2016年10月24日月曜日

【TORCH Vol.089】こころを知るための本2冊 『こころを大切にする看護』『子は親を救うために心の病になる』


江口 千恵
 長いこと新幹線通勤であったので、あらためて在来線の通勤で驚く光景がある。ほとんどの乗客が見つめているのはスマホである。電車を読書の時間としているおとなの姿は少ない。そういいながら私も、かばんには文庫本は入っているものの老眼のせいで文庫本の文字がつらい。そしてハードカバーは重い。
 読書は、電車の時間やその待ち時間を楽しみに変える道具であった。電車に乗り遅れた残念な時間も本さえあれば怖くなかった。しかし今、本がスマホに変わった。
 そのことはしかたがないこととしても、本を読んでほしい理由がもう一つある。大学生に就職試験の指導をしながら感じることは、学生の言葉の持ち合わせが少ないことである。そのことで学生自身がじれったい思いをしている。自分の気持ちを伝える適切な言葉が見つからないとか、自分の今の状況を言葉で表現できないとかいう思いである。しかし、言いたいことがうまく表現できないと感じる経験は何も若者だけではない。私自身も感じることではある。この問題の対策として、私は本を丁寧に読み、書かれている言葉に心を止める経験が大切であると思う。人と話す経験も大切ではあるが、一瞬で消える言葉と立ち止まりかみしめることができる言葉とは違う。社会に出たら、なおさら自分の思いを適切な言葉で表現することが大切になる。ぜひ本とつきあってほしい。どんな本でもいい。図書館や書店の本棚の前に立つときっと手に取りたくなる本に出会うはずである。そして心に残る言葉と出会うはずである。

さて、せっかくの機会なので、わたしが何度も読んで、付箋やラインだらけにしている本を2冊紹介したい。

「こころを大切にする看護」  樫村通子
 親友の書いた本である。書いてほしいと言い続けたのは私である。そしてできてから何度も読んで付箋が加えられている。タイトルは看護の本のようであるが、援助職者のバイブルのような本である。生徒や学生の問題が見えないとき、自分自身の方向が見えないとき、職場や家族間の心のすれちがいやトラブルのとき、折に触れてその都度ページをめくっている。ユングやフロイトの理論が身近になる。
援助職である看護師や教師・介護士などが対人関係から生まれるこころの問題にぶつかったときに論理的に、その問題の本質や自分の心を守る方法を説明してくれている。それは、筆者の看護師と臨床心理士のキャリアだけではなく、自分自身の生きてきたすべての経験に裏打ちされたうえでの学問の構築が、その文章の奥行を作っている。
「人を助ける職業は、自分自身を大切にできないと、本当の意味で相手を助けることはできない」と述べている。 タイトルの大切にする「こころ」は相手のこころであり、自分自身のこころでもある。

「子は親を救うために『心の病』になる」  高橋克己
 衝撃的なタイトルで思わず買った本である。精神科医である筆者が臨床で出会った親子の様々なケースとともに親と子の在り方について説かれている。
生まれたときから赤ちゃんに備わっている体の機能を「生命システム」とし、社会に適応するために学んでいくであろう心の機能を「心理システム」と筆者は名付けている。
 「この心理システムを学び、作り上げていく時、母親が決定的な影響を与える。ひとは誰でも、ひとりの母親、ひとりの父親しか知らない。その親からの影響の大きさは、いくつになっても客観視できないものである。」とも筆者は述べている。自分の家や両親を客観視することで、自分自身の理解が深まる。そして、自分自身の自立にあり方を考えることにもつながる。心に突き刺さる言葉があるかもしれないが、重く抱えていた思いから解放される言葉に出会うかもしれない。自分自身の親との関係を振り返り、さらに自分と息子や娘との関係につながるたくさんの気づきがあった。

