2025年3月6日木曜日

【TORCH Vol.156】「本は出会い」

 現代武道学科 准教授 阿部弘生

 「本は出会いだから」

 私の母がよく口にする言葉です。自分が読んでみたいと思う本があった時、後で買おうと思っても心が動いた本にかぎって次に買うことができない、ということだそうです。こんな信念があるため、私が小さい頃に本屋に行った時、ある本の上下巻のうち上巻を買ってもらおうとすると、「こういう本は上下巻とも読むことではじめて内容がわかるもの」と、必ず両方を買ってくれました。お祝いごとをほとんど行うことのない家でしたが、珍しくプレゼントをせがんだ高校1年生のクリスマス、要望していた『夏目漱石全集』が本棚に並んでおり、感激したことを覚えています。幼い頃に教えられた通り「どうせ読むなら全部!」が効いたみたいです。後で聞いたところ、“少しでも綺麗な本を!”ということで、仕事の合間をぬって古本屋をかけずりまわってくれていたそうです。

 さて、私の人生の軸は剣道です。

「いいところに連れて行ってやる。」

 幼稚園の年中児だった私は父親のそんな言葉に疑いなど持たず、気付けば凌雲館渡辺道場(秋田県・2003年に閉館)に入門していました。剣道との長い付き合いの始まりでした。その後、中学2年生の時に居合道、高校1年生の時に杖道をはじめ、これまで様々な武道に触れる機会を得てきました。そして、今では専門領域を武道学として、武道の歴史や思想史を研究する立場となっています。こうした経験の中、私の興味の方向性は常に日本文化でした。

 大学院生の頃、恩師の博士論文のあとがきで紹介されている、竹本忠雄先生の著書『マルローとの対話』に出会いました。ド・ゴール政権下に文化大臣をつとめられた作家アンドレ・マルローと竹本忠雄先生との8度に渡る対談とその前後に往還された手紙が収録されています。絵画や彫刻、宗教性や死への至り方など、日本の文化について熱く議論され、しかも海外からの視点で述べられています。お二人が紡ぎ出す言葉の連続に、単なる運動競技ではなく、日本の伝統的身体運動文化である武道を実践している自分を誇らしく思うと同時に、何かとてつもない重さを背負っていることを痛感しました。そして、ある日恩師より、「何度も読んだ本だ。難しいけど、挑戦してみろ」と和辻哲郎の『日本精神史研究』を手渡されました。博士論文に示唆を与えた本ということでした。その後すぐに『和辻哲郎全集』を、これまた母親にせがんで購入してもらい、片っ端から読みあさりました。

 もともと自分を守るために相手を殺傷する、そんな目的の中で生まれた武道が人間形成の道とされている。しかも、戦闘集団である武士が長期に渡って政権を握っていた世の中であるのに、武道は単なる暴力として扱われてこなかった。そこには、日本にとって重要な、忘れてはならない深い文化性があるのではないだろうか。そんなことを日々考えるようになりました。

 本というのは、自分が実際に会って話すことのできない人の知識、考え、感性と出会わせてくれます。人生における経験値が何倍にもなったように思えます。これからもたくさんの出会いを楽しみに過ごしていきます。