が見えてきます。
残念ながらこの本は絶版になっていて、amazonで中古か、kindle版でしか入手できないようです。
最後にお勧めの本をもう一冊
野球を愛したルーズベルト米大統領は「一番おもしろい試合は、8対7だ」と語ったそうで、それ以来、8対7で奇跡の逆転劇を果たした試合をルーズベルト・ゲームと呼んでいます。池井戸潤の『ルーズベルト・ゲーム』(講談社)は、廃部寸前となっていた社会人野球部が、リストラの嵐の中で存続できるのか、奇跡の逆転劇を見せるのか、夏休みに楽しみながら読める本です。テレビドラマで見てしまった人にはお勧めしませんが…。でも学生の皆さんは新聞をとらないばかりか、テレビもあまり見ていないようなので大丈夫かもしれませんね。