2024年3月17日日曜日

【TORCH Vol.148】「私の情報行動の変化と図書館」

               スポーツ情報マスメディア学科 教授 齋藤長行


近年、私の情報行動は変化しました。特に、ここ2、3年は、デジタル・インターフェースが高度にユーザー・フレンドリーになっていることから、私にとってデジタル・ディバイスは重要な情報源へのアクセス経路となっています。私は、寝ている時と、トレーニングをしている時以外のほとんどの時間は、デジタル・ディバイスに触れているのではないかと思うくらいです。

この様に、私はデジタル・ディバイスのヘビーユーザーだと自負しているのですが、実は大の図書館好きです。週に2、3回は図書館で時間を過ごしています。と言っても、小説、新聞やルポライター記事を読むのではなく、もっぱら図書館に設置されたフリーアドレスの机の上で論文を書いています。

ただ、図書館での時間の過ごし方(論文の書き方)も様変わりしました。5、6年前までは、図書館に設置された机に図書資料を山積して、それらを片っ端から読み漁り、重要個所に付箋を貼るなどして情報を整理・分類し、それらを基に論文を書いていました。

それが現在では、図書館に自分のデジタル・ディバイスを持ち込んで、スクリーンに映し出されている情報を読み解き、それらを発想の起点として論文執筆に活用しています。紙で読むという行為の頻度がかなり減りました。

さらに、ここ最近の私の情報の変化は、「読む」前に「聴く」という行動を行うようになりました。具体的には、書籍を「読む」前に、最初に電子書籍の音声読み上げ機能を使って、全体の内容を聴き取ります。最初の段階の「聴く」においては、重要個所に電子付箋を貼るようにしています。そしてその後の「読む」という段階において、電子付箋を貼った個所を入念に「読み返す」という行動をとっています。

 この様に私の活字を読むという行動は変化しています。しかし、そのような情報行動をしているにもかかわらず、公共の場としての図書館の重要性は、なんら変わっていません。おそらく、図書館の落ち着いた雰囲気や、本の匂いが好きなのかもしれません。

情報を得るという行動様式は変わっても、知を生み出す場としての図書館の役割は変わらないのだと思います。


2024年2月19日月曜日

【TORCH Vol.147】「22215」


                 スポーツ情報マスメディア学科 助教 山口恭正 

 

学生時代から文章を読むことのみならず書くことも好きだった私は現在、研究者の端くれとして論文やら記事やらを執筆している。研究分野の都合上、何かと数字で論じることが多くなってしまい、数字に頼らず何かしらを主張するために文章を紡いでいた時代の感覚は、院生生活と共に失われてしまったのかもしれない。

 

 とは言いつつも、数字というものは「自分の主張に都合の良い論理的命題を設定する」(この言い方が適切かどうかはさておき)のに非常に便利であるため、学術論文のみならず書物や報道では重用されている。学術論文では統計学というハードルによってその妥当性や信頼性は担保されている(と見なせる)。一方、報道や一般図書、雑誌においては自浄作用の乏しい業界なのか、不可解な数字の扱いが多いため、私は懐疑的な見方をせざるを得ない。

 

 

 さて、タイトルの数字に関して皆様は何を、どう思うだろうか?

 

 

 これは忘れもしない2011311日の東日本大震災の犠牲者(2023310日時点での死者・行方不明者・震災関連死含む)の数である。日本人、特に東北地方の人間であればその記憶は強く残り、記録を目にすることも多かろう。ちなみに、私たちの多くが海外の災害について関心を持たないのと同様に、国際学会で海外の人に「仙台ってどの辺?」と聞かれて「東北地方だよ、ほら、東日本大震災があった地域の近くだよ」と言ってもあまりピンと来ない人は多い。

 

 私が強く印象に残っている災害と言えば2004年のスマトラ島沖地震が挙げられる。年末、親戚の家のテレビに映し出される被災した国々の映像に非常に驚いた記憶がある。とりわけ、東南アジア諸国で生じた津波の映像は、2011年まで「津波」の代表的な概念を脳内に形成していた。そんなスマトラ沖地震の人的被害は正確には算出されていないが、死者行方不明者合わせて20万人から30万人という報告がよく見られる。

 

 2024年は11日の「令和6年能登半島地震」に始まり、依然として復興の目途どころか被害の全貌すらも明らかになっていない。2月の初めの時点で死者は240人とされ、13人が安否不明となっている。

 

