2017年3月15日水曜日

【TORCH Vol.092】 古典的名著に触れる楽しさ

                                                                   久能 和夫


Ⅰ 「プラトン全集9 ゴルギアス メノン」 藤沢令夫訳 岩波書店
       1974年11月5日発行
Ⅱ 「メノン」  プラトン著 藤沢令夫訳 岩波文庫
     1994年10月17日発行 
 
Ⅲ 「メノン-徳(アレテー)について」 プラトン著 渡辺邦夫訳 
        光文社古典新訳  2012年2月20日発行 


 
 古典的名著と言われる書物を読むおもしろさは2通りあるのではないかと思っている。一つは,原文(と言っても,私の場合は日本語訳された文章であるが)そのものを自分好みで読み通していくこと。もう一つは作品に付けられている訳者による丁寧な「脚注・解説」文を参照しながら読んでいくおもしろさ。因みに,Ⅱ藤沢訳とⅢ渡辺訳の文庫本で比較してみると,Ⅱは本文138頁に対して解説部分は45頁。Ⅲに到っては本文134頁に対して解説部分は何と110頁にもなっている。
 プラトンが残してくれた数々の対話篇は,後者の訳者解説に導かれながら読み進めていく楽しさを与えてくれる作品の数々である。
 プラトンが残した30余りの対話篇。どの作品にも難解な哲学用語が使われておらず,読み易い文章である。しかし,それは表記上のことであって,対話篇全体に流れている「哲学的問い」は,21世紀の現代においても私たちを魅了し続ける内容に満ち溢れている。
 
 道徳教育論の講義の中で「徳について」を考えさせるために,プラトンの「メノン」を取り上げた。講義後に学生が提出した感想の中で「矛盾している」という言葉が目を引いた。「有るもの『徳とは何かという答え』を求めているのに,『それは無いのだ』と返されることは矛盾している」という内容であった。
 学生が指摘してきた「矛盾している」は,まさに当を得ている。何故ならば,問いを発したならば「解」があると捉えるのが学びとしてのセオリーである。授業の中で示された哲学の名著の中で問われている「徳とは何か」という命題に対して,ある意味において崇高なる古典的「解(定義)」を期待するのは当然の帰結であろうと言うことである。
 
 「メノン」は,プラトン哲学の入門書とも言われ,また哲学とはどういうものなのかについて考える最良の一冊でもあると言われている。'the gem’とイギリスの哲学者J.S.ミルに評されたこの作品はプラトンの著作の中で,もっとも読み易い部類に属する。
 「メノン」はプラトンの「初期~中期」への移行期の作品と言われている。初期の作品は,ソクラテスの対話を再現することに重点が置かれていた。移行期のこの作品で,プラトンはソクラテスの問いをメノンの問いに対比させることにより,それまでの単なる再現からもう一歩踏み込んだプラトン自身のソクラテスに対する想いが伝わってくる。
 私と「メノン」の出会いは,大学3年の秋であった。明確に記憶している理由は単純で,Ⅰに掲げた「プラトン全集第9巻」を入手したからである。大学生ならば哲学のひとつぐらいは語れなければならないだろうという気持ちで購入していた「プラトン全集」。数ある対話篇の中で,「メノン」に強く心を引かれた。それは,二十歳前後の若者(メノン)が老哲学者(ソクラテス)に果敢に論戦を挑む構図が心地よく,その展開に引き込まれていったのだろうと今振り返ってみると感じられる。
 
 「メノン」の冒頭部分。他の対話篇と比べてもかなり刺激的な入り方である。二十歳の若者がいきなり,六十歳を過ぎたソクラテスに唐突な質問をぶつけるところから始まる。
 藤沢訳では,次のように表現されている。
こういう問題に,あなたは答えられますか,ソクラテス。  人間の徳性というものは,はたしてひとに教えることのできるものであるか。それとも,それは教えられることはできずに,訓練によって身につけられるものであるか。それともまた,訓練しても学んでも得られるものではなくて,人間に徳がそなわるのは,生まれつきの素質,ないしはほかの何らかの仕方によるものなのか…」。
 私が初めて読んだのは藤沢訳であった。自分自身の年齢と重ねてストレートな物言いをするメノンに対する憧憬が強い引きつけとなって作用したのだろうと思う。
 藤沢訳が出されてから約40年近くを経て出された渡辺訳は全体のトーンが優しくなっている感をもった。藤沢訳との比較のために冒頭部分を示してみる。
「ソクラテス,あなたにおたずねします。お答えください。徳(アレテー)は教えられるものでしょうか?それとも訓練によって身につくものでしょうか?それとも徳(アレテー)は,訓練によって身につくものでも学ぶことのできるものでもなくて,生まれつきか,何かまた他のしかたで人々に備わっているものなのでしょうか?」
 
 J.S.ミルをして 'the gem’と評された「メノン」。二人の訳者はそれぞれ「珠玉の短篇」(藤沢),「宝石」(渡辺)と表現している。40年近い年月は,訳本が世に出された時代背景の違いだけでなく,読み手の「古典」に対する受け止め方も大きく変化させてきている。古典だけでなく,本離れ,活字離れも顕著になってきている現代において,古典的名著のもつ価値について,池澤夏樹氏は「知の仕事術」の中で,古典との付き合いを次のように述べている。
「古典を読むのは,知的労力の投資だ。最初はずっと持ち出し。苦労ばかりで楽しみは未 だ遠い。しかし,たいていの場合,この投資は実を結ぶ。つまり,たくさんの人が試み てうまくいったと保証されたものが古典と呼ばれるのだ。それはつまり,年齢と共に読 む力も伸びるということだ。世間知が増すにつれてあるいは人生の苦労を重ねた分だけ, 本の内容の理解も深まる。」
 
道徳教育論の授業での中で,「矛盾している」と声を発してくれた学生が,将来,珠玉の作品の中で語られている「探究のパラドックス(メノンのパラドックス)」に改めて出会う日が来ることを楽しみにしている。