【TORCH Vol.088】学生の皆さんにお薦めしたい一冊「修身教授録」

紀野國 宏明

去年の春、仙台市内の病院に急遽入院することになった兄のお見舞いに行ったところ、ベットに横になっていた兄が「これ読んでみろ、面白いぞ」と言って私に一冊の本を手渡してよこした。
これまで大変忙しく働いていた兄だったので入院の退屈しのぎに読んでしまった本を私にくれるのだろうくらいの気持ちで軽く受け取ったが、見ると「修身教授録」との題名、何やら戦前の古めかしい匂を感じた。
とはいっても、食道ガンで入院した兄がわざわざくれるというのだから、私は素直に受け取り、簡単なお礼を言って家に持ち帰えった。
当時の私は、まだ教育の世界とは似ても似つかない組織で働いていたので、万が一にも自分が教員になるなどとは全く想像もしていなかったし、ましてや兄が逝ってしまうとは考えもしなかった。
今になってみると、もしかしたら兄は私が教員になることを予知していたのか、予感でもあったのかと思ってもみるが、何とも不思議な、この本との出会であった。
そのうち気が向いた時にでも読めばいいだろうくらいの気持ちで持ち帰ったのだが、ページをめくって読んでみると、私は、たちまちこの本の魅力に引き込まれてしまった。その一節一節に心から感動し、夢中になってしまったのだ。
この本は、森信三という先生が、京都大学哲学科を卒業し、大阪の天王寺師範学校で講師をされていたとき、教師の卵である学生に行った講義の記録である。
私がたちまち引き込まれてしまった理由は、おそらく、だれでも一生に一度は考え、悩むであろう事柄について、森先生は一つ一つ真正面から取組み、決して逃げず、丁寧にわかりやすく学生たちに講義されている様子が、生き生きと記述されているからだと思う。それは、間もなく定年退職を迎えようとしていた私にさえも、はっきりと伝わってきた。
森先生が講義された人生において大切な事柄の一つ一つは、実は、私がことごとく色々と理由をつけては後回しにしてきたことばかりだった。考えること自体から逃げ、私自身がいい加減で安っぽい生き方をしてきたことに改めて気付かされ、そのことを心から恥ずかしくさえ思った。
まさに世にいう「教師」とは、このような方を言うのだろうと思うと同時に、その偉大さといったようなものを感じた。

論より証拠ではいが、ここで、その一文を紹介する。

「第2講 人間として生まれて」

さて、諸君らは大部分の人は、大体今年18歳前後とみてよいでしょうね。してみると諸君らは人間としての生を受けてから、大体16,7年の歳月を過ごしたわけであります。
ところが、それに対して諸君は、一体いかなる力によって、かくは人間として生をうけることができたかという問題について、今日まで考えてみたことがありますか。
今ここに諸君らと相見えて、互いに研修の第一歩を踏み出すに当たっては、諸君たちが受け入れると否とにかかわらず、どうしてもまずこの問題から出発せずにはいられないのです。われわれ人間にとって、人生の根本目標は、結局は人として生をこの世にうけたことの真意を自覚して、これを実現する以外にないと考えるからです。そして互いに真に生き甲斐がある日々を送ること以外にないと思うからです。・・・ところがそのためには、われわれは何よりもまず、この自分自身というものについて深く知らなければならぬと思います。言い換えればそもそもいかなる力によってわれわれは、かく人間として生をうけることができたのであるか。私たちはまずこの根本問題に対して、改めて深く思いを致さなければならぬと思うのです。・・・

といった具合で、森先生の講義が進んでいくのだ。
これを読み始めた私は、当時、この講義を受講した学生たちも同じ気持ちだったに違いないと思いつつ、森先生の講義にみるみる引き込まれていった。
この本は、人生の終盤に差し掛かった私のような者にさえ、改めて人生の深さに気付かせ、そして多くの真理を提示してくれている。

学生の皆さんに、是非、一度、手に取って読んでみて欲しい一冊です。 

お勧めの図書 「修身教授録」

著者 森信三
発行者 藤尾英昭
発行所 致知出版社

2016年10月3日月曜日

【TORCH Vol.087】「三国志」に関係する5種類の本について

菊地 博

 今回「書燈」に原稿を寄せるということになって,文章を書くことの得意でない私はかなり悩みました。自分が本の紹介や書評めいたことを書けるのだろうかと。けれども,逃げるわけにもいかず日にちも迫ってくるので,なんとか書くしかないと思い,自分が何度か読み返したりしてきた「三国志」に関係する5種類の作品を取り上げることにしました。皆さんご存知の有名な話なので,改めて皆さんに新しい知見や素晴らしいものをお示しすることはできないと思いますがお許しください。

 5種類の作品とは,まず吉川英治の「三国志」,つぎに北方謙三の「三国志」そして陳舜臣の「諸葛孔明」さらに井波律子の「三国志名言集」最後に三国志新聞編纂委員会編の「三国志新聞」です。