 さて、ここまで2004年のスマトラ島沖地震、2011年の東日本大震災、2024年の能登半島地震を挙げてきた。それぞれ人的被害からその規模や深刻さがしばしば議論される。現に報道では、犠牲者が100人を越えたのは熊本地震以来だという説明がされていた。

 

 ここで私が引っ掛かりを感じるのが、災害の規模を犠牲者の数という数値に置き換えて議論する事に関する是非である。前半に述べた通りに、数字というものはある種の論理的な命題、大小に関わる論理構造を明示してくれる非常に便利な存在であるが、その利用の是非には一定の議論の余地があるだろう。

 

 個人的な話になり恐縮ではあるが、私が中学三年生の卒業式の前日に東日本大震災が発生し、高校では少し遅れて入学式があった。思えば仙台市地下鉄南北線が一部動いておらず登校に苦労した覚えがある。そんな高校時代にクラスで初めて話をした前の席の奴は、県内沿岸部出身で家を丸ごと失っていた。当時の彼の苦労を推し量ることは叶わないが、そんな彼の前でたとえばスマトラ島沖地震を引き合いに出して、東日本大震災の被害規模の「小ささ」を議論する事は到底出来ないだろう。

 

 世の中には「数字じゃ議論できないこともある」と声高に叫ぶ方もいらっしゃるが、エビデンスの無い議論は「感想」として淘汰される現代社会において、精神論的議論はナンセンスである。

 

 私が強調したいのは、浅はかな精神論的文脈から離れた、数字という強力な論理ツールの扱い方を今一度見直してみるべきではないかという事である。インターネットが普及し、欲しい情報が容易に手に入り発信・拡散できてしまう時代だからこそ、データを正しく読み取り、そしてそのデータを賢く真摯に善良な市民として使い、発信することがこれからの社会人には必要不可欠であろう。

 

 研究者コミュニティにおいても、研究インフラの一つである統計学の正しい扱い方が求められている。2018年のアメリカ統計協会(American Statistical Association)の声明を皮切りに(無論ACM等ではもっと前から議論がされていたが)統計解析に関する考え方の見直しが提唱されている。

 

 優秀な分析ソフトの登場により私のような統計学のエンドユーザーは容易に統計解析を行えるようになったが、はたしてその何パーセントが統計解析の結果を正しく解釈しているだろうか?

 

 実験デザインや入力したデータの妥当性や信頼性に関わらず、何らかの結果を出力してくれる統計ソフトに表示される値と閾値との関係だけを見て何かを論じてはいないだろうか?その結果はどういった文脈で評価されるべきだろうか?どんな条件の下で妥当と言えるのだろうか?

 

 研究者がこうした問題と向き合うのと同様に、報道機関や書籍出版社においても数理的なリテラシーの改善がよりよい社会構築には求められている。一部自浄作用の乏しい報道機関が時折、数字を用いて作為的な偏向報道を行うケースも見られる今日において、発信側のモラル向上と受信側のリテラシー向上、双方への啓発活動が高等教育機関では必要だろう。

 

 数字を使って何かを議論するということには、一定の責任と素養が必要なのは明白であり、それを支えてくれるのが「知」と呼ばれるものなのだろう。それを養うには、受動的に情報を享受するだけでなく、能動的に情報を得て解釈するという知的活動が不可欠であり、書籍や新聞、インターネットを駆使して多角的に情報を収集する営みがその下地となる。

 

 ところで、ここまでの文章で私はWeb用に最大200字を目安に段落を分けて執筆している。様々なデバイスで読まれる事を念頭に置いただけでなく、こういう書き方でないと若い世代は文章を読んでくれないらしい。かつてWebで記事を書いていた際に編集の方から教わった手法であるが、可読性はいかがなものだろうか。

 

 スマートフォンの普及も相まって、こうした「読みやすい形式」の記事がインターネット上に氾濫することで、ぎっしりと文字が詰まった本を読むという行為は若い世代を中心にかなりの負担になっているらしい。

 

 かく言う私も最近は本を読むという行為が苦痛となってきた(老眼ではない)。

 

 本記事は図書館ブログの記事として、こうしたスタイルで文章を執筆してしまったのは、書を司る図書館のポリシーに反するのかもしれない。ただ、本を読むという事そのものがスキルとなる時代が既に来ているのではないだろうか。「本が読める」というだけで重用される未来だって十分に考えられる。

 

 

 そんな時代のために、学生の皆様には是非、本を読むというスキルを身に付け、知的な営みを愉しむ下地を育んでいただきたいものだ。仙台大学の学生にとって、この記事がその呼び水となるとともに、数値データへの考え方、そして一人の東北人として東日本大震災に関して考えるきっかけとなれば幸いである。




