映画『みんなの学校』に出会ったのは、学校をつくるという理想と現実の狭間で思い悩んでいたある夏の日 のことでした。これは、大阪市住吉区にある「大阪市立大空小学校」の1年間を追ったドキュメンタリー映画 です。
脚色も演出も全くない子どもたちと先生たちの姿に、心を打たれました。弱音を吐いている場合じゃないぞ と、背中を押してもくれました。
この大空小学校初代校長であった木村泰子氏の著書『「みんなの学校」が教えくれたこと~学び合いと
育ち合いを見届けた3290日~』を紹介します。
「痛いねえ,痛いねえ,痛いねえ」
転んだ教師になどかまわずそのまま階段を走り抜ければ、レイジは学校から逃げられたはずでした。でも、戻
ってきた。しかも、担当教師の体をいたわっているのです。
ふたりの姿が、涙でかすみました。教室の前で、しとしとと降る雨の音を聞きながら、私はレイジのクラスの子ど
もたちとずっとその光景を、ただただ黙って見守っていました。(P64)
レイジ(仮名)について、簡単に説明します。
・4月の始業式に転入。体育館のギャラリーを奇声を発しながら走り回る。
・毎朝10時頃、母親が自転車に乗せて連れてくる。(荷台にチューブで縛られて)
・隙あらば脱走する。担任が、片時も手を繋いでいなければならない。
・担任がトイレに行った隙に学校を脱走し、夜中の2時に警察に保護されたことも。
・その際の母親の言葉。 「校長先生の責任は一切問いません。何があっても、たとえ死んだとしても、それがあの子の運命ですから」
6月のある日。レイジは初めて、6年生の教室に入ったのです。しかし、校長と担任が会話を始めたとたん、教
室から脱走しました。担任は、すぐさま彼を追いかけようと走り出します。その瞬間、結露で濡れていた廊下で
転倒。その時すでにレイジは、4階端の階段付近にいました。
校長の頭には「今夜も夜中の2時か・・・」という言葉が浮かんだそうです。
ところが……、前述の場面となりました。
このあと、学校に何が起きたのか。なんと、彼は次の日から1日も欠かさず学校に通い、しかも、卒業まで1度
たりとも、教室からでさえ脱走することはなかったそうです。
私は、本の中でも映画の中でも、このレイジの場面を忘れることができません。 教育とは、教え育てること。ダメなことはダメと指導をすることは必要ですし、学習面でも生活面でも、未熟な 子どもたちを導くためには、指導技術も必要です。
しかし、レイジを一瞬で変えてしまったのは、指導技術もまだ身に付いていない初任の教師の姿です。「痛い
ねえ、痛いねえ、痛いねえ」は、学校中の誰もが初めて聞いたレイジの言葉でした。 何が、彼の心をここまで
動かしたのでしょうか。
なぜレイジが、戻って来たのか。正解は誰にも分かりません。なにしろ彼自身が、自分の気持ちや心の動きを
説明することができないのですから。そして、なぜ次の日から一日も休まず、脱走することもなく卒業式を迎えた
のかも……。
木村氏の言葉を引用します。
「それは、その子が変わったのではなく、その子を見る周りの目が変わったからだと思います。痛いね、痛いね
と先生のおしりをさすったレイジの姿が、周りの子どもや大人の心に変化をもたらしたのでしょう。学校中の誰も
が、レイジを見る目が変わりました。」
今からおよそ12年前。大阪の大空小学校で起きたこの出来事は、たった一人の新任教員と6年生の男の
子の話です。これをもって、「教育とはこうあるべき」とか「教師の力量とはなんぞや」などと,語っていけないこと
は知っています。
しかし、これは紛れもない事実です。
ですから、教育に携わる人間の一人としてこれからもずっと、あの雨の日の出来事を大切にしていきたいと,、今も思っています。