 そもそも私が「三国志」に初めて接したのは,小学校高学年の頃の少年向けの読み物でした。その時は筋を追うことが主体で,劉備たちがどうなっていくのかを中心に読んでいたような気がします。もちろん判官びいきの例にもれず,とにかく,劉備よ負けるな,孔明よなんとか策をめぐらせろと思っていたわけです。その時の幼いながら,わくわくしたりした経験が,大人になってからの読書に結びついていったと思います。その後,吉川本の「三国志」には高校生の時文庫本で出合っているのですが,さすがに大人の読む物になると面白い,とは思ったものの,どういう訳か小学校の時のような興奮を覚えませんでした。
 しかし,就職した次の年,昭和54年7月頃に「講談社が,吉川英治全集を新装版で毎月一冊ずつ発刊する」旨の広告が新聞に載りました。しかも第1回配本は,全集の第21巻となる「三国志」から始めるとありました。(もちろん全集の売れ行きに大きく影響する大事な第1回配本ですから,一番売れ筋になりそうな「三国志」を選んだわけでしょう)それを見て私は学校に出入りしていた書店にすぐさま申し込みをしました。いよいよ10月になって学校にいる私の手元に本が届いてみると,まず装丁が素敵で,気に入りました。(いかにもミーハーな私です。)そして家に帰って読み始めるとどうでしょう,高校生の時とは違って,小学校の時以上に引き込まれていきました。その夜は,夢中になって3時ころまで読んでしまいました。(当時は1,2,3年生の英語を全て一人で教えていたので,その準備のため読み始めるのは9時,10時でしたので,たくさんは読めないのです)また次の日も夢中になってしまい,3時ころまでということを一週間ほど続けて1冊を読み終えました。それからは,毎月の配本が楽しみで,本が来るのを待ちかねて「三国志」の世界を楽しみました。作品の世界に引き込まれ,登場人物と一緒に泣いたり喜んだりして,4か月の楽しい読書期間となりました。この時の体験のおかげで,その後先にあげたような作品を買って読むことになります。
 吉川英治の「三国志」と北方謙三の「三国志」を比べると,流れるような美文調と感情移入を誘う吉川流と,作者の思いは示しつつも淡々と冷厳に事実を述べて読者に判断の余地を残す北方流の違いが,私には感じられます。たとえば,それぞれの作品の始まり方にそれが表れていると思われます。吉川は,むしろ売りをしてためた貴重な金を持って病身の母のための茶を求めに来た劉備が,賊につかまったことが元で張飛に出会い仲間になるくだりから始めています。一方北方は,すでに仲間である劉備と関羽張飛らが,600頭の馬を約束をきちんと守って送り届けるところから始めています。吉川の文を読むと,劉備の優しさと粘り強さが一番に感じられ,一方,北方の文では,劉備の信義を最も大切にする剛毅な心が伝わってきます。この差が最後まで二つの作品の差になっているように思われますが,どちらが良いというのではなく,どちらも良いと思わせてくれるのは,二人の作家の力のすばらしさと人柄の力というものであるように思います。どちらの作品も最後は,孔明の死を描いて終わっていますが,吉川の文では,部下に囲まれて静かに息を引き取ります。一方,北方の文では,孔明が部下に知られずに一人で亡くなります。この辺りも,二人の描き方の違いとして面白いように思います。
 さて,陳舜臣の「諸葛孔明」は,もちろん,孔明から見た三国志ということになります。亮という字が「明るい」という意味を持ち,孔明という名が「はなはだ明るい」という意味を持つというところから始まりますが,こちらは吉川や北方の作品ではあまり前面に出てこない孔明を描いています。私が一番驚いたのは,長身の孔明の妻もまた長身で,彼と同じように(当時としては珍しく)物を発明したり策を講じたりするのが好きで,それを夫に対等に話すことです。もちろんこれは創作の世界であり本当にそうであったかどうかはわかりませんが,それを差し引いても面白く感じました。クライマックスである最後の五丈原を描く場面では,彼が貫き通した主君への思いとそれがかなわないと分かっているつらさが,孔明の人間としての美学を感じさせつつ,他の作品同様静かに幕を閉じています。
 井波律子の「三国志名言集」は羅漢中の「三国志演義」を基にして,名場面を名言で紹介しながら,読み進むうちに三国志の大きな流れをたどることができるようになっています。井波氏は筑摩書房刊の「三国志」の共訳もされている方です。「演義」を基にしていることから,漢文調の歯切れと調子の良い名言名文に触れられるのが特徴です。
 最後は三国志新聞編纂委員会(日本文芸社)による「三国志新聞」です。名前と装丁だけですとトンデモ本のように見えますが,そういうわけではなく,ビジュアルを使っているため分かりやすいという特徴があります。この作品は,中国のテレビ局が作成した「三国演義」というビデオを基にした写真を入れて作った見開き2ページで一つの事件を報じた新聞という形式になっています。まあ,半分受け狙いのようなところもありますが,面白い作品です。
 さて,ダラダラと文を続けてきましたが,「三国志」はたくさんの作家の作品があるだけでなく,漫画やゲームにもたくさん取り上げられています。登場人物の多彩な人物像やその交流の美しさ、権謀術数等,魅力は数え上げたらきりがないと思います。そして細部には創作があったにしても,大筋このようなことが現実にあったということが一番の魅力だと思います。そして,どの作品に触れても,劉備と孔明らが守ったは蜀は魏に下り,その魏も曹家から司馬家へと政権が移ってしまう歴史を知っているだけに,万物流転,諸行無常の思いを感じながらも,登場人物の素晴らしさ,生きざまに惹かれるのではないでしょうか。