2024年1月11日木曜日

【TORCH Vol.146】マイナーリーガーからメジャーリーガーへの著作権

 

「ようやくスポットライトが当たりだした著作権」
(副題:私の人生を変えた著作権法との出会い)

 

現代武道学科 教授 清野正哉

 

今でこそ多くの人は、なんとなく著作権という言葉を知っています。教育現場では、先生たちが、総合学習だけでなく、社会や理科等の主要科目の授業の中でも、インターネットとタブレットを使う学習の際に、気を付けなければならないキーワードの一つとして、この著作権に直面しています。そして、高校、大学等でも同じです。最近のAI、中でも生成AI(例 ChatGPT(Chat Generative Pre-trained Transformer)の利用でも、この著作権に関する新たな問題が提起されて、教育現場だけでなく、ビジネスの現場でも、大きな関心が示されています。

さて、私がこの著作権と出会ったのは、前前職の参議院文教科学委員会調査室の時です。衆参両院には、霞が関の各省庁を所管とする常任委員会があり、それに応じて調査局や調査室()があります。ここでは、各省庁の内閣提出法案や議員立法に関する様々な資料等を作成し、各省庁の問題等について調査等を行っています。そして、こうした内部資料に基づき、衆議院調査局や参議院の各常任委員会調査室は、国会議員へのレクチャーを行ったり、依頼された関係資料・情報の提供等を行ったりしています。

()衆議院は制度改正をして、衆議院調査局として、この内部組織の中で、委員会ごとに調査業務を行っており、参議院は、従前同様に、常任委員会ごとに調査室が設置されています。なお、参議院の調査室のトップ(数として20以上)は、給与基準では各省の事務次官と局長の間のポストとなります。また、衆参両院にある法制局では、立案等(法律案作成等)が中心となります。

 あまり知られていませんが、この衆議院調査局や参議院の各調査室は、霞が関にとっては厄介な存在と受け止められています。これらの組織からの資料要求や情報提供には、原則、対応せざるを得ないからです(説明要求が求められると出向かざるをえません)

 当時、文部科学省は、一部の団体が独占的に行っていた著作権管理業務を一般にも開放すべく、新規立法として著作権等管理事業法案を国会提出しました。音楽関係であれば、日本音楽著作権協会(JASRAC)が有名です。

こうした内閣提出法案が国会提出されると、衆参両院の調査局・室や法制局は、そのための各種資料等を作成し、いつでも国会議員からの依頼に対応できるよう、法案の問題点や課題、担当省庁の抱えている問題点等を盛り込んだ法案参考資料を作成することとなります。

ある時、当時の文教科学委員会調査室室長から、この法案の担当を命じられ、若干の抵抗を示しながら、最終的にはこの法案の担当者として係わることとなりました。その室長は、以前私が参議院事務局議事部法規課法規係長をしているときの同法規課長でもあり、その後、私が文書課課長補佐時代でも、国会警備の責任者である警務部長(各省庁の局長級のポスト)として、私を併任として部下とした方でもありました。こうしたことから、最初は、担当外してくれと抵抗しましたが、説得され最終的には引き受けることになった次第です。

ところで、役所という宮仕えなのになぜ抵抗したかといえば、この法案そのものの難易度は高くないのですが、その前提として著作権法全般をすべて理解し、いつでも国会議員から問い合わせやレクチャー等に応じなければならないからです。

おそらく、著作権法と聞きますと、一般的には、コピーしてはダメとの、著作権法の規定する権利は、単一であり、難しくない権利ととらえる方が多いと思います。

実は、この著作権法には、大きく二つの権利(著作財産権著作者人格権)があります。その著作財産権には、さらに、複製権、上演権・演奏権、上映権、公衆送信権、二次的著作物の利用権、公の伝達権、口述権、展示権、譲渡権、貸与権、頒布権、二次的著作物の創作権があり、著作者人格権には、公表権、氏名表示権、同一性保持権があります。 

この二つの権利のほかに、さらに、著作権に隣接する権利という趣旨で「著作隣接権」があり、実演家、レコード製作者、放送事業者、有線放送事業者にこの権利が付与されています。例えば、この実演家には、ヒップホップダンス(HIPHOP DANCE)(例 ブレキン)のダンサーが含まれます。

