准教授 朴澤憲治
私はするスポーツはからっきし苦手なのですが、見るスポーツではプロ野球、特にヤクルトスワローズのファンです。
私が高校生だったころ、野村克也監督率いるヤクルトスワローズがID野球を旗印にセントラルリーグを席巻し、巨額資金で他球団から有力選手をかき集め巨大戦力を誇っていた読売巨人軍を倒すところを見るのが痛快でした。
当時のヤクルトは明るいチームカラーでありながら、データを駆使した戦術、野球の技術や戦術ではなく人生論からはじまるというミーティングが重視されること、他チームで戦力外となった選手がもう一度活躍するというチーム作りが素晴らしかったです。ブランド論には、人は商品やサービスを選ぶときには、その品質や価格だけでなくその背景にあるストーリーに魅力を感じて選ぶという説がありますが、当時の私はヤクルトスワローズ、そして野村監督のストーリーに魅せられ、大学合格後は神宮球場で野球を見ることも夢見て、東京の大学への進学を目指したのでした。
当時のヤクルト野村監督は選手や監督としての実績はもちろん素晴らしいのですが、私が野村監督を尊敬する理由は、球界のバイブルと言われる「野村ノート」をはじめ400冊を超える著作を残したことです。私はそのうち何冊か読みましたが、野球に関することだけでなく、組織論、リーダー論、教育論から古典の紹介や歴史の人物評まであり、その博学ぶりに驚かされました。これだけの著作は体験からだけでなく、多くの書物に目を通したからできたものであり、野村監督の著作では「野球は頭でやるスポーツ」とし、しばしば読書の効用が説かれています。また、厳しく指導したという愛弟子の古田選手は、他のプロ野球選手と違い読書習慣があったから考える野球がはじめからでき、大成したのだろうと指摘しています。
野村監督の教えを実践していたのが、本学OBでソフトバンクホークスの大関選手です。2022年5月8日の西日本スポーツの記事「大関の落ち着きぶり、その源は 「考えが濃くなった」」(https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/919412/)によると、大関選手は仙台大時代、野球で汗を流す傍ら、読書にもふけったそうです。以下、記事を引用します。
「仙台大時代、大関は野球で汗を流す傍ら、読書にもふけった。ジャンルは哲学書に自己啓発本、ビジネス書と多岐にわたった。「高校までは目の前のことに必死で生きてきたけど、大学に入って自分で自分が分からなくなった。どういうふうに生きていけばいいのかなって」。野球はもちろん、人間関係にも悩みが生まれた時期だった。 「今になって大切な時間だったな、と思っている。人の考えを学んだり、人の経験を知ったりすることは確実に自分のプラスになっている」。24歳らしからぬマウンド上での落ち着きは、さまざまな先人の思想に触れたからこそ生まれたものだった。そんな左腕が今、人生のテーマに掲げるのは“自分を信じる”だ。「考え方がふらふらした時もあったけど、結局はそこに戻ってくる。シンプルだけどすごく難しい。これまで歩んできた自分を受け入れるからこそ、前に進んでいける。考えが変わってきたというより、濃くなってきた感じ」。自分を信じ抜いての116球が、プロ入り初めてのシャットアウト劇につながった。」
大関選手は2019年のドラフトで育成2位という評価でソフトバンクホークスに入団しました。失礼は承知のうえで書かせていただくと、ドラフト時点でプロ球団からの評価は決して高いものではなかったでしょう。しかし2021年には支配下登録を勝ち取り、2022年には優れた選手の多いソフトバンクの中で先発を担うだけでなく、一流選手の証でもあるオールスターゲームに出場しています。
プロ野球は野球の天才と言われるような若者たちが、ライバルとの厳しい競争の末に1軍選手の座をつかむという世界と認識しています。ましてや、ソフトバンクホークスは球界でもトップクラスの選手層を誇り、前評判の高い選手たちがドラフト高順位で入団しても、入団後芽が出ず失意のうちに退団していく選手も多いチームです。その中で、ドラフト時に低評価だったのにも関わらず、大関選手がライバルとの競争に勝って主力投手にまでなったのはなぜでしょうか。
その秘密は西日本スポーツの記事にあるように、彼の大学時代の過ごし方、野球の練習だけでなく読書を通してさまざまな考え方に触れた経験にあったのだと私は思います。ライバル選手に差をつけた理由は読書を通じて獲得した引き出しの多さだったと思うのです。
野村監督も選手時代は体格に恵まれたわけでもなく、テスト生での入団でそこから三冠王を獲得するまでの大打者となりましたが、その秘密のひとつは考えて野球をしたことでした。大関選手と共通するところを感じます。
私が大関選手について感心するのは、彼の学生時代の読書ジャンルの広さです。私の学生時代の読書と言えば、教員から指定された教科書をいやいや読む(そしてたいていは途中で読むのをやめる)か、たまたま経済系の本は読むのが好きになったのでそればかり読んでいました。哲学書は読もうとも思いませんでしたし、(いまだに食指が動きません。)自己啓発書やビジネス書もほとんど読むことはありませんでした。
しかし、社会に出てみると、考え方がそれぞれ異なる人たちと仕事をしていかなければならず、自分が学んできたことに固執したため多様な考え方があることがわからずしばしば苦労しました。多様なジャンルの読書をしておけば、様々な考え方があることを理解し、社会を複眼的に見るということが早くからできたはずですが、私にはそれができませんでした。
大関選手は卒業時にはすでにそのような経験をし、厳しいプロ野球の世界で一定の地位をつかみ取りました。やがて引退するときが来るでしょうが、彼ならば大学時代の学びとプロでの経験を活かして選手生活が終わった後も社会で活躍していくと確信しています。
さて、このような素晴らしい先輩を持つ仙台大学で学生に教えるという重大な責任を持ってから1年が経過しました。残念ながら、学生たちはスマホばかり見ていてあまり読書をしているようには見えませんが、私は大関選手の経験を学生たちに機会があるたびに語るようにしています。
私は学生時代の反省と大関選手エピソードから、所有している本のリストを作り、それぞれのジャンルがわかるようにしています。そして、本を読み終わった後はその感想を記録しています。こうすることで、自分がどのジャンルに関心があるのか、または関心がないジャンルはどれかが一目瞭然です。私が大学に入職してから購入した本は527冊でそのうち読み終わった本はこの記事を書いている時点で281冊なのですが、仕事に関係のあるジャンルに偏っているとリストから自分の読書傾向を分析することができ、読んでいないジャンルこそが自分の弱点だと認識できます。
学生には大関選手のように多様なジャンルの本に触れることで複眼的な思考を身に着けてもらうように指導しつつ、まだまだ自分がそうなっていないことに反省しきりの日々です。