 こうした権利を著作者等に認めるととともに、今度は、こうした権利を制限するための例外規定をいくつも認めているのです。例えば、私たちが自己使用のため複製することを認めている私的使用のための複製や図書館である程度自由に複製・インターネット送信等を認めていること(著作権法第 30条等)や最近のオンライン授業とその課金処理等の規定やインターネット・AI利用における権利制限規定等です。著作権法は、原則、著作者等の権利者保護のための非常に多くの権利を規定し(「著作権法は権利の束といわれる」)、また、例外規定も多数用意するという複雑な仕組みをとり、しかも刑罰(10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金、法人による侵害の場合は3億円以下の罰金等)も規定しているのです。

著作権法は、最近の情報通信技術やアプリケーション、AI等の進展により、日々様々な課題が提起されています。

私が役所時代に著作権法を学ばなければならなかったときは、今ほどの情報通信技術等に翻弄されるほどの状況ではありませんでしたが、この複雑な著作権法の理解には、生理的拒否反応をせざるを得ませんでした(私の大学院での専攻は刑事法ですから、全くの門外漢。)

しかも、当時は、この著作権法をはじめとした知的財産法(この名称の法律はなく、特許法、実用新案法、意匠法、商標法等の総称として、この表現が使われます。)は、メジャーな法ではなく、しかも、著作権法といえば、以前は弁理士国家試験の試験科目にも入っていないくらい、マイナーもマイナーの法として、世間的認知は低いものでした(私が、在学した東北大学法学部には、著作権法という授業はありませんでした。)

こうしたことから、著作権法に対するほぼゼロの知識状態とモチベーションの最悪状態から、私の著作権法との闘いが始まりした。まずは、著作権法の教科書を多数買い、役所の資料等も参照しながら、そして、(文部科学省)文化庁著作権課等に対して職権(あたかも著作権法のエキスパートとして)で問い合わせたりしての悪戦苦闘の日々が続きました。その後、なんとか著作権法を理解し、本体である内閣提出法案の著作権等管理事業法案の資料作りも部下とともにこなして、国会議員の前では、張り子の著作権法エキスパートとしてレクチャー等していきました。

人前で説明することが数多くなると、徐々に、知識の定着や理解が深まり、いつしか張り子ではなくなりました。その後、以前から出版社の依頼で法律専門誌に出稿していたことから、この著作権等管理事業法の解説書の出版を頼まれました。

ここから、人生初の本の出版へと道を進むこととなります。今度は、この本の出版のための原稿書きという作業を職務外に行わなければならなくなり、昼間は公務に、夜や休日は原稿書きの日々となりました。

著作権等管理事業法の内容を十分理解していることと原稿作成とは大きく異なります。このギャップによる精神的な負担に、神経をすり減らしていきました。しかし、出版社の担当者の助言等を受けながら、ようやく、なんとか本の出版にこぎつけた時には、今まで経験したことのない喜びを感じたのを今でも覚えています。そして、この時の経験が、その後、各種出版や各種執筆に大きく役立つこととなりました。

本の出版で、役所の外の人たちの付き合いが多くなり、それからというもの役所の了解をとりつつ、著作権関係の様々な依頼を受けるようになりました。その後、これが縁で、コンピュータの公立大学の学長(NTT出身)の強い引きで、公務員から自治体に出向し、その後、大学教員への道を進みました。

まさに、著作権法との出会いが私の人生の転機をもたらしたのでした。

そして、当時は、著作権法の専門家が少なったこともあり、しかも、著作権法学会でも色がついていない(どこの派閥に入っていない)ことから、著作権関係の講演やセミナーに引っ張りだこ、となり、国内にとどまらず海外にも足を延ばすといった、まさに二束草鞋(大学と実務)の生活となりました。

その後、日本全国すべて知財ブームとなり、この流れとともに、著作権法の専門家も弁護士や弁理士の中からも多く出現するようになりました(儲かるから)。それでもしばらくは、東北地方は首都圏、関西圏と比べると、まだまだ著作権法のニーズは少ない感じでした。

そして、インターネット、ソーシャルメディア・SNSの出現、スマートフォンの普及により、いつでもどこでも誰もがクリエーターの時代が到来することとなり、この著作権法への関心がさらに広がりました。

「誰もがクリエーター」においては、低年齢化も進み、学校教育の現場でも、関心が高まっていることは、本稿の冒頭に述べた通りです。

著作権関係の講演・セミナーの依頼を受けてきた中で、以前は企業関係からの依頼が主でしたが、途中からは、自治体、教育委員会、学校関係に代わってきたことに、教育現場での戸惑いを肌で感じるようになりました。

著作権()への関心の主体が変わってきたことは、著作権()の関係者の裾野がますます広がっていることの現れでもあります。

コロナ禍でオンライン授業が普及しました。ここでも著作権法が関係しています。例えば、教員が他人の著作物を使用して作成した教材を生徒の端末に送信したり、サーバにアップロードすることができるのは、最近の著作権法の改正があったからです(著作権法35条関係)。ただし、その場合、当該教育機関の設置者が、補償金を支払うことが義務付けられています(SARTRAS関係)。

そして、最近のAI、とりわけ著作権の関係では生成AIの問題への解決が急務です。しかし、文部科学省も、この生成AIの使用では、著作権には気を付けましょうといっていますが、どのように気を付けたらいいのかについては、多くの方にはなかなか理解できないと思います。著作権法の権利制限規定や最近の技術開発に伴うAI関係への整備規定の解釈においても、著作権法はますます注目されています。

この著作権法とはまだまだ付き合うこととなりそうです。

 

 

 

2023年12月5日火曜日

【TORCH Vol.145】「ときには本屋さんの実店舗を訪れてみましょう!」


スポーツ情報マスメディア学科 教授 遠藤 教昭

私が高校入学から大学2年生ころまでは、毎日、仙台都心部を通って通学していました。別に好みでそうしていたわけではなく、たまたま都心が最短の通学路上にあったというだけの話ですけれども。

 

でもその状況をいいことに、ときどき寄り道しては、お気に入りのショップを訪れていました。当然ながら、仙台中心部にはいろいろ魅力的な店があります。百貨店やスーパーにも寄りましたが、書店や音楽レコード店(まだCDではありませんでした)やオーディオなど電気店が中心でした。

 

当時は大昔ですので(1970年代後半から80年代前半)、世の中にオンラインショップはまだ皆無で、本や音楽レコードを買うには実店舗に行くしかありませんでした。通学途中は買い物のいい機会だったというわけです。なお、現在と同様、ネット以外の通信販売はありましたが、特に若い世代には、当時からあまり一般的ではなかったように思われます。

 

さて、この学生時代の道草ショッピングを振り返って、何がいちばん印象的だったかと回顧すると、それは「本屋さんのブラウジング」です。このことばは急に思い付きましたが、調べてみると「browse」には、もともと「店で漫然と商品を見て回る」という意味があるようで、この文脈において誤用ではないようで安堵しています。そういえば、昔から図書館にブラウジングルームというのもありました。

 

本屋さんのブラウジングが印象的とはどういうことかを説明します。本以外のもの、例えば音楽のレコード(現在で言えばCD)だと、けっこう高価ですので、お店に行く前から購入するものを決めて行くことが多いと思います。本についても同様な場合もあるかも知れませんが、わたしの場合、少し時間があるときにゆっくりと本屋さんの中を巡って、たまたま見かけた面白そうな本を購入するということも、学生時代にはかなりあったと思い出されます。面白いというのは内容だけではなく、題目がいいとか、表紙やカバーが印象的だとか、本屋さんの配列がよかったとか、他の種々の要素もあることでしょう。本屋さんのブラウジングによって、たまたま自分の五感に訴えるような本を発見することは、決して稀ではないと思うのです。

 

結論的に申し上げたいことは、「学生の皆さんも、ときには本屋さんの実店舗を訪れてみましょう!」ということです。本屋さんをぶらぶらするのは、コンピュータの検索とは違った味があります。お時間に余裕のあるときにでも、お試しいただければ幸いです。未知の本との運命的な出会いで、気づいていなかったご自身の新しい可能性の発見に繋がるかも知れません。


2023年10月19日木曜日

【TORCH Vol.144】「痛いねえ,痛いねえ,痛いねえ」

 

                                                                              教授 小石 俊聡

 映画『みんなの学校』に出会ったのは,学校をつくるという理想と現実の狭間で思い悩んでいたある夏の日 のことでした。これは,大阪市住吉区にある「大阪市立大空小学校」の1年間を追ったドキュメンタリー映画 です。
 脚色も演出も全くない子どもたちと先生たちの姿に,心を打たれました。弱音を吐いている場合じゃないぞ と,背中を押してもくれました。 この大空小学校初代校長であった木村泰子氏の著書『「みんなの学校」が教えくれたこと~学び合いと 育ち合いを見届けた3290日~』を紹介します。

「痛いねえ,痛いねえ,痛いねえ」 転んだ教師になどかまわずそのまま階段を走り抜ければ,レイジは学校から逃げられたはずでした。でも,戻 ってきた。しかも,担当教師の体をいたわっているのです。 ふたりの姿が,涙でかすみました。教室の前で,しとしとと降る雨の音を聞きながら,私はレイジのクラスの子ど もたちとずっとその光景を,ただただ黙って見守っていました。(P64)

 レイジ(仮名)について,簡単に説明します。 ・4月の始業式に転入。体育館のギャラリーを奇声を発しながら走り回る。 ・毎朝10時頃,母親が自転車に乗せて連れてくる。(荷台にチューブで縛られて) ・隙あらば脱走する。担任が,片時も手を繋いでいなければならない。 ・担任がトイレに行った隙に学校を脱走し,夜中の2時に警察に保護されたことも。 ・その際の母親の言葉。 「校長先生の責任は一切問いません。何があっても,たとえ死んだとしても,それがあの子の運命ですから」

 6月のある日。レイジは初めて,6年生の教室に入ったのです。しかし,校長と担任が会話を始めたとたん,教 室から脱走しました。担任は,すぐさま彼を追いかけようと走り出します。その瞬間,結露で濡れていた廊下で 転倒。その時すでにレイジは,4階端の階段付近にいました。 校長の頭には「今夜も夜中の2時か・・・」という言葉が浮かんだそうです。 ところが……,前述の場面となりました。
 このあと,学校に何が起きたのか。なんと,彼は次の日から1日も欠かさず学校に通い,しかも,卒業まで1度 たりとも,教室からでさえ脱走することはなかったそうです。

 私は,本の中でも映画の中でも,このレイジの場面を忘れることができません。 教育とは,教え育てること。ダメなことはダメと指導をすることは必要ですし,学習面でも生活面でも,未熟な 子どもたちを導くためには,指導技術も必要です。
 しかし,レイジを一瞬で変えてしまったのは,指導技術もまだ身に付いていない初任の教師の姿です。「痛い ねえ,痛いねえ,痛いねえ」は,学校中の誰もが初めて聞いたレイジの言葉でした。 何が,彼の心をここまで 動かしたのでしょうか。
 なぜレイジが、戻って来たのか。正解は誰にも分かりません。なにしろ彼自身が,自分の気持ちや心の動きを 説明することができないのですから。そして,なぜ次の日から一日も休まず,脱走することもなく卒業式を迎えた のかも……。
  木村氏の言葉を引用します。
 「それは,その子が変わったのではなく,その子を見る周りの目が変わったからだと思います。痛いね,痛いね と先生のおしりをさすったレイジの姿が,周りの子どもや大人の心に変化をもたらしたのでしょう。学校中の誰も が,レイジを見る目が変わりました。」

 今からおよそ12年前。大阪の大空小学校で起きたこの出来事は,たった一人の新任教員と6年生の男の 子の話です。これをもって,「教育とはこうあるべき」とか「教師の力量とはなんぞや」などと,語っていけないこと は知っています。
 しかし,これは紛れもない事実です。
 ですから,教育に携わる人間の一人としてこれからもずっと,あの雨の日の出来事を大切にしていきたいと, 今も思っています。


2023年2月7日火曜日

【TORCH Vol.143】自分のための読書

 助教 伊藤 愛莉  

幼稚園生の頃、『おひさま』という絵本雑誌を買ってもらったのが文字を読むこととの出会いだった。出産のため母がしばらく家におらず、寂しくないようにと買ってもらった。「へんてこライオン」や「クレヨンまる」などカラフルな絵とちょっと不思議な話に夢中になり、毎月の楽しみになった。この頃から本を読むことはいつも私を助けてくれていたのだなと思う。

小学生や中学生の頃は、宮部みゆきさん(『火車』は強烈なインパクトだった。個人情報の流出には本当に気を付けたい)や、有川浩さん(『図書館戦争』はラブコメ要素があり読みやすいが、表現の自由や抑止力について考えさせられた)、伊坂幸太郎さん(仙台に10年住んでいるがミルクコーラをまだ飲めていない。いちおしは飄々とした死神による人間の観察が面白い『死神の精度』)、三浦しをんさん(『風が強く吹いている』は読んだことがある人も多いでしょうか。辞書編纂という長い時間のかかるプロジェクトを題材にした『舟を編む』も好きである)などを読んだ。とにかく小説が好きだった。高校では古典にはまり、『源氏物語』や『枕草子』にとどまらず、大学の試験の古文の問題は一度読んだことがあるものが出たくらいだった。高校2年生の時の二者面談では、面接用紙の将来の夢の欄に「本に囲まれて暮らしたいです」と書いた(今はある意味この夢がかなったともいえるかもしれない)。

ところが、自由に本を読み放題になるはずの大学生時代、ただ自分の心のままに本を読むという時間を忘れてしまった。皆さんと同じように教員免許と卒業単位をとるためにほぼフルコマで授業を受け、それに伴うレポートや授業の理解のために必要な文献を読み、一人暮らしの家事をして、学費のためのバイトをしなければならなかったからだ。

さらに修士課程に進んでからは、もはや凶器になるサイズの英語の本をもとにした報告や、それ以外にも英語の授業が3コマくらい課された。本の1章以上か1日で論文1本を翻訳しないとぜんぜん間に合わない。当然その他に日本語の授業もある。1回の授業を身につけるには、最低15本くらいの英語や日本語の論文を読む必要があった。もちろん研究に興味があり進学したので、特に不満などはなくやる気に満ちていた。小説や古文とは異なる、論文や学術書の読み方(まずは要約、問いと結論を読み、どこまで読みこむかを判断したり、研究方法を確認したり、重要な研究の場合、その研究を自分が再現できるか頭でシュミレーションするなど色々)を身に着け、たくさんの知識が頭に入る感覚は楽しかった。しかし今思えば、私の文字好きの原点である小説や物語を読むという考えがなくなった時期だった。 

博士課程後半、これまで以上にたくさんの文献を読む必要がある時期に、文字を読むことが好きだった私についに異変が起きた。論文を読もうとしても文字の形がただ眼球をすべるだけの状態になった。文字を読もうとしても内容が、一切、はいってこなくなってしまったのだ。あれだけ好きだった文字たちがストレスの原因になってしまったので、しばらく、論文や学術書は封印することにした。少し時間が経ってから、まずは、11回論文をひらいたらokとか、それができるようになったら1頁読めたらokとか文字を読むためのリハビリみたいなことをしていた。

そんなもどかしい生活をしばらくしていると、上橋菜穂子さんの新刊が出ていると教えてくれた人がいた。上橋先生はアボリジニの研究者であり、児童文学者だ。守り人シリーズや、『獣の奏者』『鹿の王』などの作品がある。おそらく私の一番好きな作家さんであり続ける人である。私としたことが、上橋さんの新刊情報を見落とすほど本から離れていたのだった。その人は『香君』という本のリンクを送ってくれた。「上橋さんのファンだったよね!植物や昆虫が出てくる話だから好きそうだなと思って」そして、本の本体も送ってくれたのだ!

段ボールを開けたら、私の好みとしか言いようのないデザインの本がそこにあった。上橋さんの本にも集中できなかったらどうしようと思いながらも、お茶を淹れて、万全の態勢を整え私は本を読み始めた。一つ一つの文字を丁寧に読んで、登場人物の服装、光の差し方、空気の感触、香りなどを焦らずにゆっくりと味わった。こんな本の読み方をしたのは本当に久しぶりだった。提出期限のある論文執筆のための読書で、私は常に何かに追いこまれながら文字を読む癖がついてしまっていたのだ。

上橋さんの作品はファンタジーではあるが、とにかくその世界に本当にいるような気になる。現実よりも現実だと思わせる緻密な世界観、ストーリーの展開に、「そうそう、本を読むってこんな感じだった」とわくわくしながら次のページをめくる気持ちが湧き上がってきた。まる2日間ほど、その本のことしか考えずに没頭することができた。読み終わった後には、上橋さんの作品に必ず登場する、賢く、勇気があり、毅然とした登場人物が、私もこうありたいという気持ちを思い出させてくれた。そして、これくらいの長さの本を読めたことは、文字を読むことに対する安心感と、自分への信頼を私にもたらした。

 私はもともと、読書が好きではあるが、追い込まれながらする読書、何かを得なければならないと思わせる読書、押し付けられる読書、一生懸命読んでも理解できない読書も経験したことで、本を読むのは面倒、読書は苦手だなという敬遠する気持ちを持つ人がいるのもわかるような気がする。

 しかし、学生の皆さんには、InstagramTwitterTik TokYouTubeなどから得られる、誰でも簡単に発信できる文や情報だけではなく、作者が生みの苦しみを感じながらも書き上げ、本になることを許された文にたくさん触れてほしい。私にとって、読書という活動は、情報や刺激、やるべきことがたくさんあり、他者の視線を意識してしまう日常生活において、本と私だけの空間をあたえてくれるものである。文字から風景や心情を想像することは、いつも使っている脳の部位とは違うところが動いていて、たぶん瞑想のような効果があるのではと思っている。ただ心のままに自分が気になった本を開くと、それだけで自分を大切にできた気分になるのでおすすめだ。

オンライン授業を受け、スマホを使いこなす皆さんにとって、読書は特に難しいことではない。1ページよんで、よくわからないでもよいし、表紙がかわいいから買ってもよい。絵本や漫画ももちろん読書だし、目次に目を通すとか、あとがきを読むだけでもよい。3行よんでよくわからないでもよい。なんなら図書館や本屋さんで、タイトル、帯の言葉、表紙のデザインを見るだけでも読書といってよいと思う。こう考えると服とか靴をみることとそんなに変わりはないので、ぜひ本を目にする時間を生活に取り入れてほしい。

今から私が読もうと思っているのは、木下龍也さんの『あなたのための短歌集』という本だ。1ページめくれば、きっと心がほぐれると思う。中学生の頃、上橋菜穂子さんの講演会に連れて行ってくれた友人が「これすごい良い」とLINEで教えてくれたのでたぶん面白いはず。普段読書になじみのない方もこのあたりから本にふれてみてはいかがでしょう。

2023年1月16日月曜日

【TORCH Vol.142】快適な「繭の中」を出て、  他者と出会う旅をしよう

                               講師 安藤歩美

 私が初めてインターネットの世界に触れたのは、小学校高学年のころだ。自宅のパソコンを電話線に繋ぐだけで、未知の情報の海へと旅することができる高揚感。遠く離れた、顔も名前も知らない人々と交流ができる新鮮さ。私にとってインターネットは、多様な情報と人との出会いによって視野を広げてくれる、まさに世界に開かれた「窓」だった。

 ところが近年、インターネットが人々の「視野を狭める」危険性が指摘されるようになっている。SNSのフォローやブロック機能、webサービスのAIによるリコメンド機能の進化により、人々がインターネットを通じて得る情報は急速に「個人化」されるようになった。学生に聞くと、TikTokが個人の嗜好に合わせて「おすすめ」する動画を見ていると一時間ほど過ぎていることがよくあるという。Amazonがその人の閲覧・購入履歴から「おすすめ」してくる本をつい買い過ぎてしまい、大変だという人もいる。....これは私のことですが。

 どこまでも自由で多様なはずのインターネットで、実は人々が自分の興味関心のある情報だけを与えられる「繭の中」に閉じこもっているとしたら? キャス・サンスティーンの『#リパブリック インターネットは民主主義になにをもたらすのか』(勁草書房、2018)は、こうしたインターネットによる情報の「個人化」が民主主義社会にどんな影響を与えるのかを真正面から考察した本だ。著者によれば、同じ意見を持つ者同士が繋がり、異なる意見を排除できるSNSの環境は、社会の分極化や過激化を助長しかねない。しかし優良な民主主義体制にとって必要なのは「情報と熟考にもとづく決定」であり、そのためには自分と異なる立場の意見を知り、対話する機会こそが重要となる。

 著者は「民主主義そのものの核心」として、情報の「セレンディピティ(偶然の出会い)」を挙げる。人は予期しなかった、自分で選ぶつもりのなかった情報に出会うことで、「似た考えを持つ者同士でのみ言葉を交わすような状況から予測される断片化、分極化、および過激思想から身を守る」ことができるからだ。とすれば、こうした「偶然の出会い」を生み出せるようなSNSやAI、webサービスのあり方をいかに設計できるかが、インターネットの存在を前提とした健全な民主主義社会のための一つの鍵と言えそうだ。

 17〜18世紀のイギリスでは、コーヒーを片手に身分や立場を超えて情報交換や政治談義ができる「コーヒー・ハウス」が栄えた。ハーバーマスはこうした市民のオープンで自由な議論の場を「公共圏」と呼び、熟議型の民主主義を支える重要な空間として位置付けた。多様な人が議論に参加できるインターネットも当初「公共圏」の役割を期待されていたはずだが、今日Twitterを覗けば、先鋭化・過激化した意見が対決している構図が目につき、異なる意見を持つ者同士が「熟議」している環境とは言い難い。

 今後ますます個人化していくインターネット環境の中で、私たちは快適な繭の中を飛び出し、いかに自分と違う他者と出会うことができるか。そして、意見や立場の異なる人同士が議論する「公共圏」を、いかにインターネット上に設計することができるのか。本書は現代に生きる私たち一人ひとりがこの難題に向き合うための、いくつもの示唆を与えてくれる。